25話 崩壊の入り口
何も出来る事なんてない。少しずつ狂い始めた歯車を止める事は出来なかった。杉田から一言、メッセージが入っている。内容を見てみると、自分の知らない所で、何かが起ころうとしている予兆のように見えた。 あれ以来、気まずくて顔を合わせる事が出来なかった。色々な事を考えていると、邪魔をするように、後ろから抱きしめられていく。 「何、考えてるんだ?」 タミキは自分に振り向くように、仕掛けていくと、その罠に簡単に堕ちていく僕を見て、満足そうに言った。 「杉田から連絡が入ってさ、何かあったみたいなんだ」 杉田の名前を出すのは、なんだか少し気が引ける。そんな内情を把握しているタミキは、欲望の味を僕に共有しようとしている。 「ん」 いつもなら軽いキスで終わるのに、今日は違った。他を見ないように、ダイレクトに感情を伝えていく。そんなタミキを見つめながら、ただただ息を漏らしていく。 「激しい……むう」 唇と唇が離れたかと思うと、今度はより深く、貪るように僕の唇を堪能しているようだった。息が上がっていくのを止める事は出来ない。話の続きをしたいのに、ぼんやりと思考が溶けていく。 「はぁはぁ」 「他の奴の事なんて考えるなよ。俺がいるのに……」 理性を飛ばす為の下準備を終えたタミキは、僕を抱き上げると、ベッドへと運んでいく。顔を真っ赤にし、タミキの腕を掴みながら、息を大きく吸った。 「タミキっ……」 彼の名前を呼んでも、一度スイッチの入ったタミキは、自分の気持ちを優先させていく。困っている表情も、震えている体も、何もかもがご褒美だ。堪能出来る瞬間を逃す手はなかった。 「大丈夫、俺に任せて」 不安そうな顔で見つめる僕は、タミキの言葉で少しずつ落ち着きを取り戻し57話 嫉妬と拒絶 疲れた僕は布団の中でゴロゴロしている。今日からリハビリが始まったからだった。だいぶ筋力は戻ってきたが、なかなか上手く歩けない。自分から自由を捨てたのだから、自業自得だった。最初は立つ事から始めた。本来なら歩けるはずなのに、メンタル的な原因があるらしく、明日からはカウンセリングも受ける事になっている。少し力を使うだけでも疲労が出てくるのに、大丈夫なのかと不安にもなる。 消灯時間を過ぎているので、置かれている電気スタンドをつけ、暗さを紛らわしている。あの火事以降、どうしても暗闇で寝る事が出来なくなってしまった。 淡い光を見つめていると、眠たくなってくる。いつもこの時間帯はタミキの事を考えてしまう。そんなルーティンになっていた。何処で何をしているのか分からない彼を想うのは辛い。自分に勇気と力があったのなら、助け出す事が出来たのに、現実は違った。「会いたいな」 あんなに愛しあった人は他にはいない。タミキが姿を現さなくても、僕はこの気持ちをなかった事にはしたくない。唯一会えるのが、夢の中だけなんて残酷だ。 ドアの隙間から誰かの足音が聞こえてくる。見回りだろうか。起きてる事に気づかれてしまったら、怒られるだろう。電気はこのままにして、布団を深く被ると、目を瞑る。スウスウと寝息を立てると、狸寝入りが完成する。「……寝たか」 少し遅れていたら、目があっていただろう。その人はベッドの側に座り、僕の様子を観察しているようだった。なるべく不自然にならないように心がけながら、顔にかかっていた布団をゆっくりと押さえつけていった。「……庵、まだあいつの事を」 聞き覚えのある声に耳を傾ける。僕を助けてくれた杉田は僕を避けるようになっていた。それなのに、今僕の側にいるのは昔と同じ優しい声をしている彼だった。 ぬっと影が重なっていく。彼の鼓動が聞こえそうなくらい近づいた体は、何が起こるのかを理解していないようだった。「俺は諦めない、絶対に」 タミキには負けたくない気持ちが表面化されていく。そこには嫉妬と暗い感情が見
56話 三島付属病院 久しぶりに外の世界を感じている。僕の日常は様変わりしながら、その場を手放した事が、随分昔のように思えた。あれからタミキの消息を追っている杉田は、情報を僕に明かしてはくれない。何度聞いても、知らない方がいいとあしらわれるだけだった。僕の体調とリハビリを兼ねて、三島付属病院にお世話になる事になると、定期的に顔を出してくれている。弱った肉体とメンタルを元に戻す為に、時間がかかるらしく、じっくりと腰を据えなければならない。「支払いは大丈夫と言ってたけど……」 三島付属病院で診てもらう為には紹介状が必要だ。通常なら飛び込みの患者を受け入れてはくれないはずだった。しかし杉田は裏で何かしら手を回しているようで、思ったよりも速い速度で決まってしまった。 コンコンと扉を叩く音が耳を刺激する。