ログイン橋本は片手を使って、顔をぱたぱた扇ぐ。そんな恋人の顔を、宮本はきょとんとしたまま見つめた。「剛速球なんて、投げつけてないのに。俺の素直な気持ちを言っただけですって」「おまえの気持ちがピュアすぎて、腹黒い俺には衝撃が半端ねぇんだよ」 言いながら橋本がテーブルに突っ伏しかけた途端に、グランドピアノのほうから拍手喝采が聞こえてきた。「あ、恭介の演奏、全然聞けなかった」 しまったと思ったときにはすでに遅し。グランドピアノの周りにいは、いつの間にか人だかりができていて、その中にいる榊は苦笑いをしつつ何かを言いながら、和臣のほうを見ていた。「俺はキョウスケさんの演奏のお蔭で、陽さんにプレゼントを渡すことができました。話をしながらでしたけど、素敵な演奏に耳を傾けていましたよ」「アイツら、このまま帰るっぽいぞ」 人だかりの中から和臣の手を引っ張った榊が、出口に向かって歩き出した。名残惜しそうな顔した和臣がコチラに振り返る。橋本は遠くから見てもわかりやすいように、大きく右手を振り、宮本はニッコリ微笑みながらピースサインを作った。「あとでメッセしておくか」「俺の分までお願いします」 榊たちが去ったあとは、蜘蛛の子を散らすよう席に戻っていく。しかしピアノを演奏する者がいず、人々の囁き声がそこかしこから聞こえてきた。「キョウスケさんの素敵な演奏のあとだと、やっぱり弾きにくいのかもしれませんね」「そうだな。ずっとピアノを弾いてたヤツに比べて劣るところはあるのに、勢いというか聞き入ってしまう何かを、恭介はもっていたと思う」「陽さんってば、ピアノの音の違いなんてわかるんですか?」 宮本は顎を引きながら、目を瞬かせる。「若い頃はジャズやクラシックなんてジャンルにとらわれずに、いろんな音楽を聞いていたし。耳はいいほうかな」 橋本の説明を聞いた宮本は、嬉しさを表す感じで瞳を細めた。「やっぱり、陽さんの引き出しは大きいなぁ。今度教えてくださいね」 喜びに満ちた弾む声を聞きながら、橋本はネクタイピンを手に取り、締めているネクタイにつけてみる。スーツの隙間から覗くそれは、ギリギリのラインでスターサファイアが見え隠れした。「……似合うか?」「男前二割増っス! ますます惚れちゃいそう」「ああ、そう……」 またしても宮本に直球を食らった橋本は対処に困り、視線を右往
「ゆ、指輪!?」「やっ、いきなりそういうのは重いと思って、やめたんですけど」 赤ら顔の宮本を見ていうちに、橋本の頬も赤く染まっていった。「俺は別に、重たいなんて思わないけどさ」 本心を言いながら置かれたままのケースを素早く手に取り、静かに蓋を開けた。「これは……」 中に入っていた物の輝きに、目を奪われる。フロアの天井にぶら下がっているシャンデリアの光を受けて、瞬くように輝いているそれを、瞬きを忘れて見入ってしまった。「ネクタイピンです。それなら仕事で使えるかなって」「このくっついてる石はなんだ?」 橋本は恐るおそるそれを突っつきながら、宮本に訊ねた。ネクタイピンについている石は大きくないものの、青く輝く色合いと中に浮かび上がっている星模様で、高価なものだというのが見てとれた。「……スターサファイアです」「っていうことは、このシルバーはプラチナでできてるんだな?」「ご明察通りっス……」 ネクタイピンが落ちないように、ボタンに引っかけるチェーンがついているが、何かの拍子でチェーンが切れたりしたらと思うと――。「仕事でこれを付けるには、かなり勇気がいるな」 ハイヤーの運転手として、ただハンドルを握るだけじゃない。お客様から預かった大きな荷物の運搬など稀にあるので、躰を動かすこともしばしばある。「そんなこと言わずに、付けてほしいです。なくなったら、また買ってあげますから」「また買ってあげるなんて言ってるけど、ほいほい買える代物じゃねぇだろ。おまえの趣味を封印してまで買ってることくらい、俺にはわかるんだぞ!」「スターサファイア、石の意味知ってますか?」 宮本のお財布事情を知っていたので、あえて口にして指摘したというのに、いきなり話題転換されて、橋本の頭がパニくる。「博識の恭介じゃあるまいし、そんなの知らねぇよ」「運命です。俺にとって陽さんは運命の人で、その星の輝きと同じように、陽さんはキラキラしている俺の憧れの人なんです」「ぶっ!」 臆することなく真顔で説明した宮本に対し、橋本は顔だけじゃなく、全身が火照ってしょうがない状態に陥った。「雅輝てめっ、よくもそんなこと、素面でペラペラ言えるな。俺のどこがキラキラしてるのか、全然わからねぇよ、まったく。プレゼントつきで、剛速球投げつけてくるな。対処に困ってしょうがねぇ……」
