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第九話「願望」

Author: 北野塩梅
last update Last Updated: 2025-07-13 17:57:13

第九話「願望」

 ケイタは混乱して叫びだしそうになる。記憶から抹消していたのは、写真館だけではなかった。そこから紐づいて思い出したのは、父が家を出ていったとき。母が、父が写っている写真を燃やして、父の荷物をすべて処分して、ケイタが買ってもらったトイカメラを母が取り上げ床に何度も叩きつけたあと不燃ごみとして捨ててしまった。ケイタがどんなに泣いて止めても母の怒りはおさまらない。トイカメラは戻ってこない。写真屋さんになりたかったことも、固く心の底に封じこんだ。思い出したくもなかった思い出を。

頭の中が整理できない。動けなかった。

「ここまで過去を見てきた君は、誰かを悪者にすれば気が済むか?」

 後ろから声をかけられて、ケイタの体が跳ねる。振り返ると猿面が立っていた。

「誰かは誰かの悪者で、その悪者から見た誰かも悪者になる。だが人は、自分が悪者として行動している自覚はない。意識的に悪者を演じているやつを別にして、自分が誰かの悪者になっているとはまったく考えない。なのに自分が正義をふるうときだけ自覚的だ。誰にとっても悪者にならない人間なんていないのにね」

 猿面が淡々と語る。

「ただ己の道理に合わない者を悪者にし、敵とみなす。善人に見える人間でさえ、誰かの道理に合わなければ、誰かの敵だ」

猿面がため息をつく。どうも猿面の言うことは理屈っぽくて回りくどい。

「何もしていなくても?」

 ケイタの問いに

「何もしていないからこそ悪者だ、敵だ、と攻撃的になるやつもいる。君の母親が言っていただろう? 君の父親に」

「あ……」

 舞台で女面が言っていた。

『いつも何もしない癖にこんなときばっかり、父親ぶるのね』

思い当たったケイタの表情を見て猿面が続ける。

「君の母親が『ありがとう』と言っていた記憶が、君の中に存在しているか?」

 ケイタは少し考え、記憶をたどる。

「ない。言われたこと、ない」

「何をしてもらっても、当然と思っているから、『ありがとう』なんて思わない。やってもらったことすらも、悪意で捉えて攻撃的になる。どんなことをしても気に入らないんだから、君の父親が何もしなくなる訳だよね。それすら君の母親は気に入らない。じゃあ、何をしてもらえば感謝するのか。何を与えられたら感謝するのか。君の母親に聞いてみたいよね? 君の母親が心から『ありがとう』って言うのは、どんな瞬間で、本当の望みは何なのか」

 言葉を切って猿面がケイタを覗き込み

「知りたくない?」

 まるで母の望みを先回りして正解を分かっているような問いかけだった。

 ケイタは急に、猿面の無表情な面が怖くなった。見たくない。知りたくない。聞きたくない。拒絶したい。次々に暴いていく猿面が何を考えているのか、未知で怖い。足が竦んだ。

 ケイタの顔をじっと見たままの猿面が話題を変えた。

「ところで、こちらに来る前、紗幕のかかった人の世の境内で、君と一緒に飲み物を口にしたのは、あの二人の子供たちだけではなかっただろう?」

 ケイタの母もオレンジジュースを飲んでいた。

 猿面が「ここで待ってて」と神楽殿の裏へ回り戻ってきたとき、ホウズキが実った枝と、咲いているテッポウユリの枝を持っていた。近くの石燈籠の明りをホウズキに移すと、ケイタの足元を照らす。そのままスッ……とケイタの前に立って猿面は、ゆっくり歩きだす。ケイタはついていくか迷った。

「ここで立ち止まったら、君、帰れないよ?」

 ケイタに背を向けているのに、猿面は迷いを見透かしている。一歩踏み出すと、ホウズキが照らすケイタの足元に石畳の小道が続く。猿面の背中を見失わないように、歩く。猿面が薄暗い中、ホウズキの行燈を持ち上げると社殿の鮮やかな色彩が浮かび上がる。社殿に向かうのかと思ったら、猿面が石畳を外れて社殿の脇に回り込む。ケイタの歩幅で跨げる程度の浅い小川が流れていた。

「ならの禊川だ」

 猿面が小川の淵で足を止め、しゃがみ込むようにケイタを促す。

 ホウズキの明りを川面へ近づけて猿面は、もう片方に手に持っていたテッポウユリの茎を川底の小石のあいだに、そっと挿した。穏やかな川の流れの中に猿面が、手を差し入れて、ゆっくり水流をかき回す。そして何かをぶつぶつ唱えて、川面が凪ぐのをしばらく待った。

 禊川を照らしていたホウズキの明りが、川底に景色を浮かび上がらせた。

 猿面が川底を覗くので、ケイタもつられて目線を落とす。水面は水鏡ようになり、ケイタの母の姿を映す。先ほど秩父神社の拝殿でケイタの母が手を合わせて祈っていた場面だった。

 咲いているテッポウユリの花から、人の声や音が聞こえてくる。まるで拡声機みたいに。

「わ……にも……あた……さ……ちか……え……ださ……おあたえ……い」

 ケイタは耳を澄ましてテッポウユリから聞こえてくる音に集中した。段々とそれは、単語として意味を持ちケイタの耳に聞こえ、母の祈りがはっきり言葉になった。

「私にも力をお与えください」

ケイタはゾッとした。

猿面は川底から目を離さず、ケイタに問う。

「君はこの母親と、いくつの神社を巡ったか覚えているか?」

 覚えていない。ケイタは答えを探すように猿面を見つめる。

「この秩父神社で、千社目だ」

 それが何か意味でもあるのか、と猿面に聞き返そうとした。

「君の母親は千社願をかけていたんだよ、意図していたかどうかは知らないけどね」

「せん、しゃ……がん?」

 耳慣れない言葉が出てきて、ケイタはオウム返しする。

「そう、秩父神社の天神地祇社、七十五座のお祀りしている神々をすべて巡って余る願をかけた。ご祭神であるヤゴコロオモイノカネノミコト様が、神々の意見をまとめられて、ご聖断を下された」

 一旦、猿面は言葉を切り、ケイタを試しているように見据えた。

「君の母親である、日野原清香の願いを叶える、と」

 ケイタは声が出ないくらい衝撃を受けた。本当に母の願いを叶えるというのか……。

 そして猿面が、母を旧姓で呼んだのがケイタは引っかかった。

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