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第24話 芽生えの音

last update 최신 업데이트: 2025-08-25 20:03:11

 ライナスから贈られた古代薬草学の稀覯書は、セレスティナにとって何物にも代えがたい宝物となった。彼女はそれからの数日間、食事の時間も忘れるほどその書物の解読に没頭した。インクの匂い、古い羊皮紙の滑らかな感触、そしてそこに記された先人たちの知の軌跡。その一つ一つが、彼女の乾ききっていた魂を潤し、生きる喜びそのものを思い出させてくれるようだった。

 すみれ色のショールを肩にかけ、一心不乱に書物を読み解く彼女の姿は、もはや絶望に打ちひしがれた「人形令嬢」の面影をどこにも留めていなかった。その横顔は真剣そのもので、時折、難解な一節の意味を解き明かした瞬間に見せる、花が綻ぶような微笑みは、この殺風景な城の中に、思いがけない彩りを添えていた。

 侍女のマルタは、そんなセレスティナの変化を、いつもと変わらぬ無表情の裏で静かに見守っていた。彼女が食事を運んでいっても、セレスティナが気づかずに読書に集中していることがある。以前のマルタであれば、構わずに食器を置いて立ち去っただろう。だが、今の彼女は、セレスティナがキリの良いところまで読み終えるのを、部屋の隅で辛抱強く待つようになっていた。その厳格な横顔に浮かぶ表情は、主君の「宝」を見守る、忠実な番人のようでもあった。

 数日後、ライナスの命を受けて薬草の調査に向かっていた部隊が城に帰還した。彼らはセレスティナが古文書から読み解いた通り、山麓の特定の場所に、熱病に効果のあるリンドウの一種が群生しているのを発見したと報告した。その報せは、すぐにセレスティナの耳にも届けられた。

 自分の知識が、机上の空論ではなく、現実に人々を救う力となる。その確かな手応えに、彼女の心はこれまで感じたことのない高揚感で満たされた。

 彼女は、じっとしてはいられなかった。その日の午後、彼女はライナスの執務室の扉を、自らの意志で初めて叩いた。

「閣下、失礼いたします」

 中で書類の山と格闘していたライナスは、彼女の突然の訪問に、わずかに驚いたように金色の目を上げた。

「どうした」

「薬草の件です。自生地が見つかった以上、次はその栽培方法を確立すべきかと存じます。つきましては、城の中庭の一角をお借りし、試験的な薬草園を作る許可をいただきたく…」

 セレスティナは、一気にまくし立てた。その瞳は、知的な探求心と、使命感に満ちて爛々と輝いている。ライナスは、そんな彼女の姿を眩しいものでも見るように目を細め、そして、口の端に満足げな笑みを浮かべた。

「好きにしろ。必要な人員も道具も、ギデオンに命じて手配させる」

「ありがとうございます!」

 セレスティナは、完璧な淑女の礼をすると、弾むような足取りで執務室を後にした。その背中を見送りながら、ライナスは自らが彼女に与えた「牙を研げ」という言葉が、これほどまでに彼女を輝かせることになるとは思っていなかった。彼女は、ただ守られるだけの白百合ではない。自ら根を張り、花を咲かせる力を持つ、気高い植物そのものだった。

 翌日から、城の中庭では奇妙な光景が見られるようになった。

 これまで武骨な兵士たちの訓練場としてしか使われていなかった庭の一角が、セレスティナの指揮のもと、少しずつ畑へと姿を変えていったのだ。

 彼女は、貴族令嬢であったことなど忘れたかのように、土に膝をつき、泥にまみれるのも厭わずに働いた。土壌の質を確かめ、日当たりや水はけを計算し、畝を作る。その手つきは驚くほど慣れており、的確だった。それは、かつて父と共に、アルトマイヤー家の庭で薬草を育てていた頃に培われたものだ。

 最初は、鉄狼団の兵士たちも、その光景を遠巻きに眺めているだけだった。「軍師殿はいったい何をなさっているんだ」と、戸惑いの声さえ聞こえてくる。彼らにとって、土いじりは農夫の仕事であり、貴人の令嬢が率先して行うことではなかった。

