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こんなにも愛したのに、何も残らなかった

こんなにも愛したのに、何も残らなかった

By:  梨花Completed
Language: Japanese
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一条拓也(いちじょう たくや)には、忘れられない元カノ・鈴木梨花(すずき りか)がいた。 神崎天音(かんざき あまね)は、いつか梨花に代わって、拓也の心に入り込める日を夢見ていた。 結婚8年目。天音がうっかり梨花が買った茶碗を割ってしまった時、拓也は彼女に向かって「出て行け!顔も見たくない!」と怒鳴った。 この時、天音は悟った。自分は既に亡くなった拓也の元カノには、絶対に勝てないのだ、と。 今回、彼女はひそかに離婚協議書を用意し、静かに背を向けて去っていった。すると、拓也は慌て始めた……

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Chapter 1

第1話

「神崎社長、離婚協議書の用意ができました。今すぐお持ちしましょうか?」

書斎は静まり返り、しばらくして神崎天音(かんざき あまね)は答えた。「とりあえず、そのままにしておいて」

電話を切り、書斎を出ると、一条拓也(いちじょう たくや)がスマホをいじっていた。

「拓也」

離婚するにしても、天音は拓也ときちんと話し合いたいと思っていた。自分の結婚生活に、最後の努力をしてみたかったのだ。

何しろ、彼女は人生の半分近くもの間、拓也を深く愛し続けてきたのだから。

拓也は振り返って、「天音、ご飯はまだ?」と尋ねた。

天音は仕方なくキッチンに向かった。ぼんやりしていたせいで熱い油に手をはねられてしまった。とっさに避けようとした拍子に、隣にあった茶碗にもぶつかった。

パリン――

部屋にはっきりと茶碗の割れる音が響いた。

天音の心臓がドキッと高鳴った。案の定、次の瞬間、拓也が飛び込んできた。床に散らばった破片の模様を見ると、彼は目を大きく見開き、怒鳴った。

「誰がお前にこの茶碗を使うことを許可したんだ!不器用にもほどがあるだろう?!」

怒鳴り終えた拓也の瞳には、既に赤みが差していた。それを見た天音は、まるで自分が壊したのは誰かの命そのものだったかのような錯覚に陥った。

この光景を見て、天音の心は複雑な気持ちでいっぱいになった。茶碗が高価だからではなく、鈴木梨花(すずき りか)が買ったものだからだとわかっていた。

「ごめん」

天音は唇を噛みしめ、かがんで割れた茶碗の破片を拾おうとしたが、拓也は彼女を突き飛ばした。

「出て行け、今は顔も見たくない」彼はドアを指さし、天音の手の火傷には全く気づいていなかった。

抑えきれない失望はもうどうにもならず、出て行く前に、天音は足を止め、静かに言った。「拓也、ただの茶碗よ」

キッチンには梨花のラベルが貼られた物がたくさんあり、この茶碗だけが特別ではない。

しかし、拓也はそれを受け入れることができず、ましてや天音がそんなことを言うなんて信じられなかった。

「ただの茶碗だと?どういう意味だ?」

彼は驚きと怒りで震えた。「これは十年前の8月23日に梨花とT町へ旅行に行った時に、一緒に選んで買ったものなんだぞ。天音、わざとなのか!」

天音は目を閉じ、ふと深い無力感に襲われた。

梨花のことに触れるたびに、拓也は感情的になり、まるで狂ったようにヒステリックになるのだった。

拓也と梨花は幼馴染で、小さい頃から仲が良く、婚約もしていた。もし何も起こらなければ、二人は大人になったら結婚していたはずだ。そして、天音はただひそかに拓也を想い続けるだけで、その想いが報われることのない片思いの相手にすぎなかった。

しかし、運命は残酷だった。拓也と梨花の結婚式の3日前に、梨花は交通事故で亡くなってしまった。拓也は悲しみに暮れ、両親が土下座して立ち直るように懇願していなければ、そのまま自ら命を絶って梨花の後を追おうとしていたかもしれない。

その後、拓也は天音を見つけ、自分を救ってくれるよう頼んだ。

長い期間が経っても、天音は未だに拓也の絶望と苦しみに満ちた目を覚えている。「彼女のことを忘れさせてくれ、お願いだ」

大きな幸運が舞い込んできたように感じた天音は、梨花がこんなに若くして亡くなってしまったことを惜しみつつも、拓也の心の中に入れるチャンスを得たことに喜びを隠しきれなかった。

