エレナ・アーデン侯爵令嬢、彼女と初めて会ったのは私が6歳の時だった。
完璧な礼法を身につけ、美しく実年齢より大人びて見える彼女は兄上の婚約者になる予定であった。兄上は立太子すると同時に彼女と婚約することになっていた。
立太子することが、アーデン侯爵家がエレナを婚約者として差し出す条件だったと聞いている。ライオット・レオハード、このレオハード帝国の第一皇子。
彼女の一つ年上で当時13歳になる兄上は燃えるような赤い髪に光り輝く黄金色の瞳を持ち、 すらりとした長身に、武芸に長けていた私の憧れであった。兄上の赤い髪とエレナの赤い瞳、そしてエレナの金色の髪に兄上の黄金の瞳。
兄上とペアで作られた金糸をまとった真っ赤なドレスを着たエレナ。成人をしていてもおかしくないように大人びた2人はお似合いで、
並び立つと、その神々しさに周りは息を飲んだ。初対面のエレナと軽い挨拶だけを交わした日から1週間後、
両陛下と私、アーデン侯爵夫妻とエレナでお茶の席が設けられた。「本日は皇帝陛下がお話があるということで、庭園の方へお越しください」
帝国歴史の授業を終えた私が言われるままに庭園へ向かうと、
美しく整えられ、赤いバラが咲き誇った庭園の真ん中のガーデンテーブルに、 両陛下、アーデン侯爵夫妻と銀糸をまとった紫色のドレスを着たエレナがいた。「アラン・レオハード皇子殿下に、エレナ・アーデンがお目にかかります」
見惚れるような美しい動作でエレナが挨拶をする。 兄上の隣にいた時に着ていた彼女の瞳と同じ赤色のドレスに比べて、紫色のドレスは似合ってなかった。「あら、侯爵令嬢の美しさに見とれているのかしら。素敵でしょう?令嬢の美しさが際立つように私がプレゼントしたのよ」
母上の言葉に少しづつ状況が理解できてきた。皇室の仲間入りをするから皇室の象徴である紫色のドレスを着せているということか。
しかし、続いて聞こえてきた父上の言葉は私の理解の範疇を超えていた。「未来の花嫁に挨拶したらどうだ? 」
「は、花嫁?」 言葉が続かなかった。だってアーデン侯爵令嬢は兄上と婚約するはず。
表情管理は得意なはずが、この時の私はおそらく皇子とは思えない間抜けな顔をしていただろう。 聞きたいことはたくさんあったのに、拒否権などないと言いたげな皇帝陛下の視線に掻き消され出てこなかった。そのあと、どのような時間を過ごしたのか、長いようで短い茶会を終え一人部屋に戻り先刻の出来事を整理した。
1ヶ月後、私はエレナ・アーデン侯爵令嬢と婚約し、そして立太子するらしい。 尊敬する兄上から皇太子としての座を奪い、あれほどお似合いな婚約者を奪う。 その事実に私はただ恐怖した。庭園でのことを思い出すと、美しいはずの真っ赤なバラがぐにゃぐにゃと兄上の姿に変わった。
「全てを奪うのか、血筋だけのお前が」 兄上にそう責められているようで眠れなかった。これらの一連の決定は、急速に私と兄上の関係を疎遠にさせた。
私は時間があれば兄上の美しい剣技を見に行き、兄上と帝国の未来について語り合っていたが、兄上への後ろめたい気持ちから、できるだけ接触を断つようになった。
最初にエレナに対して抱いてた好感も薄れ、兄上をあっさり捨て自分に乗り換えたことへの軽蔑にも似た感情が芽生えた。
結局、私は彼女のことも避け続けたが、彼女と婚約し皇太子になる運命は変わらなかった。
母上の実家は帝国唯一の公爵家であるカルマン公爵家で非常に力を持っていて、
父上は生涯側室を持たないと母上に誓いをたて婚約し、カルマン公爵家の後ろ盾は第三皇子に過ぎなかった父上を皇帝の座に押し上げるのに十分だった。父上の戴冠式と同時に成婚した2人であったが、3年もの間懐妊の兆しはなかった。
