All Chapters of 私にワルイコトを教えたのは政略結婚の旦那様でした: Chapter 11 - Chapter 20

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第二章 楽しいワルイコト 3

――なんて感傷に浸っていた一週間後。なぜか私はコマキさんと再会していた。しかも、私のお見合い相手として、ホテルのレストランの個室で。「はじめまして。灰谷炯です」彼はことさら〝はじめまして〟と強調して爽やかに笑ってみせたが、どこからどう見ても胡散臭い。そもそもなんで、正体を隠して私を知らないフリをして、コマキなんて名乗っていたんだろう。もしかしてお見合いの前に、私と一緒で相手の情報を一切入れなかったとか?「は、はじめまして。城坂凛音、……です」彼に引き攣った笑顔で応える。あの日のあれやこれやが思い出され、今すぐこのテーブルの下に潜り込んで隠れたい気分だ。「私の妻になる女性がこんなに可憐な方なんて、光栄です」「うっ」さらににっこりと微笑みかけられ、息が詰まった。もう彼は私が、諦めの悪いお転婆娘だと知っているのだ。……そんなわざとらしく言わなくたって。無言で彼へ抗議の目を向ける。そのまま、続いていく話に適当な相槌を打って聞いていた。あの日、おそるおそる家に帰ったものの、父からは想像したほど怒られなかった。きっと、大事な見合いを勝手に抜け出して、激しく叱責されると思っていたし、覚悟もしていた。もうそれは、自分が悪いってわかっている。しかし、なにも言わずに、しかも携帯まで置いていなくなったことについて、心配するから二度としないようにと注意されるだけに終わった。朝帰りのお咎めもなしだ。こんなの、反対に気味が悪い。けれどなにか言って思い出したかのように怒鳴られるのも嫌なので、黙っておいた。さらに先方も急に都合が悪くなったらしく、土壇場で延期になったと教えられた。もしかしたらそれで、あまり叱られずに済んだのかもしれない。こうして一週間後、改めてお見合いとなったわけだが、なぜか私の前には灰谷炯という名のコマキさんが座っている。……もしかして、よく似た他人とかないよね?はじめましてって言っていたし。よくよく自分の前に座る人物の顔を見る。上部が太いメタルハーフリム眼鏡も長めのスポーツカットも同じだが、それだけで判断してはいけない。けれど何度見てもその顔はあの日、私を連れ出してくれた彼そのものだ。いや、一卵性の双子という可能性も捨てきれないが。しかし本当にコマキさんだとすれ
last updateLast Updated : 2025-11-03
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第二章 楽しいワルイコト 4

「ああ、そうですね。いいよな、凛音?」「はい」父から聞かれて、承知した。私だって炯さんとふたりきりになって、聞きたいことがある。「じゃあ、行きましょうか」「はい」促されて一緒に部屋を出る。「ラウンジのカフェでいいか」「はい」反対する理由もないので、頷いて一緒にエレベーターに乗る。回数表示を見つめながら炯さんは無言だ。私も黙って立っていた。ラウンジではすぐに席へ案内された。彼はコーヒーを、私はグレープフルーツジュースを注文する。「えっと……。コマキさん、ですよね?」スタッフが下がり、ふたりきりになって切り出す。けれど彼はじっと私を見つめるだけでなにも言わない。もしかして本当に、他人の空似?なんて不安になり始めていた頃。「……ぷっ」噴き出す音がして、俯きかけていた顔を上げる。「はははっ、ははっ、なんだよ、その顔!」凄い勢いで笑い出した彼を、唖然としてみていた。というか、あまりに大きな声だから周囲の人たちに注目されていて恥ずかしい。「あのー……」「あー、もー、俺の思惑どおりって顔してて、見合いの最中、笑わないように我慢するの、大変だったんだぞ?」「はぁ……」彼は笑いすぎて出た涙を、眼鏡を浮かせて拭っているが、私には笑える要素なんてひとつもない。「改めて。コマキこと灰谷炯だ。これからよろしくな」差し出された右手を少しのあいだ見つめたあと、その手を握り返した。「東城茜こと城坂凛音、です。こちらこそよろしくお願いします」そのタイミングで頼んでいたものが運ばれてきて、慌てて手を引っ込めた。「というか、知ってて黙ってたんだとしたら、意地悪です」上目でじろっと、抗議を込めて彼を睨む。「だから『また会える』って言っただろ?」「それは、そうですけど……」炯さんは涼しい顔でコーヒーを飲んでいる。アレでわかれと言われても、無理がある。「凛音、俺が見合い相手だと全然気づいてないみたいだったからな。だから、正体を隠してた。すまん」散々私をからかって気が済んだのか、彼は真摯に私へ頭を下げた。「いえ……。なにも知らなかった私も悪かったと思いますし」せめて相手の顔写真くらい見ておけばよかったのだ。そうすればこんな事態にならなかった。しかし、もし彼がお見合いの相手だと知っていたら、悪いことがしてみたい
last updateLast Updated : 2025-11-03
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第二章 楽しいワルイコト 5

