LOGIN「図々しいのは加賀谷だろ。事あるごとに、講義のノートをせびりに来やがって」「何かきっかけがないと、笹良とは喋れないし」「無理して俺に頼まないで、他のヤツに」 言いながら、さらに躰をくの字にして逃げかける俺の右腕を、ぐいっといきなり引き上げる。「わっ!?」 しゃんと立たされかけた俺に覆いかぶさる、大きな影。その存在を感じたときには、声が出せなかった。 押しつけられる唇が、加賀谷とキスしていることを表していたから。 空いている左手で殴ろうとしたのに、その動きを察知して、加賀谷の右手がそれを止める。「あっぶねぇ、ナイスキャッチ」「何がナイスキャッチだ、ふざけるな! 俺のファーストキスを返せ!!」 加賀谷に両腕を掴まれた状態だったが、振り解かずそのままにし、怒りが収まらない気持ちを込めるように、大声で訴えてやった。「え? 笹良ってば、ファーストキスだったのか」「そうだよ、はじめてだ。おまえみたいに、モテる男じゃないんでね」 舌打ち混じりに顔を背けたら、ちょっとだけ笑う声が聞こえてきた。「ふふっ、そうか。よかった」 背けていた顔をもとに戻して加賀谷を睨んでみるが、まったく通用していないらしい。情けないくらいに、顔がニヤけていた。「全然よくないだろ。嬉しそうな顔するな」「安心しろ。ファーストキスは大抵、肉親に奪われているものだって」「説得力のあるはなしをしているようだけど、そんなことくらい知ってる。ああ、もう。はじめてのキスの相手が男って、何の罰ゲームなんだ」「罰ゲームのつもりでしたんじゃない。俺は真剣なんだ」 両腕を引き寄せながら顔を近づけて告白されても、俺にとってこの行為自体が罰ゲームになっていた。「いい加減にしてくれ。さっきから無理だって言ってるだろ」「笹良……」「すごく迷惑だ。こんなときだからこそ、空気くらい読めよ」 無神経な加賀谷に怒鳴るのも面倒くさくなり、覇気のない声で言うと、掴まれていた腕が投げる感じで手放された。その衝撃で目元に溜まっていた涙が、すーっと頬を伝っていく。 次の瞬間、息が止まるくらいに、躰を強く抱きしめられてしまった。「加賀谷、放せって」「泣くようなことしてごめん。嫌がることばかりしてごめん」「だったら」「わかってるけど、放したくはないんだ。泣かせることをしてるって、頭ではわかってるのに、
顔面に喜びを示すような笑みの背後で、バスケットボールがゴールポストに吸い込まれるのを、自分の目でしっかりと確認した。(――指先に残る確実にゴールするこの感覚は、いつ以来だろう……) 右腕を突きあげながらその場で固まる俺に、加賀谷が攫うようにぎゅっと抱きついた。「笹良、できたじゃないか!」 あげっぱなしにしている右腕を加賀谷の左手が掴み、意味なくぶらぶら揺すった。「やっ、これは偶然だろ」「シュートするときに、筋肉の引きつりを感じたか?」 あらためて訊ねられられることに首を捻りながら、きょとんとしてしまった。「筋肉の引きつり?」「おまえがシュートを外す、原因になっているものだ。余計なことをグダグダ考えた途端に出るだろうと思ったから、シュートすることだけに集中させようと、パスし続けてみた」 自信満々に言いきったセリフを聞き、開いた口が塞がらない。(俺はまんまと加賀谷の考えどおりに、行動させられたということなのか)「笹良の動きは繊細にできてるから、ちょっとでも何かあると、簡単にバランスを崩すんだ。過去の失敗の経緯を聞いて、それが足を引っ張ってるのがはっきりとわかった」「そうか……」「シュートすることだけに意識しながら集中すれば、笹良の病気は絶対に治る。間違いなく治るからさ」 躰に回されている加賀谷の片腕の力が、急に強まった。伝わってくるのは、それだけじゃない。そのせいで身の危険をひしひしと感じまくって、焦りを覚える。「あの加賀谷、そろそろ離れてくれないか」 しかもこんなところを誰かに見られたりしたら、弁解の余地がないだろう。「俺と付き合ってくれ!」「悪いが俺はそういう趣味はない。絶対に付き合えないから」 掴まれている右腕を奪取すべく下ろそうとしたのに、黄金のレフティがそれをさせてくれない。加賀谷の指先が、痛いくらいに皮膚にめり込むのがわかった。「笹良が好きなんだ」「放せって言ってるだろ。それにおまえが好きなのは俺のシュートであって、俺自身じゃない」 躰に巻きつけられている腕から逃れようと腰を捻っても、逃がさないといわんばかりに力を入れて、俺の動きを止めようとする。「笹良ぁ、うっ……」 聞いたことのない加賀谷の甘い声を、耳元で聞いた衝撃で、抵抗する動きが止まってしまった。「悪い。笹良にその気がないのは知ってるんだけど、擦