「恭介のヤツ、なにか弾く気だ。和臣くんのために、カッコいいところをみせようって魂胆だな」 橋本が笑いながら説明したら、宮本も遠くにいるふたりに視線を飛ばした。「キョウスケさん、すごいですね。ピアノも弾けちゃうなんて」「外資系の証券会社にお勤めの、仕事ができる超イケメンで、なにをやらせても器用にこなす男を、絶対に俺は敵に回したくはないな。っていきなり難易度の高そうな子犬のワルツを弾くって、やっぱりすげぇ……」「二匹の子犬が、仲良くじゃれあっているように聞こえます。楽しそう」 そのまま演奏を続けると思ったのに、変なところで音は鳴りやみ、榊が両手を膝に置いたまま、橋本たちを見る。それにつられるように、和臣も自分たちを見て、なぜかピースサインを送った。「陽さん、俺たちを見てますよね?」「そうだな。これから、なにかあるのかも……」 視線をピアノに戻した榊は、深いため息をついてから細長い指で力強く鍵盤をたたく。高音から低音にメロディが流れるその前奏は、アレンジされたものだとすぐに気がついた。「これって、恋人はサンタクロースって歌ですよね。なんか原曲よりも、すごい迫力がある感じ……」「なんつーか、雅輝の運転に似てる気がする」「へっ? 俺の運転ですか? こんなに激しくないですって」「おまえはそう思っていないだろうが、隣で乗った俺の印象がそのまんま、演奏でうまく表現されてる。恭介は乗っていないのにこんな表現ができるということは、和臣くんから聞いた感じを、ああやって音楽で表しているんだな」 一音一音が弾んでいるだけじゃなく、軽快でリズミカルな雰囲気は、宮本がコーナーを駆け抜けるときに見せる表情みたいだと、橋本はつけ加えた。「あのね、陽さんっ」「なんだ?」 曲がちょうど、サビの部分に突入したときだった。それを耳にしながら、宮本の顔を見る。(恭介のチョイスした歌が『恋人はサンタクロース』だからか、雅輝がサンタクロースに見えなくもない)「これ、受け取ってください」 宮本は橋本のデザートが置いてあった場所に、濃紺のビロードの箱をそっと置いた。見るからに宝飾品が入ってますというそれと、宮本の顔を交互に眺める。「安心してください、指輪じゃないんで」 橋本が問いかけようとした矢先に、たたみかける感じで告げた宮本の顔は、耳まで真っ赤になっていた。
☆ ⌒Y⌒Y⌒Y⌒「どれをとっても美味しかったですね!」「予約が一年待ちというのもわかる気がする。静かにピアノが流れる店の雰囲気や、ここからの眺めも最高だしな」 橋本が窓の外を眺めたタイミングで、宮本はもじもじする。目の端にその動きを察知したので、思わず声をかけた。もちろん周りと宮本自身に配慮して、声のトーンを落とすのを忘れない。「どうした、トイレか? 遠慮せずに行けって」「違いますよ。そんなんじゃないです……」 ちょっとだけ不貞腐れながら、出されたデザートのケーキにフォークを突き刺す。その様子はケーキに当たるような感じに見えたので、なんだかなぁと思いながら話しかけた。「おいおい、やめてくれよ」「なにがですか?」 手荒に何度もスポンジにフォークを刺す宮本に、橋本は瞳を細めながら口を開く。「雅輝が俺の中を、そうやって荒っぽくグサグサしたら、たまったもんじゃねぇなぁと思ったんだ」「そんなことしません。大事にいたす所存です」「ホントかよ」 橋本がカラカラ笑うと、宮本は「本当なのに!」とむくれながら呟いた。「俺のデザートやるからさ」 言いながら、宮本の前にデザートを差し出す。それを不思議そうに眺めたのちに、橋本に視線を飛ばした宮本の顔には、疑惑という二文字が浮かびあがっていた。「陽さん、なにを企んでるんですか?」