偽りの婚姻から脱出、御曹司は私に惚れ のすべてのチャプター: チャプター 931 - チャプター 940

1004 チャプター

第931話

自分はまた、叶うはずのない夢を見ていた。政野は苦笑した。その苦笑を見た秘書は、再びぎょっとして、おそるおそる尋ねる。「どうかなさいましたか?大丈夫ですか?」政野は我に返り、淡々と言った。「何でもない。もう遅いし、君は上がっていい」「承知いたしました」秘書はどうにも政野の様子がおかしい気がしてならなかったが、その理由が分からない。さっきだって、自分は何か失言をした覚えはなかった。本来なら会社を出るつもりだった政野は、結局また自分のオフィスへと戻ってきた。そしてデスクの前に座り、ぼんやりと虚空を見つめる。――今の自分は、本当に正しいことをしているのだろうか。愛していた仕事を捨て、自分が好きでも得意でもないことに毎日追われている。いったい何のために?出世するためか。奈穂に、少しでも自分を見てもらうためか。だが、たとえ頂点まで登り詰めたとしても、彼女が自分に視線を向けてくれるとは限らない。奈穂と正修が婚約した日のことを思い出す。あの日の彼女は、誰の目にも分かるほど幸せそうだった。そのとき、不意にオフィスのドアが開き、政野の思考は遮られた。顔を上げると、入ってきたのは博だった。「まだ帰っていないと聞いてな。様子を見に来た」博は満足げな口調で言う。「最近はずいぶん勤勉になったじゃないか。そうでなくては俺の息子とは言えない」政野は何も答えず、ただ脇に掛けられたカレンダーに視線を向けた。しばらくして、彼は手を伸ばし、人差し指である日付をゆっくりとなぞる。「もし昔の計画どおりだったなら――」政野はぽつりと呟いた。「この日は個展の開催日だったはずなんだ。今ごろオフィスに座っているんじゃなくて、その準備に追われていたはずなのに」その言葉を聞いた途端、博の表情が曇る。「まだそんなくだらない絵のことを考えているのか?今まで何度も個展を開いてきただろう。まだ飽きないのか?」政野は苦笑した。父は決して理解してくれない。自分の情熱も、夢も。昔はそのことが苦しかった。だが今では、もう慣れてしまったのかもしれない。「ただ考えていたんだ。今の生き方に、いったいどんな意味があるのかって……」言い終わる前に、博はデスクの前まで歩み寄り、勢いよくデスクを叩いた。バンッ――「人生にそん
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第932話

こうして見ると、政野が突然態度を軟化させたのは、奈穂のためだったのだ。政野は否定しなかった。それは事実上の肯定だった。博は怒りで身体を震わせた。「俺はてっきり、お前もようやく骨のある男になったのかと思っていた。だが結局は女のためか!」博は以前から政野に言い聞かせていた。奪うべきものは奪えばいい。だが、まだ完全に敵対する段階ではない。たかが一人の女のために正修を敵に回すなど、まったく割に合わないことだった。「父さん、もうその話はしたくないんだ」政野はため息をついた。「少し一人にしてくれないか」博はしばらく政野を睨みつけていたが、やがて冷笑を浮かべる。「好きにすればいい。だが一つだけ忠告しておく。島でお前が口にした言葉を忘れるな。どんな理由で今の道を選んだにせよ、もし今ここで投げ出したら、お前は将来、後悔しないと言い切れるのか?よく考えるんだな」その言葉を聞いた瞬間、政野の体がぴくりと強張った。その反応を見て、博は自分の言葉が届いたことを悟る。それ以上は何も言わず、踵を返して部屋を出て行った。静寂が戻る。政野はその場に座ったまま、苦しげに頭を抱えた。――そうだ。自分は後悔したくなかった。だからこそ、この道を選んだのではないか。もう決めたはずだ。引き返すことなど、できない。……奈穂が正修のオフィスに入ると、彼はまだデスクに向かって仕事をしていた。だが応接テーブルの上には、彼女の好きなお菓子とミルクティーがすでに用意されている。「先に少し食べてお腹を満たしておいて」正修は歩み寄り、彼女の手を取ってソファへと導いた。「まだ片付けなきゃいけない仕事が残ってる。夕食に行くまで少し待たせるかもしれない」「分かってるよ。私のことは気にしないで。ちゃんと仕事してきて」奈穂はにこにこと笑う。「今日はあなたを迎えに来ただけなんだから。邪魔しに来たわけじゃないよ」その言葉に、正修は思わず笑みをこぼした。彼女の頬を軽くつまむ。「いつだって君は俺の邪魔なんかじゃない」「はいはい、だから早く仕事に戻って」正修がデスクに戻ろうとしたその時だった。奈穂が彼の袖を引き止める。そしてお菓子を一つ摘まみ、そのまま彼の口に押し込んだ。「あなただってお腹を空かせちゃだめ」正修は素直にそ
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第933話

