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79.ミケロ・バロッティ

 ミケロの母親は平民だったが、美しく儚げな人だった。 ミケロは男子だったが、母によく似た美しい面持ちに、珍しい紫色の瞳と父から受け継いだ青みがかった黒髪のせいで、妖艶な美しさを持つ子供だった。 父は好色と名高いバロッティ伯爵で、その弟はバロッティ商団を率いており、オシュクール公国でも有数の資産家だった。 そのおかげで、ミケロは平民だったが裕福な暮らしを送る事が出来ていた。 なぜ母のような人が、父のような薄汚く暴力的な男の愛人をしていたのかは、幼いバロッティには理解ができなかった。 父は時折母を訪れては、幼いミケロの前で母を凌辱した。まるでミケロに見せつけるかのように、母を弄り、痛めつけては執拗に母の体を求めた。 そして母も、父の訪問を恐れながらも黙って受け入れていた。 訪れるのは父だけではなかった。父の弟も、父の目を盗んでは母の体を貪りに来ていた。 その間、ミケロはずっと物入れの隅で震えていた。 ミケロが14歳になった頃、父はミケロを犯した。 母に似て美しい顔立ちをしたミケロは、細い体を振り絞って抵抗したが、父は抵抗する気力もなくなるほどミケロを殴りつけた。 そして、ぐったりと力を無くしたミケロの体を持ち上げると、彼の中に無理矢理押し入ってきた。 ミケロの悪夢は5年間続いた。 時には母のドレスを着せられ、時には裸で踊らされ、時には父に跪いて自分からねだる様強要され、ミケロに尊厳などなかった。 母はミケロに父を取られたと怒り、ミケロを助けるどころか、父がいない日はミケロを鞭打ち、父の機嫌を取るためにミケロを差し出すことも多々あった。 酷い時には村の若い男たちにミケロを犯させて、苦しむミケロを見てほくそ笑んでいた。 地獄のような日々だった。 唯一の救いは、父の金で勉強ができる事だった。ミケロはあらゆる書物を読み、知識を吸収していった。 ミケロを手放そうとしない父のせいで、15歳になっても仕事に就く事を許されなかったが、ミケロはいつか父の手を離れて自分の力で生活することを夢見ていた。 ある晩、父は弟とその部下数人を連れてやってきた。 村の男達に体を許した罰だと言って、父は男達にミケロと母を痛めつけるよう命令した。 男達は命令通りにミケロと母を思う存分殴打し、交互に犯した。 一晩中、代わる代わる男達に殴られ、犯され続けたミケロは
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80.告白

 捕らえられたオルフィアス伯爵――いや、ミケロはエスクード侯爵になら全てを話すと言って、彼の到着を待っていた。 正式な手続きでオルフィアス伯爵となった経緯に加え、法務貴族であったことと、公国の貴族の血脈であると言う配慮から、牢ではなく、四六時中監視のいる部屋に収監されていた。 出入りは制限され、外からの補助がないと出られない構造になっている。 エスクード侯爵が到着すると、ミケロは優雅な笑顔でエスクード侯爵を迎えた。「やあ。オレリオ。漸く君とこうやって腹を割って話ができるね」 王国どころか、公国にもほぼいない、青みがかった黒い髪をかき上げながら微笑むミケロは、これまで見たオルフィアス伯爵のどの表情とも違う、魅力的な微笑だった。「貴様がバロッティ伯爵の隠し子だと言う事は調べがついている。貴様を前伯爵に繋げた男が見つかった。殺しておくべきだったな」 オレリオの言葉にミケロは答えず、魅力的な笑顔を崩さずに言った。「私は父を殺すつもりだったのに」 そしてミケロは笑みを解くと、オレリオを鋭い眼差しで睨みつけた。「君が父を殺したせいで、私のこの怒りはどこへもぶつける事が出来なくなってね。それで――麗しい仇である君に私の怒りを受け取ってもらう事にしたんだよ」 ミケロの眼差しには狂気が含まれていた。オレリオは背中を冷たい汗が流れるのを感じた。「何を言っている――貴様の父親がしたことを考えれば当然の報いだっただろう」 オレリオは、ミケロの正面に腰掛けると表情を変える事無く言ってのけた。 