「企んじゃいねぇよ。ただ、めちゃくちゃにしてほしいだけだ」「なっ!?」 いきなりなされた橋本の要求に、宮本は椅子の上で小さく跳ねた。「おっと、危ない!」 ちょっとグラついただけなのに、なぜか上半身を屈める宮本を見て、橋本が慌てて声をかける。「危ないって、おまえのその動きはなんだ?」「やっ、別になにもありませんよ、本当に!」「そういやおまえ、料理の中盤から、なーんか動きが怪しかったんだよな。視線が定まっていなかったし、変な作り笑いして俺に合わせていたというか」 橋本がここぞとばかりに追求しかけた瞬間、それまで聞こえていたピアノの音が聞こえなくなった。どうしてだろうとグランドピアノがあった場所を見てみると、そこにはなんとピアノの椅子に榊が腰かけていて、すぐ傍に和臣が立ち竦み、にこやかに談笑していた。
「陽さんってば、俺をやり込めたのが嬉しくて、そんなふうに笑ってるでしょ」「それは違う。おまえがちゃんと彼氏らしく最初からアイツを牽制したり、追っ払ってくれたろ。前はそんなことすらできなくて、おどおどしていたじゃないか」 橋本に指摘された宮本は、あいまいな表情を作って黙り込む。「なんだよ、褒めてやったのに」 宮本が形容のできない妙な表情をしているせいで、場の雰囲気があまりよくなかった。「すみません。俺あまり褒められたことがないので、どんな態度をしていいのかわからなくて」「だったらこれから、俺がうんと褒めてやる! そしたら慣れるだろ?」「陽さんが俺を褒める……」 橋本が声高々に褒めると言ったのに、宮本の顔色は相変わらずだった。そのせいで無駄に上げた橋本のテンションも、だだ下がりする。「なんだかなぁ。バレンタインには女からチョコ貰ったり、クリスマスイブには俺の前で男に誘われたりと、すげぇモテてるというのに、本人まったくその自覚がないっていう」「確かに陽さんと付き合ってからは、服装に気をつけたりしましたけど、それ以外は全然変わってないんです。それなのに周りの扱いが一気に変わってしまって、困惑しているというか」 グラスを意味なくぐるぐる回しながら告げられたセリフを聞いて、橋本なりに考えながら語りかけた。「なんつーか、ほら。ド近眼の眼鏡を外したらイケメンだったキャラみたいな感じで、雅輝も変わったんだと思う。冴えないモブキャラが、格好いい主人公に変身しちゃったと表現すればいいか」「俺が格好いい主人公?」 目を大きく見開いて反応した宮本に、橋本はほっとする。このまま無反応を決めこまれてしまったら、正直持ち上げようがないと思っていたので、心底安堵した。「だから、もっと自信を持てって。俺の彼氏!」「陽さん……」「もう少しだけ自信を持ってもらわないと、俺の実家に行ったときに、大事なところで下手こくのは、どこの誰だ?」 おどけた口調で問いかけた橋本に、宮本は満面の笑みを唇に湛えてまっすぐ前を見る。「下手こかないように、陽さんの実家に顔を出すまでちゃんと練習して、自信をつけておきます」「そうしてくれ。すみません、アップルタイザーください」 ちょうど料理を運んできたウェイターに、宮本と同じ物を頼んだ。「あれ、もう飲まないんですか?」「誰かさんが、
「次の日のお仕事の関係でアルコールを断念しているお姿に、大変感銘を受けました。機会がありましたらお仕事がないときにでも、美味しいワインのある名店にご案内したいです」(あー、はいはい。俺はフェイクということね。だよなぁ。年増の俺を誘うよりも、若い雅輝のほうが食いごたえがあるだろうよ! それに見た目がまんまネコの雅輝を誘えば、簡単に挿入できそうだしな。や~い、騙されてやんの!)「ぉ、俺ですか?」 含み笑いしながら、心の中でヤジを飛ばしている橋本を尻目に、宮本は自分を指差しつつ驚いて椅子に座りなおす。「はい。お客様はアルコール、いける口なんでしょう?」「それなりにいけると思いますけど、お酒を飲むと車に乗れなくなるので、俺は飲みません」「ですからお仕事がないときに、ご一緒したいなぁと思っているんですが」「恋人に呼び出されたときに、お酒のせいで逢いに行けなくなるのが嫌なんです。だから俺は飲みません」 言いながら、宮本は橋本に視線を飛ばす。