Masuk「あははは !! 凄い楽しかった ! 」
「結構買ったねー。少しずつ食べよっか」
屋台を歩き見て来た美紀と琴音が夕刻、海沿いの休憩スペースへ戻ってきた。
公衆トイレのある駐車場で、花火が上がるのはすぐ側だ。出店からは遠いが、人が混む前に駐車場を確保出来たのは運が良かった。「これ ! 食べます ! 」
色とりどりに並ぶ屋台飯の中、琴音が欲しがったのは殆どが甘味だった。
大きな3色の綿飴を開けると、ザラメの香りに笑みが溢れた。「ん〜 ! 甘〜い♡」
綿飴にカルメ焼き、べっこう飴と人形焼。殆どが菓子類だった。甘党と言うよりは、興味があるといった感じで、焼きそばやたこ焼きには目もくれず。
美紀はそんな琴音の様子に、環境がそうさせたのではないかと感じた。 二人、堤防に座り夕暮れの海を眺めた。「施設は甘いもの禁止だった ? 」
「そうなんですよ ! 楽しみの為のお菓子はありませんでしたね。
おやつにカボチャやさつまいもを食べる事はありましたけど」「じゃあ、流行りのお菓子とか……市販のお菓子は食べたことないの ? 」
「殆どないです。時々、テレビを見ていい時間があって、その時CMで見たお菓子を注文することは出来ました」
「なんだ。テレビは見れたんだ。じゃあ、ドラマとか、街散歩とかさ。外界の情報を見る機会はあったんじゃ……」
「あー。多分なんですけど、昔のテレビです」
「昔って ? 録画とかってこと ? 」
「うん。機械でお金を払うのとか、さっき初めて見たし、今晴れてるのに男の人が傘さしてたんですけど……男の人も日傘さすんですか ?それとも彼女さんの荷物持ちでしょうか 」
「彼女の荷物を持つってのがもう、古いねぇ」
美紀はコンビニで買ったサンドイッチから手をつける。
「レタスがびちゃびちゃ。あんま美味しくないわ」
「楽しいから無問題です !
美紀さん、聞いていいですか ? 」ふと琴音の顔が曇る
「あの人、誰だったんですか ? 」
あの人──とは。
美紀と琴音が山中に埋めた……。「ありゃ粗大ゴミよ ? 絨毯の捨て場所に困って不法投棄したの」
「……」
「あんたこそ。随分手慣れてたじゃない。墓掘り名人なの ? 」
「あれは……。農業が得意だっただけです。
"墓"掘り名人って……言うんじゃそれこそ墓穴ですよ」「確かに。お互いの何も聞いてないし、見てない。
わたしたちはドライブ中に出会っただけ。 それでいいのよ」「……そうですね。はい ! 」
美紀は焼きそばを食べ終わったパックをゴミ袋にしたナイロンに押し込むと、手持ち無沙汰になっている琴音を見た。
「足りた ? 」
「サンドイッチで結構キツいくらいでした。美味しかった〜 ! 」
今どきのコンビニのサンドイッチの小ささを考えると、琴音は相当食が細いらしい。もしくは食事量そのものが少ない生活だったのか。制限されていたとしてもおかしくはないと美紀は考えた。
「少し浜辺を歩いてみる ? 」
「はい ! 海水 ! 塩っぱいんですよね ? 初めて舐めます ! 」
「海水飲みに行く訳じゃないけど……まぁ、確かに塩っぱいね」
「どのくらいですか ? お味噌汁くらいですかね ? 」
「え ? うーん。味噌汁より塩っぱいイメージがあるけど」
「えっ !? そんなに !? 」
琴音が浜辺へ続く階段を軽い足取りで歩いていく。
「わ ! 」
靴底が砂浜に埋もれ、びっくりしたのか一度固まってしまった。
「靴脱いで。裸足で行こ」
脱いだ靴を手で持ち、美紀が素足で歩いてみせる。キラキラした眼差しで琴音はそれについてきた。
「サラサラしますー ! 」
ずっと笑顔だった琴音が、盛り上がり、浜へ打ち付ける大波を見て急激に無言になった。
その波は青く、白波を立てながら、大きく畝る。そして予想以上の長い距離をザーーーッと言う音を立てて滑り込んでくる。波が引くと、今度は身体にまで響くドドドと言う振動と共に再び畝る。「……ここ、遊泳禁止だからね。流石に波が高いわね。
ほら、砂浜の濡れてるとこまでおいでよ」「危なくないですか ? 」
「爪先が濡れるかどうかくらいの位置だから大丈夫」
美紀に手を引かれ、飛沫をあげて向かってくる波に足首まで浸かる。
「わ、冷たい ! 」
「舐めた ? 」
「忘れました ! 」
「手で触れてみて」
