あなたが囁く不倫には、私は慟哭で復讐を

あなたが囁く不倫には、私は慟哭で復讐を

last updateLast Updated : 2025-07-16
By:  雫石しまUpdated just now
Language: Japanese
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生まれつき弱視の明穂の隣家には、幼馴染の双子の兄弟、吉高と大智がいた。三人は危うい関係を保っていたが、明穂と大智が付き合いそのバランスは崩れた。時は流れ、明穂は吉高と結婚、穏やかな結婚生活を送っていたが「紗央里」突然、崩れてしまった。戸惑う明穂、そんな時、渡航していた大智が現れて、二人は吉高を断罪すべく行動を開始した。

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Chapter 1

プロローグ

 生まれつき弱視の仙石明穂(25歳)は、結婚2年目の専業主婦として穏やかな生活を送っている。高校卒業後、幼馴染で医師の仙石吉高(28歳)にプロポーズされ、愛情に満ちた結婚生活が始まった。吉高の優しさと支えに包まれ、明穂は日々の小さな幸せを大切にしていた。朝の柔らかな陽光の中、吉高が淹れるコーヒーの香りに癒され、共に過ごす時間が心の安らぎだった。

 

 しかし、その穏やかな日常に、微かな波紋が広がり始めていた。彼女の心の奥底で、何かが静かに変わりつつあるのを感じていた。かつては完全に信じていた吉高との未来に、かすかな不安が忍び寄る。明穂はそれが何かをまだ言葉にできず、ただ静かにその感覚を抱えていた。送っていた筈だった、揺るぎない幸せは、どこかでほころび始めているのかもしれない。

「紗央里・・」

 ある晩、吉高が聞き覚えのない女性の名前を口にした。

(さおり、誰?)

 例えようのない不安が、明穂の心に波紋のように広がっていた。

 

 吉高は生真面目で誠実な医師として、病院では看護師たちに慕われ、信頼されていた。その中のひとりと親しげに話す姿が、明穂の胸に小さく刺さったのかもしれない。だが、それだけではない。ここ数週間、吉高の雰囲気が変わったのだ。帰宅時の声のトーンが微妙に低く、笑顔にわずかな硬さを感じる。明穂は弱視ゆえ、視覚を超えた感覚に鋭い。吉高の手に触れたときのわずかな緊張、部屋に漂う見知らぬ香水の残り香、会話の間合いの微妙な変化。それらが彼女の心をざわつかせる。

 

 吉高は変わらず優しく接するが、明穂の繊細な感覚は、言葉にできない何かを捉えていた。不安は静かに、しかし確実に、彼女の穏やかな日常を侵食しつつあった。かつての確かな愛情が、今、かすかな影に揺れている。

 

(こんな時、大智がいたら相談できたのに)

 

 吉高には双子の弟、仙石大智がいた。大智は明穂の初恋の相手であり、彼女の心を深く理解する存在だった。弱視である明穂に対し、周囲は気遣いを見せたが、過剰な優しさは時に彼女を孤立させた。だが、大智は違った。彼は明穂を特別扱いせず、ありのままの彼女を受け入れた。冗談を交わし、共に笑い、彼女のコンプレックスを自然に解きほぐした。大智の率直な態度と温かな眼差しは、明穂に自分を肯定する力を与えた。

 

 そんな二人が恋に落ちるのは、自然な流れだった。明穂が高校に入学した春、桜が満開の校庭で、大智は少し照れながらも真っ直ぐに告白した。「明穂、ずっと一緒にいたい」と。その言葉に、明穂の心は温かな光で満たされた。付き合い始めた二人は、互いを支え合い、ささやかな幸せを重ねていった。だが、その先に待つ運命を、少女の頃の明穂はまだ知らなかった。

 

 実は、吉高もまた、密かに明穂に恋心を抱いていた。だが、大智の告白によってその想いは無残に砕かれ、胸に深い傷を残した。それ以来、明穂、吉高、大智の三人の関係は微妙な均衡を失い、危ういものへと変わっていった。

 

 吉高は成績優秀で医科大学に進学し、将来を約束された医師の道を歩んだ。一方、大智は高校時代に喫煙で停学となり、学業から離れ小さな町工場に就職した。二人の将来は雲泥の差だった。ある日、吉高は感情を抑えきれず大智に詰め寄った。