一見すると、ごく普通の挨拶のようなメッセージだった。だが、なぜか言いようのない不快感を覚える。ましてや、海外の見知らぬ番号から送られてきたものだ。――北斗か?いや、違う。前回、奈穂に電話をかけた件で、今の北斗は追跡を逃れるだけで精一杯のはずだ。自分を挑発するためにわざわざこんなメッセージを送る余裕も度胸もないだろう。なら、いったい誰なのか。それとも、単なる送り間違いなのだろうか。「どうしたの?」正修の様子がおかしいことに気づき、奈穂が心配そうに尋ねた。「何かあった?」「いや、大したことじゃない」正修はそう言って、届いたばかりのメッセージを彼女に見せた。奈穂は内容を確認すると、不思議そうに瞬きをする。「普通のメッセージにしか見えないけど……でも海外から送られてきたんだよね?知らない人なの?」正修は小さく頷く。「この番号に見覚えはない」だが、どうしても違和感が拭えない。このメッセージには、どこか説明できない不気味さがあった。人の直感というものは時に根拠がない。それでも、簡単に無視していいものでもない。正修はその番号を二郎に送り、調べるよう頼んだ。ほどなくして結果が返ってくる。だが、その内容は予想外だった。その番号は現在使われていない番号だった。そう聞いて、ますます不気味さが増す。今度は奈穂まで違和感を覚えた。ちょうどその頃、車は屋敷に到着する。二人は車を降り、並んで中へ入った。歩きながら、奈穂は眉をひそめる。「もしかして北斗じゃない?あなたを挑発するために送ってきたとか」正修は彼女の肩をそっと抱き寄せた。「たぶん違うと思う」そう答えながらも、彼の脳裏にはある人物の姿が浮かんでいた。――まさか、あの人なのか。もし本当にあの人だとしたら、なぜ今になって、こんなメッセージを送ってきたのだろう。何を企んでいる?雅子は事前に二人が帰る時間を確認していたため、厨房にはあらかじめ夕食の準備をさせていた。二人が帰宅した頃には、ちょうど料理が並び終わったところだった。部屋着に着替え、手を洗う。そして二人は食卓につく。奈穂は正修が何かを考え込んでいることに気づいていた。だが無理に問いただそうとはしない。ただ黙って、彼の好きな料理をいくつか皿に取
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第934話

