บททั้งหมดของ 元妻にビンタされ、昨日よりも痛快だと笑う御曹司: บทที่ 31 - บทที่ 40

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第31話

星音の心の中で、何かが音を立てて外れた。長い間、体の奥にまとわりついていた重い泥のようなものが、どこか遠くへ沈んでいく。こんなにも心が軽くなったのは、いったいいつ以来だろう。誰もが星音を責めてきた。わがままで、身勝手で、恩知らずだから、静真を死なせたのだと。けれど、この世で最も後悔し、最も深く悲しんでいるのは、ほかならぬ星音自身だった。できることなら、自分の命と引き換えに静真を生き返らせたいとさえ、何度願ったか分からない。星音はずっとうつむいていた。誰にも、その表情を見ることはできない。麗子は莉愛へ目を向けた。こぼれ落ちそうな涙が頬に残ったままで、莉愛はひどく気まずそうにしていた。麗子は慌てて話題を変える。「莉愛は今、妊娠何か月なの?この前の健診はどうだった?順調なんでしょう?」莉愛は唇をかみ、答えなかった。安珠から何度も厳しい言葉を浴びせられ、恥ずかしさと怒りで、今すぐこの場から消えてしまいたい気分だった。代わりに歩が答えた。「昨日、妊婦健診へ行きました。NTが少し厚めだと言われたので、1週間様子を見て、もう一度検査を受ける予定です」麗子は心配そうに言った。「それは大変ね。歩、莉愛をきちんと支えてあげて」「はい、そのつもりです」それきり、食卓は静かになった。時折、安珠が星音の皿へ料理を取り分け、体を気遣う言葉をかけるだけだ。暁も星音の皿へ料理を置いた。だが星音は、安珠が取り分けたものだけを食べた。暁が置いたものは皿の端へよけ、一口も手をつけようとしない。暁は怒るより先に、あきれたような笑いを浮かべた。星音の耳元へ顔を寄せ、小声で尋ねる。「星音。俺の箸に、何か病原菌でもついてるのか?」星音は自分の器を手に取り、安珠へ言った。「おばあ様、席を替わってもらえませんか。ここ、なんだか居心地が悪いみたいです」暁は言葉を失った。誰の目にも、星音と暁が喧嘩をしていることは明らかだった。正確に言えば、星音が一方的に暁を拒絶しているのだ。宗太郎は不満そうに鼻を鳴らしたが、安珠の前では何も言えなかった。麗子が遠回しに嫌味を言う。「お義母様がせっかく戻られたのに、誰かさんの不機嫌な顔を見るための食事になってしまいましたね」星音は、もう聞き慣れていた。だが安珠は、勢いよく立ち上がっ
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第32話

星音は涙をこぼしながら、声を上げて笑った。鼻までぐずぐずになっている。安珠は星音の顔を両手で優しく包み込んだ。「いい子だね。泣きたいなら泣いていいんだよ。無理に笑わなくていい」星音は安珠の胸へ飛び込んだ。帰らないでほしい。このまま潮海市に残ってほしい。そう言いたくてたまらなかった。けれど、口にはできない。安珠は体が悪い。ここに残れば、また痛みに苦しむことになる。「泣かなくていいよ。暁と結婚したせいで、あんたにはつらい思いをさせたね。あの子の妻でなければ、鷹司家からも月城家からも離れられた。昔のことは、時間がたてば少しずつ遠ざかっていっただろうに」星音の目から、大粒の涙が次々とこぼれ落ちた。自分はもう、ああいう傷つけられ方には慣れたと思っていた。同じような場面は、これまで何度も経験している。つい最近では、莉愛の妊娠が分かった時だった。麗子は大喜びし、月城家の人々も招いて盛大な食事会を開いた。そういう席で、星音はいつも存在しない人間のように扱われた。できるだけ部屋の隅に座り、人の目に留まらないように息を潜める。話の矛先が自分へ向かないことだけをひたすら願っていた。だが月城家の人々は、星音を放っておかなかった。莉愛が胎児の超音波写真を見せると、莉愛の母は涙を浮かべ、突然泣き始めた。「静真が生きていたら、大切な妹がもうすぐ母親になると知って、どれほど喜んだでしょうね。その姿をもう見ることができないなんて、あまりにも悲しいわ」言い終えると、莉愛と抱き合って泣き崩れた。麗子は母娘を慰めながら、顔をしかめてあからさまな嫌味を言った。「本当にね。あんなにいい子が、命を懸ける価値もない人間のために死んでしまうなんて、あまりにも報われないわ」当時の星音が頼れるのは、暁だけだった。暁は確かに星音の前へ立ち、冷たい声で告げた。「集まるたびに同じ話をするな。もう帰るぞ」星音を連れて席を立ち、帰りの車の中では、彼女の手を握った。その声は優しかった。「星音、あの人たちの言うことは気にするな。何かあったら、俺の後ろにいればいい。俺がお前を守る」暁は守ると言った。だが星音は、ただその場から連れ出され、惨めに逃げることしかできなかった。暁が星音のために、母である麗子へはっきりと反論したことは一度もな
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第33話