波が小さいギリギリのラインで、今度こそ指先を海水につけた琴音は意を決してペロリと舐める。
「 !! 塩っぱい !! 」
「あははは ! そりゃあね ! 」
「えー ! 想像より味がするー !! 」
暫く足裏の新感覚を満喫した後、足を乾かしながら浜辺へ二人で座り込んだ。
遠くのテトラポッドの近くではバケツにヤドカリを入れた数人の小学生が楽しげに騒いでいた。「とは言え、風呂に入れないのはきついなー。スーパー銭湯なら入れるか。多分混んでるけどね」
「銭湯 ! 」
「ん。待ってて。車にタオルあったはずだから見てくる」
へばり付く足指の隙間の砂。
靴を履くには躊躇う状態になってしまった。 花火を見たあと向かえば、町外れのスーパー銭湯なら深夜まで営業している。美紀が車へ辿り着きトランクルームを開けた頃だった。
一人残された琴音に、美紀と入れ違いになる形で男が数人階段を降りてきた。
「あ、な〜んだ。さっきコンビニにいた子じゃん ! 」
視線が合い、訳分からず琴音は反射的に会釈を返した。
「ここいいよね〜。ここで花火見るの ? 」
「はい。多分……」
「俺たち、もっといい場所知ってるよ ? ここじゃ他の人も来て煩いでしょ」
「そうなんですか ? 」
「一緒に来たお姉さんは ? 」
「今、車に」
「じゃあ、今のうちに案内してあげるよ。見て、良かったらお姉さんを呼んで、一緒に見ようよ」
「ご親切に、ありがとうございます」
美紀がタオルを手に浜辺へ戻ると、琴音の姿が無かった。
「あれ ? 」
浜辺は一直線に先まで見える。
隠れているとしたらテトラポッドの影だうか。しかし、小学生たちですら影には回り込まない。波が高く打ち上げる場所だ。どう考えても全身濡れてしまう。まさかそんな事も想像つかないとは思えない。「琴音 ? 」
砂浜を歩き、車を振り返り、美紀は小学生へ声をかけた。
「ねぇ、わたしそこで遊んでたんだけどさ。一緒にいた子がいないんだ。
見てない ? 」すると一人の男子が顔を上げた。
「麦わら帽子の人 ? 」
「そう ! 見た ?! 」
「うん。でも他の男の人と出ていったよ」
「……男…… !? 」
「喋ってた。あとは見てない」
「……」
慌てて道路に飛び出す。片方は車で通ってきた、長く続く海岸沿いの一本道。トンネルや多少のカーブはあるが歩道は無い。 だとしたら逆のビーチ沿いの歩道を行くはずだが、見える範囲の中にそれらしい人影はいない。「すみません」 美紀はビーチ側から来た歩道の夫婦に声をかけた。「麦わら帽子を被った、女の子……二十歳くらいの女性を見ませんでしたか ? 」 夫婦は顔を見合わせ、お互いに首を傾げる。「あんた、若い子見た ? 」「うえー ? 若い子ばっかりだし。なんて言うか若い子、見分けつかないからなぁ」「こう、髪が黒いストレートで、清楚な感じで…… ! そう ! 向日葵の柄のスカートを履いてるんですけど…… ! 」 すると妻の方が不思議そうに美紀の背後を眺め始める。「麦わら帽子に向日葵…… ? あの子じゃないの ? 」 そう言いながら、自分が停めたはずの駐車場を指すのだ。「えっ !! 」 美紀が振り向くと、美紀の車からは見えない位置に、白いセダンが停まっていた。 琴音はその車の者達と思われる輩に話しかけられている最中だった。「琴音…… !! 」 夫婦も心配そうに視線を向けながらも再び歩き始める。 美紀は全力で走り出すと、琴音の腕を掴み、目の前にいた男を突き飛ばした。「痛ぇっ ! 」「しつこい軟派はお断りだよ ! 」 最初から目くじらを立てて掴み上げて来る美紀を他の男たちも止めに入る。「違いますって、屋台ですよ ! 」「はぁ !? 」「美紀さん、ごめんなさい。一人じゃ不安でこっちに来たらたまたま話しかけられて」「だから、それがこいつらのやり口──」 琴音が美紀の仲裁に入りだした。「この人、屋台にいた人ですよ」「……あ。え ? いやいや、そうかもしれないけど。よく見りゃあんたらさっきコンビニで声を掛けてきたよね ? 」「あ〜、それは〜」 屋台の男が派手目で、タトゥーを入れた筋肉質な男だったので、美紀も鮮明に覚えていた。「実は俺、屋台は今日だけで、いつもはビーチの海の家にいるんですよ。 それで……まぁ、ノルマが……」「はぁ !? あんたこの子にまだなんか買わせる気 ? 言っておくけど、この子お金なんて無いよ。姉のわたしが管理してるの」「んー。そうかぁ。まぁじゃあ、しょうがねえや」「だいたい焼きそばは買ったでしょうが
