花は月に眠れず
森下真理(もりした まり)は、幼い頃に佐藤家へ引き取られた。
義兄の佐藤陽翔(さとう はると)は、誰よりも彼女を甘やかし、守ってくれる存在だった。
養父母に隠れて、二人は七年もの間、恋人同士として過ごしてきた。
「誕生日になったら、真理にプロポーズする」
そう陽翔は約束してくれていた。
けれど、その日。
真理は偶然、彼と友人たちの会話を耳にしてしまう。
「彩乃が『結婚するまではダメ』って言うから、陽翔さん、欲求不満で死にそうなのに、一度も触れてないんだってな。
でも真理は勝手に体を差し出してきた。都合のいい道具だろ?タダより安いもんはないぜ」
下品な笑い声が続いた。
そして誰かがからかうように尋ねた。
「なぁ、陽翔さん。彩乃と結婚しても、養妹とこっそり続けるんじゃないんすか?」
一瞬の沈黙。
次に響いたのは、低く嗤うような声だった。
「そんなわけないだろ。彩乃は純白なんだ。汚したくない」
その一言は、真理の胸を鋭く切り裂いた。
息が詰まり、足元が揺らぐ。
けれど声を出すこともできず、ただ静かにその場を後にした。
......泣くことさえ許されない気がした。
すべてを呑み込み、真理は決めた。
海外の戦場へ向かおう。
国境なき医師として、命を懸けて人を救うんだ。
彼の人生で脇役にされるくらいなら、舞台を降りる。
これからは、自分の物語のために生きよう。
その知らせを知ったとき、陽翔は狂ったように、彼女を探し始めることになった。