 だが、セレスティナの真摯な姿は、そんな彼らの固定観念を打ち破っていった。彼女は、手伝いを命じられた兵士たちに、ただ命令するのではなく、なぜこの作業が必要なのかを、薬草学の知識に基づいて丁寧に説明した。

「このリンドウは、酸性の土壌を好みます。ですから、ここに少し、松葉を混ぜ込むのです。そうすることで、根の張りが格段に良くなりますの」

「畝の間の間隔は、広すぎても狭すぎてもいけません。葉が重なり合わず、全ての株に太陽の光が当たるように。それが、病気に強い株を育てるための秘訣ですわ」

 彼女の言葉には、確かな知識と経験に裏打ちされた説得力があった。兵士たちは、最初は半信半疑だったが、次第に彼女のその専門的な知見に引き込まれ、敬意を払うようになっていった。いつしか、手伝いを命じられていない兵士までもが、訓練の合間に自主的に作業に加わるようになっていた。

 無骨な狼たちが、すみれ色の瞳の令嬢に率いられ、小さな畑を耕す。その光景は、この殺伐とした辺境の城において、ひどく場違いで、しかし心温まるものだった。

 ライナスは、その全ての様子を、執務室の窓から静かに見守っていた。

 泥だらけの顔で、兵士たちに笑いかけながら指示を出すセレスティナ。その表情は、彼がこれまで見たどの顔よりも、生き生きとして、輝いていた。

(…良い顔をする)

 彼は、無意識にそう呟いていた。

 城に連れてきた当初の、心を閉ざした人形のような姿。書庫で見せた、知的な探求者の顔。そして、自分の前で見せる、どこか緊張した硬い表情。そのどれもが彼女の一面であることは間違いない。

 だが、今、あの庭で見せている顔こそが、彼女の本来の姿なのではないか。

 父に愛され、婚約者を信じ、何の憂いもなく庭の花々を愛でていた頃の、幸福な光。それは、ヴァインベルクの卑劣な陰謀によって、無慈悲に奪われたものだ。

 ライナスの胸に、これまで感じたことのない、熱い感情が込み上げてきた。

 この女の、あの笑顔を守りたい。

 彼女が失った時間と幸福を、自分のこの手で、取り戻してやりたい。

 それはもはや、彼女の利用価値に対する打算や、支配者としての庇護欲ではなかった。一人の男として、愛する女を幸せにしたいという、純粋で、そしてどうしようもなく強い願いだった。

 彼は気づいていた。自分がこのすみれ色の瞳の令嬢に、完全に心を奪われていることを。彼女の存在が、自分の無味乾燥だった世界に、鮮やかな色と、温かい光をもたらしていることを。

 だが、彼はその感情をどう表現していいのか分からなかった。戦場で生き、力と策略だけを信じてきた彼にとって、愛情とは、あまりに扱いの難しい、未知の感情だった。

 彼はただ、窓の外で輝くその姿を、目に焼き付けることしかできなかった。その金色の瞳に、これ以上ないほどの深い愛情と、そしてかすかな戸惑いの色を浮かべながら。

 その日の夜。

 慣れない肉体労働で心地よい疲労を感じながら、セレスティナは自室でくつろいでいた。マルタが用意してくれた湯浴みで一日の汗と泥を流し、清潔な寝間着に身を包む。テーブルの上には、彼女が好んで読んでいる歴史書が数冊、開かれたままになっていた。