あの男は卑怯にもアバルト侯爵家を罠にかけ、アルティシアを手中に収めようとしたのだ。 その憎しみは20年近く経った今でも忘れることはできない。 ミケロは立ち上がると、オレリオに歩寄った。「ああ、そうだね。父はクズだ。生きる価値もない人間だ。――なにせ、自分の息子すらその欲望の捌け口にしてしまうほどだからね」 オレリオは腰の剣に手を添えたが、ミケロはその手を優しく抑えこんだ。 体温を感じさせない冷たい手に気を取られた瞬間、ミケロはオレリオの顔を間近に覗き込み、もう片方の手でオレリオの頬をなぞった。 オレリオは眉をひそめた。「君は父親の復讐のために、私を――息子を狙ったのではないのか」「父の復讐――?あの男に復讐してもらえるだけの人望があるとでも?――君は本当に愛
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81.ひとつの終わり

 10日が過ぎ、イレリアの治療が終わると、彼女は平静を取り戻していた。「アリッサが君への罰を望んでいない。だが、だからといって全くの放免というわけにはいかない。君には1年間神殿での奉仕をしてもらう」 エスクード侯爵の沙汰を聞いている間、イレリアは身じろぎ一つしなかった。「閣下の恩情に深く感謝申し上げます」 イレリアは美しい所作で礼をすると、穏やかな緑色の瞳でエスクード侯爵とカインを見た。 思ったよりも軽い刑となり、カインは安心した。 イレリアが神殿に移送される日、カインはやっとイレリアに会うことができた。 最後にイレリアに会ってから30日が経っていた。「カイン――様」「カインでいい。そう言ったはずだ」 イレリアは膝を曲げカインに礼をしたが、カインに手で制されて立ち尽くす形になった。 全ての魔法が解除され、イレリアもカインも相手への恋心はどこか他人の夢のような気分で向き合っていた。「ありがとうございます。私――知らなかったとは言え、あなたに――」「私とて同じ事だ。君を無理矢理貴族の世界に連れて来て、君を変えてしまった」 イレリアはどう向き合えばいいのかわからず、所在なさげだった。 カインはイレリアにソファに腰掛けるよう促すと、自分も一人掛けのソファに腰掛けた。「全てが魔法のせいだったとは思いたくない。私は君といて、君が与えてくれた愛に救われたんだ」 カインは静かな声で言うと、イレリアを見つめた。「私――私は、愛が何なのかわかりません。ただ、師匠に初めて抱かれた時、とても満たされたのを覚えています。カイン――に抱かれている間も、同じ感覚で……それを愛だと思っていました」 イレリアは遠慮がちにカインの名を呼びながら、上目遣いにカインを見た。 美しい顔だが、前のような魅力を感じない。これが、魔法が解けたと言う事なのか。 カインは微笑みながら小さく溜息をついた。「神殿での奉仕を終えた後も侯爵家は君を援助することを約束しよう――もっとも、以前のようにとは行かないが」 恐らく、平民としての平凡な暮らしを与える事くらいはできるだろう。本人が望めば領地での生活でもいい。「畏れ多い事でございます。侯爵家の恩情に感謝いたします」 イレリアが頭を下げると、カインは立ち上がり部屋を出た。 扉が閉まるのを背中で感じながら、一つの恋が終わるの
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82.友誼の誓い

「ジルダが――そんな」 カインは顔を赤くして戸惑っているようだ。「だったら尚更僕がいなくなった方がよかったんじゃないのか?ジルダは自由になれるし、お前もジルダを手に入れる機会だったじゃないか」 カインは自分でも何を言ってるんだと思ったが、それでも言わずにいられなかった。「そうだよなぁ。でもさ、体が動いちまったんだよ。お前を助けたいって」 ナジームは、なんでもないという口調で言うと、軽薄そうな笑みを浮かべてカインを見た。「お前が死んだらジルダは一生泣いて過ごすことになる。あの子を泣かせるくらいなら、お前が生きててくれた方がいい。」 カインは恥ずかしくて顔が上げられなかった。 