 

「お前の稼ぎで明穂ちゃんを幸せにできるのか!?」

 

 声を荒げ、苛立ちと嫉妬を露わにした。大智は言葉を失い、ただ拳を握りしめ、吉高へと振り上げた。その一撃は、兄弟の間にあった絆をさらに引き裂いた。明穂をめぐる仙石兄弟の争いは、互いの心に消えない傷を刻み、三人の関係を複雑に絡ませていった。彼女の知らないところで、運命の歯車は静かに動き始めていた。

 

「俺じゃ明穂を幸せになんか出来ねぇ」

 

 大智は小さなバッグにわずかな荷物を詰め、明穂に告げた。

 

「自分で何ができるか試してくる」と。

 

 その言葉は静かだが、決意に満ちていた。明穂は涙を流し、すがるように彼の手を握ったが、大智は優しく、しかし迷いなくその手を振り解いた。

 

 成田空港の搭乗ゲートで、彼の背中は雑踏に溶けるように消えた。明穂は泣き崩れ、弱視の目では見えない飛行機を、心で追い続けた。

 

 ゲートの冷たい空気の中、彼女の胸は喪失感とやり場のない想いで締め付けられた。大智の足音が遠ざかる音すら、彼女には鮮明に響いた。かつての初恋の温もりが、遠い空の彼方へと去っていく。その瞬間、明穂の心にはぽっかりと穴が開いた。見えない未来への不安と、大智のいない日々の孤独が、彼女を静かに包み始めた。それでも、彼女は立ち尽くし、飛び立つ飛行機の音に耳を澄ませていた。

 

 海外からの大智の便りは途絶え、明穂の心は不安と悲しみで揺れ続けた。時は流れ、吉高が医師免許を取得した。彼は迷わず明穂の元へ向かい、誠実な眼差しでプロポーズした。

 

「君を幸せにする」と。

 

 明穂の両親は、行方の知れない大智を待ち続けるより、安定した未来を約束する吉高との結婚を強く勧めた。明穂の心には大智への未練と複雑なわだかまりが渦巻いていた。それでも、吉高の温かな手に縋るように、彼女は新たな一歩を踏み出す決意をした。

 

 吉高の言葉は、まるで暗い海に差し込む一筋の光のようだった。新しい人生の始まりは、穏やかな希望に満ちていたが、明穂の胸の奥には、遠く離れた大智の笑顔がまだかすかに残っていた。彼女はそれを押し隠し、吉高と共に歩む未来を選んだ。新しい生活の中で、彼女は笑顔を取り戻そうと努力を始めた。

 

「紗央里・・・・」

 

 その呟きが明穂の穏やかな暮らしを一変させた。目に見えない何かが静かに、水面に滴る黒いインクのように広がっていった。

 

