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愛は遠ざかる
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これは私――伊藤奈緒（いとうなお）の3度目の採卵手術だった。しかし、夫の中村智也（なかむらともや）はまたも残業で、病院に付き添ってはくれなかった。 真夜中、激しい痛みで私は目が覚めた。手足はパンパンに腫れ、お腹には大量の腹水が溜まり、まるで妊娠八ヶ月のような大きさだった。 息が詰まり、うまく呼吸ができなかった。私は慌ててスマホを取り、智也に電話をかけた。 一分ほど呼び出し音が鳴り続け、ようやくつながった。 だが、受話器の向こうから聞こえてきたのは、智也の声ではなく、見知らぬ女の声だった。 「もしもし？」それはとても若々しく、艶やかな声だった。 「どちら様？智也、私は息が苦しいの！」 「まだ服を着てるの？やばいわねぇ......」 パチッ！鞭のような音が聞こえた。 その甘ったるい女の声が聞こえた直後、電話が切られた。
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第1話
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愛は遠ざかる 第11話
実は、不妊症だったのは智也の方だった。人工授精でもしない限り、一生子供を持てない体だった。しかし、莉子は人工授精など受けていない。十月十日の妊娠期間を経て、彼女は無事に赤ちゃんを産んだ。その事実を告げるメッセージは、智也の喉に魚の骨が刺さったように、しつこく痛んだ。これは彼にとって息が詰まるほどの衝撃だった。なぜ、こんなことになったんだ......10年もの間、智也は子供ができないのは私のせいだと思い込んでいた。彼は目の前の現実を受け入れることができなかった。莉子が抱く赤ちゃんを見るたび、彼は胸が張り裂けそうになった。一週間ほど、ほとんど眠れない日々が続いた。子供が生まれた喜びは、この残酷な真実に打ち消されてしまった。智也はもう一度検査を受けることを決意した。彼は隣町の病院に一人でこっそりと行った。検査結果は「無精子症」だ。これは、智也が完全に莉子に裏切られたことを意味していた。智也の目は怒りで血走った。正気を失った彼は、息子の生後一ヶ月の祝いの席に車で突っ込んだ。狂ったように莉子の体を車で何度もひいた。血まみれになった莉子は、智也の恐ろしい形相を前に、恐怖で震えながら真実を吐いた。莉子は両親の勧めで、地位を早く高めたく焦っていた。智也が妊娠できないと知ると、元カレと関係を持ち、子供を妊娠したのだった。この事実を知った智也の母は、その場で倒れて心臓発作で亡くなった。家族を翻弄し続けた彼女は、ショックのあまり他界した。智也は全ての憎しみを莉子にぶつけた。莉子の両足を踏み折り、赤ちゃんに手をかけようとした時、冷たい手錠が彼の手首を締め付けた。智也は呆然とした。彼の誇りと怒りは一瞬で恐怖に変わった。大きなプロジェクトで組んでいた責任者が詐欺師で、巨額の資金を持ち逃げしていたことが発覚した。数十億円もの穴が開いた。プロジェクトの表向きの責任者だった智也は、最低でも3年の実刑判決を受けることになった。この知らせを聞いた兄は、ソファに座ったまま冷笑を浮かべた。「俺の妹を傷つけた報いだ。ゆっくり反省しろ」智也の会社は完全に崩壊し、そして刑務所に入れられた。莉子は身体障害を負い、幼子を抱える身となった。彼女の醜聞は広まり、誰も受け入れてはくれなかった。
愛は遠ざかる 第10話