拓也はすぐに天音と結婚した。

結婚後、天音はずっと拓也に愛されるように努力してきたが、8年経っても、どんな方法を使っても、拓也の心にほんのわずかな隙間を作ることもできなかった。

天音は自嘲気味に唇の端を歪め、何も説明しなかった。

拓也は、何年も前に梨花が何気なく買った茶碗のことを覚えてるのに、今日が自分の誕生日であることをすっかり忘れていた。

手の火傷は心にまで響くような痛みだったが、すぐにしびれ切っていた。天音は拓也の方を向くと、今までにないほど穏やかな表情をしていた。

「私たちは8年間もの結婚生活を送ってきた。だから、私たちの結婚にもう8回のチャンスを与えよう」彼女は言った。

もし、拓也が一度でも自分を梨花より優先してくれるなら、まだ頑張っていける。

拓也は眉をひそめて天音の言いたいことがわからず、何かを聞こうとしたその時、玄関のチャイムが鳴った。茶碗の修復職人が到着したのだ。

彼は途端に質問する気が失せ、急いでドアを開けに行った。

天音はその場に立ち尽くし、彼の背中を見つめていた。

これが一回目のチャンス。

拓也、彼女は心の中で呟いた。もうすぐあなたを諦めようとしていること、気づいているの?
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第1話
「神崎社長、離婚協議書の用意ができました。今すぐお持ちしましょうか?」書斎は静まり返り、しばらくして神崎天音(かんざき あまね)は答えた。「とりあえず、そのままにしておいて」電話を切り、書斎を出ると、一条拓也(いちじょう たくや)がスマホをいじっていた。「拓也」離婚するにしても、天音は拓也ときちんと話し合いたいと思っていた。自分の結婚生活に、最後の努力をしてみたかったのだ。何しろ、彼女は人生の半分近くもの間、拓也を深く愛し続けてきたのだから。拓也は振り返って、「天音、ご飯はまだ?」と尋ねた。天音は仕方なくキッチンに向かった。ぼんやりしていたせいで熱い油に手をはねられてしまった。とっさに避けようとした拍子に、隣にあった茶碗にもぶつかった。パリン――部屋にはっきりと茶碗の割れる音が響いた。天音の心臓がドキッと高鳴った。案の定、次の瞬間、拓也が飛び込んできた。床に散らばった破片の模様を見ると、彼は目を大きく見開き、怒鳴った。「誰がお前にこの茶碗を使うことを許可したんだ!不器用にもほどがあるだろう?!」怒鳴り終えた拓也の瞳には、既に赤みが差していた。それを見た天音は、まるで自分が壊したのは誰かの命そのものだったかのような錯覚に陥った。この光景を見て、天音の心は複雑な気持ちでいっぱいになった。茶碗が高価だからではなく、鈴木梨花(すずき りか)が買ったものだからだとわかっていた。「ごめん」天音は唇を噛みしめ、かがんで割れた茶碗の破片を拾おうとしたが、拓也は彼女を突き飛ばした。「出て行け、今は顔も見たくない」彼はドアを指さし、天音の手の火傷には全く気づいていなかった。抑えきれない失望はもうどうにもならず、出て行く前に、天音は足を止め、静かに言った。「拓也、ただの茶碗よ」キッチンには梨花のラベルが貼られた物がたくさんあり、この茶碗だけが特別ではない。しかし、拓也はそれを受け入れることができず、ましてや天音がそんなことを言うなんて信じられなかった。「ただの茶碗だと?どういう意味だ?」彼は驚きと怒りで震えた。「これは十年前の8月23日に梨花とT町へ旅行に行った時に、一緒に選んで買ったものなんだぞ。天音、わざとなのか!」天音は目を閉じ、ふと深い無力感に襲われた。梨花のことに触れるたびに、拓也は感情
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第2話