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 生まれつき弱視の仙石明穂(25歳)は、結婚2年目の専業主婦として穏やかな生活を送っている。高校卒業後、幼馴染で医師の仙石吉高(28歳)にプロポーズされ、愛情に満ちた結婚生活が始まった。吉高の優しさと支えに包まれ、明穂は日々の小さな幸せを大切にしていた。朝の柔らかな陽光の中、吉高が淹れるコーヒーの香りに癒され、共に過ごす時間が心の安らぎだった。 しかし、その穏やかな日常に、微かな波紋が広がり始めていた。彼女の心の奥底で、何かが静かに変わりつつあるのを感じていた。かつては完全に信じていた吉高との未来に、かすかな不安が忍び寄る。明穂はそれが何かをまだ言葉にできず、ただ静かにその感覚を抱えていた。送っていた筈だった、揺るぎない幸せは、どこかでほころび始めているのかもしれない。「紗央里・・」 ある晩、吉高が聞き覚えのない女性の名前を口にした。(さおり、誰?) 例えようのない不安が、明穂の心に波紋のように広がっていた。 吉高は生真面目で誠実な医師として、病院では看護師たちに慕われ、信頼されていた。その中のひとりと親しげに話す姿が、明穂の胸に小さく刺さったのかもしれない。だが、それだけではない。ここ数週間、吉高の雰囲気が変わったのだ。帰宅時の声のトーンが微妙に低く、笑顔にわずかな硬さを感じる。明穂は弱視ゆえ、視覚を超えた感覚に鋭い。吉高の手に触れたときのわずかな緊張、部屋に漂う見知らぬ香水の残り香、会話の間合いの微妙な変化。それらが彼女の心をざわつかせる。 吉高は変わらず優しく接するが、明穂の繊細な感覚は、言葉にできない何かを捉えていた。不安は静かに、しかし確実に、彼女の穏やかな日常を侵食しつつあった。かつての確かな愛情が、今、かすかな影に揺れている。(こんな時、大智がいたら相談できたのに) 吉高には双子の弟、仙石大智がいた。大智は明穂の初恋の相手であり、彼女の心を深く理解する存在だった。弱視である明穂に対し、周囲は気遣いを見せたが、過剰な優しさは時に彼女を孤立させた。だが、大智は違った。彼は明穂を特別扱いせず、ありのままの彼女を受け入れた。冗談を交わし、共に笑い、彼女のコンプレックスを自然に解きほぐした。大智の率直な態度と温かな眼差しは、明穂に自分を肯定する力を与えた。 そんな二人が恋に落ちるのは、自然な流れだった。明穂が高校に入学した春、桜が満開の校庭
last updateLast Updated : 2025-07-10
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千石兄弟
 明穂は生まれつき弱視で、視界は常に曖昧だった。手に取った林檎の赤や輪郭はぼんやりと「見える」が、テーブルの向かいで話す人の顔は、まるですりガラス越しのように曖昧で、面差しを「感じる」程度にしか捉えられない。それでも、彼女は相手の微妙な表情の変化や感情の揺れに驚くほど敏感だった。声の僅かな震え、息遣いの変化、漂う香水のほのかな違い、嗅覚や聴覚も鋭く、目に見えない心の動きを捉えた。 たとえば、吉高が疲れて帰宅した夜、彼の声のトーンや椅子の軋む音から、言葉にしない悩みを察した。あるいは、大智がそばにいた頃、彼の笑い声に隠れた緊張を聞き分け、胸にそっと寄り添った。明穂のこの鋭さは、弱視ゆえに磨かれた感覚であり、彼女の世界を豊かにする一方で、時に見えない真実に心をざわつかせた。彼女はそんな自分を抱きしめ、静かに日々を紡いでいった。「吉高くん、学校で何かあったの?」 明穂の声は柔らかく、しかし心配そうに響いた。彼女の弱視の目では、吉高の顔はぼやけていたが、声の僅かな震えと沈黙から、彼の戸惑いと落胆が鮮やかに伝わってきた。「・・・・・・」「また教科書が無いの?」「無かった」 吉高は小さく答えた。明穂は彼の肩がわずかに落ちる気配を感じ、心が締め付けられた。「ごめんね、一緒に探してあげられなくて」と彼女は囁くように言った。吉高は少し間を置き、「もう一度探してくるよ」と答えたが、その声には力がない。明穂は微笑み、「気を付けてね」と優しく送り出した。