周りの貴族から側室を設けるように声があがっても、父上は頑なに首を振り母上の側にい続けたらしい。しかし、ある日赤い髪に黄金の瞳持った踊り子が父上の子だという産まれたばかりの赤子を皇室に連れてきた。
父上はその子を認め第一皇子とし、母上はショックのあまり5年間ほどほぼ塞ぎこんでしまったらしい。母上の父上であるカルマン公爵は激怒し、母上に離婚を促したが母上は皇后としての責任感からかそれを拒否した。
しかし、公爵の怒りは収まらずカルマン公爵家は皇室に匹敵するほどの力を持っていたため皇室権力は揺らぎはじめた。そこで、帝国一裕福なアーデン侯爵の娘で年齢も近いエレナ・アーデンと第一皇子の兄上を婚約させることで、
少しでも皇室の権力を安定させようとしたと聞いている。おそらく私の誕生により母上の実家は兄上ではなく私を立太子させるよう皇帝である父上に進言し、
アーデン侯爵も皇帝にならず、血筋に問題があると言われる兄上に嫁がせるより、皇太子になる私を選んだのだろう。「皇太子殿下にエレナ・アーデンがお目にかかります」
婚約をしている以上、避け続けるわけにもいかず、 私とエレナはカルマン公爵邸で行われる舞踏会に馬車で向かっていた。馬車は苦手だ、ただでさえ気持ち悪くなりやすいのに彼女への嫌悪感からか、
吐き気が止まらず、そっと嘔吐物を飲み込みながらなんでもないふりをした。「殿下はダンスがお上手だと聞き楽しみです」
彼女が話しかけてきても、ほぼ無視していると彼女も黙った。 今日のドレスもおそらく母上の贈り物だろう。前回纏っていた派手な紫よりは、優しい色の薄紫のドレス。
彼女の所有権は私にあるという母上からのメッセージが含まれている気がした。
どんな柔らかな色を纏ったところで彼女が権力のために平気で人を切り捨てる女だと思うと、優しい色のそのドレスもまた似合わなく思えた。 兄上の隣で金糸の赤いドレスを纏っていた時は、こんな美しい人が存在するものかと見惚れたのに。足元がふらつきながら、馬車を降りる。
吐き気に嫌悪感が隠しきれたかが分からない。 少し屈むように長身の彼女が私の手を取る。2人の影の身長差がまるで大人と子供のようで、
頭の中が沸騰するように怒りと恥ずかしさが込み上がったが必死に抑え込んだ。周りから私たちはどのように見えるのだろうか?
年の離れた姉と弟? エレナも私のような子供と婚約したことを恥ずかしいと思っているのではないか、 目先の権力に目がくらみ自ら私を選んだくせに。「アラン・レオハード皇太子殿下と、エレナ・アーデン侯爵令嬢のおなーり」
会場に入り、彼女とダンスを踊る。 彼女をリードしてあげる気など毛頭なく自分のステップのみに気を配る。いつも感情を出さないよう訓練したが、彼女には反抗的な気持ちを気がつけばだしてしまっていた。
臣下やメイドにさえ常に柔和でフラットな態度を心がけていたのに。 彼女が私を見つめてくれば、目線を外した。ふと、外した視線の先の貴族たちが目に入った。
そこに浮かんでたのは間違いなく見惚れたような羨望の眼差しだった。 ものすごく踊りやすい。こんなに思うように踊れたことは初めてかもしれない。 そういえば、彼女の顔はこんなに近かっただろうか、もっと上の方にあった気がしたが。思わず彼女の顔を見ると、彼女は分かるか分からないくらいの感じでうっすらと微笑んだ。
彼女はドレスの下で膝を曲げ腰を落として背を低くして踊っているのだ。 周りから見れば長身である彼女が、少し背を低くしたところで分からないだろう。会場に入ったあたりからそうしていたのか?