安珠と星音が2階へ上がると、リビングは不気味なほど静まり返った。暁は箸を置き、ゆっくりとソファへ移動した。麗子が尋ねる。「あなたも食べないの?」「いらない。俺も腹がいっぱいで死にそうだよ」暁は気だるげに答えた。麗子は面白くなさそうに口を歪める。「おばあ様の真似をしなくていいでしょう。あの方も年のせいで、少し気難しくなっているだけよ」宗太郎が麗子をにらんだ。「食べるのか、食べないのか。食べないなら、もう下げさせるぞ」「こんな雰囲気で、誰が食べられるのよ」麗子も苛立たしげに箸を置いた。テーブルいっぱいの料理は、3分の1も減っていない。麗子は不満を募らせたが、しょんぼりと肩を落としている莉愛を見ると、ますます気の毒に思えてきた。それにしても、星音という娘には、いったいどんな人を惹きつける力があるというのか。幼い頃から安珠にかわいがられ、遠慮もなく男の子の家へ遊びに来ていた。品のない子だというのに。麗子は莉愛へ優しく声をかけた。「莉愛、まだ料理がたくさん残っているわ。あなたが好きなものを作らせたんだから、持って帰れるように包ませようか」莉愛が答えるより先に、ソファに座っていた暁が鼻で笑った。「持ち帰ってどうするんだ。本当に静真の仏前に供えるつもりか?」莉愛の顔がこわばった。「暁、なんて言い方をするの!」麗子が声を荒らげた。暁は立ち上がると、莉愛を冷ややかに見下ろした。それから歩へ視線を移す。「歩、妻を連れて帰れ。家でよく言い聞かせておけ。他人の家に招かれて、食卓で泣くのは一番やってはいけないマナー違反だ。皆の気分を台無しにして、誰もいい思いなどしない」莉愛は椅子から立ち上がると、泣きながら外へ走り出した。歩は鷹司家の両親に一礼し、すぐに後を追った。車に乗り込んでからも、莉愛は泣き続けた。どれほど自分がひどい扱いを受けたかを訴え、同じ言葉を何度も繰り返している。「もしお兄ちゃんが生きていたら、誰も私にこんなひどい思いをさせなかったのに!」歩は急ブレーキを踏み、乱暴に車を路肩へ寄せた。この先は丘の上の高級住宅地で、交通量も少ない。周囲はしんと静まり返っていた。莉愛の体は前へ投げ出され、シートベルトが肩に食い込んだ。「歩、何をするのよ!運転が乱暴すぎるじゃない!」莉愛が
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第34話