離婚を決意して以来、天音は自分の資産を整理し、離婚協議書の草案を作成した。続いて、両家の業務提携についても整理を始めた。天音は神崎グループの社長であり、拓也は一条家の御曹司だ。結婚して8年、神崎グループと一条家の結びつきは非常に強くなっていた。もし本当に離婚することになれば、両家の株価や提携関係に少なからず影響が出るのは避けられない。天音は、将来起こりうるリスクに備えて、事前に対策を講じる必要があった。また、拓也の両親にも自分の考えを伝え、両家が慌てふためくこと避ける必要もあった。あの日の喧嘩のあと、拓也は修理した茶碗を持って友人の家に行ったきりだった。天音が拓也の実家を訪ねて初めて、拓也の両親は二人にまたいざこざを起こしたことを知った。天音から離婚の意思を告げられた拓也の母親は少し驚いた。「天音、本当に決めたの?」「最後にもう一度だけ、拓也とやり直せるか試してみようと思っている。もしそれでもうまくいかないなら」天音は微笑んで言った。「きっと私たちには縁がなかったということなんだろう」息子の心の傷を知っている拓也の母親は、申し訳なさそうに顔を曇らせ、何か言おうとしたが何も言えず、深くため息をついた。「ああ、拓也は……」天音が帰った後、拓也の両親は拓也を呼び戻した。拓也はそこで初めて、あの日天音が言った「8回のチャンス」の意味を知った。しかし、拓也はそれを真剣に受け止めず、むしろ少し面白がって聞き返した。「天音が離婚したいって言ったのか?まさか……」拓也は信じなかった。「天音はあれほど俺のことを愛してるんだぞ」天音が自分を、まるで自分が梨花を愛しているように、命を懸けてでも愛していた。天音がどうして自分を諦めることができるだろうか?しかし、前回のことは確かに自分が悪かった。拓也はその日が天音の誕生日だったことを後で思い出した。少し後ろめたさを感じた拓也は、ネットで小さなケーキを予約し、キッチンに駆け込んで弁当を作り、デパートでネックレスを選んで、たくさんの荷物を持って神崎グループのオフィスビルに向かった。会議を終えてオフィスに戻った天音が見たのは、家出したはずの夫が、しょんぼりと机に突っ伏して居眠りをしている姿だった。物音に顔を上げると、拓也はぱっと目を輝かせた。「天音、戻ってきてくれたのか!」拓
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第3話
夜12時になって、ようやく拓也は帰宅した。家の灯りはついていたが、天音の姿はどこにも見当たらなかった。受信したメッセージを思い出し、彼は呟いた。「怒ってるのか?」以前はどんなに遅く帰ってきても、天音は待っていてくれていた。拓也は靴を脱ぎ捨て、そっと寝室のドアを開けた。ベッドの脇で本を読んでいる天音の姿を見つけると、彼は安堵の息を吐き、駆け寄って妻の腰を抱きしめ、いつものように謝った。「ごめん、天音。今日、陽菜が帰国して、迎えに行ってほしいって言うから、それから皆で歓迎会を開いて、それで時間がかかって、一緒にパーティーに出席できなくなっちゃったんだ」拓也は天音の懐に顔をすり寄せた。「困らせちゃったか?」天音は拓也の体から酒の匂いを感じた。彼女は表情を変えずに彼を押しのけ、「いいえ」と言った。本来なら彼女と拓也が踊るはずだったオープニングダンスは、パートナーがいないため、他の人に代わってもらわなければならなかった。そのせいで、彼女は陰でひそひそと噂されているだけだった。確かに、困ったことではない。「じゃあ、あのメッセージは……」拓也が口を開こうとした瞬間、突然携帯の着信音が鳴り響いた。着信表示を見ると、彼はもう天音に何も聞けなくなり、慌てて電話に出た。「もしもし、陽菜?」電話の向こうで何かを言われたのか、すぐに拓也の顔色が変わった。「待っていてくれ、すぐに行く」そう言って、彼は急いで出て行こうとした。天音は眉をひそめ、彼の腕をつかんだ。「どこへ行くの?」拓也は焦っていた。「陽菜が泊まっているホテルに盗撮カメラが仕掛けられたらしいんだ。様子を見に行く」天音はどんなに失望しても、夫を一人でトラブルに立ち向かわせることは決してなかった。そう聞いて、思わず声が冷たくなった。「そういうことは警察に連絡するべきでしょう。あなたに行く必要はないわ」「でも陽菜は梨花の妹だ。お前も以前会ったことがあるだろう?放っておけるわけがない」拓也は反論した。彼の言葉はあまりにも当然すぎて、逆に天音がワガママを言っているように聞こえた。天音は唇を動かしたが、交渉の場で数十億円の契約を結べる達弁の彼女は、この時ばかりは何も言えなかった。結局、拓也の安全のために、彼女は部下を連れて一緒に行くことにした。車の中で、天音は口を開いた