そのあとはこれからについて相談した。「入籍と式はまだ先だが、とりあえず俺の家に移ってきたらいい」「えっと……。結婚が決まっているとはいえ、嫁入り前の娘が男性と同棲だなんて、許されるんでしょうか」なぜか炯さんは、カップを持ち上げたまま固まっている。「……それ、本気で言ってるのか?」「え?」僅かな間のあと、眼鏡の奥で何度か瞬きして彼はカップをソーサーに戻した。私としては至極当たり前の意見だったが、なにか変だったんだろうか。「……はぁーっ」まるで気が抜けたかのように炯さんは大きなため息をついた。「あんな大胆な行動ができるかと思えば、これだもんな。まったく」ちらりと彼の視線がこちらを向く。それは呆れているようでも喜んでいるようでもあった。「あのさ」「はい」次になにを言われるのかわからなくて、どきどきしながら続く言葉を待つ。「もう俺ら、寝た仲だろ?いまさらじゃないか」少しのあいだ言われた意味を吟味し、私は嫁入り前なのに結婚相手とは違う人間――だとあのときは思っていた――とそういう行為におよんでしまったのだと思い至った。「ソ、ソウデスネ」あの夜を思い出し、声はぎこちなくなる。震える手でグラスを掴み、ストローを咥えた。「まあいいから、俺の家に移ってこい?それで俺がいっぱい、悪いこと教えてやるからさ」「……え?」つい、炯さんの顔をまじまじと見ていた。悪いことを教えるとはどういう意味なんだろう?「まさか、楽しい悪いことがあれだけだと思ってるのか?世の中には一生かかっても遊び尽くせないくらい、楽しい悪いことがあるの。俺が可能な限り、教えてやる」私の気持ちがわかっているのか、炯さんが力強く頷く。結婚すれば今度は良家の奥様という役割を押しつけられ、そのように振る舞うように強制されるものだと思っていた。なのに彼は、私に自由をくれるというのだろうか。「時間を無駄にしたくないからな。だから早く俺の家に移ってきて、一緒に悪いことやろうぜ」右頬を歪め、実に人の悪い顔で彼が笑う。でもそれが私には、酷く眩しく見えた。「は、はい……!」嬉しくて胸がいっぱいになる。浮かんできた涙は気づかれないように、さりげなく拭った。結婚を待たずにすぐにでも越してこいなんてきっと、少しでも早く私をあの窮屈な生活から解放してやろうという彼の
last updateLast Updated : 2025-11-03
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第二章 楽しいワルイコト 6

