子供にはあたりまえ

子供にはあたりまえ

last updateLast Updated : 2025-07-15
By:  北野塩梅Updated just now
Language: Japanese
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幼馴染の颯太と大地が過ごす小学生最後の夏休み中の秘密。 ケイタは朱塗りの神楽殿がある異界に迷い込むが……。 三人の子供たちの成長。

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Chapter 1

第一話「始まりの夏休み」

第一話「始まりの夏休み」

 秩父神社には、つなぎの龍と呼ばれる青龍がいる。ついでに梟と虎もいる。川瀬祭が終わり浅賀颯太が通う小学校も、いよいよ夏休みに入り、同級生の千島大地との自由研究は、秩父神社のミニチュアを木工作品で制作することにした。颯太にとっては小学生最後の夏休み初日、自宅から徒歩五分とかからない距離にある秩父神社の写真を大地と撮っていた。

 境内の神門の横には『お百度参りはしないで下さい。わら人形は打たないで下さい』と注意書きされた看板がある。

「こんな看板あったっけ? 面白いから撮っておこう」

 颯太が言うと、

「本気でわら人形なんて打つやつがいるんだな」

 大地が感心する。

 南門の一の鳥居前に、マイクロバスがとまり家族連れの観光客が大量に吐き出される。入口の手水舎が大渋滞している。

 颯太は、ふと空を見上げて「あ、龍だ」指さした。神門で写真を撮っていた大地も空を見た。雲ひとつない眩しい青空を、ゆっくり昇ってゆく龍を颯太は目で追って「雨が降るよ」と大地に言った。

「颯太がそう言うなら、戻ったほうがいいんんだろう」

 大地の答えに頷いて、観光客で埋め尽くされた南門を避けて、西門から境内を出た。打ち上げ花火のようにまっすぐ秩父神社の上空を昇っていった龍が、太陽に鱗を輝かせて見えなくなった。

 颯太は、大地と共に自宅に帰りつくと、アスファルトにポツポツと雨粒が落ちて黒い滲みを作り、慌てて玄関で靴を脱いで居間にあがるころには、庭の紫陽花の葉が揺れるくらいザァーと雨足が強くなった。

「着いたばかりの観光客はタイミングが悪かったな、今頃びしょ濡れだ」

 大地は同情したが、颯太は何の感情も湧かず冷たく突き放す。

「まつり会館で雨宿りしてるんじゃない」

 居間の窓から低い雲を眺めて、雲の隙間から旋回する龍の尾が雷を纏った。地鳴りのような音が、光に遅れて聞えてくる。

「あ! 洗濯物!」

 颯太は思い出して二階のベランダに行き、急ぎ取り込む。残念なことに雨に当たり湿っていた。

「洗濯し直しだ」

 母が不機嫌になる顔を想像して憂鬱になりながら、洗濯機のドラムに放り込んだ。

 颯太は台所で冷蔵庫から麦茶を出して大地に渡した。大地が見ている携帯画面を覗き

「上手く撮れてる?」

 颯太は訊ねる。

「ああ、これ詳しいサイズ感がわからないから、縮尺を作るのは難しくないか? 建物の略図も欲しいし」

 大地が指摘する。

「市立図書館に資料があるんじゃないかな。ノープランで始めるから、すぐこうなる」

 颯太は順番が逆だったことに気がつく。まず資料を調べてから写真だよな。

「そうだな、明日は図書館へ行こう」

 大地はそう言って麦茶をぐびぐび飲み干した。

「めんどくせぇ」

「本当にな」

 颯太も、まだ出発点にも届いていない自由研究の完成までの道のりを思って気が遠くなった。

 雷雨は小一時間ほどで止み、明日の約束をして大地は帰っていった。

 翌日、午前十時に大地が自転車で颯太を迎えに来て、二人で図書館へ向かった。

 図書館は冷房がよく効いていて、ひんやりした空気で汗ばんだ肌を急激に冷やしていった。

 受付で「郷土資料室を使用したいんです」と告げると、司書が案内してくれた。円形の建物の中央は吹抜けになっていて、階段をぐるりとあがっていくと、二階の一室のドアを開けてくれた。古い書籍の匂いが鼻を刺激した。茶色の背表紙が並んだ本棚に、『秩父神社建立起源』があり、颯太はそれを手に取りページをめくった。

 秩父神社は二度焼失しており、昭和四十一年九月には台風で境内の老大木が倒れて社殿が破壊されたため同四十五年に、可能な限り旧材を用いて社殿を竣工改修工事し、社殿周囲の飾り彫刻類をすべて彩色し直して現在の社殿になった。

