大好きな幼馴染が手の届かない大人気アイドルになってしまった… のすべてのチャプター: チャプター 61 - チャプター 70

90 チャプター

61話

女性アーティストの、バラード調の伴奏が流れる。 マイクを持った奏斗の横顔を見て、私は自分の鼻をつい抑えた。 あ、これ無理。絶対に無理。 しっとりとした曲調に、奏斗の低くて甘い歌声がこの曲にマッチしていて。 この曲を、nuageがカバーする、と発表された時とても話題になったのだ。 女性アーティストのヒット曲を、男性アイドルがカバーすると言う挑戦にも話題になったし、女性曲のキーの高さをどうアレンジするのかにも注目が集まった。 そして、nuageが歌番組でこのカバー曲を初めて披露したその動画は、バズった。 歌番組の公式チャンネルから出された、ショートバージョンの動画は億再生され、大きな話題になったのだ。 キラキラとしたアイドルが、しっとりとした大人なバラードを歌い上げる。 それまでは、ポップでダンスナンバーが多かったnuageだったけど、この曲のカバーでバラードもとても良い、と周知されて、バラード曲がアルバム収録曲に多く使われるようになったのだ。 奏斗は、元々歌が上手かった。 それは、幼馴染の私が一番知ってる。 だけど、nuageがカバーしたこの曲を、奏斗が歌うのはもう、本当に反則なのに! しかも、奏斗は時折私に視線を向けて愛おしそうに目を細めるのだ。 そんな目を向けられて、このバラード曲を歌い上げられてしまうこちらは、たまったものじゃない。 曲が終わり、奏斗がマイクを置いて愉しげに口元を笑みの形に変えた。 「どうした、香月?顔真っ赤だけど?」 奏斗は嬉しそうに私の頬を指で突つく。 私が照れているのも、感動しているのも、nuageのファンとしてKanatoのこの曲を独り占めしている感激も、全部分かってるはずなのに。 「もっ、もう!飲み物取ってくる!奏斗もいるでしょ?」 私は耐えられなくなって、ソファから立ち上がる。 このままここにいたら奏斗にまだまだ揶揄われてしまいそう。 だから、私は逃げるように部屋から出た。 扉が閉まる寸前、奏斗の笑い声が漏れ聞こえてきて、戻ったら覚えてなさいよ、と考えつつ私はドリンクバーに向かった。 奏斗と自分の分のドリンクをよそい、私が振り返った時。 そこには、男性四人のグループが立って待っていた。 やばい、待たせてた。 そう考えた私は、軽く男性達にぺこりと頭を下げてから横を通り過ぎようとす
last update最終更新日 : 2026-01-06
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62話

「──ちょっ」 まさか、腕を掴まれると思ってなかった私は、一気に慌てる。 他の男性客もへらへらとしていて、私の腕を掴む男性を止める様子は無い。 「離してください、大声を出しますよっ」 「えーっ、大声だしちゃうの?俺たち捕まんのかなぁ」 ひゃひゃひゃ、と笑う彼らに私は段々とイライラしてくる。 本当に大声を出して、店員さんの助けを呼んでしまおうか。 だけど、警察沙汰になったら、奏斗にも迷惑がかかる?どうしよう、と私が迷った事が分かったのだろう。 男性の笑みが深まった。 「よっしゃ、俺たちと遊ぼ。俺たちの部屋に来ちゃえばいいよ!」 「……っ、離してくださいっ!」 まさか、カラオケ店でこんなタチの悪いナンパに合うなんて。 奏斗が言っていた言葉が頭の中に過ぎる。 カラオケ店は、密室だ。 それに、部屋も薄暗い。 もし、この男性達に連れ込まれてしまったら──。 何をされるか分からない。 きっと防犯カメラはあるだろうけど、その防犯カメラを店員がちゃんと見てなかったら? 気付いてもらえるのが遅くなったら──? 「──あれっ、泣いちゃいそう?大丈夫だって!怖い事しないから!」 「楽しくカラオケしよーぜ!」 けらけらと笑う男性達の声。 多分、この人達はお酒を飲んでいるんだろう。 だから酔って判断力が鈍ってる。 もう、嫌だ。 誰でもいいから助けて欲しい──。 私がそう思ったその時。 「──香月?何して……」 「……っ、かっ、かな……」 奏斗が、やって来てしまった。 私が戻るのが遅くて、心配して探しに来てくれたんだろう。 帽子を目深に被り、マスクもしっかりつけてくれている。 目元は見えないはずなんだけど、男性が私の腕を掴んでいるのを視界に入れた瞬間、奏斗の瞳孔が開いた気がした──。 「あ……?男……?おねーさん男と来てたの?」 「うっわー、マジかよww最初から言えっての」 「あっ、でもそこの男も交えて遊んじゃう?」 「それいいじゃん!みんなで楽しく遊ぼうぜ!な、いいだろ彼氏さん!」 お酒が入っているからだろうか、気が大きくなっている男性客が、掴んでいた私の腕から手を離し、今度は肩を抱き寄せられた。 「──ひっ」 男性にガシッと肩を組まれ、男性の手が私の胸に触れた──。 にやにやとしている男性は、きっとわざと私
last update最終更新日 : 2026-01-07
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63話