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第4話
陽菜は、きらきらと輝く瞳に自信をみなぎらせていた。以前なら天音は挑発に乗っていたかもしれない。しかし今は違う。奪われるようなものは、最初から自分のものじゃないのだ。だから彼女は冷静だった。挑発にも、一瞥さえくれなかった。陽菜はまるで空振りしたように、なんとも歯がゆい気持ちになり、苛立ちを隠せないまま、冷笑しながら小声で言った。「拓也さんを私に取られたら、泣かないでね」「成功を祈ってる」天音は淡々と言った。拓也は彼女を愛することができない。出会ってすぐに冷静さを失うような娘を愛せるはずもない。彼の心には梨花しかいないのだ。だが、皮肉なことに陽菜は梨花の妹であるがゆえに、拓也から最大限の関心を受けていた。ホテルでの盗撮騒動が解決するまで拓也に付き添い、陽菜の新しい住まいを探しにも付きっきりで、ようやく全てが片付いたころ、二人は帰宅の途についた。「天音」、車の中で、拓也は何かを思い出し、天音の方を向いた。「陽菜が明後日、個展を開くんだ。手伝ってあげてくれないか?」天音は思わず吹き出しそうになった。よくも、そんなお願いができるものだと呆れた。他の女のために奔走するだけならまだしも、妻まで巻き込もうとするなんて。天音は本当に声に出して笑ってしまったが、だけど胸は締め付けられるように苦しかった。「拓也、私にはそんなに器用な真似はできないわ」と静かに言った。拓也はきょとんとした表情で言った。「でも、陽菜は梨花の妹なんだぞ……」「梨花の妹だからこそよ!」天音はブレーキを踏み、車を道路の傍に停めた。拓也の方を向くと、薄暗い車内では、彼女の目が赤くなっていた。どうして拓也は他の女性を愛する姿を、当然のように見せつけることができるのか、ずっと理解できなかった。彼女が怒りをあらわにしたのを見て、拓也は口を開いたが、何も言えなかった。車内は息苦しい沈黙に包まれた。天音はずっと拓也と腹を割って話したいと思っていたが、だけど今はもう、その必要もないと感じていた。彼女は再びエンジンをかけ、深い失望を抱いて、来た道を戻り始めた。それから数日間、二人は冷戦状態になった。拓也は天音が怒っていることを知っていたが、自分もまた、納得がいかなかった。天音は自分がどれだけ梨花のことを忘れられないか知っているはずだ。どうして亡くなった
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第5話
梨花の絵は展示エリアの中央にあり、既にそのエリアに火が燃え移っていた。天音は服に水をかけて、燃え盛る炎の中へ飛び込み、絵を取り出した。だが、彼女が逃げようとしたその時、巨大なガラスの展示ケースが倒壊し、彼女を押し潰した。激痛で持っていた絵を落とし、天音はうめき声をあげ、床に崩れ落ちた。次の瞬間、一つの影が彼女のそばを掠め、急いで床に落ちた絵を拾い上げた。絵が無傷であることを確認すると、拓也は安堵の息を吐き、そしてやっと妻の方を振り返った。「天音、大丈夫か?」天音は何も言わず、煙でくすぶられた目が痛いのか、それとも怪我の痛みのせいか、ただ、目の奥がひどく熱く、涙が込み上げてくるのを必死にこらえていた。彼女は拓也の手を振り払い、もがきながら立ち上がった。「大丈夫。絵はちゃんと持っていて」その言葉を聞いて、拓也は確かに腕の中の絵を大切に抱え直した。天音の瞳に冷ややかな嘲りがよぎり、咳き込み続ける拓也の腕を引っ張って火災現場から脱出した。彼女の腕からは血がぽたぽたと滴り落ち、地面に鮮やかで痛々しい痕跡を描いていった。天音はいつ気を失ったのか分からなかった。目を覚ますと、そこは既に病院のベッドの上で、拓也は赤い目をしながらベッドの傍らに座っていた。彼女が目を開けると、拓也は駆け寄り、焦った様子で言った。「天音?気分はどうだ?たくさん血を流していたから、死んじゃうんじゃないかと思った」そう言うと、彼の目はさらに赤くなった。「ごめん。俺のせいだ」天音は今、何を言えばいいのか分からず、ただただ疲れていた。拓也は本当に自分のことを心配しているし、本当に申し訳なく思っている。でも、梨花と自分の間で、自分を選んだことは一度もない。それもまた真実だった。彼が梨花に抱く愛情は、まるで沸き立つ溶岩のように熱く激しく、しかしその熱は彼女の心と身体を容赦なく焼き尽くし、傷だらけにした。もし過去に戻れるなら、絶対に拓也とは結婚しない。天音はずっと黙っていたので、拓也は彼女が弱って声が出ないのだと思い、丁寧に布団を掛けて優しく言った。「天音、先に休んでてくれ。陽菜の様子を見てくる。彼女も怪我をしているんだ」「5回目」天音は目を開けた。拓也は動きを止め、天音の静かな視線と向き合った。しばらくして、一歩下がった。「じゃあ、行かない。こ