歩はハンドルを握る手にぐっと力を込めた。「忘れてはいない。君が僕を愛していないことも分かっている。それでも、僕たちは夫婦だ。そして少なくとも、暁は星音の夫なんだ」その言葉は、莉愛の絶対に触れてはいけない逆鱗をえぐった。彼女は金切り声を張り上げた。「星音が私の兄を死なせなければ、暁が彼女を守るためにあんなに早く結婚することもなかった!結婚さえしていなければ、私にもまだ可能性があったのに!星音が何よ。兄を死なせたくせに、私が人生でただ一人愛した男まで奪っていくの?私のすべてを壊して、すべてを奪ったのはあの女よ!それで私に、どうやって諦めろって言うの!」薄暗い車内に、莉愛のヒステリックな叫び声だけが響いた。歩は何も答えなかった。しばらくすると、莉愛はようやく声を落とした。窓の外を見つめる目には涙が浮かんでいる。先ほどの安珠に叱られた時の作り泣きとは違い、今度は心の底から泣きたかった。「歩」莉愛は静かに言った。「私にはもう誰もいないの。私を一番かわいがってくれた兄は死んだわ。何をしても無条件で受け入れてくれる人は、もういないのよ」歩は黙って前を見ていた。「あなたは約束したでしょう。私のすべてを受け入れて、兄の代わりに私を守るって」歩の心は、凍りついたように静かだった。やがて莉愛は、自分自身に言い聞かせるように独り言をつぶやく。「すべては運命なのよ。暁が星音を愛したのも運命。星音が兄を死なせたのも運命。あの女は一生、私に償い続ける運命にあるの」……莉愛たちが帰ったあと、安珠と星音は2階から下りてきた。暁はソファから立ち上がり、軽く笑いながら声をかける。「おばあ様、俺の妻と何を話していたんですか?毎回、俺の妻をどこかへ連れ去ってしまいますね」安珠は鼻で笑った。「自分の妻を守れない男は、誰かに連れ去られなくても、いずれ妻のほうから見切りをつけるものだよ」「まさか」暁は自信ありげに答えた。「俺の妻は、誰よりも俺を愛していますから」暁がそう信じて疑わないのも無理はなかった。星音は幼い頃から、何事に対しても一途だった。一度好きになった人や物を、決して簡単に手放すことはない。ゲームでさえ、一度覚えたものをずっと遊び続けた。周囲から時代遅れだと言われても気にせず、世間から忘れ去られたような古いゲーム
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第35話

安珠のひと言で麗子と暁がまとめて黙らされ、宗太郎が立ち上がった。いくら普段はおとなしくても、一家の長として、ここで黙っているわけにはいかない。「母さん、今日は少し機嫌が悪いようですが……」「機嫌が悪いだって?そんな話をしてる場合かい!」安珠は宗太郎まで怒鳴りつけた。「星音がいてくれたから、これでも気分がまだましなんだよ。あんたたちの顔しか見えなかったら、首をくくって死にたくなっていたところさ。いったい何のために生きてるのか分からなくなるよ!」宗太郎は頭を抱え、逃げるように後ずさった。星音は安珠の背中を優しくさすった。「もう、そんな恐ろしいこと言わないで。おばあ様は元気で、長生きするんだから」柔らかな声と、整った顔立ち。星音は化粧をしていなくても、ハッとするほど人目を引く美しさだった。安珠は星音を見つめ、深いため息をついた。幼い頃から、星音はひときわ目立つほど美しかった。多くの男の子が彼女を気にしていたが、暁は幼い頃から一番近くにいた。安珠は、暁が星音と結婚できたのは本当に運がよかったからだと思っていた。そうでなければ、あれほどすてきな娘が、暁なんかを選ぶはずがない。昔の安珠は、自分には息子が一人しかおらず、その息子にも男の子しか生まれなかったことをよく嘆いていた。家にいるのは、何十年もむさくるしい男ばかりだったのだ。嫁とは仲良くなれると期待していたのに、麗子は口が達者で、若い頃から社交界の夫人たちと嫁姑の駆け引きばかり研究していた。麗子のつまらない小細工に付き合わされ、安珠はすっかり疲弊してしまった。それでも、孫がようやく立派に成長し、柔らかく笑う、かわいらしい娘を妻に迎えた時は心からうれしかった。星音が「おばあ様」と呼んでくれるたび、笑うと頬に小さなくぼみができるたび、安珠はたまらなく彼女をかわいがった。なのに数年も経たないうちに、星音はこれほどやつれ果ててしまった。彼女の両親がこの姿を見たら、どれほど心を痛めるだろう。しかも星音は、母親からも愛されず、唯一の味方だった父親も事故で倒れて、危うく命を落としかけた。星音の味方は、もうほとんど残っていない。安珠は心から星音の身を案じていた。心の中ではどれほど手放しがたくても、何より、星音には自分の望む生き方を選んでほしかった。このままでは、
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第36話