正修の兄は、いったい何をしたのだろうか。奈穂が好奇心を隠しきれない様子で見つめてくるのを見て、正修は苦笑しながら彼女の頭を撫でた。「まずは食事をしよう。話は食べ終わってから聞かせるよ」そう言われ、奈穂は胸の中の疑問をひとまず押し込めるしかなかった。大人しく食事を続けながらも、正修がちゃんと食べているかしっかり見張ることは忘れなかった。……夕食を終えた後、二人は寝室に戻った。正修は奈穂を抱き上げ、自分の膝の上に座らせる。そして長い間封印されていた過去について話し始めた。「彼は俺の実の兄だ」正修は淡々とした口調で言った。「三歳年上で、名前は九条正景(くじょう まさかげ)という」九条家の跡取りとして生まれた正景は、幼い頃から大きな期待を背負って育った。そして彼は、その期待を裏切らなかった。優れた才能を持ち、勉学でも能力でも常に群を抜いていた。家族を失望させたことなど、一度もなかった。だが成人した頃から、少しずつ状況が変わり始めた。最初に異変に気づいたのは、正景と正修の父親だった。二人の父親は、長男が長年、裏社会と表社会の狭間を渡り歩くような人間たちと接触していることに気づいたのだ。その時、父親は厳しく警告した。だが正景は表向きこそ素直に従ったものの、陰ではなおも彼らとの関係を続けていた。「その後、兄はあろうことか、ああいう連中とつるむようになって、本来なら絶対に手を出してはいけない商売に関わり始めた。それは九条家では決して許されないことだった。しかも――」そこまで言ったところで、正修の声がわずかに強張る。「その連中は、父を殺したんだ」奈穂は思わず目を見開いた。正修の父親の死因は、長年外部には明かされていなかった。病死だという噂もあった。事故死だという話もあった。あるいは仇敵に報復されたのだとも言われていた。九条家は公式な発表を行わず、詳しく探ろうとする者もいない。たとえ九条家と親しい間柄の人間であっても、遺族の心の傷に触れるようなことは避けたがるものだ。だから誰も深くは尋ねなかった。まさか真実が、これほど残酷なものだったとは。「父はずっと兄を止めようとしていた。これ以上過ちを重ねさせたくなかったからだ。だが、そのせいで父は連中から危険視されるようになった。そ
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第935話

九条家の人間ですら、かつての長男については口を閉ざしている。そんな中で、わざわざその話題に触れようとする者などいるだろうか。「今日になって急にお兄さんのことを思い出したってことは……このメッセージを送ってきたのが、彼だと思ったの?」正修はスマートフォンを見つめたまま答える。「そんな気がしたんだ」根拠があるわけではない。自分でも妙な直感だと思う。だが一度そう感じてしまうと、どうしても無視できなかった。「もし本当にお兄さんだったとして……どうして今になってこんなメッセージを送ってくるの?」奈穂は不思議そうに言う。「昔、あなたたち兄弟の仲はどうだったの?」「良かったよ」正修の目にわずかな陰りが差した。「俺は兄を尊敬していた」当時、まだ幼かった正修にとって、何をやらせても完璧な兄は確かに憧れの存在だった。正景もまた、弟のことをとても可愛がってくれていた。だからこそ、当時の正修は夢にも思わなかった。まさか兄が、あんなことをしでかすなんて。将来を嘱望された九条家本家の跡取りだったというのに。なぜわざわざ、自ら破滅への道を選んだのか。「この十数年、一度も連絡はなかったの?」奈穂が尋ねる。「なかった」正修は短く答えた。奈穂も、どこか引っかかるものを感じていた。だが、こんな夜更けまで正修にこの件で思い悩んでほしくはない。「ただのメッセージ一通でしょう?今はあまり考えすぎないで」そう言いながら、彼女はそっと彼の顎に頬を寄せるようにして甘えた。「今日は一日中忙しかったんだし、もう休みましょう。何かあるとしても、考えるのは明日でいいわ」奈穂は平静を装っているつもりだった。だが、その瞳には心配の色が隠しきれずに滲んでいる。正修の胸に温かなものが広がった。彼はそっと身をかがめ、彼女の額に口づける。「大丈夫だ。そんなに心配しなくていい」――心配しないなんて無理だ。もともと正修は武也の死で気分が沈んでいた。そんなところに、今度は意味深なメッセージまで届いたのだ。正修がどれほど冷静で理性的な人間かはよく分かっている。それでも、愛する人だからこそ心配になってしまう。奈穂はそれ以上何も言わなかった。ただ正修の手を引いてベッドに向かい、二人で横になる。互いを抱きしめ合ったまま、やがて
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第936話