沙希は重量挙げの選手で、100キロ以上はある大柄な体格の持ち主だ。彼女は莉子の言葉を聞くなり、その場でビンタを食らわせた。莉子の頬は瞬く間に赤く腫れ上がった。父と兄も物音を聞きつけ、険しい表情で出てきた。莉子は彼ら二人を知らなかったので、少しも怖がらなかった。「奈緒さん、そんなに図々しいのはやめてくださいよ。不妊治療したって、卵子がないものはどうしようもないでしょ？もう更年期なんじゃないの？」彼女は得意げに私を見下すように言った。私は今にも飛びかかろうとする父と兄を制した。その時、沙希がもう一度袖をまくり、さらに莉子に平手打ちを見舞った。「男は女を殴れないかもしれないけど、私にはその遠慮はないわ！」 予想外の連打に、莉子はその場に崩れ落ちて泣き叫んだ。ちょうどその時、智也の車が急ブレーキを鳴らして屋敷の前に停まった。智也は顔を歪めて怒鳴った。「莉子！奈緒、お前は何をしてるんだ！」 父が一歩前に出ると、ためらうことなく智也の胸を蹴り上げた。父は全身の力を込めて智也を蹴った。「もういい加減に演技はやめな。私に子供を産ませて、出血多量で死なせようとしてるでしょう」 私は冷たく智也を見つめた。智也は一瞬慌てたが、すぐに憎悪の表情に変わった。「お前の家族がずっと俺を見下してきたからだ！婿養子だとバカにして！なんで俺がそんな目に遭わなきゃいけないんだ！10年も経って、子供一人も産めないお前が悪いんだ！新しい女を見つけたって何が悪い！莉子は妊娠している。誰にも彼女を傷つけさせない」智也は莉子の前に立ちはだかり、怒りをあらわにした。兄は冷ややかに笑いながら電話をかけた。すぐに智也の携帯が鳴った。「な、なんだって？！投資を引き揚げるだと？！」智也はよろめき、立っているのがやっとだった。父も笑みを浮かべた。「今すぐ役所へ行って奈绪と離婚しろ。さもないと、刑務所に入れてやることもできるぞ。ビジネスマンなら、誰にだって後ろ黒い手の一つや二つはあるものだ」父の軽い口調に、智也の血の気が引いた。「奈緒、お前の勝ちだ。お金があるからって偉そうにしやがって。俺は女に頼って生きてきたわけじゃない！子供も産めないお前を10年も養ってやったんだ。これで十分だろう！」この時でさえ、智也は
愛は遠ざかる 第9話
智也が戻る前に、私はホテルをチェックアウトし、実家に帰った。玄関先で父と兄が待っていた。二人の表情は穏やかだったが、それがかえって事態の深刻さを物語っていた。智也からメッセージが届いた。【奈緒、ごめん。仕事が急に忙しくなって抜けられない。お義父さんには謝っといて。落ち着いたら必ず会いに行くから】 彼はただ、私の家族の前で謝りたくないだけなのだ。今まで、彼は私の実家からの援助を当然のように受け取りながら、謝罪だけは絶対にしようとしなかった。彼のプライドを守るため、私はずっと言い訳をしてきた。だが今回は、私はそれに返信さえしなかった。家の主治医が診てくれて、詳しい診断書を作成してくれた。兄は私のお腹の傷を見て、心配そうな目で私を見た。父は怒りで胸を大きく上下させていた。父は私が止めたのも聞かず、家の監視カメラの映像を確認した。義母が日常的に私をいじめている様子を目の当たりにし、その場で倒れそうになり、ニトログリセリンを2錠飲んでようやく落ち着いた。兄は暗い表情で言った。「待ってろ。一ヶ月もあれば智也の会社を潰して、路頭に迷わせてやる。うちの金を踏み台にしてよくもまあこんなことを！」 いとこ――伊藤沙希（いとうさき）も駆けつけてくれた。母はもういないが、私には私を守り、愛してくれる家族がいる。沙希は一晩中私を抱きしめ、泣いてくれた。家族と温かい夕食を囲み、心の傷が少し癒えた気がした。私はすぐに離婚するつもりで、彼には一円も渡したくない。そんなクズにこれ以上時間を無駄にする価値はない。その時、インターホンが鳴った。沙希が出て行って言った。「奈緒、知り合い？お友達だって」私が近づいてみると、ドアの前に立っていたのは、莉子だった。彼女は相変わらずの白いワンピース姿だった。だが今回は、まだ目立たないお腹を両手で守るように抱え、得意げな表情で私を見ながら言った。「奥さん、私は妊娠しましたよ。子供を産めないあなたは、そろそろ智也のそばから去るべきだと思います。これ以上のわがままはやめてくださいませんか？」
