僕は古典とポップカルチャーの
はざまで『
ザナドゥ』という作品を読み替える批評の仕方にいつも興味がある。映画版の物語は、ギリシャ神話のミューズたちのモチーフをそぎ落として、ロマンティック・コメディとディスコ映画のフォーマットに当てはめたものだと見る批評家が多い。神話の曖昧さや象徴性は、映画では明快な恋愛の筋と「夢の実現」というポップなメッセージに変換されており、その結果として原作(ここでの“原作”を神話的モチーフの集合体と捉えるならば)にあった深みは薄れる、という評が根強い。
映像とサウンドの勝利という別の視点もある。批評家の一部は、プロットの薄さを否めないが、映像美や音楽、振付がその欠点を補って余りあると評する。1980年代の商業映画として『グリース』や『サタデー・ナイト・フィーバー』と並べて語られることが多く、当時の流行に則したエネルギーと魅力を持っている点を高く評価する声がある。つまり、映画のストーリーは原典の豊かな寓意を再現することには失敗したが、別の目的――娯楽性や瞬間的な感動の喚起――においては成功しているという見方だ。
最後に、批評家たちは意図の受容と変奏についても言及する。原作の神話的要素を厳密に再現することを期待する批評家からは辛辣な評価が出るが、逆に“神話をポップカルチャーへ翻訳した試み”と肯定的に捉える向きもある。結局、映画版のストーリーは原作の精神を忠実に写すものではなく、時代とジャンルの需要に応じて再構築された作品だと結論づけられることが多く、その評価は観客の期待値次第で大きく揺れる、というのが僕の観察だ。