 とん、とん、と、控えめなノックの音。

 彼女が返事をする前に、扉は静かに開かれた。そこに立っていたのは、ライナスだった。

「閣下…」

 セレスティナは、驚いて立ち上がった。彼の夜の訪問は、これが二度目だ。一度目は、食事を共にした日。その時と同じように、彼女の心臓が、とくん、と小さく音を立てる。

「邪魔だったか」

「い、いえ、そのようなことは…」

 ライナスは、部屋に入ると、彼女が読んでいた書物に目を留めた。

「熱心だな。薬草だけでは飽き足らず、歴史か」

「この土地のことを、もっと知りたいと思いましたので。過去を知ることは、未来を考えるための、礎になります」

「…そうか」

 ライナスは短く応じると、彼女の向かいにある椅子に腰を下ろした。沈黙が流れる。彼は、一体何をしに来たのだろうか。セレスティナは、緊張しながら彼の次の言葉を待った。

「昼間の様子、見ていた」

 ライナスは、唐突に切り出した。

「お前、土に触れている時が、一番良い顔をするな」

 その、あまりに不意打ちで、そして的を射た言葉に、セレスティナは息を呑んだ。

 誰も、そんなことを言ってくれた者はいなかった。父でさえ、彼女の聡明さを褒めることはあっても、土いじりをする姿を、これほど肯定的に評価することはなかった。

 この男は、見ている。自分の上辺だけでなく、その奥にある本質の部分を、正確に見抜いている。

 その事実に、彼女の心は激しく揺さぶられた。

「…昔、父と、よく庭の手入れをいたしました。それが、わたくしにとって、何より幸せな時間でしたから」

 彼女は、無意識のうちに、自分の過去を口にしていた。この男になら、話してもいいかもしれない。そんな、不思議な信頼感が芽生え始めていた。

「そうか」

 ライナスは、それ以上は何も聞かなかった。ただ、彼女の言葉を静かに受け止める。

 彼は、ゆっくりと立ち上がると、セレスティナのそばに歩み寄った。そして、彼女の前に屈みこむ。その巨体が間近に迫り、セレスティナは思わず身を固くした。

 ライナスは、彼女の細い手を取った。その手つきは、驚くほど優しく、慎重だった。

「…まだ、土が残っている」

 彼はそう呟くと、彼女の指先に残っていた、わずかな土の汚れを、自分の無骨な親指で、そっと拭った。

 その、予期せぬ親密な仕草に、セレスティナの思考は完全に停止した。

 彼の指先が、自分の肌に触れている。硬く、たこだらけで、無数の傷跡が刻まれた、戦う男の指。その指が、信じられないほど優しく、慈しむように、自分の汚れを拭っている。

 カッと、顔に血が上った。心臓が、破れそうなほど大きく、激しく鼓動を打つ。

 彼女は、ライナスの顔を見上げた。

 間近で見る、彼の金色の瞳。その中には、これまで見たことのない色が宿っていた。強い独占欲、抑えきれないほどの愛情、そして、自分自身もその感情に戸惑っているかのような、かすかな熱。

 それは、ただの駒を見る目ではなかった。ただの庇護対象を見る目でもない。

 一人の男が、一人の女に向ける、剥き出しの想いの色だった。

 その視線に射抜かれ、セレスティナは、はっきりと自覚した。

 ああ、私は、この人に惹かれているのだ。

 この、不器用で、乱暴で、しかし誰よりも優しく、誰よりも気高い、狼の王に。

 その感情は、恐怖と、安らぎと、そして未知の甘い痛みとが混じり合った、生まれて初めて感じる、激しい恋慕の情だった。

 ライナスは、彼女の動揺に気づいたのか、はっとしたように手を離すと、気まずそうに立ち上がった。

「…邪魔をしたな。ゆっくり休め」

 彼は、それだけ言うと、逃げるように部屋を出て行った。

 一人残されたセレスティナは、熱くなった頬を両手で押さえ、その場に座り込んでしまった。

 胸が、苦しいほどに高鳴っている。ライナスに触れられた指先が、まだ熱を持っているようだった。

 狼の巣で感じたのは、恐怖ではなかった。温もりと、安らぎと、そして、今、確かに芽生えた、この甘い想い。

 彼女を縛り付けていた、過去の絶望という最後の呪縛が、完全に解き放たれた瞬間だった。その代わりに、彼女の心には、恋という、新しく、そしてもっと甘美な呪縛が、かけられようとしていた。

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