「うーむ……」

 颯太が唸ると

「よくわからないから、司書さんに聞く?」

 大地が丸投げ発言をする。

「貸出し禁止だし、コピー取れればいいんだしさ、サクッと見つけるために聞きに行こう」

「いや、必要な情報くらい自分たちで探そうよ」

 颯太は渋る。

「颯太、融通が利かねぇ。俺、聞いて来るわ」

 資料室を出て行ってしまった。

 一人、取り残されて、ページをめくっていると……。

 肘から下の白い手が、ニョキっと出てきて厚さ一センチくらいの本を床に落とした。

『秩父神社再建・昭和四十五年』と青い表紙に印刷されていた。

 颯太がその本を拾うと、白い手は消えた。消えたあたりに少し大きめな声で「ありがとう」と伝えてから本を開く。ドアの外で話し声がして、大地と司書がノックしてドアを開けた。

「あ、もう見つかりました」

 颯太が司書に頭を下げた。

「えっ?」

 司書が驚いて、颯太の手にした本を見つめ、呟いた。

「よく見つけられたね、見落としがちなのに」

「すみません」

 大地が謝ると「ごゆっくり」と笑顔で一階へと戻って行った。特別、白い手のことは大地に言う必要もなかった。

「これ、まるっとコピーして縮尺図面に起こそう」

 大地が先に資料室を出る。颯太はドアの手前で振り返り「バイバイ」と小声で言った。視界の端で白い手がゆらゆら揺れていた。

一階で本のコピーを隅々まで取って、先程の司書に本を返すと、図書館を出た。

それから平日五日間は、颯太の自宅の居間でコピーした資料を基に百分の一スケールの図面作成をして、パーツごとに分類した。

 土曜日は颯太の父が車を出してくれて、大地とホームセンターにベニヤ板を買いに行った。颯太の父がDIYに凝っていた時期があり、今はまったく使用していない工具を使わせてもらうことにした。

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last updateLast Updated : 2025-07-13
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第十話「猿面の問い」
第十話「猿面の問い」「たまたま秩父神社が千社目だったと思うかどうかは、君の勝手だが、我が主様だけでなく、他の御柱様方が君の行動を目に余ると仰せでね。君と、二人のあの子供たちの力の半分を、君の母親が望む力として与える裁決をなされた。どういうことだか、わかるか?」 猿面が揺るぎのない声で淡々とケイタに告げた。「神々を甘く見ていたな?」 愕然とした。ケイタは自分の足元に手をついてへたり込んでしまう。「『ぼくが望んでしたことじゃない』とでも言い訳してみるか?」 頭の中が真っ白になる。なんとかケイタは声を絞りだした。「それはつまり、ぼくたちから力を奪ってお母さんの願いを叶える、ということ?」 猿面が沈黙で肯定する。「あの二人は関係ないだろ!」 ケイタは足元の拳を強く握りしめて震える。「我が主様のご聖断は人智の及ぶものではない」 猿面が静かにつづける。「まだ終わりではないよ。人の望みには果てがない。君の母親が望む力を得た先で、さらに何をしようとしているのか、見ておくといい」 猿面が、また川面をそっとかき回した。「君の母親の本心を映した世界をみてみよう」 猿面の持ったホウズキが川底を照らすと、ぼぅ……とケイタの母の姿が見えてくる。猿面が言う。「こことも違う川底の世界は、人の世とも違う狭間の世界。望むものを何でも得られるが、甘い言葉で欺きあう世界よ。君の母親が身を置きたいと願うのは綿菓子のように甘い世界。周囲の人間が望む言葉をくれ、何をしても褒めてくれる」 じっと猿面が川底の世界を見つめる。「君の母親はこれから、川底の世界が人の世に戻ってもつづく。本人にとっては幸せな偽りの世界が待っている」 ケイタも川底を息を詰め、そこに流れる場面を見ていた。「いつ気づくかな」 猿面はため息をつくように独り言を呟いた。 川底を流れる場面が、ケイタが住んでいる家の玄関前を映した。でも、違和感があった。そこに浮かび上がったのは、母と、身なりの上品な老夫婦だった。夫人のほうが母にお礼を言っている。テッポウユリから音声が聞こえる。母が笑顔で老夫婦に告げた。「私の言う通りにしていれば間違いありませんよ。何しろ『神様からのメッセージ』ですから。大難を小難に、小難を無難にするためのお力ですので」 ケイタが耳を疑う。『神様からのメッセージ』 母が何万回も口に
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