その時、不意にスマートフォンが鳴った。男は電話を取ると、何気なくスピーカー機能をオンにする。「伊集院北斗の件ですが、すでに落ち着いています」電話の向こうから部下の声が聞こえた。「ご指示どおり、彼の周囲にさらに人員を配置しました。全員が選りすぐりの人材です」「そうか。よくやった」男は満足そうに頷く。「彼らに伝えろ。そろそろ伊集院北斗を帰国させる時だ。いつまでも海外で逃げ回っても何の意味もない。これだけ有能な人間を揃えてやったんだ。なら、故郷に戻って自分の敵と戦うべきだろう」「承知しました」……翌朝。正修は九条家の本家に足を運んでいた。佳容子は起きて間もないらしく、ソファに座ってコーヒーを飲んでいる。どこか元気のない様子だった。正修の姿を見つけると、ようやく微笑みを浮かべた。「お帰り。奈穂は一緒じゃないの?」「会社に用事があって、先に出社したんだ」「そうなの」佳容子は頷く。「今度時間がある時に、奈穂を連れて帰ってきなさい。私が腕によりをかけて美味しいものを作ってあげるから」「分かった」正修は微笑み返した。だがその直後、ふと表情が曇る。本当は聞きたいことがあった。正景のこと。そして昨夜届いたあの不可解なメッセージのこと。しかし、母の目元に残る赤い腫れを見た瞬間、その言葉は喉の奥に押し込まれた。母はいまだに外祖父の死から立ち直れていない。深い悲しみの中にいる。そんな彼女に、今さら十数年前に追放された正景の話を持ち出したら、きっと余計につらい思いをさせてしまう。これまで佳容子は一度たりとも正景の名前を口にしたことがなかった。だが、息子である自分には分かる。母は一度も忘れたことなどないのだ。たとえ正景が取り返しのつかない過ちを犯したとしても。それでも、正景は母の息子だ。忘れろと言われて忘れられるものではない。毎年正景の誕生日になると、佳容子は決まって一人で部屋に閉じこもった。何時間もぼんやり過ごし、食事すら喉を通らなくなる。「正修?」佳容子が不思議そうに呼びかける。「どうしたの?」正修は我に返った。胸の奥に湧き上がる感情を押し込み、平静を装う。「何でもない」佳容子は何かを察したようだった。だが息子が話したくないのなら、無理に聞くつもりもない。
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第937話

「母さん……」「大丈夫、大丈夫よ」佳容子は言いながら、まるで胸の中の悲しみを振り払うかのように何度も首を横に振った。「私は平気だから」ちょうどその時、階段の方から足音が聞こえてきた。岳男が二階から降りてきたのだ。「おはようございます、お義父さん」「おはようございます、おじい様」岳男は軽く頷く。「おはよう」その反応はいつも通りだった。孫の帰宅にも、特別な反応は見せなかった。ただ淡々と告げる。「朝食が終わったら書斎に来なさい」「分かりました」正修は素直に頷いた。……朝食後、正修は先に書斎に向かった。しばらくして岳男も姿を見せる。祖父と孫は向かい合うようにソファに腰を下ろす。先に口を開いたのは岳男だった。「この数日はどうだ」「問題ありません」岳男は静かに頷く。「そうか。だが、お前の母親はまだ立ち直れていない。これからも気にかけてやりなさい」「分かっています」その時、使用人が熱いお茶を運んできた。二人の前にティーカップを置き、静かにお茶を注ぐ。一礼すると、そのまま部屋を出ていった。岳男はすぐには茶を飲まなかった。ただ湯気の向こうに揺れる茶葉を見つめながら、ゆっくりと口を開く。「以前、お前に政野の失敗した案件を引き継がせたな。見事な仕事だった」正修が返事をする前に、岳男は続ける。「博がお前の足を引っ張ろうとしていたにもかかわらず、完璧に収めた」正修は驚かなかった。「ご存じでしたか」あの程度の小細工が岳男の目を欺けるはずがない。気づいていないと思っていたのは、おそらく博本人だけだろう。あの年になってなお、妙なところで甘い。「博は愚かだ」岳男は小さくため息をついた。「ずっとお前の父親を超えようとしてきた。だが結局、それは叶わなかった。長年抱き続けた執着は、いつしか心の闇となり、あいつを縛る執念になってしまった。そしてあいつは、その執念に囚われたまま、いまだに抜け出すことができていないんだ」そう言うと、岳男の眼差しがわずかに冷たくなった。「それだけならまだいい。だが今度、彼は自分の息子まで巻き込もうとしている」「本当は政野と一度しっかり話したいと思っていました」正修は静かに言った。「ですが、いろいろな事情を考えると、今の彼は、俺の話に耳を貸さないかもし
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第938話

