訴えを起こしてきた女性は、音声データの存在を告げられると、その態度を一変させたらしい。電話口での声も弱々しく、言葉に詰まり動揺の色が明らかだったという。そして、数日後、彼女の方から「訴えを棄却したい」と連絡を寄こした。
理由を尋ねると、彼女は涙ながらに語ったという。
「退職後に色々なことがうまくいかなくて、自分を嫌になっていました。そんな時に子会社へ出向したはずの相原さんが、退職理由を尋ねてきて私の話に真剣に耳を傾けてくれたんです。」
「その時、勝手に相原さんが自分と同じ境遇を味わった仲間のように感じました。でも、その後、元のポジションよりも昇格して親会社に華々しく戻っていることを知り、一向にうまくいかない自分と比べてしまい、とても羨ましかった。その羨む気持ちが、いつしか恨みに変わってしまったんです。……本当に申し訳ありませんでした」
(彼女の証言が真実かどうかは分からないが、完璧で人望の厚い空のような人物でもこんな風に恨みを買うことがあるんだなんて……)
一連の騒動はすぐに解決し会社への影響もなかった。だが、俺は今回の件に少なからず動揺していた。空の人間性に対する信頼は揺るがないが、人の心の脆さや嫉妬という感情の恐ろしさを改めて痛感した。
「全員分の録音データを残しておいたなんて、さすがだよ」
数日後、空と二人きりで事業の打ち合わせを終えたタイミングでそう話しかけた。しかし、空は今回の件にショック
「護さんは、週に何回くらい神宮寺家の往診に行っているの?おじいさまやお父様は元気?」護さんのマンションで二人でお茶を飲んでくつろいでいる時に、さりげなく尋ねた。護さんはティーカップをソーサーに戻し、少しだけ驚いたような表情を見せた。「おじいさまは血圧が高くて薬を飲んでいるけれど、生活に支障はないから問題ないよ。華ちゃんのお父さんも会食が続くと胃の調子を崩すけれど、それ以外は元気にやっている。急にどうしたの?」不安そうに見つめてくる護さんの視線を感じながらも、私は気にせず続けた。「もうしばらく会っていないし、私から連絡することは出来ないから、なんとなく気になって。お母さまは?玲のことも護さんが見ているの?」護さんはわずかに眉をひそめ、言葉を選びながら遠慮がちに話してくれた。「……華ちゃん。玲さんは一条家に嫁いだ身だから僕はもう診ていないよ。彼女とはもう何年も会っていないんだ。奥様とは、おじいさまの往診の日に少し顔を合わせるくらいだよ」護さんは複雑な笑顔を浮かべた。玲ともう何年も会っていないなら、護さんが玲の標的になっている可能性はなさそうだ。その言葉に私は安堵した。(私を追い出して、一条家の、瑛斗の妻の座を手に入れたから、玲にとって私はもう過去の人になっているはずだわ。護さんも玲と接点がないなら、「監視」の件は私たちには関係ない&he
「慶くん、碧ちゃん、六歳の誕生日おめでとう!!」この日、子どもたちが六歳の誕生日を迎えた。今年も別荘に仕えているみんなが部屋に飾りつけをしたり、記念日の料理に腕をふるって温かく賑やかにお祝いをしてくれた。私も子どもたちのリクエストにこたえてフルーツがたっぷり乗ったケーキを作る。この日のために前日からスポンジを焼き、HappyBirthdayの歌を歌ってろうそくを消す子どもたちの姿を思い浮かべながら、お祝いの準備をしていた。「もう慶くんと碧ちゃんも六歳か。大きくなったね。おめでとう」護さんが腰を落とし、子どもたちと同じ目線で顔を見ながらプレゼントを渡してくれた。子どもたちもすっかり護さんのことを家族のように思っている。「みーみ、ありがとう!」「みーみもケーキ一緒に食べよう!ママの作ってくれたケーキ、とっても美味しいよ!」子どもたちの弾んだ声と笑顔が、護さんの顔をさらに綻ばせる。護さんは、子どもたちの一歳の誕生日から毎年お祝いしに来てくれて、子どもたちだけでなく、私にも「ママになった記念日だから」とプレゼントを用意してくれる。私たちの人生における護さんの存在は、日を追うごとに大きくなっていき、いつしか瑛斗と過ごした時間よりも護さんとの時間の方が長くなっていた。