どれだけ体幹が強いのか? そんなことを、高いヒールを履いて優雅にできるものなのか?それでも、私は彼女を認めることができなかった。
兄上への罪悪感を掻き消すため、
全ての罪をエレナに押し付けようと彼女から目をそらし彼女を心の中で批判した。皇太子妃になるためなら、なんでもできる女なのだろう。
権力への執着とは恐ろしいものだな。 自分を気遣ってくれる彼女に気がつかないふりをした。「本当に避けられないものだな」
気が付くと彼女のことを考えてしまい、それを振り払い、考えないようにし3ヶ月勉強に没頭した。 しかし、エスパル王国の王子が立太子する祝いに隣国であるエスパルに彼女と赴かなければならなかった。 隣国といっても馬車に2日間乗り続けなければならず気が重い。道中は整備されてない道もあり一段と馬車酔いしそうだ。
気が進まなかったが、母上に言われた通りアーデン侯爵邸に彼女を迎えに行った。「エレナ・アーデンが皇太子殿下にお目にかかります」
私は驚いて彼女を凝視してしまった。 彼女はかしこまったドレスでも、道中楽に過ごすための楽なワンピースでもなく、かっちりした乗馬服で私を待っていた。「皇太子殿下、乗馬がお上手だと聞きました。せっかくなので道中観光でもしながら行きませんか? エスパル王国の宴会まではまだ日程がありますし、1週間かけて帝国の美しい名所をご案内させてください」
あっけにとられていると、彼女は続けてやや早口に喋り出した。「アーデン家の別荘や、宿の手配などもさせて頂いております。おすすめのレストランにもご案内させてください」
あの完璧令嬢エレナ・アーデンが緊張しているのだろうか、唇が震えている。「今日は、随分喋るんだな。それに早口だ。しかも、事前に相談するべきじゃないのか?」
私は、いつもと様子の違う彼女に思わず吹き出しそうになりながら言った。「申し訳ございません」
彼女は焦って返事をして、それから何かを言おうと口をパクパクさせている。 完璧なはずの彼女が金魚のようになっている。私はため息をついて少し困ったような顔を見せながら言った。
「仕方がないな、まずはどこに行くんだ?」
彼女の必死さが伝わってきて、流石に助け舟を出してあげたくなってしまった。「紅葉の美しいオタム湖でボート遊びをしてから、郷土料理で有名な湖畔のレストランで食事をしようかと。」
ボート遊びなんてしたこともないが、彼女はどうなのだろうか。「よく行くのか?」
提案してくるのだから、見知った場所なのだろうと思い尋ねた。「いいえ、初めてです」
いよいよ、耐えられなくなった私は生まれて初めて声を出して笑った。馬車から降りる松井えれなを見て、昔のことを思い出してしまった。
エレナの中に入ってしまったということを、まだ100%信じているわけではない。皇后教育の疲れが出たり、最近、高熱がでたことがあったから記憶や精神に一時的に問題を起こしてるのかもしれない。
あの時もそう思って、嘔吐した彼女を部屋に連れて行くよう支持した。
それなのに、部屋に入り私が発した言葉は彼女がエレナであることを疑う言葉だった。 心の奥深くにある何かが彼女が私のエレナであるということを否定していたのだ。「殿下、なんだか元気がなさそうに見えますが大丈夫ですか?」
毎瞬間、彼女は自分が私のエレナではないことを実感させる。エレナは心配な時に大丈夫かどうかなど絶対に聞かない。
そんなことを聞けば、私が気を遣って返答すると分かっているから、 何か私のためにできることを自分で考えサポートしてくれるのだ。あの1週間の隣国への旅程も、エレナは馬車酔いする私を思ってのことだった。
「急に旅行したいといって、息抜きでもしたかったのだろうか」 旅に同行した護衛騎士や使用人たちは納得が言っていないようだった。「馬車で寝泊まりしながら行けば2日なのにな」
