婚約した後、私は中絶を決めた
結婚式の前夜、細井一矢(ほそい いちや)は突然、暴行事件に巻き込まれた。
その知らせを聞いて病院に駆けつけたとき、彼はもう私のことを覚えていなかった。
医者によれば、頭部に強い衝撃を受けたことで一時的な記憶喪失を引き起こしたという。
私は必死に策を練って、彼との思い出が詰まった場所を一緒に巡り、記憶を取り戻させようとした。
けれど、ある日病院での再検査の際、偶然、彼が友人と話しているのを耳にした。
「押川(おしかわ)はあんなに尽くしてるんだ。もっと感動すべきなんじゃ......?」
「何が感動だよ、吐きそうだわ。同じ場所をグルグル回って、全然新鮮味がねえ。やっぱり若い子の方が変化があって面白い」
「じゃあなんで彼女と結婚するのだ?俺から言わせてもらえば、婚約解消して自由になった方がマシだろ」
それを聞いた彼は激怒していた。
「ふざけんな!俺がどれだけ怜奈(れいな)を愛してると思ってるんだ!婚約解消なんてしない!絶対に結婚する!ちょっとだけ時期をずらすだけだ」
手元の「すべて正常」と書かれた診断結果を見つめながら、私はようやく夢から覚めた気がした。
彼は、わからないふりをしていただけだった。