宴席へと向かう足が、わずかに震える。
賑わいが近づくにつれ、会話の内容が途切れ途切れに耳に入ってくる。──……少女がうずくまって……羽根が……甲高い声で笑い……────……アルタミラ殿の消息を……────兄者の許しがいただければ……── はたと、アウロラの足が止まった。 どうやら、べヌス達は調和者アルタミラの話をしているらしい。 その名は、さすがのアウロラでも知っている。この世界のありとあらゆる物の調和を司る神だ。 話から察するに、どうやらその身に何かが起きているらしい。 このままでは、この世界に良からぬことが起きるのではないか……。 言い知れない恐怖にとらわれて、アウロラは思わず立ち尽くす。 その時だった。「どうした? 何かあったのか?」 突然ベヌスから声をかけられて、アウロラは飛び上がりそうになる。 が、辛うじてそれをこらえると、その場にすっとひざまずき、深々と頭を垂れた。 そして、サラが考えた台詞を間違えぬよう細心の注意をはらって口にする。「恐れながら城下へ使いを送ってもよろしいでしょうか。突然お姿が消え、皆心配しているかと……」 視線が自分に注がれているのを感じ取り、アウロラは固く目を閉じる。おそらくその身体は小さく震えていただろう。 けれど、ベヌスから返ってきた言葉は、想定外のものだった。「アウロラ、構わぬ。こちらへ来ないか?」 どうすれば良いのか。咄嗟にこんな言葉が口をついて出た。「ですが、わたくしは卑しい巫女でございます。大主とその弟君のご尊顔を拝するのは、あまりにも恐れ多く…&he安楽椅子に深く腰掛けていた大巫女は、あわてふためいてやって来たマルモとアウロラを見るなり、開口一番こう言った。 どうやら、何やら良からぬことでもあったみたいですねえ、と。 心のうちを言い当てられて驚いて顔を見合わせる後輩の二人に、大巫女は静かな口調で言った。「そりゃあ、歳はとっていても私はまだまだ闇の巫女ですよ。それに、二人そろってそんなに青白い顔をしているのを見せられては、良い事があったなんて普通は思いませんよ」 言われてみれば、確かにそのとおりである。 きまり悪そうに頭をかき舌を出すマルモと、恥ずかしそうにうつむき目を伏せるアウロラを代わる代わる見やってから、大巫女はさっそく本題に入った。「それで、一体何が起きたんです? 皆から聞くところによると、アウロラが式典で舞や儀式を失敗したようでは無いみたいですけれど……」 そこでアウロラは、舞っている最中に見たもの……大地が血で染まる恐ろしい戦の光景を大巫女に告げる。 話を聞き終えた大巫女はしばらく難しい顔をして黙っていたが、おもむろに口を開いた。「巫女は舞う時、まれに闇と一体化して未来に起こるであろう事柄を見ることがあるんですよ。……マルモは一度も無かったようだけれど」 大巫女の言葉に、マルモは恥ずかしそうに頬を赤らめ髪をかき回す。「あたしは頭数合わせのお飾りの巫女でしたからねえ、残念ながら」「そんなに卑下するもんじゃ無いですよ、らしくない。ちゃんと今まで与えられた役割を果たしているじゃないですか。……さてと、アウロラが見たもののことだけど」 話を振られて、アウロラは身を固くする。 そして、大巫女の言葉を一言も聞きもらすまいと耳に全神経を集中させた。「信じられないかもしれないけれど、未来というのものは、一つに定まってるものではないんです。いくつかの可能性か積み重なってできているんですよ」
普段は静謐を湛えている城が、賑わいを見せている。 闇の王の即位を祝うため、闇の領域の各所から領主やその随員が集っているからである。 彼らを迎えるベヌスは威厳に満ち、まさに王と呼ぶにふさわしい風格だった。 が、そんな彼もある来訪者の前では破顔する。 他でもない、光神エルト・ディーワ自ら弟のカイ・ベルグを始めとするごく僅かな従者と共に闇の城を訪れたのである。「来てくれたか。この間のこともあったゆえ、弟御に名代を言いつけてそなたは来ないと思っていたが」 冗談めかして言うベヌスに、ディーワは苦笑を浮かべる。 が、口に出して答えたのは、かたわらに控えるカイの方だった。