「うん」と短く返す吉高の足音が遠ざかる中、明穂は彼の背中に宿る不安を確かに感じていた。彼女の鋭い感覚は、吉高が口にしない悩みを捉え、心の奥でそっと寄り添った。吉高の屈んだ背中が、夕暮れの教室に消えていくのを、彼女は静かに見守った。  明穂の隣家には、3歳年上の幼馴染、仙石吉高が住んでいた。彼は生真面目で融通が利かない性格で、どこか孤独を好む少年だった。学校では、同級生の男子たちが下世話な話で盛り上がる中、吉高は教室の窓辺で静かに小説に没頭していた。古びた文庫本のページをめくる音だけが、彼の周りに穏やかな空気を作り出した。しかし、その孤高な態度は同級生の目に異質に映り、自然といじめの標的となった。たびたび彼の教科書が隠されたり、嘲笑が教室に響いたりした。「また御本を読んでいらっしゃるんですかぁ?」同級生の嘲るような声が
last updateLast Updated : 2025-07-10
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デジタルカメラ
 田辺明穂は仙石家の双子の兄、吉高を《吉高さん》と丁寧に呼び、弟の大智を《大智》と呼び捨てにした。年齢を重ねるごとに、四角四面で過保護な吉高とはどこか距離感が生じ、会話もよそよそしくなった。一方、自由奔放ながらも温かく見守ってくれる大智とは心の距離が縮まり、気軽に冗談を交わす仲に。明穂は大智のざっくばらんな性格に安心感を抱きつつ、吉高の真面目さにも尊敬の念を持っていた。それでも、双子の異なる魅力に挟まれ、明穂は自分なりのバランスを探し続けていた。「明穂ちゃん、何処でも勝手に行っちゃ駄目だよ」「如何して駄目なの」「何処に行っているのか心配だよ」 明穂は息が詰まりそうだった。「何処って、学校に行ったり公園に寄ったりするだけよ」「公園に変な人がいたらどうするの」 吉高は幼い頃から明穂の行動範囲を細かく把握しようとした。登下校のルート、友達との予定、帰宅時間まで、逐一確認するその態度は、明穂への深い愛情からくるものだと頭では理解できた。だが、吉高の過保護な視線は、まるで水中に沈められるような息苦しさをもたらした。明穂は自由を求める心と、吉高の真剣な心配を拒めない葛藤の間で揺れ動いた。一方、大智の気楽な笑顔が、明穂にほのかな解放感を与えていた。それでも、吉高の真摯な姿勢には、どこか心を動かされる温かさがあった。(・・・・・・ふぅ)「なに、なに溜め息ついてんだよ!」「だって、吉高さん・・・お父さんみたいなんだもの」 大智は日々繰り返す2人の遣り取りを見て呆れ失笑した。「吉高は心配しすぎ、明穂も(放っておいて!)とか言えば良いのに」「でもそんな事言えないし」「明穂にそんな事言われたらあいつ立ち直れないだろうな」「そうだよね」 しかし、年頃を迎えた明穂の変化に、大智もまた心を寄せていた。自由奔放な彼だが、明穂の安全と笑顔を願う気持ちは強く、良い案を思いついた。お年玉と小遣いをコツコツ貯め、デジタルカメラを買い、明穂の手にそっと握らせた。「これで、おまえのその日あったことを撮ってこいよ」「・・・・なに?」 と笑う大智。その気遣いは、吉高の過保護さとは違い、明穂に自由と信頼を与えた。「なにこれ、四角くて小さい、それに冷たい」「デジタルカメラ」「これは明穂の目、その日何処に行ったか何を見たのか俺も知りたい」「私の、目」 カメラを手に、明穂
last updateLast Updated : 2025-07-11
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嫉妬
(ーーーー明穂) そんな中、面白くないのは吉高だった。明穂を心配しながらもそれは口先だけで終わっていた。行動力の有る弟の隣で無邪気に笑う明穂の姿が居た堪れなかった。 (ーーーークソっ、俺の方が学力は上だ!) 高等学校3年の進路指導で、吉高は国公立大学の医学部への進学を希望し、博士号を目指した。明穂と結ばれる未来を思い描き、安定した収入と揺るぎない生活基盤を築くため、真剣な眼差しで勉学に励んだ。一方、謹慎処分を受けた大智は大学進学を諦め、地元の中小企業への就職が決まった。自由奔放な彼は、堅実な道より自分らしい生き方を優先した。