彼らの疑問のような愚痴のような話が聞こえてきてもエレナは気にもとめてなかった。 エレナは私のことだけを考えていたんだ。それに気がついてしまうと、もうすでに芽生えていた恋心を認めざるを得なかったんだ。
そう、あの時から私たちはお互いを名前で呼び合うようになったのだ。♢♢♢
ふいに現実に戻され、私は大切なことを松井えれなに注意した。
「エレナ、私のことはアランと呼んでくれ」 大切なことを忘れていた。周囲の貴族は目ざとい、突然呼び方が変われば関係が悪くなったなど噂を立てかねない。「わかりました。私の完璧令嬢エレナっぷりに感動したということですね」
自分が評価されたのだと勘違いした彼女は得意げに言った。「そうだ、馬車酔いも克服したようだしな」
彼女の調子に合わせてふざけて返すと、なぜか、ますます得意げになった彼女が言った。 「それはですね。私には秘薬がありまして」なんだか長くなりそうな話をはじめたので、話をやめて気を引き締めるよう注意を促した。
どこで、誰が何を聞いているか分からない。 有る事無い事話を広げて人を貶める、ここはそういう場所なのだ。「アラン・レオハード皇太子殿下とエレナ・アーデン侯爵令嬢のおなーり」
到着し、音楽が流れ出すとエレナの手をとりダンスを踊る。彼女を見上げながらダンスを踊り、いつもとは違う踊りづらさを感じる。
ああ、本当に彼女は私のエレナではない。私のエレナに比べれば劣るが、他の令嬢よりはダンスが上手い。
私が褒めるのを期待している彼女の視線から目がそらせず私は観念していった。「なかなかのダンスの腕前だな」
松井えれなは褒められるのが好きなようで嬉しそうに返してきた。
「もう、夢の中でも踊り出してしまうくらい特訓しましたから、帝国史を片手にいついかなる時もステップを踏んでましたから」彼女と話していると、私のエレナでないという落胆が常に襲ってくる。
「良い時間だった。」
お互いにお辞儀を済ませると本日の主役の到着を知らせる声が響き渡った。「ライオット・レオハード第一皇子、レノア・コットン男爵令嬢のおなーり」
兄上は相変わらず堂々としていて精悍な顔つきには威厳もまとっていた。
ふと、隣にいる松井えれなを見ると真っ青な顔で唇をふるわせながら呟いた。 「表紙の男、表紙の女⋯⋯」「え? 」
彼女の不可解な言動と尋常じゃない震えっぷりに、とっさに彼女をバルコニーに連れ出した。 「どうした ?何があったんだ? 」 何かに怯えたような彼女が心配になった。「どうしよう、破滅する。どうしよう」
言葉が続かないほど彼女は動揺していた。さっきまで得意げに見えた彼女を薄暗いバルコニーに連れ出すと、
紫色のドレスを纏った彼女はいつになく弱々しく幽霊のよいに消えてしまいそうに見えた。「なんとかしないと、諦めたらそこで試合終了だ。なんとかしないと」
訳のわからないことを呟いている。
私は、只事ではない彼女の状況に声を掛けた。「今日はもう帰ろう。アーデン侯爵邸まで送るよ」
そう言って、彼女をエスコートしようとした時、バルコニーに続く扉が開いた。
赤く燃えるような髪に黄金の瞳、兄上だった。 「アラン、兄の凱旋を祝ってくれないのか?侯爵令嬢も相変わらず薄情だな」彼女は今にも泣き出しそうになり、私の服の裾をつかみ一歩下がった。
私の知る松井えれなは強気で、すぐに調子にのり、割とあけすけな物言いをする。 そんな彼女が助けを求めるように震えている。「ラ、ライオン・レオタード第一皇子にエレナ・アーデンがお目にかかります」
焦ったように彼女が兄上に挨拶するが、声も震えているし名前も間違っていて間違え方も酷い。 兄上が引きつった顔になり何かを言おうとした時、扉が再び開いた。「皇子殿下、皇帝陛下がお呼びです」