「香月!こっち!」 「奏斗っ」 手を伸ばしてくれた奏斗に、私は男性の力が緩んだ隙に、逃げ出して奏斗に向かって手を伸ばした。 奏斗はそのまま私の手を取ると、どこかに向かって走り出す。 「まっ、待てよ!格好つけやがって!」 男性の怒声が背後から聞こえ、私がびくりと震えると、奏斗が大丈夫だと言うように私の手を強く握ってくれる。 奏斗が走って向かう先は、このカラオケ店のフロントだ。 私は心配そうにちらり、と奏斗を見上げた。 フロントに助けを求めたら、事情を説明しなくちゃいけない。 そうしたら、奏斗がKanatoだってバレちゃわないだろうか。 後ろの男性4人は、酒に酔ってるからだろうか、向かう先がフロントだと気付いていなくて。 声を上げながら着いてくる。 「大丈夫だよ、香月」 私の心配が伝わっているかのように、奏斗が安心させるように私に微笑んでくれる。 そして、すぐにフロントに到着した私たち。 タイミングよく、フロントにはお店の店員さんがいた。 大声が聞こえていたのかもしれない。 それで、外に出てきたのかもしれない──。 私と奏斗が逃げてくるのを見て、店員さんが驚いたような顔をした。 すかさず、奏斗が叫ぶ。 「すみません!彼女が変な男に絡まれて、しつこいんです!それに、彼女に触りました!警察を呼んでください!」 「わ、分かりました!お客様、こちらに避難してください!」 奏斗の切羽詰まったような声に、店員さんが慌ててカウンターを開けてくれて、私と奏斗を中に逃がしてくれる。 ただ事じゃない、と察した他の店員も中から出てきてくれた時。 私たちを追っていた男性客4人がちょうどフロントにやって来た──。 「てめぇら──!」 「あっ、」 「やべぇっ」 怒声を上げ、走ってきた男性達は、ここがどこなのかを理解した途端。 すぐに顔を真っ青に変えた。 カウンターの奥に逃げ込んだ私と奏斗。 そして、男性店員2名が男性客に向かって歩いて行く。 「お客様。警察を呼びました。大人しくしていてください。目撃者が多いので、言い逃れできませんよ」 「いや……、ちがっ」 「俺たちは、ただ女の子に声をかけただけでっ」 「何も──」 男性4人が、弱々しく言い訳を口にする。 そんな彼らの言い訳を、奏斗の低い声が遮った。 「声をかけただけな
last update最終更新日 : 2026-01-07
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64話