愛は遠ざかる 第8話
智也は夜遅く帰ってきた。「ほら、何を買ってきたか分かる？」彼はドアに入ると同時に、黄色い袋を提げて、得意げに私に贈り物を見せた。中から出てきたのは、エルメスの食器セットだった。「料理が好きなお前に、特別なプレゼントだ。お前の作る料理が大好きだからな」私は笑顔でお礼を言いながら、心配そうに呟いた。「こんな高いもの、必要ないのに」彼は優しく私の頭を撫でながら言った。「お金なんて問題ない。お前は俺のためにずっと我慢してきたんだから、最高のものに値するんだ」 その瞬間、私はもう少しで彼の言葉を信じてしまいそうになった。愛していないのに、どうしてここまで上手く演じられるのだろう。私の機嫌が直ったと思ったのか、彼はほっとした表情を浮かべ、私の額にキスをして着替えに行った。私は目の前の食器を見つめながら、吐き気が込み上げてきた。これは、莉子のバッグを買うための言い訳作り、ただのおまけでしかない。「これを見ろよ」着替えを終えた智也が突然背後に現れ、2枚の航空券を見せた。「お前、最近元気ないみたいだし、休み取って海に連れて行ってやるよ。前から行きたいって言ってたろ？」 その瞬間、私は彼の目を見つめ、うなずいた。これが、彼と最後に一緒に出かける旅行になるだろう。彼が荷造りをしている間、私はリビングで一人、涙が止まらなかった。翌日、智也は車を300キロ以上運転し、となりの町まで私を連れて行った。彼はサプライズだと言って、海辺で私の目を手で覆った。目を開けると、ハートの形に組まれた焚き火の輪の中に立っていた。「奈緒、誕生日おめでとう！」彼は片膝をつき、ダイヤの指輪を取り出して言った。「愛してる」私は驚いたふりをした。「今日、私の誕生日じゃないよ」 智也は一瞬固まり、すぐに申し訳なさそうな笑顔を作った。「ごめん、最近忙しくて頭がぼーっとしてて、間違えちゃったのかも」「いいの。今日を特別な日にしましょう」私は少し大きい指輪を受け取った。彼の目にある誠実そうな輝きを見て、今までの彼の言葉を思い出すと、私は涙が出そうになった。私の心は不満でいっぱいだった。愛してないなら、なぜはっきり言わないのか？なぜ私をここまで追い詰めるのか？10年間の愛は、私を自由にしてくれるのにも値しな
愛は遠ざかる 第7話
「奈緒、そこで待ってろ！安全な場所にいるんだな？すぐに新しい家を手配するから！」電話の向こうで、父は智也を懲らしめてやると怒鳴っていた。兄は表情を引き締め、冷静に部下たちに会社への対応を指示し始めた。智也に、一生後悔させるつもりなのだろう。家族に慰められ、心が落ち着いた後、私は電話を切った。激しい感情の波で体が震え、布団にもぐり込んで泣いた。私が智也にあそこまで尽くし、体を痛めつけてまで体外受精を選んだのには、理由があった。付き合い始めた頃、道で突然暴漢に襲われた時、智也はためらわずに私の前に飛び出し、素手で刃物をつかんで止めてくれた。鋭い刃で手のひらを深く切られながら、彼は私を守ってくれた。だが今、彼は私を愛してない。私の実家の財産を奪おうとするだけでなく、私の命さえも狙っている。死の危険から私を守ってくれたあの男が、私が意識を失っている間に別の女と抱き合い、私が一番弱っている時に冷たく殺す計画を立てている。