雑談を交えながら引っ越しの相談をする。炯さんは郊外の一軒家に住んでいるが、忙しいときは都心のマンションで過ごしているらしい。「凛音はどっちに住みたい?街へのアクセスのよさならマンションだが、こっちは基本、寝に帰るだけだ。ゆっくりしたい休日などは家に帰るが、少し街から離れているから不便ではある」「そうですね……」今だって街まですぐなんて場所に住んでいるわけではない。それに疲れて帰ってきたら、ひとりになりたいかも?だったら郊外の家のほうかな。などと悩んでいたが。「あ、あと。俺はあまり家に帰らない。海外出張が多いんだ。わるいな」本当に申し訳なさそうに彼が詫びてくる。忘れていたわけではないが、彼は海運業会社の社長なのだ。父の会社の石油運輸も請け負っており、それも彼が結婚相手になる要因にもなった。海外が仕事の現場となれば、出張が多いのは当たり前だ。「……そうなんですね」それでも、これからの彼との楽しいあれやこれやに思いをはせていただけに、落胆を隠しきれない。悪いとわかってはいたが、落ち込んでしまう。「そんな顔をするな」目の前が少し暗くなったかと思ったら、わしゃわしゃと柔らかく髪を撫でられた。「俺まで悲しくなる」顔を上げると、炯さんは困ったように笑っていた。お仕事なのに私はなんてことを。猛烈に後悔が襲ってくる。「ごめんなさい」椅子の上で身を小さく縮こまらせる。彼だって申し訳なく思っているから、先に断って詫びてくれた。なのに、不満に思うなんて最低だ。「だから。そんな顔するなって」完全に困惑した顔で、どうしたらいいのかわからないのか、炯さんは後ろ頭を掻いている。彼を困らせているのはわかっているが、そうしている自分が情けなくて、ますます落ち込んでいった。「ほら。なんか食べて機嫌直せ。パフェか?ケーキか?それとも別の店に行くか?」スタッフに持ってきてもらったメニューを、彼が私の前に広げる。……ああ、そうか。炯さんは私を落ち込ませたと後悔しているんだ。だったら、私の今の態度はよくない。「すみません、大丈夫なので」精一杯、安心させるように彼に笑いかける。いつまでも浮かない顔をしていたら、炯さんを困らせるだけだ。「本当か?なんでも頼んでいいんだぞ?」それでもまだ、彼は心配そうに私の顔をのぞき込
last updateLast Updated : 2025-11-03
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第二章 楽しいワルイコト 7

今後の打ち合わせを終え、炯さんは私を家まで送ってくれた。ついでに、両親から私の引っ越し許可を取ってくれるらしい。そんなの、自分で話をすると言ったものの。「そういうの、凛音のいいところだし、任せたいけどさ。こういう話は俺からしたほうがすんなり上手くいくの。それに俺は今から凛音を悪い子に染めていくんだからな。少しでもよき夫という印象を植え付けておかないといけない」まるで悪戯を企む子供のように、炯さんは楽しそうだ。「そうですか」「そうなんだ」なんだかおかしくて、くすくすと笑ってしまう。想定していたものとは違い、彼とは楽しい結婚生活を送れそうだ。ただし、あまり家に居ないのは淋しいけれど。父は炯さんから話があると言われ、少々緊張しているように見えた。もしかしたらふたりにしていたあいだになにかあり、破談を切り出されるのかもしれないなどと思っているのかもしれない。「籍は入れてないだけでもう結婚したも同然ですし、すぐにでも凛音さんとの生活をスタートさせたいのですが」いかにもよき夫といったふうに、爽やかに炯さんが笑う。それは私の目から見れば作りものめいていたが、父には効いていた。「そ、そうだな。いいだろう」一瞬あと、父は我に返ったのか小さく咳払いし、仰々しく頷いてみせた。「ありがとうございます」「う、うん」炯さんに微笑みかけられ、父がぽっと頬を赤らめる。女性どころか高年の男性まで魅了してしまう炯さん、恐るべし。話が済み、帰る炯さんを玄関まで見送った。「明日から出張なんだ。凛音の引っ越しまでには帰ってくる」「ご無理はなさらないでくださいね」じっと、私の前に立つ炯さんを見上げる。「そんな優しい言葉をかけてもらえたら、張り切って仕事が速く終わりそうだ」彼が膝を折り、顔を近づけてくるのを黙ってみていた。そのうち、私の唇に彼の唇が軽く触れる。「……帰ってきたらエッチなことも、たくさん教えてやるな」耳もとで囁いて、炯さんは離れた。「えっ、あっ」熱い吐息のかかった耳を押さえる。口をパクパクさせている私を見て、炯さんは右の口端を持ち上げてにやりと笑った。まだ熱にでも浮かされているかのようにふらふらと自室へ行き、ぽすっとベッドへ倒れ込む。……炯さんって……。先ほどのアレを思い出して耐えられなくなり、枕で出てくる奇声を抑え
last updateLast Updated : 2025-11-03
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第三章 これからはじめるワルイコト 1