10年以上も一緒に過ごしていたのに、僕はどれだけ彼女を知っていたんだ。魔法陣が好きだなんて初めて聞いた。 思い出せるジルダの表情は、最近のもの以外は全て無表情だ。 ずっと、愛されていないと思っていた。それだけのことをしてきた。だから、その覚悟でいた。 カインは青い宝石にそっと触れた。 温度を持たない石から、温かさが伝わる。「エスクード侯爵家は――いや、カイン・ジュノア・フィン・エスクード・ランク―ザーは、君への恩を忘れない」 カインは、顔を上げるとナジームを見つめて、はっきりと言った。「そんな大層なもんじゃないだろ?俺だって助けられたんだ。おあいこさ」 ナジームが右手を差し出すと、カインはその手を迷いもなく握り返した。「僕は君への友諠を誓い、君が必要とする時、必ず力になることを約束する」「お?言ったな?なら、アシャールの国家樹立に尽力してもらおうか」 ナジームが相変わらず軽薄な、しかし挑発的な笑みを浮かべると、カインもニヤリと笑ってみせた。「その程度、エスクードにとっては造作もないさ」「もういいのかい?」 エスクード侯爵邸を後にするナジームに声を掛けたのは、ティン=クェンだった。「なにがだい?」「ジルダのことさ。諦めるのかい?」 揶揄うようなティン=クェンの口調に、ナジームは少し考えて笑顔で返した。「女は手に入れられなかったけど、歴史は手に入れられそうだからな」 ナジームはそう言うと、機嫌がよさそうに歩き出した。 ティン=クェンはその後ろ姿を満足気な顔で見送っていた。 「随分魔力がお戻りになりましたね」 ソファに座り、カインの手を握り
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83.からっぽの研究

「ああ!お嬢さん、今呆れましたね?見たらわかるわって」 ジルダは感情が表に出てしまったのかと、表情を引き締めた。「よく聞いてください。魔石は魔力を吸収できるんですよ」 ジルダの様子を意に介す事無く、青年は魔石を手に、胸を張ってみせた。「その研究はかなり前からされていますが、不可能だと結論が出ているではありませんか」 ジルダは半ば呆れてサイノスの魔石を返してもらおうかと悩んだ。 しかし、一度渡したものを取り上げるのはかわいそうかなと、思い直した。「この魔石は返しませんよ」「いりません。弁償するとお約束しましたでしょう。好きにお使いになって下さい」 ジルダの視線に気が付いたのか、青年はサイノスの魔石を急いで上着のポケットにしまい込んだ。「お嬢さんもご存知ないのですね。魔石が魔力を吸収できないわけを」 サイノスの魔石を大事そうに仕舞いながら、青年は相変わらず偉そうにジルダを見下ろしていた。 好奇心を隠せない緑色の瞳は、きらきらと輝いてジルダを見ている。「私はお嬢さんではなく、シトロン伯爵家のジルダです。あなたの名は?」 ジルダが名乗ると、青年はその場で膝をつき「マール・ブライトンと申します。ブライトン男爵家の4男でアバルト侯爵家で錬金術師として働いています」と名乗った。貴族だったのかと、ジルダは男をみた。ブライトン男爵家は領地を持たない宮廷貴族だ。他に爵位もないはずだ。4男ともなると騎士爵を受けることもできないし、こうやって技師の仕事をするものなのだろう。 それに――この男の容姿は平凡だったが、服装は着古していて所々破れたままだし、風呂はいつから入っていないのか脂でねっとりしていて汚らしい。どうも自分の興味は全て魔石に注いでいるようだ。 ジルダは納得すると、魔石が魔力を吸収するという話に興味を示した。「あれは俺が9歳の時でした。魔石でおもちゃに動力を与えて遊んでたんです。あ、俺が作ったんですよ。こう木の板に車輪を付けて、その車輪を動かす――」「魔石の話を」 話が逸れそうだったのでジルダはマールを制した。「すんません。で、おもちゃが動かなくなったんで、魔石の魔力が切れたと思って取り出そうとしたんです」 すると、マールの手から魔石に魔力がごっそりと奪われて、幼いマールは数日間生死の境を彷徨ったのだと言う。「あの時ジルダ様がいらして