明穂は吉高の堅実な夢に尊敬を抱きつつ、大智の気ままな選択に親しみを覚えた。カメラを手に、明穂は二人の異なる未来を思い、複雑な心持ちでシャッターを切った。吉高の真剣な眼差しと大智の笑顔が、明穂の胸で交錯した。(なんで!なんで大智なんだ!?) ところが、明穂が高校に入学した春、両親公認で大智と交際を始めた。赤らむ頬の明穂と手を繋ぎ、軽やかに出掛ける大智の後ろ姿に、吉高は胸を締め付ける激しい嫉妬を覚えた。夕暮れの部屋で、明穂と母親がデジタルカメラの画面を親子仲良く眺め、その隣で無邪気に笑う大智の姿が、吉高にはどうしても許せなかった。明穂の幸せを願う一方、彼女を独占したい思いが心を乱した。吉高は医学部への夢をさらに固め、安定した未来で明穂の心を取り戻そうと決意した。だが、カメラのシャッター音が響くたび、明穂と大智の絆が深まる現実に、吉高の胸は静かに軋んだ。(絶対!絶対医者になってやる!) 高等学校卒業後、地元の中小企業に就職した大智に明穂を奪われたことで、吉高の人生設計は大きく狂った。国公立大学医学部で博士号を取得し、安定した未来で明穂の心を取り戻す夢は、彼女と大智の手をつないだ笑顔に揺らいだ。吉高の胸は嫉妬と無力感で締め付けられた。明穂がカメラで切り取る日常・・・・・大智と過ごす楽しげな瞬間が、吉高の心に突き刺さった。それでも、吉高は医学への情熱を捨てず、努力で未来を切り開こうと決意した。だが、明穂の幸せな笑顔と大智の気楽な声が、吉高の心に複雑な影を落とし続けた。「おまえじゃ明穂を幸せに出来ない!」「なんでだよ!」 ある日、些細な出来事——明穂が大智と笑い合う姿を目にした瞬間、吉高の抑えていた感情が爆発した。自分より劣ると感じて
last updateLast Updated : 2025-07-11
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プロポーズ
明穂23歳、吉高25歳の事だった。 大智からの連絡が途絶え、明穂は空虚な日々を送っていた。心にぽっかり空いた穴を埋めるように、彼女は大智との別れの約束を守り、デジタルカメラを手に色褪せて見える景色を撮り続けた。街角の古い喫茶店、夕暮れの川辺、誰もいない公園、どれもが大智の不在を囁くようだった。両親やクラスメートたちは明穂の塞ぎように気遣い、優しい言葉をかけたが、その傷は決して癒えることはなかった。 ただ時折、大智から絵葉書が届く。色鮮やかな異国の風景と、短い走り書きのメッセージ。明穂はそれを胸に抱きしめ、静かに涙を流した。そばでそんな明穂を見つめる吉高の心は、嫉妬と無力感でざわめいた。彼女の瞳に映る大智の影を、どんなに願っても消せなかった。明穂がカメラを構えるたび、吉高は彼女の心に近づきたいと願ったが、その一歩があまりにも遠く感じられた。「あれ?新しいカードがない」 そんなある日のこと、明穂がデジタルカメラのSDカードを使い切ったと困り顔をしていた。リビングの陽光が差し込む窓辺で、彼女は小さなカードを手に途方に暮れた表情を浮かべる。大智の影が見え隠れするそのカメラ、吉高には、まるで明穂の心を縛る呪いのように思えた。(そんなもの、使えなくなればいい) 胸の内で毒づく自分に気付く。浅はかで愚かしい嫉妬が、黒い霧のように心を覆う。吉高はそれを振り払うように激しく頭を振ったが、明穂の憂いを帯びた横顔を見ると、胸のざわめきは収まらなかった。彼女がカメラを握る指先、かすかに震えるその仕草に、大智への想いが滲んでいるようで、吉高の心はさらに軋んだ。外では春の風が桜の花びらを散らし、ピンクの欠片が舞い込む。明穂がふと顔を上げ、窓の外を見つめる。その瞳に映るのは、遠い大智の姿なのか。吉高は拳を握った。「明穂ちゃん、僕がお店に連れて行ってあげようか?」「え?いいの?」 弱視で外出もままならない明穂は、吉高の言葉に笑顔で答えた。その温かく眩しい笑顔は、まるで春の陽光のようにリビングを照らし、吉高の胸を締め付けた。だが、その笑顔が、離れてもなお大智のものだと感じるたび、歯痒さがこみ上げる。双子の兄妹、同じ顔、同じ声、鏡のように似た存在なのに、なぜ明穂の心は自分を選ばなかったのか。吉高のプライドはひび割れ、今にも砕け散りそうだった。窓の外では、桜の花びらが静かに舞い落ち、