先ほど兄上と入場してきたレノア・コットン男爵令嬢だった。 兄上はエレナに凍りつくような冷たい一瞥を向けた後、宴会場に戻っていった。少女漫画の作者はいつだって純粋で天然な主人公が勝つと思っているのだろうか。そんな夢見るオールドミスが書いた物語に惑わされては有限な時を無駄にする。実は、あざとい策士にしてやられて負け犬の遠吠えのように作品を書いたのではないか。攻略対象の男たちが他人の心を読め、神視点を持っていないでもない限り悪役に勝つのは無理ゲーだ。どれだけ男という生物が理性的だと夢を見て勘違いしているのだろう。男は所詮、子を生める能力のある女の付属物でしかない。その付属物らしく、視覚優位で美しい者に反応し、優しい言葉に心を簡単に奪われる。私は計画的に確実に三池を落としている自信があった。側にうろつく白衣の天使も目に入らない程に。1年くらいは放っておいても彼は他の女に目移りしない。だから、彼なら私のことを一番に考えて最善の策を練ってくれるという信頼がある。「まさか、あんな中途半端な進学校の深海魚にシーラカンスがいるとは思わないわ。」エレナ・アーデンは6歳時点のアランが、あそこまでのイケメンになるという予測が出来る程、発達した脳を持っているのだろう。私は三池がシーラカンスであることに全く気がつかなかった。三池は恐ろしい程、地頭が良い。不合格も、受験番号書き間違いを疑ってしまう程だ。そういう男は兄のような男の園で6年勉学に励むか、公立校に潜んでいるかどちらかなのだ。私たちの通っていた学校は地元では進学校と呼ばれるが、合格実績をみるにたいした学校ではない。私にとっては行くつもりがなかった第3志望の学校だった。受験の失敗の原因は、到底通学できない立地の高偏差値の前受け校に合格したことだ。本当は前受けなど受験したくなかった。「試験慣れは必要です。合格をとっとくとお守りになります。」ただ、合格実績が欲しいだけの塾の先生に従って受けてしまった。その合格は私にとってはお守りにはならなかった。逆に自分の実力を過信してしまう原因になり、第1志望と第2志望の女子校を落とした。第3志望の地元
「アーデン侯爵令嬢、リース子爵がいらっしゃいます。」特別席で舞台の余韻に浸っていると、先刻席を案内してくれた男性が小走りで来た。オレンジ色の髪に緑色の瞳をした真面目そうな好青年が入ってきて私に挨拶する。「アーデン侯爵令嬢に、エドワード・リースがお目にかかります。」そう言って目の前に跪いてきた。この挨拶の仕方って皇族に対する挨拶の方法だと記憶している。エレナが来月には皇后になるから、こんな丁寧な挨拶をしてくるのだろうか。それにしても、いかにも悪そうな守銭奴リース子爵の息子がこんなに好青年だとは驚いた。「あの、こちらにお座りくださいな。」私は空いている隣の席をリース子爵に指し示した。「恐れ多いです。立場はわきまえております。」彼は跪いたまま、メモを取り出した。リース子爵はこの領地では領主であり、威厳を保った方が良いと思うのだがこれで良いのだろうか。しかし、リース子爵の視線から私の言葉を今か今かと待っている期待感を感じたのでこのまま続けた。「まず、年間パスポートをやめてください。園内の混雑の割に収益が取れていません。」そう、年間パスポートの時間のあるおばちゃん達が毎日来てしまっている可能性が高い。そうすると他の客が園内の混雑に思ったような満足度が得られなくてリピートしてしまわなくなってしまう。それに、年パスのおばちゃん達は既にこの園に来るのがライフワークになっている。日本のお年寄りが整形外科に行くのをライフワークにしているのと一緒だ。だから、年パスがなくなることで毎日は来なくなるだろうが、週に1回はどうしても来てしまうだろう。だから年パスをなくしてしまった方が年間にすると彼女たちから多くの金額を搾取できる。「最後列の席を除いて、他の座席は有料にしてください。」全ての座席を無料にするから、1部も2部も見ようとして席をずっと陣取ってしまう人間が出て来るのだ。そのことで、人員を整理する人を置かねばならず人件費がかかる。入園料だけで舞台を見られるというのは、オ