暁は星音と安珠を、鷹司グループ系列のショッピングモールまで送った。車を降りる前、暁は星音にカードを差し出した。そして安珠に見られないよう、星音の耳元へ声を落とす。「前に渡した、限度額のないカードはどうした?あまり使っていないようだが」星音はカードを受け取りながら答えた。「限度額がなくても、あなたの口座に紐づいた家族カードでしょ。使えばあなたのお金が減るのが分かるもの。私自身のお金じゃないわ」暁は星音の横顔を見た。まつげがかすかに震え、表情にはまだ意地を張っているような硬さが残っている。暁は苦笑した。「俺の考えが足りなかった。明日、お前が自由に使える口座を作るよ。とりあえず2億円くらい入れておくから、好きな時に使って、好きな時に引き出せばいい」星音は答えず、安珠の腕に自分の腕を絡めた。「おばあ様、行きましょう」安珠は星音を見たあと、暁へ不機嫌そうに言った。「あんたはとっとと帰りな。終わったら電話するから、迎えに来ておくれ」暁はおどけるように眉を上げた。「分かりました。今日はおばあ様と妻の専属運転手ですね」暁の車が走り去るのを見届けてから、星音は視線を前へ戻した。表情もいくぶん和らいでいる。その日は、モールに多くの人が集まっていた。1階の吹き抜けは豪華に飾られ、天井近くから巨大なシャンデリアが下がっている。無数のクリスタルが光を受け、まばゆくきらめいていた。このモールは開業当初から、本物のダイヤモンドを使ったそのシャンデリアが話題になっていた。しばらくの間は、何か落ちてこないかと、下で口を開けて待ち続ける人までいたほどだ。星音は頭上の光を見上げ、それから自分の、何もない指先を見た。結婚を急いだうえ、静真の悲劇が重なった。暁も星音も結婚指輪を選ぶ気になれず、式も身内だけの簡素なものだった。暁が結婚していると世間に知られたのは、ずっとあとになってからだ。その後、暁は海外での事業を広げた時に、10カラットを超える大きなダイヤモンドを手に入れた。「オーシャン・ハート」と名づけられたその石を、星音への結婚指輪の埋め合わせだと言って贈ってくれたのだ。だが麗子は、それを見て、莉愛にも同じような指輪を買ってやるべきだと言い出した。当時、莉愛はまだ歩と結婚しておらず、独り身だった。莉愛がこんなことを言ったから
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第37話

星音が安珠の指さす方を見ると、2階の展示ホールで展覧会が開かれていた。星音の目がぱっと輝く。「先輩の展覧会だ」展示されているのは、星音が芸術大学に通っていた頃の先輩、江上樹(えがみ いつき)の作品だった。入学初日から、樹の名は学内で広く知れ渡っていた。美術番組で紹介されたこともある、若き天才画家。大学2年の頃に突然その才能を見出され、何気なく描いた作品が有名な画家の展覧会に選ばれた。展示されるたびに真っ先に買い手がつき、卒業前には作品に2億円近い評価がつくほどだった。星音が樹と知り合ったのは、ある展覧会でのことだ。星音は会場の一番隅に飾られた絵に目を留めた。人の足がほとんど止まらないような目立たない場所だったが、なぜかその絵から離れられなかった。背後から、不意に男の声がした。「その絵、好き?」驚いて振り返ると、キャップとマスクで顔を隠した青年が立っていた。星音はうなずいた。「面白いと思う」「何を描いた絵だと思う?」星音は少し考えた。「分からない。でも私には、夢みたいに見える。描かれているものは全部、現実にあるものなのに、なぜか夢の中にいるみたい」男は星音をしばらく見つめた。そして何も言わず、そのまま静かに立ち去っていった。星音はもう少し会場を見て回った。帰ろうとした時、スタッフの女性に呼び止められた。「お客様に、お渡しするものがございます」女性に案内され、展示の裏手へ行く。女性は、先ほどの隅の絵を星音へ恭しく差し出した。「江上先生からです。あの絵に込めたものを初めて理解してくれた人だから、どうしてもあなたに渡したいと。先生ご自身も、とても気に入っている作品だそうです」そこで星音は、先ほど声をかけてきたあの青年が、江上樹本人だったと知った。後日、大学へ戻った星音へ、樹から食事の誘いがあった。星音が大学3年になった頃には、樹は自分のアトリエに来ないかと声をかけてくれた。星音は、少し考えさせてほしいと答えた。そして、返事をする前に、静真の事故が起きた。星音は激しい罪悪感と衝撃に深く沈み込み、重いうつ状態と診断された。休学して治療を受け、そのまま暁と結婚したのだ。そうして、3年以上の歳月が過ぎた。結婚したばかりの頃、樹から星音に一度だけ電話がかかってきたこ
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第38話