last updateLast Updated : 2025-07-11
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2年後
 明穂は鏡に映った自分に問いかけた。本当にこれで良かったのか? 吉高のプロポーズを受け入れたのは、大智の面影をその瞳に見たからではないのか? 純白のウェディングベールに包まれ、彼女の心は迷いで揺れる。鏡の中の自分は、弱視ゆえにぼやけ、まるで答えを拒むようだ。そのとき、白い薔薇のブーケが届けられた。清らかで重い花束を手に、明穂はこれからの人生を重ねる。薔薇の香りは、吉高の誠実さと約束を運ぶが、心の奥で囁く声。「もし、大智が帰ってきたらどうするの?」 その思いが消えない。窓の外、春の陽光が教会のステンドグラスを彩り、柔らかな光が部屋を満たす。明穂はブーケを胸に抱き、目を閉じる。吉高の優しさと大智の不在が、彼女の心でせめぎ合う。仙石家と田辺家の約束が、彼女を吉高へと導いたが、大智の記憶はなおも鮮やかだ。ベールの下、明穂の唇は小さく震える。薔薇の重みが、未来への決意と不安を同時に押し寄せる。彼女は鏡に向かい、そっと呟いた。「私は、幸せになれるよね?」 荘厳なパイプオルガンの音色が、明穂の人生の新たな一歩を導いた。父親に手を引かれ、深紅のバージンロードを進む。弱視の瞳には、ぼやけた世界が柔らかな光に包まれる。仙石家の両親は涙を流して喜び、明穂の母親は感慨深く頷いた。参列席からは感嘆の溜め息が漏れ、子どもたちが「お姫様みたい!」「綺麗だね!」と目を輝かせる。マリアと百合の花に彩られたステンドグラスから差し込む光の中に、吉高が温かな笑顔で手を差し出す。明穂の心は一瞬、大智の面影に揺れたが、吉高の誠実な眼差しに引き戻される。「これでいいのだ」 彼女は自身に言い聞かせる。プロポーズの瞬間、薔薇のブーケの重みが蘇る。仙石家と田辺家の約束、吉高の献身、すべてが彼女をここへ導いた。バージンロードの先、吉高の手を取る瞬間、明穂は自身の選択が間違っていなかったと信じた。教会の空気は花の香りに満ち、オルガンの響きが未来を祝福する。明穂は微笑み、吉高の手を握り返した。その温もりに、彼女は新たな希望を見出した。「汝、仙石吉高は、この女、田辺明穂を妻とし、良き時も悪き時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分つまで、愛を誓い、妻を思い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」「誓います」「汝、田辺明穂は、この男、仙石吉高を夫とし、良
last updateLast Updated : 2025-07-11
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カルテ保管庫
  吉高は外科の担当医だった。長時間の手術を終えると、興奮状態に陥り、抑えきれない高揚感に取り憑かれた。術後の手洗いを済ませた彼は、消毒液の匂いが漂う廊下で、女性看護師の手首を掴んだ。その動きは、獲物を求める獣のように静かで鋭い。実直で品行方正だった吉高は、いつしか愛欲の沼に溺れていた。 白い手術着の下で脈打つ情欲は、明穂との慎ましやかな生活では埋められぬ空隙を暴く。病院の無機質な廊下を急ぐ足音が、彼の心の乱れを響かせる。 明穂の無垢な笑顔、バリアフリーの家での穏やかな夜それらが、今は遠い記憶のように霞む。看護師の手首を握る感触に、吉高は一瞬、明穂の手を思い出すが、すぐに掻き消す。薄暗い廊下の先、非常灯の緑が冷たく光る。吉高の心は、医者としての使命を忘れ、ネームタグを引きむしるように外すとスラックスのベルトに手を掛けた。「アッ、せん・・・」 カルテ保管庫の奥、薄暗い閲覧机の上で、女性がボタンを外した白衣を広げ、両脚を大胆に開いていた。彼女は「吉高、欲しい」と囁き、その尻に爪を立てる。吉高は鋭い痛みに興奮を覚え、激しく乳首に吸い付いた。彼女の嬌声が狭い部屋に響き、腰を前後に押し付ける動きが、欲望の渦を加速させる。埃っぽいカルテの匂いと消毒液の冷たい空気が、吉高の心をさらに掻き乱す。