あれから。 カラオケ店に、警察が到着した。 私に声をかけてきた男性4人組は、お酒にも寄ってたし、私にも触れた。 その様子がしっかりと防犯カメラに映っていたから、彼らは言い逃れは出来なかった。 項垂れ、連行されて行く彼等を見送ったあとは、今度は私と奏斗が事情聴取される番。 奏斗が芸能人だとバレてしまう、と私は焦ったけれど、警察は個人情報を遵守するし、この騒ぎが万が一外部に漏れたら、警察が情報を流出させた事になる。 そうなったら、奏斗の事務所が法的措置を取るだろう。 奏斗は、心配する私にそう説明してくれた。 カラオケ店の個室で、事情聴取を受ける私と奏斗。 奏斗が警察の前で帽子とマスクを外した時、警察も僅かに驚いた様子を見せたけど、それも一瞬。 すぐに事情聴取を始めた。 「ね、だから心配いらないって言っただろ、香月?」 「──うん。安心したよ」 警察の事情聴取を全て終え、私たちが解放されたのはそれから数時間も経ってから。 カラオケ店の店員は、奏斗があのKanatoだって事には気付いていない。 長くお店の部屋を借りてしまったから、そのお礼をして、私と奏斗は家に帰ろうとお店を出た。 「──えっ!!」 「嘘だろ……!?」 カラオケ店内にいる時は、全然気が付かなかったけど。 外に出た私たちは外の天気の荒れ模様に唖然としてしまった。 雷は鳴り、雨も激しく降っている。 「嘘でしょう!?今日、天気は良いって言ってたのに……!」 「天気予報はあてにならないな……」 こんな寒い冬の日に、雨に濡れたら風邪をひいてしまう。 今、奏斗は長期休暇中だけど、風邪をひかせる訳にはいかない。 だけど、カラオケ店から駅までは少し距離があるのだ。 走って向かうにも、ずぶ濡れになってしまう。 どうしよう、どうしたら──。 私がそう考えていると、隣でスマホを触っていた奏斗が「マジかよ……」と絶望感たっぷりの声を出した。 「どうしたの、奏斗……?」 これ以上、何か最悪な事でも起きたのだろうか。 そう思って私が奏斗を見上げると、奏斗は何とも言えないような気まずそうな顔で、スマホの画面を私に見せてきた。 「──香月、電車停まってる。いつ復旧するか、分からない……」 「えっ!?」 それじゃあ、電車が動くまで私たちは帰れないと言う事だろうか。 私が
last update最終更新日 : 2026-01-08
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65話

戸惑う私の手を引き、奏斗が走り込んだラブホテル。 ささっと部屋を決め、奏斗は私の手を引きながら部屋へと入った──。 「香月、取り敢えずタオルで髪の毛とか拭いて」 「あ、うん……」 浴室だろうか。 浴室に姿を消した奏斗が、バスタオルを2枚手に持ち、戻ってきた。 唖然とする私の頭にバスタオルをかけ、奏斗は少し私と距離を取った場所でガシガシと乱暴に髪の毛を拭いている。 私も、のろのろとした動作で濡れた髪の毛や、服を拭いていく。 髪の毛はまだ何とかなったけど、びしょ濡れになってしまった服はタオルで拭ってもどうしようもなくて。 体温を奪う冷たさに、私はぶるりと震えた。 「寒い?……確かさっき……」 奏斗がそう告げ、再び浴室に消える。 そして、2組のバスローブを手に戻ってきた。 その内の1つを私に手渡してくれる。 「これに着替えた方がいい。その……着替えてる間は、俺、トイレにでも隠れてるから……」 「えっあ……、そのっ、浴室とかで着替えるから大丈夫だよ……?トイレなんかで着替えたら、寒いんだから……」 私は言葉につっかかりながら、浴室に向かおうとした。 だけど、慌てた奏斗が私の手を掴み、必死の形相で首を横に振る。 「だっ、駄目だ香月!浴室ガラス張りで、透けてる!!」 「──へっ、あっ!!」 奏斗の言葉につられるようにして浴室を見てみれば。 確かに奏斗の言う通り、浴室はガラス張りになっていて、あれじゃあ丸見えだ。 しかも、お風呂もガラス張りになっていて、これじゃあ何も隠せない。 「──ひぃっ」 「だ、だから言っただろ。その、俺はトイレで着替えるから、香月は部屋で着替えて」 そそくさとバスローブを持った奏斗がトイレに消えてしまう。 私はトイレなんかで着替えさせてしまうのが申し訳なくて、急いで部屋の隅に向かって服を脱いた。 焦っている時に限って、濡れた服が肌に張り付いて上手く脱ぐ事ができない。 苦戦しつつ、何とか全て脱ぎ終えると、私はバスローブを手に取った。 ふかふかで、暖かそうなそれは、肌触りも良かった。 急いで羽織り、前をしっかりと合わせてウエストにある紐をきつく縛る。 少し着替えに手間取ってしまったから、奏斗はとっくに着替え終わってるだろう。 私は急いでトイレに向かうと、扉をノックした。 「か、奏斗待たせてご
last update最終更新日 : 2026-01-08
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66話