安珠が尋ねた。「星音、この画家を知っているのかい?」「はい」星音は微笑んだ。「大学時代の先輩なんです。すごく才能があって、感性の豊かな人でした。卒業してから海外へ行ったと聞いていましたが、いつ戻ってきたのかは知りませんでした。もう長いこと連絡を取っていませんから」安珠は星音の手を引いた。「それなら、中へ入って見てみようじゃないか」星音は少し迷った。「やめておきます。何年も会っていませんし、今さら何を話せばいいか分かりませんから」安珠は気にした様子もない。「人との縁なんてのは、連絡を取ってこそ続くものだよ。星音、あんたは今まで自分を閉じ込めすぎていたんだ。あの家に縛られて、毎日毎日暁のことばかり考えていたから、同じ場所から一歩も動けなくなっちまったのさ。女がそんな生き方をしちゃいけないよ。外へ出て、もっと自分の世界を広げなきゃ」星音は、若い自分のほうが安珠よりもずっと視野が狭かったことに気づかされた。安珠は得意そうに胸を張る。「驚いたかい?私は療養施設で毎日、スマホで短い動画を見てるんだよ。そこに出てくる先生たちが教えてくれたのさ。女は自分のために生きるべきだってね」星音は思わず吹き出した。本当は、展覧会へ入ってみたい気持ちはあったのだ。だが、長く会っていない相手と話すことに慣れていない。もし樹に会ったとして、何を話せばいいのか分からなかった。それでも、これだけ広い会場なら、今ではすっかり有名になった樹に、そう簡単にばったり出くわすとも限らない。星音は安珠とチケットを買い、会場へ足を踏み入れた。展示されている作品は、どれも星音を強く惹きつけた。「おばあ様、見てください。この絵は進化を描いているんです。生き物は環境に合わせて変わっていく。今の私たちも、何十年、何百年も経てば、今とはまったく違う姿になっているかもしれないそうです」星音は1枚1枚の絵を見ながら、自分なりの解釈を安珠へ生き生きと伝えた。安珠はうなずきながら真剣に聞いていた。「星音はすごいねえ。私はただきれいだと思うだけで、何が描かれているのかまではさっぱり分からないよ」「絵には、描いた人の気持ちや、その時の心の状態も出るんです。例えば気分がひどく沈んでいる時は、全体の色合いも自然と青が多くなります。青は、ふさぎ込んだ心を映す色
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第39話