「あははは !! 凄い楽しかった ! 」「結構買ったねー。少しずつ食べよっか」 屋台を歩き見て来た美紀と琴音が夕刻、海沿いの休憩スペースへ戻ってきた。 公衆トイレのある駐車場で、花火が上がるのはすぐ側だ。出店からは遠いが、人が混む前に駐車場を確保出来たのは運が良かった。「これ ! 食べます ! 」 色とりどりに並ぶ屋台飯の中、琴音が欲しがったのは殆どが甘味だった。 大きな3色の綿飴を開けると、ザラメの香りに笑みが溢れた。「ん〜 ! 甘〜い♡」 綿飴にカルメ焼き、べっこう飴と人形焼。殆どが菓子類だった。甘党と言うよりは、興味があるといった感じで、焼きそばやたこ焼きには目もくれず。 美紀はそんな琴音の様子に、環境がそうさせたのではないかと感じた。 二人、堤防に座り夕暮れの海を眺めた。「施設は甘いもの禁止だった ? 」「そうなんですよ ! 楽しみの為のお菓子はありませんでしたね。 おやつにカボチャやさつまいもを食べる事はありましたけど」「じゃあ、流行りのお菓子とか……市販のお菓子は食べたことないの ? 」「殆どないです。時々、テレビを見ていい時間があって、その時CMで見たお菓子を注文することは出来ました」「なんだ。テレビは見れたんだ。じゃあ、ドラマとか、街散歩とかさ。外界の情報を見る機会はあったんじゃ……」「あー。多分なんですけど、昔のテレビです」「昔って ? 録画とかってこと ? 」「うん。機械でお金を払うのとか、さっき初めて見たし、今晴れてるのに男の人が傘さしてたんですけど……男の人も日傘さすんですか ?それとも彼女さんの荷物持ちでしょうか 」「彼女の荷物を持つってのがもう、古いねぇ」 美紀はコンビニで買ったサンドイッチから手をつける。「レタスがびちゃびちゃ。あんま美味しくないわ」「楽しいから無問題です ! 美紀さ
「ん〜♪我ら〜神の〜♪」 海沿いまでは一時間程だ。 マンションを出て国道を走るが、中途半端な街のせいで駅前周辺のコンビニへは駐車場の問題で立ち寄れずしばらく街中を走る。「聖母〜の瞳〜♩慈悲の…… 」「ねぇ。それやめて。鬱陶しい 」 気分よく歌っていた琴音に、美紀は思わず八つ当たりしてしまった。「ご、ごめんなさい」「あ、いや……ごめん。歌が嫌いなわけじゃ……。 でも流石に、聞いてられないわ。なんか別の歌にしてよ」 歌う曲歌う曲、琴音からは出自の宗教ソングしか出てこなかった。「他の歌は、賛美歌と設立記念コーラスしか知らないです」「ほんと……どんな施設なのよ……」 これでは美紀が無茶難題を言っているようだ。 ハンドルを握った手を少し緩めると、肩の力を抜くように深呼吸をした。「じゃあ……うーん……」 布教ソングを歌うな、とも言いにくい。だが、これから先も宗教施設から逃げてきた琴音が、世間一般の中でアピールして生きていく立場にはいないだろう。「歌は……明るい曲が好きみたいね。夜にでも、流行りの曲をダウンロードしてみる ? もう自由になったんだし、その施設の歌以外も案外良いかもよ」「確かに !! ありがとう ! 美紀さん ! うふふ〜わたし自由〜」 先が思いやられる。しかしこの調子でいる琴音を放り出しては先に進めない。「あの坂を越えたら海だね。 その前にコンビニで買えるもの買おう」「わたし、コンビニエンスストアも初めてです ! 」「……だよねぇ……」 □□□□ コンビニまで来る
駅前から繁華街を抜け、国道へ出る手前にあるマンションへ車が入る。「ここ」「凄い ! こんなところに住んでるんですか !? 」 たかだか地方の古びた三階建てのマンションだ。 家賃は立地のせいかそれなりだが、お世辞にも今時の煌めいた豪邸とは言い難い。「エレベーター壊れてるんだ。階段行くよ」「はい ! 」 琴音はなんの不満も言わず美紀に付いてくる。 時刻は午前六時。 通勤やゴミ出しの住人等とすれ違う気配は無い。このマンションの大半は空き家だ。「結構、ガタが来てるからさ。部屋は綺麗にしてるけど……エアコン実費だったしシャワーは無いし、そんないい住宅じゃないんだ。 ここだよ」 三階の角部屋。 美紀は鍵を取り出すと部屋の扉を開く。