お見合いから二週間後。私は炯さんの家に引っ越しをした。「ようこそ、我が家へ」「お、お邪魔します……」おずおずと彼の家に迎え入れられる。郊外にある彼の家は、正面の壁が優美な曲線を描いており、とても美しかった。「まずは家の中を案内するな。ここがリビングだろ」通されたリビングは広く、ベージュとアイボリーを基調に揃えられた室内は、とても落ち着いている。「風呂、俺の書斎、寝室……」次々に部屋を炯さんが案内してくれる。アスレチックルームやシアタールームまであり、遊び心が満載だ。「あと、ここは凛音の部屋な」「……え?」最後に彼が案内してくれたのは、言い方が悪いがなんの変哲もない部屋だった。簡素なライティングデスクと、シンプルな小さめのベッドだけが置いてある。「えっと……」「凛音だってひとりになりたいときがあるだろ?本を読んだりだとか音楽を聴いたりだとか。とにかく、自由に使うといい」困惑気味の私に、彼が説明してくれる。「といっても、今はほとんどなにもないけどな。凛音の好きにカスタマイズしたらいいよ」私とレンズ越しに目をあわせ、彼がにっこりと微笑む。そこまで考えてくれているなんて思わなかった。「ありがとうございます」世の中にこんなに素敵な男性がいるなんて知らなかった。これは今まで、私の住む世界が狭かったからなのかな。リビングに戻ってきたら、お茶の準備がしてあった。「紹介するな。お手伝いのスミさん」「スミでございます。以後、よろしくお願いいたします」準備をしてくれていた、初老の女性が頭を下げる。「凛音です。こちらこそ、よろしくお願いします!」私も慌てて、頭を下げ返した。「うちにはあと、今日は休みだがもうひとりお手伝いのミドリと、シェフがいる」「はい」お手伝いさんなどの存在に驚きはない。うちだって何人もいたし。「これからはスミとミドリは週に二日、日曜ともう一日、重ならないように休みとなる。シェフは土日が休みだ」「これから……?」そこが少し、引っかかった。もしかして私が引っ越してくるのに伴い、勤務体系が変わるんだろうか。「今までは俺が出張に行っているあいだは基本、休みだったからな。これからはそれじゃ、困るだろ」「いたっ」ふふっとからかうように小さく笑い、炯さんが軽く私の額を弾いてくる。「そ
last updateLast Updated : 2025-11-03
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第三章 これからはじめるワルイコト 2

炯さんの隣で、スミさんがうんと頷く。「そうでございますよ。坊ちゃんがいない日は本宅へ仕事に行っていたのですが、あちらはなにかと忙しくて、婆の身には堪えるのです。こちらでゆるりと凛音様のお世話をさせていただいたほうが助かります」彼女は喜んでいるみたいだし、だったらいいのかな……?「と、いうわけだ。それはいいがスミ、何度、坊ちゃんと呼ぶのはやめてくれと言ったらわかるんだ?」不満げな視線を炯さんが眼鏡の奥から、スミさんへ向ける。二つ三つ上かと思っていた彼は、今年三十になったそうだ。この年で坊ちゃんと呼ばれるのは嫌だろう。「坊ちゃんはいくつになっても坊ちゃんでございます」しかしそれはスミさんには効いていなくて、炯さんは諦めたかのようにため息をついた。「あの。スミさんって……」ふたりのやりとりを聞いていると、雇用主と従業員というよりも、もっと気安い関係に見える。「ああ。スミとは子供の頃からの付き合いなんだ。こっちに移るときにも着いてきてくれた。俺にとって第二の母親みたいなもんだな。だから凛音も、なにか困ったことあったら相談するといい」「まあ、坊ちゃま。母親だなんておこがましい」照れているのか、スミさんはバンバン炯さんの肩を叩いてる。炯さんも嬉しそうに笑ってた。なんだかとてもいい空気で、これからの生活の不安が少し晴れた。お茶をしながら、これからの生活について話した。「このあいだも話したとおり、俺は海外出張が多くてこの家にあまり帰ってこない。いや、これからはできるだけ帰るようにするが」私の顔を見て、炯さんが言い直してくる。「お仕事なら仕方ないのはわかっていますから、大丈夫ですよ。それに、スミさんもいますし」甘えるようにこつんと、軽く肩を彼にぶつけた。このあいだだってあんなに詫びてくれた。彼がこの件についてもう、気にする必要はない。「すまないな」それに、ううんと首を振った。「それで。俺がいないあいだ、凛音はなんでも悪いことをしていいからな。といっても、常識の範囲内で、だが」「ほんとですか!?」炯さんの両手を握り、ついそれに食いついていた。「ああ」私の剣幕がおかしかったのか、炯さんは笑っている。さらに近づいていた私へ、軽く唇を重ねた。「……スミマセン」興奮するあまり、それほどまでに彼に顔を近づ
last updateLast Updated : 2025-11-03
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第三章 これからはじめるワルイコト 3