神谷峻(かみや しゅん)は5年前から海外を拠点にしており、その間に帰国したのは静真の葬儀と、星音と暁の結婚式の時だけだった。何年も会っていなかったせいで、星音は一瞬、彼が本人だと分からなかった。以前より日に焼け、ずいぶん痩せている。身長は190センチ近くあり、日に焼けたたくましいスポーツマンそのものだった。星音は心から喜んで笑みを浮かべた。「いつ戻ってきたの?全然知らなかったわ」峻はわざとらしく大げさなため息をついた。「星音、俺にGPSでもつけたのか?さっき飛行機を降りて、ホテルに荷物を置いたばかりなんだぜ。夜にみんなを集めて驚かせようと思って、着替えを買いに来たのに、こんなところであっさり出くわすなんてな」「どうしてホテルに荷物を置いたの?実家には帰らないの?」峻は肩をすくめた。「親父がまた結婚したんだ。今度の新しい母親は俺と2歳しか違わない。おばさんと呼ぶべきか、姉さんと呼ぶべきか悩むから、帰るのが面倒でさ」星音は返事に困ってしまった。安珠が横からすかさず口を挟む。「男ってのは図々しくていいねえ。私なんか、30歳も年下の男を見つける勇気はないよ。やっぱり長生きの秘訣は、面の皮を厚くすることかね」星音が苦笑すると、峻は楽しそうに同意した。「そうですよ、おばあちゃん。昔の王様なんて、年を取ってから若い娘を何人もそばに置いたでしょう。若い人間と一緒にいれば、自分も若返るってことですよ。今度、俺の同級生で、もう人生頑張りたくないって言ってるイケメンを何人か紹介しましょうか」安珠は大まじめにうなずいた。「頼んだよ。ちゃんとかわいがってあげるからね」星音は呆れて頭が痛くなった。「峻さん、夜はどこで集まるの?」峻は少し考えた。「いつものバー『C&Q』だ。ちょうどいい。君に会えたから、暁には俺から連絡しなくて済むな。夜7時に、暁と一緒に来いよ」星音は少し黙り込んだ。「暁には、峻さんから直接連絡してあげて」峻は星音の顔をのぞき込んだ。「なんだ、夫婦喧嘩でもしたのか?」「違うよ。彼は会社で忙しいの」峻は気にした様子もない。「どんなに忙しくても関係ないさ。星音から電話が来れば、あいつはすべてを放り出して、飛んで君を迎えに来るに決まってる」星音は何も答えなかった。もう、そんなことは起
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第40話

車が走り出してしばらくすると、安珠の足が痛み始めた。星音を心配させたくなくて、安珠は黙ってじっと耐えていた。だが星音は、バックミラーに映る安珠の固く結ばれた唇を見て、すぐに気づいた。「おばあ様、また足が痛むんですか?」安珠は一瞬驚いた顔をし、強がって首を振った。「……痛くないよ」星音は迷わず暁へ言った。「先におばあ様を本邸へ送って。主治医を呼んで」暁はバックミラー越しに安珠を見た。「おばあ様、本当に痛むんですか?」星音は声を荒らげた。「痛がってるって言ってるでしょう。今すぐ本邸へ戻って、先生を呼んで。暁、どうして私の言うことが分からないの!」暁は不満そうな顔をした。ここ数日、星音はいつも自分を怒鳴る。「俺と食事に行きたくないから、理由を作ってるのかと思ったんだ。おばあ様も痛いとは言っていなかっただろう」と、暁は傷ついたような顔をした。車内に30秒ほど沈黙が落ちた。安珠が口を開いた。「孫よ。あと何年かして、私がもう長くないとなったら、あんたも一緒に連れていってやるよ」「暁みたいな悪人には、いつか天罰が下りますよ。おばあ様は百歳以上長生きします」「……」暁は主治医に連絡し、安珠を本邸へ送り届けた。麗子が出迎えた。安珠の顔色が悪いのを見ると露骨に眉をひそめ、星音を責め立てる。「お義母様の体が弱いと分かっているのに、無理に買い物へ連れ出したの?もし何かあったら、どう責任を取るつもり?」安珠は、目の前の麗子と暁の首を絞めてやりたいほど腹を立てた。「星音を誘ったのは私だよ!買い物をしたくらいで、何が起きるっていうんだい。麗子、あんたは私が死ぬよう願っているのかね?」麗子がまだ何か言おうとすると、安珠はうんざりしたように手を振った。「あっちへお行き」そして星音を振り返る。星音は玄関に立ち、心配と自責をにじませて安珠を見つめていた。安珠は胸を痛めた。「いい子だ。あんたは友達と会っておいで。久しぶりなんだろう、たくさん話してくるんだよ」暁の後ろを歩いて車へ向かう星音の背中は、ひどく痩せていた。眉を下げ、うつむきがちに車に乗り込む。弱々しく、ひどく心細そうだった。安珠はようやく、星音が離婚を決めた理由を痛いほど理解した。星音は、相手のわずかな表情の変化から足の痛み
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