「おじい様は……兄が今どこにいるのか、ご存じなんですか?」正修は尋ねた。岳男は静かに首を横に振る。「知らん。当時、海外に追放した後は監視役をつけていた。だが、あの子は賢すぎた。鋭くて、用心深くてな。結局、監視していた者たちは全員撒かれてしまった」それ以降、岳男は二度と人を使って居場所を探そうとはしなかった。正景が犯した罪はあまりにも重かった。だから自分に言い聞かせたのだ。九条家にそんな孫など最初から存在しなかったのだと。だが実際には、佳容子と同じだった。心の奥底では、一度も完全に手放せていない。ただ、その感情を誰にも悟られなかっただけだ。正修ですら騙されていたほどに。「もし会いたいと思っているなら」正修は複雑な表情で言った。「一度探してみてもいいのではありませんか」正景に対する感情は、誰にとっても単純ではない。大切な家族だった。だが同時に、九条家が決して許せない過ちを犯した人間でもある。そして何より、父の死にも深く関わっていた。岳男は長い沈黙の後、ようやく口を開いた。「……やめておこう。わしはあの日、自ら言った。九条家にそんな人間はいなかったのだと。それに、もう十数年だ。今さら探し出したところで、新たな波風を立てるだけかもしれん」「……ですが、昨夜一通のメッセージが届きました」正修はスマートフォンを取り出し、昨夜届いたメッセージを開いて岳男に見せた。本来なら、この件を祖父に話すつもりはなかった。正景の話題を持ち出して、祖父の気分を害したくなかったからだ。だが今は違う。岳男自身が正景の名を口にした以上、避ける理由はなかった。正修が説明を始めるより早く、岳男はメッセージを見た瞬間に眉をひそめた。「……まさか、正景からのものか?」「おじい様もそう感じますか?」正修の表情も険しい。「人を使ってこの番号を調べさせましたが、結果は使われていない番号でした」岳男の顔つきも一段と厳しくなる。「もし本当に正景が送ったものだとしたら……あいつは何を企んでいる?」冷静に考えれば、海外から送られてきたたった一通のメッセージだけで正景を疑うのは、いささか飛躍しすぎているのかもしれない。だが岳男も正修と同じだった。どうしても胸騒ぎがするのだ。しかも、その番号はメッセージ送信後に停
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第939話