奏斗は、私に言われた言葉にぽかんとしたけど、何を言われたのかを理解したのだろう。 じわじわと頬が赤くなってきて、慌てて叫んだ。 「な、慣れてる訳ないだろう!」 真っ赤な顔で叫ぶ奏斗。 勢いに押されてしまって、私はぐっと背を仰け反らせた。 「お、俺がどれだけ必死に平静さを装っているか……!」 「えっ、え……っ、そう、なの……?」 「当たり前だろ!?俺だってここに入るのは初めてだ!香月が初めての彼女だって言っただろ……!」 「で、でもバスローブとか……ご飯とか……」 「それは、聞いた事があるからで……」 ごにょごにょ、と呟く奏斗。 私から必死に顔を逸らしているけど、奏斗の耳は真っ赤に染まっている。 本当に? 本当に初めて来たの……? 世間では、恋人同士じゃなくても、体だけの関係でこういった場所を利用する人もいる事は知ってる。 奏斗の初めての彼女が私だったとしても。 もしかしたら、芸能のお仕事でこういった場所に来た事があるのかも……、と考えてしまった私だったけど、奏斗の反応を見ると利用した事がないと言っているのは嘘じゃない。 「一先ず、さっさと寝よう?多分寝てる間に服は乾くだろうし、寝て起きたら始発で帰ろう。連絡はしたけど、香月のおばさんもおじさんも心配してるだろうから」 「う、うん……そうだね……」 お母さんとお父さんには経緯を説明して、奏斗と泊まってくる事は伝えてある。 あの天候じゃあ、タクシーも掴まらないし、どうしようもなかった。 お母さんも、お父さんも「分かった」「気をつけて」と言ってくれたから、変な誤解はされていないと思う。 「ほら、香月。電気消すからベッド入ろう」 「う、うん……」 奏斗に促されて、ベッドに歩いて行く。 そう言えば、さっきまでは奏斗が慣れてる事に頭がいっぱいだったけど──。 これから朝まで、同じベッドで眠るの? 今までだって何度かあったけど、今は私と奏斗の関係性が以前と明確に変わっている。 私が躊躇していると、困ったような表情をした奏斗が私に声をかける。 「警戒しなくても大丈夫だよ、香月。……ちゃんと、我慢する」 「が、我慢って……!」 「我慢しなくていいなら、香月に手を出すけど……」 「だ、だめっ!我慢して!」 「はいはい、だけど、抱きしめるくらいはさせてくれよ?」 「そ
last update最終更新日 : 2026-01-09
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67話

加湿器の音。 エアコンの音。 そして、香月の寝息──。 静かな室内に、その音だけが大きく響いている。 「寝れるわけ……無いんだよな……」 俺は、深く息を吐き出し、安心したようにすやすやと眠る香月に視線を向ける。 「もっと警戒してくれよ、頼むから……」 何でこんなに無防備で。 安心して眠れるんだ。 俺に襲われるかも、なんて微塵も考えていないように安心して眠る香月に、もやもやとしてしまう。 俺はちっとも眠れないのにな。 「香月は、俺の事ちゃんと男だって分かってる?」 寝ている香月についつい話しかけてしまう。 香月を抱きしめているから、香月の体の柔らかさも。 香月のいい匂いも。 可愛い寝顔も。 全部全部、近い。 少し顔を寄せれば簡単に香月の唇を奪えるし、簡単に組み敷く事だって、できる。 そして、柔らかそうな胸に──。 「──やばっ」 想像していたら、反応してしまい、俺は香月からそっと距離を取った。 「トイレ……トイレに行こう……」 このままじゃあ本当に香月を襲いかねない。 そんな事をして、香月に嫌われたら生きていけない。 何が悲しくて、彼女が腕の中にいるのに自分で処理しなくちゃならないのか。 だけど、怖がらせたくない。 香月も、俺が初めての彼氏だ。 ずっと見てたから、香月が誰かと付き合ったりとかはしていないのは知ってる。 学生の頃は、香月を狙う男もいたけど、その度に俺がその男を牽制してたから次第に香月を狙う男もいなくなっていった。 だけど。 俺が芸能活動を始めて。 香月は大学に進学して。 そこで始めて「ずっと一緒」だった俺と香月は過ごす時間が減っていった。 だから、香月が大学で他の男に狙われてやいないか。 ちょっかいをかけられてやいないか。 それが心配で心配で──。 そこまで考えた俺は、はっとする。 「牽制……、牽制──?」 何で俺は、そんなに昔からそんな事をしていたのか。 どうして香月の周囲に俺以外の男が近付くのが嫌だったのか。 「そんなの……」 俺は自分の手で口を覆う。 「ずっと香月を好きだったからじゃないか……」 昔から、中学の頃から。 香月に近付く男を牽制していた。 大事な妹みたいな存在だから。 大事な幼馴染だから。 そんなのは、ただの建前だ。 ただ、香月の隣に俺以
last update最終更新日 : 2026-01-09
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68話