急な音に驚いてしまった僕は、隠れるように布団の中へ沈んでいった。「失礼します」 僕の部屋に入ってきた人物の声は明るく、太陽のような輝きを放っている。ゆっくり布団の隙間から確認しようとすると、そんな僕に気づいたのか、くすりと笑い声が聞こえた。「そのままで大丈夫ですよ。お食事の用意が出来ましたので、食べてくださいね」 普通なら看護師が対応するのだろうが、僕専属の世話役が身の回りの全てを担ってくれている。まるで物語に出てくる貴族になってしまったようで、なんだか歯痒い。「……ありがとうございます」 聞こえるか聞こえないくらいの声で、恥ずかしさを隠すように御礼を言うと、ふふと音を漏らした。子供扱いされているような気分になってしまうのは何故だろう。 やる事をし終わった世話係は、音を立てないように病室から抜け出すと、ぼふっと布団から顔を出し、新鮮な空気を取り入れていく。閉められてたカーテンを開けてくれたようで、太陽の光と院内に隣接している森林をモチーフにしている小さな森が僕の視界を照らし続けた。 この景色をタミキと一緒に見れたのなら、どれだけよかっただろうか。そんな事を思いながら、小さな卓の上に置かれた食事と温かいお茶が温もりを漂わせながら、空
55話 目的地は何処? 「おい、大丈夫か?」 どこからか声が聞こえてくる。ピクリと体を震わせると、瞼が連動するように反応する。ぼやけた背景は、目が馴染んでくるとすんなり受け入れる事が出来た。長い夢を見ていた気がする。何か大切な事を忘れているような気がするけど、現実に戻った僕は、気のせいだけで留めた。「意識はあるな、よかった」 長い間会う事がなかった杉田が目の前にいる。涙で真っ赤になっている瞳が印象的だった。いつも冷静な彼がここまで感情を示すなんて、何事だろうと考えながら、彼の腕に抱き抱えられた。「火が回る前にここから出るぞ」 記憶が改竄されている事に気づかずに、目の前にある物事こそが真実だと疑う事はなかった。窓から飛び降りようとする杉田に待つように言うと、一瞬止まる。「タミキがいるんだ。ここに……早く助けないと」 タミキの名前を聞いた杉田は唇を強く噛んでいく。今までの自分の行動が引き金となり、僕を危険な目に合わせてしまった事が、引っかかっているようだった。僕の知っている彼なら、タミキを助けに行こうとするだろう。しかし、長い年月を一人で過ごしてきた彼は、前のように振る舞う事を忘れてしまっていた。「杉田ってば」 僕の言葉を振り解こうと顔を背けると、指差す炎の先から逃げるように、飛び出した。ガシャンと窓ガラスの残骸が砕けると、僕の希望も壊れていく。泣きながらタミキを叫び続ける僕を、背負うと逃げれないように、力をグッと入れた。 こんな形で彼と離れるなんて想像もしなかった僕は、ただただ涙を流し続けた。 彼は僕の事を考えていた 何が一番笑顔に出来るのかと 自分では役不足になる事を 理解していた彼がいる ある程度走っていると僕達を待ち構えるように車が目の前に停められた。運転席から声をかけられると、杉田は頷き、力が抜けた僕を後部座席へと放り込んだ。 僕が抵抗しないように、一人の青年が乗っている。彼に重なる形で崩れると、にっこりとした笑顔が見えた。
54話 境目に咲く金木犀 ずっと側にいられたら、どれだけ幸せなのだろう。自分の気持ちに素直になりつつある僕は、姿の見えないタミキの姿を探し始める。彼と繋がるものは、もう何もないのかもしれない。途方に暮れていると、ふんわりと懐かしい匂いが僕を抱きしめていく。「誰……」 まるで透明人間になっているような感じだ。自分の姿は相手に見えていないように、相手の姿も僕からしたら存在しない。まるで世界が危険分子を除外しようとしているみたいに。 心と心で会話する事は普通なら出来ないはずだ。しかし、今僕の目の前で起こっている現象は感情のリンクだった。誰かの気持ちが自分の中へ流れ込んでくると同時に、何かが僕の中から抜けていく感覚を感じている。声に出しても反応しないその人は、ある景色を共有しながら導こうとしている。「ここは」 さっきまで草むらをかぎ分けながら歩いていたはずなのに、何故だか沢山の金木犀が咲き狂っている場所に辿り着いた。キョロキョロと周囲を見渡してみるが、誰の気配も感じられない。ここは現実なのか、はたまた違うのか、疑問が僕を満ちていく。「もう少しで出れるよ。もう君は自由になるんだ」 聞き覚えのある声が脳裏に響く。耳で聞いた声じゃない。まるで直接脳みそに語りかけているようだった。金木犀の匂いが充満していくと、匂いが形になり、一つの影を作り出す。最初はただのもやでしかなかった存在は、人の形に変化しながら、僕の期待に応えようとしている。 おいでおいでと手招きをし始める影を見ていると、大人の背丈から子供の身長へと縮んでいく。モノクロ写真のようだった影は、パッと光を発すると、色を取り戻していく。 遠目から目を凝らしながら確認すると、その姿は幼少期のタミキそのものだった。何の闇も知らない純粋な世界の中で生きている彼のもう一つの世界線が、僕の前で展開されていく。 そこには僕がずっと願って止まなかった彼の幸せそうな表情が浮かんでいる。その姿を見ていると、自分の知らない彼を見ているようで、胸がキリキリと痛み出した。「君自身が彼を幸せにしたかったんだね