「学ぶことの中に笹良の病気を治す、きっかけがあるかと思ったんだけどな。とりあえずこの間成功した、シュートの再現をしてみてくれよ」 手の中で遊んでいたボールをコートに置いてから、俺の腕を掴んでその場所へと強引に連行する。「やめろよ。三年間粘っても駄目だったのに、いまさらやったところで、無理に決まってる」 他にもぼやいてみせたのに、そんなの聞いてないといった感じで、スルーを決めこまれた。「何もしないよりはマシだろ、逃げるなって。えっと確かこの位置だったな。笹良はあのとき、何を考えていたんだ?」 俺よりもほんの少しだけ背の低い加賀谷が、上目遣いで顔を見つめる。「あのときって、初顔合わせの試合?」「そうそう。すげぇつまらなそうな顔で、プレイしていたよな」 立たせた場所に固定させるように、俺の両肩をバシバシ叩いてから、コートに置きっぱなしにしていたボールを取りに行く。(今とあのときの状況は、まんま同じ気がするな――) ボールを持った加賀谷はウキウキしているのに、俺はイップスが発病するんじゃないかとびくびくしていた。それゆえに、心が暗く沈んでいたのだった。「笹良が仕方なく試合に出ていたことくらい、一緒にプレイしてわかってた。だからこそ、そんなおまえのヤル気を引き出そうとして、俺はパスを回していたんだけどさ」「そのせいで、余計に面白くなかったんだって。ディフェンスに徹していた俺に、わざわざパスを寄こすなって」「他には?」 言いながら、大きな弧を描くボールをふんわりと投げつける。勢いのないそれは目の前でワンバウンドして、俺に向かって飛んできた。片手でキャッチし、呆れたまなざしで加賀谷を見る。 入らないシュートを無理やりさせられることや、こうして過去の出来事を吐露させられるのは、苦痛にしか思えない。「他って確か、無意味なパスをしつこく寄こすのなら、外れるシュートを見せれば諦めるかと思って、スリーをやった」 語尾にいくに従い、声がどんどん小さくなった。俺の言葉をどんな気持ちで、加賀谷は聞いたのだろうか。「外れるはずだったシュートが入ってしまって、笹良としては当てが外れただろ」「当てが外れたどころか、すごく驚いた。まぐれだろうけど」「いいや、あのシュートはまぐれじゃない。おまえがボールを放った瞬間に、スリーが決まることがわかった。それくらいに、見
反復練習で無理やり叩き込むという、荒業的な練習の仕方がすごく気になった。「目をつぶって、あらゆる角度からシュート練習しまくった。何千回何万回かな、ひたすら繰り返した」「それって、目をつぶる必要性はあるのか?」 かなり無茶ぶりと思われる練習法を聞いて、思わず顔が引きつってしまった。「見たままシュートすると、躰が勝手に距離を測って、力加減を調整するから駄目なんだ。不測の事態に備えられない」「不測の事態?」(馬鹿正直というか不器用を極めると、凡人が思いつかないことをするんだな)「スリーをとられないようにしようと、わざとファウルをするヤツがいるだろ。体当たりしてぶつかったり、ユニフォームを掴んで蹴飛ばしたりしてさ」「まぁな。接戦だったら相手も必死になるから」「目を頼りにしないシュートをすれば、どんなにひどい妨害をされても、確実に決めることができる。後ろからどつかれても、絶対にシュートが入るんだ」 言いきったセリフを実践するように、俺に顔を向けた状態でゴールポストに向かって左腕が上下した。 それはぱっと見、加賀谷の性格を表しているみたいな、適当に投げつけられたものにしか感じなかった。 さっき放たれたスリーよりも勢いのあるボールは、バックボードに真っ直ぐぶつかり、リングに高くワンバウンドしてから、網の中に向かって回転しながらすり抜けていく。「すごっ! 俺のこと緻密とか言ったけど、こんな芸当ができる加賀谷のほうが、よっぽど緻密だろ」「残念ながら苦手なところからのシュートの確率はめちゃくちゃ低い上に、体調の良し悪しで、同じようなシュートが毎日できない」 ぺろっと舌を出したあとに、ゴール下に向かって悠然と歩いて行く後ろ姿を眺めながら、告げられた言葉をもとに考えた。「加賀谷はしょっちゅう、練習をサボってるよな」「ああ。大学の練習はダルいし、出たら出たで練習にちゃんと参加しろって、監督にどやされるしさ。いろいろ面倒くさいだろ」「それじゃあおまえはいったい、毎日どこで練習してるんだ?」 胸の前に腕を組みながら、ゴール下にいる加賀谷に鋭いまなざしを飛ばした。「ま、毎日なんて練習してないって」 妙に上擦った声で返事をする。 シュートしたボールを手に視線を右往左往させる様子は、嘘をついているのが明らかだった。「『体調の良し悪しで、同じようなシュー