「なんだ?」強めに声をかけられ、炯さんは怪訝そうに私の顔を見た。「悪いことって、……働いても、いいですか?」「は?」おずおずと上目でうかがった私を少しのあいだ見つめたあと、彼は何度か瞬きをした。「別にかまわないが。なんだ、凛音は働きたいのか?」その問いにうんうんと勢いよく頷く。本当は大学を卒業したら就職したかった。しかし父に働く必要はないと反対され、半ばいじけて大学院に進学したのだ。父から見れば良家の令嬢が誰かに使われるなんて、あってはならないのかもしれない。私としては自分で、お金を稼いでみたかったのだ。「なら、俺の会社で適当な仕事を……」「自分で就職活動をしては、ダメですか?」私に適当な仕事を与えてくれようとする彼を遮る。「できるだけ自分で、なんでもやってみたいんです」彼からの返事はない。良家の奥様として勤め先は吟味したいなどと言われるかと思ったものの。「やっぱり凛音は可愛いな!」「えっ、あっ、ちょっと!」まるで大型犬でも撫で回すかのように、わしゃわしゃと乱雑に炯さんは私の頭を撫でてきた。「そうか、わかった。でも就職先が決まったら教えてくれ?万が一にもブラック企業だったら困るからな」「あっ、はい!」それくらいの気遣いは妥当だと思うので、従おう。「それから。これは凛音の新しい携帯」私の手を取り、炯さんは携帯をのせた。「新しいの、ですか?」今使っているのは半年ほど前に機種変したので、別に困ってなんかないんだけれどな……?「そ。これからはこれで、なんの制限もなく使ったらいい」「なんの制限もなく……?」それって……。「好きなアプリを入れられるってことですか?」「そうだ」「チャイルドロックもかかってない?」「もちろん」優しげに微笑んで彼が頷く。途端に手の中の携帯が宝石かのように輝いて見えた。「新しい携帯!」これからは、スマートフォンを持っているのに電話とNYAIN、それに数個の生活アプリしか使えないとかないんだ!「ゲームをしてもいいんですか?」「ああ」「インターネットでいろいろ調べても?」「エッチなことはほどほどにな」完全に興奮している私に、炯さんは苦笑いしているが気にならない。それほどまでに私にとって、画期的なのだ。「まずはアカウント設定からな。ひとりでできるか?」「え
last updateLast Updated : 2025-11-03
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第三章 これからはじめるワルイコト 4