53話 真実 帽子の彼は本来なら、僕達との接触してはいけない。記憶の渦に現実の光を灯してしまうと、二人の体に影響がいくからだった。機械の中で何百年も生き続ける僕達恋人は、愛する事を教える為に、機械により動かされている。一つのプログラムを物質として体の一部に挿入する事で、体を死なないように、書き換えているらしい。 人に希望を与えようと活動をしていたタミキは僕と出会い、過去を掘り返す度に、おかしくなっていった。そんな彼を失う訳にはいかないと、当時の支持者達が、僕達二人を違う世界に分け、擬似空間の中で別々の生きる場所を与えてきた。「会いたい……」 僕の言葉は全ての秩序を壊し、タミキと繋がる為に、全ての機械を吸収していく。その隙間から彼の世界へと繋がっている、一つの糸を見つけてしまった。 そこは過去へと繋がるもう一つの世界。自分が過去をやり直す事で未来を変えようとしたのかもしれない。 世界渡りは大きな代償を与えてしまう。僕の場合は記憶の改竄だった。最初からタミキの世界に存在するはずのなかった僕が存在する事になってしまう。そう、世界は違う過去を作り出した。 ずっと追いかけてきたタミキを身近に感じれる事を経験すると、沢山の楽しみと苦しみが交互していく。二つの擬似空間はいつしか混ざり合いながら、対立していく事になる。「俺達はタミキとは違う世界の住人だ。これ以上は関わらないでくれ」 杉田はいつでも僕の傍にいようとしてくれた。タミキに干渉すればする程、自我が暴走する可能性が高くなっていたからだった。人間の殻を破って、色々なキャラクターが生まれていく。そうやって複雑に構成されながら、破滅へと進んでいたのだろう。「……二人はやっと会えたんだね。自由にしてあげたいけど、今のままじゃ厳しい。本当は介入してはいけないけど、今回だけは……」 帽子の彼は、部屋の中に入ると帽子を脱ぐ。すると前髪が顔にかかって見にくいが、杉田と同じ顔をしていた。彼は僕達二人を守ろうとしてくれた記憶保管部の所長だ。研究者の一人でもある彼は皆から南さんと呼ばれていた。本名は杉田南。名
52話 二つの現実 脳と脳は繋がっている。記憶を共有しながら、現実を生き抜こうとする僕達の背後には確実に影がある。自分が何故、ここにいるのかを理解する事なく、僕の推し様はここで生きている。 ピピピピピピピ 目覚ましのような音が鳴り始めると、彼等は僕達の元へ急ぎ、全ての伝達システムを確認し始めた。異常を知らせるベルは、周囲の人間達を惑わせながら、警告を放っていた。「どうだ、異常はあるか?」「いいえ、見当たりません。誤作動の可能性はないんですか?」 スクリーンに映し出されている僕達の姿は煙に巻かれたまま消息不明になっている。彼等はその行方を探し出そうと、何度も試みたが、成功する事はなかった。「何が起こっているんだ……」 不足の事態に備え、準備は万端だった研究者達は、己の実力をどこかで過信していたのかもしれない。続きの映像を知りたくて、ガヤガヤし始めた観客達は、ため息を吐きながら、復旧するのを待っている。 走り続ける謎の人物は 僕達の未来を変える力を持っている 離れ離れになった僕達は その瞬間を待ちながら夢見ている 二人の住処はあっと言う間に炎に包まれた。タミキもそこにいるはずなのに、自分の力で探しに行く事も出来ない。その人物はぐったりと意識を手放している僕を抱き寄せながら、頬を撫でた。その温もりは父親にあやされているような感覚に近い。「君達は私にとって子供のような存在なんだよ。これ以上、見せ物にしたくないんだ」 風が帽子を撫でると、月明かりに照らされながらその人の顔が見えてくる。「ゆっくり休みなさい。きっと大丈夫」 長い前髪からきらりと光る瞳が、悲しそうに微笑んでいる。うるりと膜が張ったように、憂に満ちている。僕が体調を崩さないように、自分の着ているコートを敷布団の代わりに敷くと、そっと寝かしていく。この手は何故だか、懐かしく、あんな事があったのに、夢の中で現実と同じ光景を見ている僕は、安心感を知っていった。 彼