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84.ジルダの献身

「からっぽにする必要はないんだよ」 マールは敬語を使う事を諦めたようだった。 ジルダも特に注意もしなかった。 マールと話していると、ロメオやティン=クェンと話しているのとは違う安心感を得る事ができた。 兄とは年に数回しか顔を合わせる事がないが、仲のいい兄弟がいればこんな感じなのだろうかと、ジルダはこっそりと思っていた。「余りをできるだけ最小にすればいいんだ。そしたら残りを魔法陣で吸収させることができる」 マールの提案にジルダは、目から鱗が零れ落ちる気がした。「一番消費量が少ないのは剣や盾だけど、数をそろえるのが大変よ」 カインの魔力量を考えると、少なくとも小さい魔石が20個は必要になる。大きい魔石だともっと少なくていいのだが、使い切るのに時間がかかる為、回転率を考えて小さい魔石にする事にした。「ったく、お嬢さんは本当に頭が固いな。あんたんとこの家は農場を持ってるだろ」 マールは農具に魔石を埋め込めば、一度にたくさんの農夫に使わせて魔石を回収することができると提案した。 奇しくも、カインがイレリアを屋敷に連れ帰った頃だった。 シトロン伯爵家の農場には農夫は大勢いたが、春から秋にかけて貧民街から人を雇い入れる事が多かった。 賃金が安いからだ。 ジルダはイレリアがいなくなった貧民街に、カインが申し訳程度の支援だけ送って放置している事を知っていた。 それを償う意味も込めて、正体を明かさずに貧民街に支援事業を行う事にした。 資金はジルダの個人資産を使う事にした。正体を明かさないのは、イレリアの功績にする為だった。 カインと婚約した直後、ジルダには首都の一画の所有権が王室から祝いの名目で与えられていた。 それは、貧民街を含む商業施設が立ち並ぶ区画だったため、貧民街もジルダのものだった。 これはジルダの身の安全を考慮して、カインと結婚するまではシトロン伯爵家にも明かされず、表向きの管理は王室が行っているとされていた。 ジルダは貧民街に必要な支援内容を、アレッツォやティン=クェンに調査するよう頼んだ。 必要な調査が出揃うと、エスクード侯爵の伝手を使って製糸技術を希望者に教え込んだ。 建物の補修を行い、冬の間の住処と収入源を与え、春になると計画通り魔石の入った農具を無料で貸し出した。「魔石の効力が切れたら捨てずにお返しください。魔石を交
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85.母の日記

 数日後、ジルダはカインの元に一冊の赤い革で装丁された本を持ってきた。。「これが、おじ様のおっしゃった続きです」 事件の後始末がおわり、ようやく落ち着いたのを見計らって、カインは日記の話をジルダに打ち明けた。 ジルダは相変わらず表情を変えなかったが、「次のお務めの日にお持ちします」と返事をした。 魔力吸収は必要なくなったのに、魔力吸収は続いていた。 カインは「あんな袋では信用できない。――いや、ジルダが作ったものだから信頼に足るだろうが、それでもジルダでないと安心はできない」と言い張ったからだ。「おば様から渡された日記です。まずは中をお読みください」 ジルダは、カインが一人で読みたいだろうと席を立とうとしたが、カインにしっかりと腰を抱かれて立ち上がれなくなった。「傍にいてくれ。――君は僕の婚約者だろ」 ジルダは何度見ても見慣れない、自分を見つめる青い瞳に強く断る事が出来なかった。 アルティシアの日記には、カインの成長が事細かに書かれていた。 初めて寝返りをした日、初めて離乳食を食べた日、熱が出てぐずったが抱いてやれないもどかしさ、歩き始めや話始めた日など、全ての出来事が空白がもったいないと言わんばかりの小さな文字でページ一杯に書き残されていた。 そこには、カインのどんな小さな仕草でも覚えていたいと言う、母の姿があった。 カインが4歳になる少し前の日付のページを捲ると、カインが初めて寝室に来た日の事が書かれてあった。 アルティシアが扉の開く音で目が覚めると、小さな歩幅の足音が聞こえてきた。カインだとすぐに分かった。 