「陛下の一世一代の式典となれば、行かぬわけにいかないだろうと諭すのに苦労したが、どうやら報われたようだ」「……神殿を度々空にする訳にもいかないだろう。けれど……」 ひと度言葉を切ってから、ディーワはベヌスに視線を向ける。「唯一無二の友人の晴れの日だ。多少は我が民も許してくれるだろう」 と、そこでノクトが声をかけた。「遠路はるばる、さぞや疲れでしょう。部屋をご用意しましたので、どうぞお休みください」 至らぬこともあるやもしれませんが、と言うノクトに、カイは笑って言った。「いや、陛下の片腕のノクト殿の手はずとあれば心配ない。大船に乗ったつもりで……」「くつろぎすぎて、式典に寝坊してくれるなよ」 ベヌスの言葉に、その場の面々はさも面白いとでも言うように笑いあった。 光と闇、立場こそ正反対の存在の間に結ばれた硬い友情という名の絆。 それはいつまでも変わらないものと、皆信じて疑わなかった。 ※ 神殿の祈りの間に、人々が集う。 彼らは、新たに即位する王の来訪を今か今かと待っていた。
それから、慌ただしく時は流れた。 サラが上手く話をつけてくれたのか、特にお咎めが無かったアウロラは、前にも増して巫女の勤めに励んだ。 そんな彼女に、マルモは呆れたように吐息をつく。 「どうしたんだい? あまり根を詰めると、肝心の式まで身体がもたないよ? 」 そう、正式なベヌスの即位式は目前に迫っている。 領域内の有力者ばかりでなく、光神とその従者も来訪するとあって、城内は上を下への大騒ぎになっていた。 「あんたの舞はもう完璧だし、この上何をしようって言うんだい?」 首をかしげるマルモに、アウロラは沈んだ表情で告げた。 「以前お伺いした浄化の儀式が、どうしてもわたくしにはできなくて」 そう肩を落とすアウロラに、マルモは目を丸くする。 「あらあら、まだ気にしてるのかい?」 そして、マルモは声をひそめてアウロラに耳打ちした。 「ここだけの話だけどね、大巫女様が言うにはあの儀式は当面の間行うべきじゃないって」 思いもかけない言葉に、今度はアウロラが驚く番だった。 どうして、とでも言うように見つめてくるアウロラに、マルモは肩をすくめて見せる。 「物事にはすべて意味がある。この時期に途絶えたのにも、それなりの理由があるんだろう。そうおっしゃってねえ」 大巫女は一線を退いているとはいえ、長命種特有の不思議な力を持ち合わせている。 それは、その端くれと言えるアウロラよりも遥かに強固なものだ。 恐らくその不思議な力が、大巫女に何かを告げたのだろうか。 「そう言うわけだからさ、今は即位式の神事の事だけ考えようじゃないか」 諭すように言うマルモに、アウロラはうなずいて応える。 何より先だって歌を披露した時以上の人々の前で、それこそ完璧に舞を捧げなければならないのだ。 「……考えれば考えるほど、今から震えてきます」 「おやおや、ごめんよ。それじゃあなるべく考えないでいることにしようかね」
小走りに宴の間を退出したところでアウロラの目に入ってきたのは、嬉しそうに満面の笑みを浮かべるサラの姿だった。 「お疲れ様でした。そして、お見事です。芸事には無縁な私も、思わず聞き惚れてしまいました。柄でもなく、感動いたしました」 だが、アウロラは恥ずかしそうにわずかに赤面し顔を伏せる。 「そんな……。お耳汚しして、かえって申し訳ありませんでした。わたくしがあんな大勢の、しかも初めてお会いした方の前で、あのようなことを……」 今思い返しても、身体が震えます。 そうつぶやき、自身の行動に戸惑いを隠せないようなアウロラの背を、サラはぽんぽんと叩き、いたずらっぽく片目をつぶってみせる。 「先程も申し上げたでしょう? あなたは変わることができると。その一歩を踏み出されたんですよ」 「そう……だと良いのですが」 それでもなお煮えきらないようなアウロラ。 あらあら、とでも言うように苦笑を浮かべ小さく吐息をついてから、サラはアウロラの手を取った。 そして、先程来たサラの部屋とは違う方へと向かい歩き出す。 部屋に戻るものと思って疑わなかったアウロラは、驚いたようにサラに声をかけた。 「サラ様、一体どちらへ行かれるのです? サラ様のお部屋はこちらでは……」 しかし、サラは振り向くことなく歩を進めるながら応える。 