「──奏斗?まだ、寝ていないの?」 「香月……」 香月のとろん、とした目が俺を捉える。 まだ、寝惚けているのだろう。 「ごめん香月。起こしちゃったな。寝てていいよ」 俺は香月から離れ、トイレに行こうとした。 自分が情けなくて。 長い間香月を苦しめていた事が本当に申し訳なくて。 俺はベッドから降りようとした。 だけど、ふ、と香月の手が俺の手のひらに触れた。 「なんか……、どうしたの奏斗……?」 「え、なにが……」 俺が香月に振り向くと、香月の腕が伸びてきて。 俺の体がぎくり、と固まった。 「何だか、奏斗……泣きそうな顔してる。嫌な事、あった……?」 「──っ」 香月に言われた言葉に、俺はくしゃりと表情を歪めた。 俺の顔を香月がそっと両手で覆い、心配そうに見つめてくれる。 眠そうにとろんとした香月の瞳が次第に意識がはっきりしてくるように焦点が合ってくるのが分かる。 「奏斗……?奏斗本当にどうしたの、どこか痛い?」 香月はすっかり目が覚めてしまったようで、おろおろとしだす。 「どうしよう、雨に濡れたから?風邪ひいちゃったのかな?」 「いや、違う……。大丈夫、大丈夫だ香月」 「ええ?本当?奏斗、熱があっても我慢して、隠す癖があるでしょ?」 「──ははっ、そんな事もあったっけ」 子供の頃の話だ。 確かに、昔から俺は体調が悪くてもそれを隠していた。 両親は忙しくて、家を長期間留守にする事も多かった。 だから、風邪をひいて体調が悪くても誰も看病なんてしてくれない。 心配もされない。 それなら、誰かと会っている方が寂しさが紛れていい。 だけど──。 そんな俺の体調の変化に、いつも気が付いてくれるのは決まって香月だった。 俺が風邪を引いて熱を出していると、すぐに香月が気付いてくれた。 それで、俺の両親が不在の時は香月の家で看病してもらった。 香月のおばさんも、おじさんも仕事をしてたから。 香月の部屋のベッドで休ませてもらって。 香月が学校に行っていても、すぐに俺の看病をしに急いで帰ってきてくれた。 昼間はしんと静かな部屋で、1人で寝ているけど、そこが香月の家だから少しも寂しくなくて。 香月が学校から帰って来ると、学校で何をしたとか、どんな宿題が出た、とか色々話してくれて。 それで、夕ご飯も香月がお粥を
last update最終更新日 : 2026-01-10
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69話