「玲が誰かに監視を指示していた?もしかして護さんが言っていた尾行は、玲の仕業なの?もし、そうなら危険が迫っているかもしれない……そんなことはさせない。護さんは、私が守る!!」私の今の生活は、護さんがいてくれてこそ成り立つのだった。瑛斗との離婚も、家族との絶縁も、妊娠・出産時の恐怖も護さんがいたから乗り越えられた。過去の深い傷と恐怖から立ち直り、今の笑顔と幸せ溢れる生活は護さんと一緒に築き上げてきた。(でも、もし本当に護さんを監視していたとしたら、玲の目的は何?玲は、私が神宮寺家との縁が切れたと思っているはず。私を探すためだとしても、護さんの行動を探っても意味がないわ……。一体、何のためだと言うの?)私と護さんの関係は、この別荘に仕えている人々と瑛斗以外知らないはずだ。そして、瑛斗は今、玲のことを疑っている。私たちが付き合っていることを玲が知らなければ、護さんは私と無関係な人のはずだ。玲の目的がどうしても分からなかった。しかし、海外留学の時も自分の意志で飛び立ったのに、瑛斗に「華の指図で父親から海外に行くよう命じられた」と嘘をつき、私を悪者に仕立て上げていたのだ。もし、海外に行く前から一連の流れがすべて計画されていたものだとしたら……護さんの尾行も、今はその意味が分からなくても、実は裏でとんでもない意味を持っているのかもしれない。(玲は、目的を達成するためなら平気で嘘をつく。玲は、今度は護さんを陥れようとしているというの?もし、玲が護さ
玲・監禁・監視――――おぞましい言葉を聞いて、私は身の毛がよだった。そして、瑛斗の「助けに来た」という言葉は、全く理解ができなかった。そもそも長野の別荘に来たのは、妊娠中にトラックやバイクに命を狙われたことが原因だった。あの時の恐怖は今でも鮮明に私の脳裏に焼き付いている。妊娠中のお腹を抱えて、いつ命を狙われるかと怯えながら暮らしていた。命を狙われ、さらに玲にも家の場所が見つかり、危機的な状況から逃れるために、護さんが父に話をしてこの別荘に逃げてきたのだ。(私と子どもが出産するのを阻止するために、命まで狙っておいて何が『助けに来た』なの?)瑛斗が別荘を見つけた時は背後に玲の存在を感じて、全身が凍るような恐怖と寒気がした。子どもたちの存在を知り、二人がまた命を狙ってこないかと心配で心配で仕方なかった。しかし、瑛斗は今、玲のことを疑っているという。それどころか結婚も親同士が無理やり決めたことだと言っている。(それなら離婚を突きつけられた翌日に、会社の地下駐車場で二人がこっそり会っていたのは何だったというの?)瑛斗が私に離婚を告げたことを知った玲は、喜んで好きだと伝えて微笑んでいた。親同士が決めた結婚には到底、見えなかった。しかし瑛斗は、玲が隠れて
「……結婚はしている。だけど、親同士が無理矢理決めた話で華とのような関係ではない。それに、玲が興味があるのは俺ではなくて、俺の親だけだ。この前、玲がこっそり電話をしている中で『監視』と言っているのを聞いて、てっきり華のことかと思って……心配でここに来たんだ。」俺がそう告げると華の顔から血の気が引いた。彼女は、ゆっくりと一歩後ろへ下がった。「え、監視……?それに、玲はこの場所のことを知らないはず。瑛斗に知られたら、玲が来るかもと怯えていたのに。まさか、玲に気づかれたというの?」(玲はこの別荘の存在を知らないだと?どういうことだ?)また新たな疑問が渦巻いた。俺の推理は、玲が華の居場所を知っているという前提で考えられていた。しかしその前提が崩れた今、何も分からなくなった。「玲にだけは絶対言わない。俺は、今、玲のことを疑っている。だから、真実を知りたくて、華と話したくてここに来たんだ」俺は必死に訴えた。だが、華は俺の言葉に耳を傾ける様子を見せない。「そう。でも、玲にここが見つかるわけにはいかないの。私にはもう関わらないで。……もう、この平和で幸せな生活を失いたくないの」「一つ聞いていいか?高校時代に、俺にいつもお菓子を作ってくれていたのは華だったのか?」
side瑛斗「華、来てくれたのか!!!」重厚な門の奥にある玄関の扉が開き、そこに華の姿を見た瞬間、俺は思わず叫んでしまった。しかし、華の表情は冷たいままだった。「勘違いしないで。子どもたちの前で話をするのも、聞かれるのも嫌だからここに来ただけよ」華の言葉が俺の胸に突き刺さる。「そうか……。俺は、本当に勘違いをしていた。華は、俺のせいで閉じ込められて、苦しんで助けを求めているんだと、勝手に思い込んでいたんだ。前回、俺が来た時に拒否をしたのも、何らかの事情があってのことだと思っていた……。申し訳ない」俺は頭を深く下げた。だが、華は俺を許す様子を見せない。「自分が何をしたか忘れたの?あんなことされたら、あなたから逃げるに決まっているじゃない」華の言葉は、鋭い刃物のように俺の心臓を抉った。(玲の言葉を鵜呑みにしたり、DNAの結果にショックを受けて罵倒したりしたら、嫌になるよな。でも、まさか俺から逃げたくなるほど、深く憎まれていたなんて……)華の瞳からは、過去に俺に見せてくれた愛しさを含む温もりは一切な