その口調は、どこか面白がっているようでもあった。「主が言っていたでしょう? あなたに見せたいものがあると」 確かにべヌスはそんなことを言っていたような気がする。 けれど、と思い直し、アウロラは目を伏せた。 ふと、サラが先程口にしていた言葉が脳裏をよぎったからだ。 「あの……失礼ですが、それは遠乗りに出ようという口実ではないのですか?」 「……巫女殿はご存知ないのですか? この出城の名物……別名を」 振り向き驚いたように問い返すサラに、アウロラは心底申し訳なさそうにうなずいて返した。 本当に? とでも言うようにサラはアウロラ
宴席へと向かう足が、わずかに震える。 賑わいが近づくにつれ、会話の内容が途切れ途切れに耳に入ってくる。──……少女がうずくまって……羽根が……甲高い声で笑い……────……アルタミラ殿の消息を……────兄者の許しがいただければ……── はたと、アウロラの足が止まった。 どうやら、べヌス達は調和者アルタミラの話をしているらしい。 その名は、さすがのアウロラでも知っている。この世界のありとあらゆる物の調和を司る神だ。 話から察するに、どうやらその身に何かが起きているらしい。 このままでは、この世界に良からぬことが起きるのではないか……。 言い知れない恐怖にとらわれて、アウロラは思わず立ち尽くす。 その時だった。「どうした? 何かあったのか?」 突然ベヌスから声をかけられて、アウロラは飛び上がりそうになる。 が、辛うじてそれをこらえると、その場にすっとひざまずき、深々と頭を垂れた。 そして、サラが考えた台詞を間違えぬよう細心の注意をはらって口にする。「恐れながら城下へ使いを送ってもよろしいでしょうか。突然お姿が消え、皆心配しているかと……」 視線が自分に注がれているのを感じ取り、アウロラは固く目を閉じる。おそらくその身体は小さく震えていただろう。 けれど、ベヌスから返ってきた言葉は、想定外のものだった。「アウロラ、構わぬ。こちらへ来ないか?」 どうすれば良いのか。咄嗟にこんな言葉が口をついて出た。「ですが、わたくしは卑しい巫女でございます。大主とその弟君のご尊顔を拝するのは、あまりにも恐れ多く…&he
すれ違う駐留兵達からもの珍しそうな視線を向けらる。 居心地の悪さを感じながら、アウロラはサラに従い城の中を歩いていた。 やがて、サラはとある扉の前で足を止めアウロラをかえりみる。 「こちらが私の部屋です。散らかってますが、どうぞお入りください」 言いながら扉を開け、サラはアウロラを室内へ招き入れる。 会釈をしてアウロラは部屋へ入り、扉を閉めた。 そして、改めて室内に視線をめぐらせる。 家具といえば寝台と机と椅子しかない簡素な部屋は、鏡などというような女性を思わせるような物は何一つ見られなかった。 散らかっている、と言う言葉とは正反対の無駄なものの無い室内は、部屋の主の人となりを現しているようだった。 「……申し訳ございません、あの……」 「お気になさらず。主のことですから、どうせ行き先も告げられず連れて来られたんでしょう?」 ここのところ、辺境視察の名目での遠乗りも無かったから、相当城の外に出たかったんでしょう。 そう言ってサラはにっこりと笑った。 「はい……、おそらくわたくし達がここにいる事を、城内に知る方はおられないかと……」 アウロラの言葉に、でしょうねえとサラは腕を組み思案したあと、何かを思い立ったようだ。 「私はこれからお客人の所に行きます。巫女殿は頃合いを見て私がお迎えに上がるまで、ここにいてください」 「あの……それは一体……」 首をかしげるアウロラに、サラは真摯な顔で告げる。 「一つ、お願いがあるんです。一緒にお客人の所へ来ていただけませんか?」 「わたくしが、大主御一行さまの前へ?」 驚いたように目を見開くアウロラに、サラはうなずく。 「お客人……光の領域の方々に、是非とも会っていただきたいんです。そうすれば、巫女殿の中で何かが変わるかと思うんです」 「変わる……ですか? ですが、ただ用もなく赴いては……」 「それは、私に考えが」 と、サラはアウ