岳男との話を終えたあと、正修は二階から下りてきた。だが、佳容子の姿は見当たらない。使用人に尋ねると、彼女は裏庭に行ったという。何かを察した正修は裏庭に向かい、案の定、一本の木の下にあるブランコに腰掛け、ぼんやりと物思いにふける佳容子を見つけた。その木は、正修もよく知っている。正景が生まれた年に植えられた木だった。その隣の木は、自分が生まれた年に植えられたものだ。二本の木には三年の差がある。それでも今では、どちらも同じように大きく育ち、青々と枝葉を茂らせている。かつて正景が九条家を追放された際、岳男は正景に関する痕跡をすべて消し去るよう命じた。だが、この木だけは残された。忘れていたのか、それとも――正修は知っていた。ここ数年、佳容子はよくこの木の下に座り、ひとりで物思いにふけっていたことを。今の彼女の様子を見ていると、邪魔をしたくなかった。そのまま引き返そうとしたとき、不意に佳容子が顔を上げ、彼に気づいた。「正修」彼女は微笑んだ。「おじいちゃんとの話は終わったの?」正修はうなずき、そのまま歩み寄る。「母さん、風が出てきそうだ。あとで毛布を持ってこさせるよ」佳容子は首を横に振り、ブランコから立ち上がった。「いいのよ。これから友達と約束があるから、そろそろ出かけるところなの」「それならいいけど」今の彼女の状態では、家に閉じこもっているほうがかえって気が滅入るだろう。外に出て気分転換をしたほうが、少しは気持ちも楽になるかもしれない。二人は並んで屋敷に向かった。だが数歩進んだところで、佳容子はふと足を止め、振り返った。「この二本の木、本当に立派に育ったわね……」そう呟いたあと、彼女は小さく続けた。「正修、あなたの……」そこまで言いかけて、言葉は途切れた。困ったように苦笑を漏らしながら、佳容子は再び屋敷に向かって歩き出す。もう振り返ることはなかった。その背中を見つめながら、正修は複雑な表情を浮かべる。自分には分かっていた。母がさっき何を尋ねようとしていたのか。――正修、あなたのお兄さんは今、元気に暮らしていると思う?……日々は静かに過ぎていった。気づけば若菜は、烈生が用意してくれた小さな家で暮らし始めてから一週間が経っていた。この一週間、彼女はとても穏
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第940話

使用人は少し考えたが、確かにその通りだと思った。今、若菜がここに身を潜めていることを誰よりも知られたくないのは、他でもない若菜本人なのだから。そのため、それ以上は何も言わずに部屋を後にした。若菜はスマートフォンを手に取り、時間つぶしにドラマか映画でも観ようと思った。そのとき、不意に芸能ニュースの通知が表示された。普段なら気にも留めなかっただろう。だが、その瞬間、彼女の体は固まった。そこに雲翔の名前があったからだ。【宋原家の御曹司・宋原雲翔、恋人を両親に紹介 家族そろって和やかな食事会】若菜が状況を理解するより先に、その見出しはすでに目に入っていた。一瞬ぼうっとしたあと、自分が何を見たのかを理解する。途端に耳鳴りがしたような感覚に襲われ、震える指で通知をタップした。――嘘よ。雲翔が恋人を連れて彼の両親に会うなんて、そんなはずがない。それとも……もう新しい彼女ができたの?記事を開くと、一枚の写真が目に飛び込んできた。パパラッチによる隠し撮りらしく、レストランの個室が写っている。窓が開いていて、その正面の席に雲翔が座っていた。だから若菜は一目で彼を見つけた。そして当然、その隣に座る女性の姿も。――あのバーのオーナーだ。若菜はぎりっと歯を食いしばった。胸が激しく痛み、手足までこわばっていく。向かい側に座る二人は背中しか写っていなかったが、顔を見なくても分かる。雲翔の両親だ。つまり、このニュースは本当だった。雲翔は本当に、新しい恋人を両親に紹介したのだ。どうして……!もう別の女性を愛してしまったの?しかも相手はあのバーのオーナー!彼は確かに言ったはずだ。ただの友人だと。「雲翔……どうしてそんなことができるの……」若菜の顔から血の気が引いていく。彼女は呆然と呟いた。「前はあんなに私を愛してくれていたのに……あんなに優しくしてくれたのに……今度はその愛を、別の人に向けるつもりなの?そんなの嫌……」その瞬間、若菜は気づいてしまった。自分が思っていた以上に、雲翔に新しい恋人ができることを受け入れられないのだと。どうして?自分が愛している人は、彼ではないはずなのに。若菜は半ば無意識のまま、画面をスクロールし続けた。記事の内容は終始、雲翔と新
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