吉高は彼女の肌に爪を立て返し、明穂への誓いを踏みにじる自分を自覚しながら、なおも欲望に身を委ねた。薄暗い部屋の奥で、二人の影は一つになった。「紗央里、紗央里」 廊下を行き交う同僚に気付かれぬよう、吉高はくぐもった声で愛人の名前を呼んだ。「紗央里」と囁きながら、カルテ保管庫の奥で彼女の腰に手を這わせ、前後に擦り合わせる。彼女の熱い吐息と肌の感触が、吉高の理性を溶かす。「待って、先生」「なに」 吉高は血管が浮き出るほど張りつめたそれを紗央里の膣内から抜き、その具合を確認するように見つめた。薄暗いカルテ保管庫、埃っぽい空気の中で、白衣のポケットからコンドームを取り出し、前歯で封を切る。その間も、指先は紗央里の中を執拗に掻き回し、彼女の嬌声を誘う。彼女の悶える姿が、吉高の欲望をさらに煽る。だが、明穂の無垢な笑顔が脳裏をよぎり、胸に鋭い罪悪感が走る。「あ、やだ先生おっきい」「いつもと同じだよ」 吉高は手際よくコンドームを装着し淫部に当てがった。ぐちゃ 滑った音が更に興奮
last updateLast Updated : 2025-07-11
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LINE
 吉高は、明穂が自身の不倫に気づいているとは思いもよらなかった。彼は明穂の五感を軽んじ、弱視ゆえに輪郭や色しか見えないと決めつけていた。だが、明穂の目は見えない分、相手の機微な表情を鋭く感じ取り、聴覚や嗅覚は健常者を凌駕していた。吉高の白衣に残る薔薇のシャンプーの香り、廊下での微かな足音の乱れ、それらが明穂の心に疑惑を刻む。バリアフリーの家、静かなリビングで、明穂は鼻歌を止め、吉高の帰宅を待つ。彼女の指はデジタルカメラを握り、大智の記憶をなぞる。(大智がいたら相談できたのに・・・) 「紗央里」あの呟きが、吉高の裏切りと結びつく予感に、胸が締め付けられる。夕陽が窓から差し込み、明穂の弱視の瞳にぼんやり映る。吉高の不自然な笑顔、言葉の隙間から漏れる動揺を、彼女は見逃さない。吉高の温もりが、今は冷たく遠い。明穂は唇を噛み、気づかぬふりを続ける。(また、紗央里さん) 愛欲に溺れた吉高は、大胆にも明穂がいるリビングで紗央里とLINEを交わした。通知音を切っていても、スマートフォンの画面をなぞる指先の微かな音、その頻度が、バリアフリーの家に静かに響く。明穂は耳を塞ぎたくなる衝動に駆られる。弱視の瞳に映る赤い丸は、ぼんやりとしか見えないが、ハートのスタンプだろうと直感し、眉間に皺を寄せて目をぎゅっと瞑った。吉高の白衣に残る薔薇の香り、言葉の隙間に潜む動揺、彼女の鋭い五感は、すべてを捉える。明穂は気づかぬふりを続けるが、心は軋む。吉高はソファで無神経に笑うが、明穂の瞑った瞳の裏では、大智の面影と紗央里の香りが交錯し、彼女を静かな絶望へと押しやる。「どうしたの?ご飯できたよ?」「あ、ちょっと仕事の電話」「・・・・・・そう」「ごめんね」「うん、お仕事なら仕方ないよ」 確かに、病院からの呼び出しはあるだろうが、わざわざ庭先に出て話す必要はない。吉高の行動は明らかにおかしかった。ダイニングテーブルの湯気が、温かな食卓を包んでいたはずが、一瞬で寒々とした空気に変わる。冷たくなったシチューは、明穂の心の叫びそのものだった。庭先から漏れる微かな愛の囁き。「紗央里」 呼び合う声が、明穂の鋭い聴覚に明瞭に届く。耳を塞いでも、汚らわしい言葉が心に流れ込み、彼女を締め付ける。弱視の瞳に映るぼんやりとした世界で、吉高の裏切りが鮮明になる。 教会で誓ったすべてが今、脆く崩れる。明
last updateLast Updated : 2025-07-11
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夫婦の夜