会話に加われと無言でいきなり無茶ぶりしてきた恋人に、めんどくせぇと思いながら前園を見た。すると、瞳を細めてニッコリ微笑まれてしまう。「あのさコイツ、こんなふうに見えるけどタチだから」 意味のわからない前園の笑みをジト目で返しながら告げると、呆けた顔に変わった。「はい?」 橋本が告げたセリフが信じられなかったのか、何度も目を瞬かせて自分を見つめる前園に、不機嫌を示すべく、眉間に深いシワを寄せながら説明する。「だからアンタが誘っても、跨ることはできないって話だ。わざわざ恋人がいる前で、誘うんじゃねぇって」「ああ、そうでしたか。てっきりご兄弟かと思いました。年が離れていたようにお見受けしたので」「陽さんとは兄弟以上の関係ですので、お引き取りください。ワインのお代りは無用です」 彼氏らしくキッパリ断った宮本に、前園は残念そうに去って行った。「雅輝、モテるじゃねぇか」 羨望と嘲りの混じった笑みを浮かべると、顔を歪ませながら肩を竦めて小さなため息をつく。「てっきり陽さん狙いだと思いました。俺を誘うなんて、趣味悪いですよね」「それってさりげなく、俺の趣味が悪いって言ってるだろ?」 わざと不貞腐れてみたら、金魚のように口をパクパクさせる。「やっ、そんなことはないですって。むう……」 あからさまに慌てふためく様子
「エッチな俺は嫌?」「俺は男だ、そんな対象じゃないだろ」 俺が喚くと、加賀屋は顔の前にある両手を力ずくで外した。まっすぐ注がれるまなざしに、うっと言葉を飲む。「そんなの関係ない。だって笹良だから」「でも……」「笹良の全部を、俺のものにしたい」「うぁ、そんな、の」「このまま強引にしようと思えば、スムーズにコトを進められる。だけどそれをしたくない俺の気持ち、わかってくれよ」「加賀屋……」「俺のこと、気になってるんだろ?」「ぅ、うん」 加賀屋に導かれるように、すんなりと答えてしまった。それは嘘偽りのない気持ちだったので、あっさり告げることができたのだが――。「気になる俺に触
***(ああもう笹良のヤツ、めちゃくちゃ可愛かったな――)「ううっ、もぅ嫌だ……」 ふたり並んだベッドの上で、笹良は俺に背を向けたまま、他にもブツブツ文句を言い続ける。それに耳を傾けながら、優しく話しかけた。「気にすることないって。俺しか知らないことだろ」「気にするに決まってるだろ! 普段はこんなに早くないんだからな!!」 勢いよく起き上がりながら喚き散らした笹良の顔は、見たことのないくらいに赤く染まっていた。耳朶まで赤くなっていることに吹き出しそうになりつつ、にっこり微笑みながら口を開く。「実際俺もイキそうだったし。ずげぇ気持ちよかったよな!」「嘘つくなよ……。加賀屋のと俺
「いやいや! 俺の愛の告白に、笹良ってば顔を真っ赤にしたじゃん! 全然落ち着いてなかったって」「好き好き言われ慣れていないからだよ。しかも加賀屋は、なにか誤魔化そうとするときに限って、この言葉を使ってるような気がしてならない」「そんなことないっ! 俺は笹良が好きなんだ、誰にも負けないくらい大好きだ!!」「言えば言うほど、墓穴を掘ってる。なおさら信ぴょう性が感じられない上に、俺の気を逸らして話を変えようとしてるだろ?」 互いに一歩も引かない口論が続く。俺は意地でも負けないぞという気持ちを込めて、加賀屋を睨みつけた。「笹良を好きな気持ちを、可視化できないのが悔しい……。どうすればわかっ
*** 大好きな笹良の苛立っている感じが、端的に交わされる会話が進むごとに伝わってきたからこそ、俺なりに気を遣って場を和ませようとした。自分の素直な気持ちのすべてを吐露した俺を心配して、手首を掴んだ笹良の行為が嬉しかった。 触れられたところから伝わる笹良の熱で、どうにかなりそうだったのに、ほどなくしてあっけなく外されてしまった手首を、意気消沈しながら掴む。そこから感じとれるものは、もちろんなにもなく――。「笹良……」 勝手にしろと捨て台詞を吐かれながら顔を背けられた時点で、目の前が真っ暗になる。 もうひとりの俺が慌てふためきながら笹良の背中に指をさし、「追いかけて謝り倒せ!」と喚い