知らない間に地雷を踏んだのかと考えつき、自分の発言を思い返していたら、加賀谷は肩を落としたまま、ボールを拾いに行ってしまった。 いつもより丸められた背中を見つめていると。「どうしても負けたくなかった。1年でスタメン入りしたヤツも、俺のことを下手くそ呼ばわりした先輩たちそろって、絶対に見返してやりたかった」 腰を屈めながらボールを拾うなり、熱意のこもった声で呟く。『ダルい』『面倒くさい』が口癖になっている、加賀谷の普段の姿とは違うそれに、意外な一面を見せられた気がした。 ゴール下からドリブルして戻って来る加賀谷に、自分から声をかけづらい。コイツは頭の良さに比例して、運動神経も抜群なんだと思っていた。だから何をしても上手くいく、大層恵まれたヤツというレッテルを貼りつけたせいで、塩対応していたことがえらく恥ずかしくなった。「笹良、どうした?」 沈黙を貫く俺の様子に違和感を覚えたのか、目を輝かせながら訊ねる。その間もドリブルを欠かすことはなかった。「加賀谷はえっと……、どんな練習でソイツらを見返したのかなぁと、興味が湧いた感じ」 しどろもどろに返事をするのがやっとだった。何が地雷になるかわからない以上、できるだけ言葉数を減らしてみる。「そんなことが知りたいのかよ」「まぁうん。だってそれが、黄金のレフティにつながってると思うし」「それには条件がある。俺の秘密を教える代わりに、笹良がそこからシュートをすること」 一重まぶたを細めながら提案した途端に、ドリブルしていたボールをいきなり投げつけてきた。突如パスされたボールを両手でキャッチしながら、わざとらしく嫌そうな表情を作り込んだ。「絶対に入らないシュートをさせたいなんて、加賀谷の悪趣味には付き合えない」「一度は成功してるんだ、入るに決まってる」「俺はイップスなんだよ。その名前くらい知ってるだろう?」 荒げた声と同時に加賀谷に向かって、ボールをワンバウンドさせて投げつけた。変な回転をかけてバウンドさせたので、加賀谷のいるところには届かないボールだった。「ふぅん、イップスか。それまでできていたことが、精神的な何かが原因で、できなくなる病気だっけ」 ボールの軌道先を読み、素早く駆け寄って片手で易々とキャッチするなり、その場でターンをしながらシュートポジションに入った加賀谷の動きがそこで止まる。
沈黙が流れる中で、加賀谷のハンドリングの音だけが耳に聞こえてきた。(あのときもこんな音がしたんだった。インからのシュートが打てなかった先輩が、パスしたボールと一緒に、バッシュがキュッと鳴って……)「……高校1年のときに出た試合、準決勝の相手は去年の優勝校だった。かなりの接戦でね、互いに点を取り合ったよ」「まさに、手に汗を握る試合だったんだな」「試合終了間際、3年の先輩から俺にボールが託された。この日の俺は一度もゴールを外すことなく、シュートをすべて決めていた。だからこそボールが回ってきたんだと、すぐに悟って、スリーをしようとジャンプした」 首をもたげながら視線を伏せて、床をじっと見つめる。そんな俺に、加賀谷の視線が痛いくらいに刺さった。それは責めるものじゃないはずなのに、外さずにはいられない。 着ているTシャツの胸元を握りしめつつ、呼吸を乱しながら、やっとのことで告げる。「これを決めれば、俺のチームは決勝に進める。そう思った瞬間に、右腕の筋肉が引きつった。それはゴールポストに向かってボールを放つという、とても大事なときだった。結果は言わなくてもわかるだろ」「もしかして、その試合がきっかけになったのか」「誰も俺を責めたりしなかった。1年でここまでよく健闘したよなって慰められて、余計につらかった」「笹良、こっちを向け」 明かしたくない過去を口にした俺に、加賀谷の我儘が炸裂した。 いい加減にしてくれよと思いながら顔をあげると、ふたたびボールが飛んでくる。さっきよりも勢いのあるそれを、下半身に重心をのせながらキャッチした。「おまえはその失敗について、思いっきり責められたかったのか? もしかしてドМなのかよ」 デリカシーのない言葉に心底呆れて、頭痛がしそうだった。「そんなわけあるかよ。加賀谷のバカ!」 受け取ったばかりのボールを、加賀谷の顔面に向かってパスした。「よっ! ナイスボール!」「加賀谷にパスするボールは、どうしてうまくいくんだろうな。あの試合以降はゴールはおろか、パスさえも意識したらミスするっていうのに」「あ~それであのとき、ディフェンスに徹底して、ボールを受けないようにしていたのか」 大学での初試合のとき、オフェンス側に回らないようにしていたというのに、隙があれば加賀谷がボールをパスしてきた。自分のゴール下が、ガラ空きの