夕食はシェフが休みだし、早速デートに行きますかと街に連れ出してくれた。「さて、凛音。夕食はなにが食べたい?」「そうですね……」また、あのハンバーガーが食べたいとか言っても怒られないだろうか。でも、デートだったらナシ?「一、ラーメン」「ラーメン!?」そんなものが出てくるなんて信じられなくて、思わず運転する彼の横顔を見ていた。「二、居酒屋」「居酒屋!?」「三、フレンチ」眼鏡の奥から一瞬、ちらっと炯さんが私をうかがう。「ううっ、悩む……」今までの私だったら、フレンチが正解なのはわかっている。でも、炯さんはこれからは悪いことをたくさんしようって言ってくれた。だったら、ラーメンも居酒屋もあり?「えっと。じゃあ、居酒屋で」選びがたい二択だったが、それでもジャッジを下す。大学で同級生たちから漏れ聞こえる居酒屋とはどんな店か気になっていた。それに、ラーメンはきっとまた、炯さんが連れていってくれるだろう。「わかった」私の答えを聞いて彼は、楽しそうにハンドルを切った。炯さんが私を連れてきたのは居酒屋……ではなく、若者集うファッションビルだった。「居酒屋でその格好は浮くからな」炯さんは笑っているが、それもそうだよね。今日の私の服はもちろん、ハイブランドのお嬢様ワンピースだ。ごく普通の洋服なんてあの日、炯さんに買ってもらったものしかない。「そうですね」私も苦笑いで、一緒に入っている店を見て回る。「こう、ああいう肩が出ている、オフショルダーってどうですか?」父などは「最近の子はああいう、肩がずり落ちたような服を着てみっともない」などと渋ーい顔をしていたが、炯さんとしてはどうなのか気になった。しかし。「どうして俺に聞くんだ?凛音が着たいなら着ればいいだろ」「……ハイ?」想定外の答えが返ってきて、首が斜めに傾く。「俺の意見なんて気にしなくていいんだ。凛音が着たいものを、好きに着ればいい」「そう、ですね」今まで私はずっと、こんな服を着たらお父様に嫌な顔をされるとか、家にふさわしくないとかいうことしか考えずに選んできた。でも、世の中には好きな服を好きに着ていい世界があるのだと今の炯さんの言葉で初めて知った。どんどん、私の世界が広がっていく。それが、楽しくてたまらない。
last updateLast Updated : 2025-11-03
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第三章 これからはじめるワルイコト 5

「じゃあ、これを着てみたいです。入ってもいいですか?」「どうぞ」おかしそうに小さくくすりと笑い、炯さんは私をエスコートしてくれた。試着してみた、芥子色のバルーン袖オフショルダーブラウスが気に入って、それにあわせてデニムパンツを選ぶ。足下とバッグは気に入るのがなくて悩んでいたら、別の店でもかまわないと炯さんは言ってくれたのでそれに甘えた。「また悪い子のお洋服が増えました!」初めて自分の好みだけで洋服を買ってもらい、上機嫌で店を出る。いや、あの日、炯さんに買ってもらった服も自分の好みで選んだが、それでもまだ今日は悪い子だからこういう服を選ばなければならないという義務感があった。自分の、これが着たい!という欲求だけで選んだ服は、これが初めてだ。「そうか、よかったな」眼鏡の下で目尻を下げ、炯さんが私を見る。それはとても、嬉しそうだった。「他の店も見て、欲しいのがあったらもう何枚か買ってやる。あと、今日はマンションのほうに泊まる予定だから、着替えとパジャマもな」「パジャマも好きなの、選んでいいんですか?」喰い気味な私を両手で宥めるようにし、彼は苦笑いしている。「ああ。なんでも好きなのを選んだらいい」「うわーっ、嬉しいです!」じゃあ、このあいだファストファッションのお店で見ていいなーって思っていた、もこもこでショートパンツセットのホームウェアとかも大丈夫なんだ。もう、わくわくしちゃうよー。興奮気味に手を引っ張って歩く私に、炯さんは笑いながら付き合ってくれた。さらに服を二セットと下着にパジャマ、あとは今日履く靴とバッグを買った頃には大満足していた。「いいお洋服が買えました」「よかったな」休憩で入ったコーヒーショップ、にこにこ笑う私の前で、炯さんもにこにこ笑ってアイスコーヒーのストローを咥えている。私の前には前から飲んでみたかった、呪文みたいな名前のフラッペが置かれていた。もちろん、コーヒーショップは初体験で、注文は自分でさせてもらった。「でもこれ、どこで着替えるんですか?」前回は一式お買い上げしたのもあって、お店の試着室で着替えさせてもらった。でも今日はもうすでに、買ったショップを出ている。「いったん、マンションに行く」「いいんですか?」それは安心して着替えられそうだけれど、そんな手間をかけさせていいのか気にな
last updateLast Updated : 2025-11-03
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