◇ 「かっ、奏斗……!?どうしたの!?」 「ごめん、ちょっとだけ抱きしめさせて」 寝ている時に、奏斗の声が聞こえた気がして。 それに、奏斗が動いた気がした私は、目が覚めた。 そしたら。 奏斗が辛そうな顔をしていて。 やっぱり雨に濡れたから、体調を崩してしまったのだろうか。 奏斗は昔から体調が悪くても、それを隠してしまう癖があるから。 辛そうな顔をしている奏斗に、そんな風に悲しそうな顔をして欲しくなくて。 奏斗の頬を包んだら、くしゃり、と奏斗の表情が歪んだ。 そして、奏斗に強く抱きしめられて──。 私は、辛そうにしている奏斗の背に、手を回す。 私がそうすると、奏斗の体がぴくりと反応した。 そして、更にぎゅうっと強く抱きしめられる。 それと同時に、奏斗に引き寄せられて。 奏斗の膝の上に乗っかってしまう体勢になってしまい、私は慌てて奏斗から離れようとした。 「かっ、奏斗……っ!重いからっ、降ろして……!」 「重くなんてないよ。むしろ、香月はちょっと軽すぎる……。頼むからもっとご飯を食べて、体重増やして」 「体重増やす、って……!やだよ、必死にダイエットしてるんだから……!女子大学生に言っていい言葉じゃないよ、奏斗!」 「──ふっ」 「笑い事じゃないのに……!」 「ごめんごめん。だけど、ダイエットなんてしなくていいのに。香月が減るからやめて」 「私が減るって……」 「だってそうだろう?香月の体重が減ったら、地球上から香月の体積が減っちゃう……つまり香月の成分が減るじゃないか」 「せ、成分って……!奏斗はさっきから何を意味の分からない事を言ってるの?」 奏斗に抱きしめられた体勢のまま、私はぺしりと奏斗の頭を叩く。 ちっとも痛くなんてないはずなのに、奏斗は「いてっ」なんて口にする。 そして、もそりと顔を上げると、私を見上げた。 「ごめん……ちょっと、弱気になってさ。俺が自分の気持ちに気付かずにいたら……そうしたら、こんな風に幸せな時間はなかったのかもって」 「──奏斗は、今が幸せだって思ってくれてるんだ?」 「うん、そうだよ。香月は?」 奏斗から真っ直ぐ見つめられて、私も見つめ返す。 そしてこくり、と深く頷いた。 「勿論幸せだし、毎日楽しい。こうやって奏斗と遊びに来る事もできて、嬉しいよ」 「──良かった
last update最終更新日 : 2026-01-10
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70話

翌朝。 私は奏斗の腕の中で目が覚めた。 「──っ」 奏斗の寝顔を見て、自然と視線が奏斗の唇に行ってしまう。 昨夜、奏斗とキスをした事を思い出した私の顔が熱を持つ。 きっと今の私の顔は真っ赤だろう。 だけど、こんな真っ赤になっている事を奏斗に知られたくなくて。 私は必死に微動だにしないよう、じっと奏斗の腕の中で息を殺していた。 少しでも身動ぎしたら、奏斗が起きてしまいそうで。 今奏斗の目が覚めてしまったら。 至近距離で目が合っちゃう。 目が合ったら、恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだ。 早く奏斗の腕の中からどうにか奏斗を起こさないように抜け出して、着替えたい。 私がそんな事をぐるぐると考えていると、頭上から押し殺したような笑い声が聞こえて来た。 「──っ、くくっ」 「か、奏斗起きて……っ!?ひっ、酷い……!起きてたなら言ってよ!」 「ごめんごめん。香月が百面相してるのが可愛くて」 「──っ」 奏斗の口から「可愛い」って言葉が出てきて。 しかも、それは私に向けられた言葉。 ぼわっと私は自分の頬が熱くなったのを感じる。 ぱちり、と目を開けた奏斗が嬉しそうににんまりと笑っていて。 「ああもう、香月は本当に可愛いな。いや、いつも可愛いんだけど、今日は特別に可愛い」 「……奏斗、目が悪くなったんじゃない?」 私は恥ずかしくて、ついついぷいっと顔を逸らして憎まれ口を叩いてしまう。 だけど、奏斗はそんな私を見ても嬉しそうに笑っていて。 「香月」 「──なに、んっ」 奏斗に名前を呼ばれたから、ちらりと視線を戻したらさっと唇を奪われる。 彼女が出来たのは初めてって言うのに、やっぱり何だか奏斗の行動がスマートで手馴れてる……。 私がじとっとした目を向けていると、奏斗は笑いながら抱きしめていた腕を解いて、起き上がった。 「そろそろ起きよう。着替えて帰らなきゃ。おばさんもおじさんも心配してるだろう?」 「お母さんもお父さんも、奏斗が一緒だから安心だって言ってたよ。昨日、返信きてた」 はい、これ。と私がスマホの画面を奏斗に見せると、奏斗は何とも言えない顔をした。 「いや、まあ……信頼してもらってるってのはいい事だけど……」 でもここまで信頼されてしまうと手を出すのも……。 なんてぶつぶつ言っている奏斗をベッドに残し
last update最終更新日 : 2026-01-11
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