カインはベッドの周りをうろうろすると、アルティシアの眠っている横にやってきて、しばらくアルティシアを眺めていた。そして、アルティシアの手にそっと触れた。 その手はカインが赤ん坊の頃に触れた以来で、大きくなったと思ったが、やはり小さいままで、アルティシアはその手の温かさに幸せを感じて、握り返したい衝動を抑えるので精一杯だった。 飛び起きてカインを叱りつけ、二度と寝室に入ってこないようにと言わなければならないのに、アルティシアは動くことができなかった。 あと一秒だけ、あと一秒と繰り返しながらカインの小さな手に全ての意識を集中していた。 やがてカインが手を離すと、耐え難い寂しさを感じ、カインが部屋から出て行くのを確認してか
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86.最終話・罪と罰

 日記はそこで終わっていた。 最後までカインのことが綴られていた。カインの幸せな未来を望む震えた文字だけが、紙面を埋め尽くすように書かれていた。「おばさまが最後に私をお呼びになられたのは――私のせいです」 ジルダは静かに言った。 アルティシアはカインに会いたかった。 触れる事は出来なくとも、どんな目で見つめられようとも、どれだけ憎まれようとも、最後にカインの姿を目に焼き付けたかった。 だが、それよりもしなければならいことがあった。「最後の最後まで、あなたの呪いをこれ以上大きくしてはいけないと、あなたの事だけを考えておられました。そして、私にあなたを支えてくれと何度もおっしゃってました」 アルティシアは何の関係もないジルダに、カインの運命を背負わせたことを詫びていた。 だが、その上でカインを支えてほしいと幼いジルダに頼み込んだのだ。 ジルダはカインが泣いているのに気が付かない振りをした。「あなたがおばさまの一件で私を嫌いになったのはわかっていました。でも、私があなたよりもおばさまとの時間を過ごしたのは本当の事だもの。恨まれても仕方がない――」「僕は母上の葬儀で泣かなかった。悲しくなかったんだ」 カインは漸く口を開いた。「父上が悲しみを堪えて僕を抱き締めたけど、僕は何の感情もわかなかった」 母を見殺しにしたも同然だと、カインは嗚咽を漏らした。「母は僕ではなく、ロメオや君を愛していたと思っていた。だから君を憎んでいたんだ」「違う――」 ジルダはカインの涙を優しく拭うと、少し悩んでから口を開いた。「憎んでいいのです。憎まれて当然なのです」 そう口に出して初めて、ジルダの目から涙がこぼれた。 アルティシアに触れる事により、カインの命は新たな魔力となって蓄積されていった。 それはまさに呪いと言って相応しく、カインの心を支配する黒い魔力だった。黒い魔力はカインの感情に大きく反応し、その魔力を増幅させると心を蝕んだ。 エスクード侯爵家の侍医とジルダはその存在に気付いたが、既にカインの心は殆ど黒い魔力に食われかけていた。対処法はただ一つだけ、ジルダがその黒い魔力を吸収する事だけだった。「黒い魔力……」「ええ……それさえ取り除けば、カイン本来の魔力は安全だったから」 ジルダは涙を流しながら、ゆっくりと話す。 いつもの堅苦しさは消え
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番外編 カインの贈り物

「フェリス……で、ございますか」 エスクード侯爵家の家令であるアレッツォは、首都の屋敷の主であるカインの言葉に思わず聞き返した。「そうだ。社交界で人気なのだろう?」 少しそわそわと落ち着かないのは、気のせいではないらしい。「イレリア様のお上着は先日――」「誰がイレリアのものだと言った」 カインの言葉に、アレッツォはすぐに察することができた。 そして、満面の笑みを浮かべると、深々と頭を下げて退室した。「アレッツォ、随分と機嫌だな」 帰りを出迎えたアレッツォに、エスクード侯爵が声を掛けるほどに、アレッツォはわかりやすくご機嫌だった。「申し訳ありません。つい顔が緩んでしまいまして」「お前がそのように笑うということは、カインになにかあったのか?」 