ダンテ様は妻の洗脳を解きたくてランチの約束をしたのにふらついたり、私に必要以上に迫ったりしてきたのではなかろうか。正直妻と約束があると言いながら、彼の自由な行動に驚いてしまった。私を膝の上に抱っこしている時に妻が来たら修羅場展開になると思った。でも、彼の妻は明らかに私の反応しか気にしていなかった。そう思うと少し彼が可哀想になった。今回の旅ではエレナの父であるアーデン侯爵も帯同していて、しっかり団長として指示をだしていた。世界がほぼ帝国支配になったことで、他国との戦争もなくなり、今の騎士団は、災害時の人道支援などを行なっていて、日本の自衛隊のような役割をしている。「今なら、ライオット様も帝国で幸せに暮らせたでしょうにね。」私は思わずレノアに漏らした。「皇帝陛下は帝国にライオット様を戻す予定だったとエレナ様はおっしゃってました。」レノアは寂しそうに私に言って来た。アランは自分の管理する帝国こそに幸せがあると思っている。小さい頃から当たり前のように仕事をしてきて、ダラダラするという至上の贅沢を知らないのだ。人に自分の価値観を悪気なく押し付けてしまっている。でも誰より必死に働いている彼を見たら彼の理想を応援したくなってしまう。騎士団は普段から厳しい訓練をしているようで、前はへらへらしているように見えた侯爵家の騎士団も、自信がついてキリッとしていた。一反木綿のようだったエアマッスル副団長も、たくさん筋肉を付けてがっしりした体つきになっていた。夕刻、菜の花畑に囲まれたガーデンステージでアランとエレナをモデルにした演劇が行われた。日本にいる本物のエレナ・アーデンを思うと悠長に演劇を見る気にはならなかったが、額縁に飾られた皇帝陛下から頂いたお手紙とやらを見せられ半ば強引に見ることになった。「素晴らしい脚本に感動した。いつか、皇后と観覧したい。」といった旨が書かれたアランの手紙。こんな観光地の演劇までチェックしているなんて本当にまめで感心する。演劇は植物園
皇宮を出発し、2週間がたった。対外的には未来の皇后の帝国領視察となっているこの旅だが、道中、驚きの連続だった。以前この世界に転生した時は、首都を出た途端、貧民街が広がっていて、身分社会における貧富の差を強く感じた。しかし、この2週間様々な領地をみたが、どこも豊かでにぎわていて、人々が生き生きしていた。アランとエレナの肖像画が様々なところにか飾られていて、みんなそれを羨望の眼差しで見つめていたり、拝んでいたりした。エレナは皇帝の寵愛を一身に受ける絶世の美女ということもあってか、全女性の憧れの的で、私の姿を見て感動で泣きだす子もいた。ちょっとしたスターになった気分だ。ライオットとエレナがお似合いと昔は言われていたらしいが、アランとエレナの二人は絶世の美男美女である上、金髪、銀髪で華やかで、思わず手を合わせてしまうお似合いっぷりだった。私はとにかく馬車の中でこの6年間変わったことを勉強した。この世界に2度目ともなると馬車も慣れてきた。「帝国法、ほぼ全編変わってる。こんなことありえるの?」帝国の要職は4年ごとの試験によってのみ選ばれて、全帝国民が出身、身分、経験関係なく受けられるらしい。「徹底した能力主義だ。エスパル出身のダンテ様が宰相になるわけだ。」「帝国民は全員納税義務の就労義務があるだと、専業主婦はおろか、定年退職も、生活保護もないってすごくない。ニートの存在認めないんかい。」帝国民は学校の紹介や、試験によって適職を紹介されるらしい。ちなみに全ての学校は国営で試験も国によるもの、だから全てを皇帝陛下の判断に委ねている。仕事を辞めると、すぐに次の仕事を紹介されるらしい。「だから、廃人臭漂うクリス・エスパルは人の来ない図書館勤務だったのか。あんな人からも税金絞りとるとか凄いな。」でも、完全ニートになるよりは少しでも社会にコミットさせた方が、人々の満足度は高くなるのだろうか。6年前より、世界の人たちが生き生きしている。