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第6話
拓也は驚愕した。彼は憂鬱そうな表情をした天音をじっと見つめ、まるで初めて妻の顔を見たかのように目を丸くした。次第に、彼の瞳は失望で満ちていった。「天音、お前はひどすぎる!」天音は何も言わず、言葉を話し終えると静かに目を伏せた。ずっと胸にしまっていた言葉を、今日やっと口にすることができて、不思議なほど気持ちが軽くなった。天音は思わず一人で笑みを浮かべたが、その瞳の奥は苦渋に満ちていた。拓也は冷ややかな顔で踵を返し、立ち去った。実家に着く頃には、すっかり怒りで顔がふくれあがった。「義父母の命日を忘れたのは事実だが、でも思い出してからすぐに駆けつけたんだ。俺が悪かったとしても、彼女にだって間違いがあるだろう?だって俺に何も言ってくれないし、待ってもくれなかったんだ!」拓也は、天音が墓地であんな風に自分を責め立て、恥をかかせるとは夢にも思っていなかった。昔はあんなじゃなかったのに。天音が梨花を好きではないことはもちろん知っていたが、彼女は梨花のことでとやかく言うことは一度もなかった。ましてや、怒りをぶつけることなんて。しかしここ最近、天音はまるで人が変わったように、梨花のことでことあるたびに自分に食ってかかってくる。これで二回目だ、天音に怒鳴られるのは。「俺は陽菜とは何もない。どうして彼女はいつももう亡くなった人と張り合おうとするんだ?俺は普段、彼女にあんなに優しくしていたはずなんだが?!」拓也の顔色は暗く沈んでいていた。事の顛末を聞いた拓也の両親は何も言えず、義父母の命日という大切な日を覚えておくべきだと息子に言おうとしたが、しかし、今の拓也はどんな忠告も耳に入らず、湧き上がるような悔しさに押しつぶされそうだった。一人息子がこんなに落ち込んでいるのを見て、拓也の両親は、拓也に非があるのは分かっていたが、やはり天音に電話をかけずにはいられなかった。「天音、後でご飯を食べに来ない?天音の好きなお粥を作ったの。ちょうど拓也もいるし、一緒に食べて帰ってはどうかしら?」拓也の母親は探るように尋ねた。電話の向こうで少し沈黙した後、天音は言った。「お母さん、午後に退院の手続きがあって、会社にもたくさん仕事が溜まっているから、今日は行けないよ」拓也の顔色は蒼白になり、手に持っていたリモコンを投げ捨てて
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第7話
拓也は怒ってはいたが、今日天音が退院することを考えて、長い間葛藤した末、駆けつけた。まさか天音がボディーガードに暴力を振るわせる場面を目撃することになるとは思ってもみなかった。拓也は持っていたバラを投げ捨て、慌てて陽菜を助け起こすと、天音に向かって怒鳴った。「天音、お前は全く話が通じない!」こんな見え透いた芝居を天音に仕掛ける人間は、もう長いこといなかった。彼女は言い争うのも面倒で、「警察を呼べばいいでしょう」とだけ言った。陽菜の表情がわずかに変わった。「大丈夫よ」と彼女は慌てて言った。「拓也さん、天音さんはきっとわざとじゃない。私も別に何ともないし」そう言いながら、彼女は歯をきりりと食いしばり、腰に手を当てて深く息を吸い込んだ。それから拓也の視線が届かない角度から、天音にむかって無言の挑発を投げかけた。「彼は私とあなたのどっちを信じてくれると思う?」拓也の表情は険しく、天音を冷たく一瞥すると、陽菜に手を差し伸べた。「陽菜、まずは病院で診てもらおう」「拓也さん、ありがとう」去り際に、陽菜は天音にそれとなく勝利の視線を投げかけた。