愛って、一体何なのだろう。すると、病室のドアが開いた。智也が心配そうな顔で入ってきた。義母も一緒だった。廊下の角で聞いた意地悪い言葉を思い出し、私はその嫌な顔を見ながらシーツを握りしめ、冷たい目で二人を見つめた。義母は気まずそうに顔をそらして出て行った。智也が座ろうとした時、私は彼の首の赤い跡を無言で見た。すると、彼は急に慌てた様子で言った。「奈緒、違うんだ」彼は申し訳なさそうに説明し始めた。「俺、最近ストレスで自分で掻いちゃう癖ができて。それより、お前また気を失ったんだって？危なかったじゃないか。昨日なんで家に帰らなかったんだ？どこ行ってたんだ？」私が答えないのを見て、彼は自分の無責任さに気付いたのか、話題を変えた。「医者は何て言ってた？いつになったら子供ができるんだ？」私は黙って彼を見つめた。智也の目から愛が消えているのが、はっきりと分かった。採卵の痛みや、私が耐えなければならない恐怖など、彼は少しも気にしていない。彼の目には子供のことしかない。その子供は、私の実家の莫大な財産を手に入れるための、単なる手段に過ぎなかった。彼がこんなに欲深く、卑しい男だとは思わなかった。私は質問には答えず聞き返した。「香水、あなた嫌いだったはずじゃないの？つけるように
愛は遠ざかる 第6話
目を覚ますと、最初に見えたのは、義母の嫌な顔だった。救急室の前でストレッチャーに横たわる私を、義母は腕を組んで冷たい目で見下ろし、嘲笑うように言った。「奈緒、はっきり言うわよ。子供が産めないなら、智也と別れたらどう？智也の人生を台無しにしないで。子供一人も産めないなんて、女として失格だわ。ただ智也のお金を食い潰すだけの厄介女よ。もう若くもないのに、よくも嫁の座にしがみついてられるわね。あなたにその資格あるの？」 私はもう30歳だった。智也と付き合ってちょうど10年、何もない貧しいころから今までずっと支えてきた。私は実家の莫大な財産も、甘やかされた生活も捨て、彼の起業を支えた。私の父や兄は惜しみなく支援し、貧しかった彼を今の地位まで押し上げてくれた。遠くから嫁いできたのは、このババアに侮辱されるためじゃない。10年間我慢してきた義母だけど、今日、ついに我慢の限界に達し、私は病床から起き上がって彼女を強く押した。「奈緒、何するんだ」怒鳴り声とともに、救急室のドアが勢いよく開いた。その場に駆けつけた智也は、状況も確かめずに私に駆け寄り、思い切り私の頬を平手打ちした。「母さんを殴るなんて、正気か」「智也、彼女は私を殴ってないわ」それを見て、義母も慌てた。長年、どれだけ私をいじめても、大事にはなってなかった。二人は私の家が、彼らとは比べ物にならないくらい裕福だということを知っていたからだ。もし本当に手を出せば、大変なことになる。智也ははっとした。彼は慌てて口を開いた。「ごめん、奈緒。つい、反射的に......」近づこうとする彼から、私は一歩後ろに下がった。今の平手打ちで、彼への残り少ない愛情も完全に消えた。彼のしわくちゃのワイシャツに目をやると、彼の首にはっきりとした赤い痕があった。私の視線に気付いた彼は、慌てて襟を直し、痕を隠そうとした。「奈緒、悪かったよ。勘違いしてカッとなって......大丈夫か？」黙り込む私を見て、彼は完全に慌てた。次の瞬間、彼は自分の頬を「パンパン」と強く叩き始めた。それでも私は黙ったままだ。今までこんな冷たい態度を取られたことのない智也は、戸惑いの表情を浮かべた。「話したくないなら休んでいい。母さんを連れて行くから、邪魔はしないよ」
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