さすがは父親だと、アレッツォは更に嬉しくなった。「ええ。カイン様がジルダ様にフェリスの毛皮を用意するようにと」「カインが?」 侯爵が眉を上げてアレッツォを見ると、アレッツォはわざとらしく得意げに頷いてみせた。 玄関から書斎に移動すると、侯爵はアレッツォから酒精の強い琥珀色の液体を受け取って、一口をゆっくりと流し込んだ。 液体が喉を通過する時にある、粘膜が焼けるような感覚が侯爵は好きだった。「ここのところ、あれほどジルダに近寄ろうとしなかったのにか」 独り言のように呟く侯爵に、アレッツォはただ微笑むだけだった。「ジルダは何が好きかな」 夏の月の始まりにジルダが生まれたのだと聞いて、カインはジルダへの贈り物を選んでいた。 春の月――自分の生まれた月に出会った婚約者は、最近やっと笑ってくれるようになっていた。 エスクード侯爵家の持つ商団の倉庫で、7歳のカインの小さい手は、装飾品や細い糸で織られた上等なリネンを大人さながらの手付きで選んでいた。「ジルダは肌の色が白いだろ?だから柔らかい布地じゃないと」 いつも触れる手から、ジルダの肌の柔らかさを感じていたカインは、もっと柔らかい布をと商団の番頭であるセズンに言いつけている。「カイン様。この布はどうですか?」 アレッツォが積み上げられた布地の中から見つけた、細い綿の糸で織られた生地は、とても柔らかくて肌触りがよかった。「アレッツォ!これだよ」 カインは輝かしい笑顔でアレッツォをみると、セズンは慌ててその生地を取り上げようとした。「
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番外編 初めての大冒険

 10歳になると、爵位を継ぐための勉強が始まる。 それまでの読み書き程度ではない高度な勉強だ。 カインもロメオも、午前中はいつも教師に就いて勉強させられていた。 国や領地の歴史、法律、貴族の勢力分布、それぞれの領地の産業、その特徴……「僕もう夢にも先生が出てくるよ」「……僕は昨日夢の中で王国の相続法を暗唱させれらてたよ」「カインはもうそこまで進んでるの?僕なんかやっと家族法が終わったところだよ」 アバルト侯爵家の裏庭で、木剣を打ち合いながらロメオとカインが愚痴ってるのを、ティン=クェンとジルダは、初夏の日差しを避けるように木陰に敷かれた柔らかい敷物の上で眺めていた。「貴族って大変なんだなぁ」「あなたも貴族じゃないの」 2人を見てこぼすティン=クェンに、ジルダが白々しくつっこむ。「僕は三男だからね。継ぐ爵位もないからこうやってアバルト家に騎士見習いで来てるんだよ」 伸びをしながら言うと、女中が差し出した蜂蜜の入った冷たい水を飲む。「ジルダだって侯爵夫人になるための勉強してるんだろ?疲れないの?」 冷たい蜂蜜水はジルダの喉も優しく潤した。 ジルダはにこっと笑っただけで答えなかった。 実際のところ、ジルダの勉強は苛烈だった。 社交、所作、家政の基礎に加えて、エスクード侯爵家の領地の管理や財政についても学ばなければならない。 だが、ジルダはそれらを文句も言わずにこなし続けていた。 やがて疲れて戻ってきたカインとロメオも、女中から蜂蜜水をもらうと、一息に飲んで息をついた。「明日は領地についての授業だ。カインは?」「僕は歴史の教師が来る事になってる」「いいなぁ。僕なんかこの暑い中毎日走り込みと素振りだよ」 2人の愚痴にティン=クェンが参加する。 確かに、ティン=クェンの肌は2人に比べて随分と健康的に見える。「なあ、こないだ遊びに来てた庭師の子に聞いたんだけど」 ロメオがブルーグレーの瞳をいたずらっぽく輝かせた。「ほらな?ここに大きな穴が開いてるんだ」 首都の外れにある貧民街の奥で、ロメオは得意げに言った。 子守りをしていた乳母がうとうとしたのを見て、ロメオが提案したのは魔獣狩りだった。 首都はその広大な土地を何層もの城壁で仕切られている。 それぞれの城壁には門兵が立ち、城壁内の出入りを厳しく見張っている。 その一
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