その時、頭の中でカルマン公子の声がした。「本当にそれで良いのですか? 彼は脱獄を手引きしたあなたが兄に特別な感情を抱いていると思っていますよ。そんなあなたの言葉が彼に届きますか?」「アル、今あなたの兄のライオット様は私の世界いるの。今、この世界にいるライオット様は私の世界の作家さん。」アランが訝しげに私を見た。「前に話した通り私の世界には身分制度がないの。彼はだからそういう世界の話を書いてしまったのだと思う。」ナイストス!カルマン公子。私はまた間違った発言をしてしまうところだった。カルマン公子は私の罪悪感が作り出した心に棲みつく亡霊かと思っていた。実は愚かな選択をした私を哀れんだ神が与えた私のナイトヘッドに棲む妖精なのかもしれない。どうせなら、ダンテ様に話しかける前にも出てきてほしかった。「こんなところに1人で歩いている男に話しかけても良いのですか?私を追いかけた時の不注意を忘れたのですか?」カルマン公子がこんな風に話しかけてくれれば、私も踏みとどまれたのに。もういつでも出てきて良いから、公子と一生を共にすると約束するから私の愚かな行動を事前に止めてくれ。「それでも、僕は皇帝だ。帝国を少しでも害する可能性があるなら、たとえ兄上でも始末しなければならない。」アランはものすごく苦しそうだった。おそらく帝国もライオットも大切にしたいという思いがあるのだろう。なぜ、彼はここまで気負っているのだろう。皇太子時代は超効率厨で仕事は短く済ませて祖父や母と食事をしたり私とおしゃべりばかりしてたはず。世界全部が帝国みたいな状態だと、さすがの彼もチェーン店を広げすぎた社長のように余裕がないのだろうか。「私がアルのエレナに体を返すヒントを彼が持っていると思うの。だから、ロンリ島の彼のところに私が行って、今、彼の作品の危険性についても言及してくるよ。」アルは静かに私の話を聞いているが、フラフラしていて今にも倒れそうだ。私は雷さんと話す必要があると思った。ダンテ様は明らかにライオットの中に他の人格が
あたりを見渡すと、本を整理している水色の髪を見つけた。「クリス・エスパル様ですか? エレナ・アーデンと申します。」ダンテ様に対して初対面で爽やかな印象を持ってしまったのは水色という爽やかなイメージの色のせいだと思っていた。でも、クリス様の水色の髪や瞳は神聖な印象を私に与えてくる。儚さもあり、この世の人ではないみたいな感じだ。彼を殴れる気がしない。圧倒的なサンクチュアリーな雰囲気、彼を殴った途端神々の怒りをかいそうだ。「何かお探し物ですか?」落ち着いた低い声でクリス・エスパルが尋ねてくる。「クリス様にお話があってきたのです。少しお時間よろしいですか?」三池と全く正反対でおしゃべりではないようだ。必要以上のことを話そうとしない。「クリス様は国王としてのお仕事はもうなされないのですか?」いきなり核心的な質問をしてしまっただろうか。彼の反応を伺うと目の前にある椅子を無視してゆっくりと床に体育座りをし、無表情に虚ろな目でこたえてきた。「エスパル王国はなくなって、現在はレオハード帝国エスパル領になっております。今はどこかの伯爵様か誰かがおさめているような気がします。」地図を出しながら、どこか他人事のように話してくる。地図に目を落として絶句した。エスパル王国どころか、地図上の全ての国が帝国領になっている。これは権力欲なんてなさそうだと思っていたアランの仕業?「図書館の管理をしていると伺いましたが、それはどうして?」恐る恐る尋ねた私にクリスは静かに答えた。「エスパル王国が帝国領になった際、皇帝陛下が私に尋ねました。私に帝国の爵位を与えるのでエスパルの領地を治めないかと。」クリス様が淡々と続ける。「私は悩んだ末、断りました。今は疲れて休みたいと申しました。すると、皇帝陛下が何か好きなことや興味のある事はあるかと尋ねました。」彼は昔を懐かしむような遠い目をしながら続けた。「私が本が好きですとだけ答えると、皇帝陛下から「いにしえの図書館」の