 それでも夜はやって来る。吉高は明穂の身体を求め、ベッドに座った。シェードランプの柔らかな光に照らし出されるその顔は、双子の弟、大智とあまりにも似ていた。同じ鋭い目元、わずかに上がった唇。明穂の胸にざわめきが広がる。(・・・大智、大智も浮気をするのかしら) ぼんやりと映るガラス越しの吉高に、明穂は手を伸ばしそうになった。指先が震え、過去の記憶がよぎる。けれど「紗央里」という名が、霧のように浮かんでは消え、その指は宙を彷徨った。吉高の吐息が近く、温かく、彼女を現実に引き戻す。明穂の心は、愛と疑念の間で揺れ動く。ガラスに映る自分の影が、まるで大智の幻のように揺らめき、彼女を惑わせた。夜は静かに、しかし確実に深まっていく。ぎしっ「明穂、今夜は良いだろ?」「吉高さん」 そんな吉高との夜の営みは決して円滑であるとは言い難かった。明穂は吉高と初めて肌を重ね合わせた瞬間に違和感を感じ、それは結婚して2年経った今も慣れることはなかった。吉高の触れる手は熱く、求めているようでどこか遠い。明穂の心は、愛と距離の間で揺れていた。シェードランプの薄光が二人の影を長く伸ばし、部屋に沈黙が漂う。吉高の吐息が耳元で響くたび、明穂は大智の顔を思い出し、胸が締め付けられた。(・・・なぜ、こんなにも似ているのに) 「紗央里」の名が再び脳裏を掠め、明穂の指はシーツを握りしめた。夜は深く、彼女の心を静かに侵食していく。「よ、吉高さん」 吉高の指先はゆっくりと丁寧にパジャマのボタンに手を掛けた。明穂は肌があらわになるごとに、心が冷たくなるのを感じた。はだけた胸元に、吉高の唇が落ちてくる。乳首をついばむその感触に、怖気が走った。吉高の吐息は熱く、部屋の静寂を破るが、明穂の心はどこか遠くへ漂う。(・・・・大智なら、こんなことはしない) すりガラスの向こうの吉高の顔はひどく歪んで見えた。「紗央里」の名が再び頭を掠める。吉高の指が肌をなぞるたび、愛と拒絶が交錯する。シェードランプの薄光が二人の輪郭をぼかし、夜の重さが明穂の胸を締め付けた。彼女は目を閉じ、冷えた心を抱きしめるようにシーツを握った。夜は静かに、容赦なく進む。(この唇で、紗央里さんに同じことをしているのね) 顔も知らない、吉高の不倫相手の影が見上げた天井にゆらめく。教会で愛を誓い合った吉高が、幸せで穏やかな結婚生活を手放し、
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吐息
   弱視の明穂を気遣い、吉高と暮らす新居はバリアフリー設計だった。仙石家と田辺家が建築費を折半して建てたこの家は、両家の深い結びつきを象徴し、吉高と明穂の結婚でより強固になるはずだった。だが今、吉高は紗央里との浮気、いや不倫に現を抜かし、明穂は悩む。両家の手前、誰にも相談できない。シェードランプの薄光が、部屋の静寂に冷たい影を落とす。   (・・・大智なら、私をこんな目に遭わせない)    ガラスに映る自分の顔が、過去の希望を嘲る。スマートフォンを手に吉高の足音が廊下に響くたび、明穂の心は締め付けられる。紗央里の影が天井に揺らめき、不安を掻き立てる。両家の期待を背負った家は、明穂にとって牢獄のようだ。彼女はシーツを握り、涙を堪えた。夜の静寂が、孤独を深める。吉高の裏切りと向き合いながら、明穂はただ耐えるしかなかった。   (・・・大智がいれば相談出来たのに) いや、そもそも明穂と付き合っていたのは大智だった。大智が「いつかおまえに相応しい男になって迎えに来る」と家を出て行かなければ、吉高と結婚することはなかった。あの約束が、明穂の心に今も刺さる。(・・・大智なら、紗央里なんて選ばない) バリアフリーの家は、両家の期待を背負い、明穂を縛る。吉高の不倫が発覚しても、彼女は誰にも相談できない。大智の言葉が頭を巡り、涙が滲む。なぜ彼は去ったのか。なぜ吉高とこうなったのか。誰もいないリビングで、彼女の孤独を深める。過去と現在の狭間で、明穂はただ耐えるしかなかった。  吉高が出勤し、静かになったひとりぼっちの家。明穂はリビングチェストの引き出しから、大智にもらったデジタルカメラを取り出し、胸に抱き締めた。大智との思い出が詰まったSDカードは、空き缶にぎっしり詰まっている。いつか大智が金沢に帰ってきた時、一緒に見ようと撮り溜めたものだ。けれど、吉高はそれを良しとしない。明穂がカメラを手にする度、不機嫌な顔をする。
last updateLast Updated : 2025-07-13
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