天音は無視した。どんな挑発や侮辱よりも、拓也が何気なく放った言葉の方がよっぽど傷ついた。もし拓也が自分を信じてくれていれば、陽菜の浅はかな策略は成功しなかったはずだ。結局のところ、梨花に関係のあることになると、拓也はいつも無条件で相手の味方をする。たとえ相手が梨花本人ではなく、妹の陽菜であってもだ。天音はその場に残り、拓也が陽菜を支えながら去っていく後ろ姿から視線を外し、地べたに散乱したバラに落とした。風に吹かれて、わずかに残ったバラの花びらが枝にちりばって残っているのをみて、まるで二人の不安定な結婚生活のように感じた。天音は声に出さずに言った。「拓也、これで7回目」その後、二人の関係はなぜか冷え込み、拓也は意地を張って家に帰らず、天音も会社に泊まり込んだ。1ヶ月もの入院で、天音は確かに多くの仕事を溜めてしまい、ここ数日は昼夜を問わず残業していた。たとえ二人の関係がめちゃくちゃになっても、生活は続けなければならないのだ。個人ラインに突然通知音が鳴った。陽菜から、彼女と拓也のツーショット写真が送られてきたのだ。しかしすぐに相手はメッセージを撤回し、陽菜が
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第8話
これで最後だ。天音は心の中で呟いた。拓也の心には理由もなく一瞬の不安がよぎった。まるでこの瞬間から、何か大切なものを永遠に失ってしまうかのように。だが、その不安はすぐに沸騰する怒りの炎に飲み込まれた。彼は怒りで全身を震わせ、理性を失っていた。天音が言った「8回目」が何を意味するのか、彼はとうに忘れていた。いや、覚えていたとしても、今は何も気にしなかった。「天音、梨花に謝れ!」拓也は冷たく言った。こんな時でさえ、彼の頭には梨花の事しかなかった。天音の口の中には、生臭い味が広がった。彼女は唇を歪めたが、目には涙が浮かび、ついにずっと胸に抑えていた思いを口にした。「拓也、離婚しよう」拓也は一瞬たじろいだが、怒りに任せて、後に生涯後悔する決断を下した。「いいだろう、離婚しよう!」梨花を侮辱する事は許されない。たとえ自分の妻であっても。その言葉を聞いた天音は唇の血を拭い、離婚を切り出した瞬間から、全ての暗い感情が剥がれ落ちたように、無表情でバッグから離婚協議書を取り出した。「ここにサインを」拓也は、なぜ天音が離婚協議書を事前に用意していたのか、深く考えなかった。彼はさっさと自分の名前を書き、冷徹な表情で背を向け、出て行った。天音は追いかけなかった。二人の距離がどんどん離れていくのをただ見ていた。陽菜はすぐに拓也の後を追わず、低い声で天音に言った。「あなた、思ったより簡単に負けちゃったわね」天音は彼女を見上げて、「出て行け」と言った。彼女の目に渦巻く激しい怒りを見て、陽菜は思わず一歩後ずさりし、慌てて逃げ出した。天音は長い間、庭に立ち尽くしていた。しばらくして、彼女は冷たい空気を深く吸い込んだが、むせてしまい、顔を涙で濡らした。梨花の事をああ言ったのはわざとだ。拓也が、今にも崩れそうな二人の結婚生活のために、たとえわずかでもヒステリーを抑えてくれるかどうかを確かめたかったのだ。結果は明白だった。梨花はまるで拓也を操る呪文のようだった。自分には、決して解くことができない。天音は黙って荷物をまとめ始めた。この家は拓也に残しておくつもりなのだ。自分の物がここに残っているわけにはいかない。しかし、8年間という時間はあまりにも長く、丹精込めて作り上げた家の中には、自分が生活してきた痕跡があちこちに
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第9話
天音は自分のマンションに引っ越した。この崩れた結婚から立ち直るには、長い時間が必要であることを彼女は知っていた。しかし、拓也を諦めた瞬間から、彼女は決して振り返らないと決めていた。一方、拓也は実家に戻り、寝室にある天音からもらったもの全てを叩き壊した。限定フィギュアは粉々に砕け散った。カスタムギターは真っ二つに折れた。結婚写真は破り捨てられた……内心では喜んでいるくせに、陽菜は罪悪感を装って拓也を止めようとした。「拓也さん、全部私のせいよ。お願い、もうやめて」拓也は耳を貸さず、天音とペアで買ったマグカップを壁に叩きつけて粉々に割った。「どうしたんだ?」物音に気づいた拓也の両親が慌てて駆けつけた。「あの……」陽菜は目を伏せ、口ごもりながら言った。「天音さんが……姉の悪口を言ってしまったんです。拓也さんは怒って、彼女の離婚協議書にサインしたんです」「何だって!」拓也の母親は顔色を変え、テーブルの上の書類を拾い上げて見てみると、まるで一気に老け込んだかのように顔色が変わった。息子と嫁は、やはりついにここまで来てしまったのだ。「拓也」母親は拓也を止めずにはいられなかった。「落ち着いて、天音とちゃんと話し合って」今ならまだ間に合うかもしれない。しかし、拓也は冷たく言い放った。「彼女の名前を出すな!」別れてから2日目、拓也は梨花の遺影を抱きしめ、一日中散らかっている寝室で過ごした。天音を絶対に許さないと心に誓った。3日目、リビングで離婚協議書を見つけた拓也は、瞳孔を縮めた。天音が離婚を切り出していたことを、ようやく思い出したのだ。胸が締め付けられるような感覚を覚えたが、すぐに表情を硬くした。離婚協議書を破り捨ててゴミ箱に投げ込み、天音にメッセージを送った。【離婚を持ち出せば俺がビビると思ってるのか!】自分が天音に離れないわけではない。天音の方が自分から離れられないのだ。4日目、拓也はゴミ箱から離婚協議書を拾い戻し、びっしりと書かれた文字をじっと見つめた。どうして天音とこんなことになってしまったのか、分からなかった。あの日、自分が望んでいたのはこんなことじゃなかった。すでに1ヶ月もの間、冷戦状態が続いていた。拓也は天音とこんなに長く離れたことはなかった。妻がなかなか自分から歩み寄って来ないので
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第10話
まさか、天音が本当に自分と離婚するつもりなのか?「いや。天音はそんなことしない」拓也の頭の中には耳鳴りのような音が鳴り響き、ほんの一瞬、外の音がまったく聞こえなくなった。たとえ天音が自分の持ち物全部を持って出て行ったとしても、彼女が自分を捨てて出ていくとは信じられなかった。「きっと、すごく怒ってるから、こんな方法で俺に頭を下げさせようとしてるんだ。俺が家出して、彼女に機嫌を取ってもらおうとした時みたいに。そうだ、きっとそうに違いない。天音はあんなに俺を愛してるんだから、本当に離婚するはずがない」拓也は独り言を呟きながらスマホを取り出し、天音に電話をかけた。呼び出し音が鳴るにつれて、彼の心も落ち着きを取り戻し、むしろ少し呆れたような気持ちになった。ちぇ、天音も自分の真似して家出するなんて。真似するならもっと上手くやれよ。苦しめようとするなら、ラインとか全部ブロックするべきだろ。しかし、何度か呼び出し音が鳴った後、通話中のアナウンスが流れ、拓也の顔から笑みが消えた。天音はわざと電話を切ったのだ。もう一度かけ直すと、既にブロックされていた。拓也の手は震え始め、天音とのラインのトーク画面を開いてメッセージを送った。【天音】しかし、メッセージに一向に既読がつけられなかった。今まで感じたことのないほどの強い不安が押し寄せ、拓也は走り出した。天音の会社へ向かって。もう、天音に梨花に謝らせたりしない。自分が天音にちゃんと謝るんだ。しかし、会社に着くと、受付の女性に止められた。「申し訳ございません、拓也さん。事前の予約がないと、お通しできません」拓也は驚いた。いつもは社長専用エレベーターで直接天音のところに行っていたのに。不安がどんどん大きくなり、思わずこう言った。「俺は社長の夫だぞ」「はい」受付の女性は礼儀正しく微笑んだ。「神崎社長から、しばらくの間誰とも会うつもりがない、と指示が出ておりまして、拓也さんも例外ではありません。それに、神崎社長はこの数日、出張でG市を離れておりますので、会社にはおりません。あの……」受付の女性は不思議そうに尋ねた。「ご存じなかったのですか?」拓也は口を開けたまま、何も言えなかった。天音は以前、どこに行くにも必ず自分に知らせてくれて、帰ってくるとお土産を買っ
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