「うわぁ〜うわぁ〜 ! 凄く綺麗ですよ ! ここに住んでるんですか !? いいなぁ〜 !! 」「静かに。 あー……ここのクローゼットに服があるから。好きなの選んで」「本当にいいんですか ? 」 琴音はまるでショッピングに来たような表情で、洋服を手に取り始める。「このスカート可愛い ! スカートは禁止されてたから……あ !! このコートも ! 」「今、夏だよ」「あはは、そうでしたぁ。じゃあこんな帽子は !? 美紀さんセンスいいんですね ! 」 ファッションショーの最中だが、美紀はローテーブルにペットボトルのお茶を二本、冷蔵庫から取り出した。落ち着かない気持ちを顔に出さずに、茶を口に含んでから深呼吸をする。 そして琴音を見上げ、一番聞きたかった質問を投げかけた。「それで ? あんたは何者 ? どっから来たの ? 」 琴音はハッと美紀を見下ろすと、被っていた帽子を外しテーブルの向かいに座った。「美紀さん『日本真理聖母会』って知ってますか ? 」「日本……何 ? 聖母って事は……宗教関係 ? 」「そうです。あの山の中に施設があって、貧困の中にいた母を置いてくださったんです」「……置いてくださった ? 」 琴音の言葉の端々に違和感を感じる。「でもそこから逃げて来たんじゃないの ? 」「はい。母がずっと逃げたがってて、わたしも出てみたいなって」「……よく分からないんだけど。どんな宗教だったの ? 」「簡潔にいえば女性が凄い、と言う教えですよ」「はぁ ? 」 美紀の問いに琴音が不思議そうに話
深夜も過ぎ、空が白く薄ばんできた頃。 水沢 美紀はようやく山の奥地へ辿り着いた。 予定より遅い時間になってしまった。 愛車の白いクラシックカーから降りると、助手席から手早くスコップを手に取った。 ガードレールも無いような急な斜面を見下ろすと、下を確認し思い切りスコップを投げ落とす。「はぁっ ! はぁっ! 」 ガゴン……。 休む暇なくトランクを開け、大荷物へ手を伸ばす。 ブルーシートと毛布で巻かれた、何か大きなものに手を掛ける。 ドザッ ! スレンダーな長身に女性特有の筋肉美。ミルクティー色のロングウェーブは汗ばんだ首元に張り付き、何度も何度も縛られたロープを握り直しては引き摺るを繰り返す。 決して小柄ではないとしても、相当重い荷物だ。 斜面からソレを転がすと、白いシャツを汚し、肌に擦り傷を作りながらも何とか降りていく。 斜面の下は僅か四畳半程の段差。そのまた下へ、深い木々の闇が広がっている。 美紀はスコップを思い切り突き刺す。 ザッ ! ザッザッ ! ギッ ! ガッ ! ガツッ !! 「クソ……っ !! 」 木の根が幾重にも重なり、挙句小岩にぶち当たる。 人一人では到底、この荷物を埋めるほどの穴は掘れないだろう。「この ! この ! なんで !!」 力任せに地面を掘るうち、美紀は後悔と怒りに涙が止まらなかった。「はぁ……っ、はぁ……っ、うぐ………」 やがて遂に手が止まる。心が折れてしまいそうな状況。 それでも半分程、木の根を断ち切り穴を掘った頃だった。 ──パキ……ッ──「はぁ……。……はぁ……ふ、ひっく……。 ??? 」 息が上がったまま声を殺して嗚咽を堪える。周囲は静まり返った深い山の中。 だが、何か違和感を感じたのだ。 小枝が折れるような音がした気がしたのだ。 冷静になり、息を整え、ゆっくりと周囲に目を凝らす。 日の出前の薄暗い濃霧の中、一際大きな木のそばに白い布が見え隠れしているのに気付いた。それは引っ掛けられた布切れなどではない。 明らかにスカートの裾だった。「……誰 ? そこにいる奴…… ! 」 美紀の髪が一瞬にして逆立つ。 この現場は、決して誰にも見られてはいけないのだから。「出てこいっ ! 」 蔦が延う大木の影から、白い蝶と見まごうほどの可憐な少女が現れた。「……ごめんな
非常ベルのけたたましい音が鳴り響く。 暗闇の中、二人の女性が息を切らしながら背後の気配から逃げていた。「お母さん、早く ! 」 娘は母の腕を肩に掛け、引き摺るように歩き始める。だがすぐに母親が座り込み、捻挫した足の腫れを見て項垂れた。「琴音……これを」「何 ? 」 母親が懐から取り出した見慣れない封書。何も分からないままポケットへねじ込むと、娘は力任せにグイグイと母親を立たせようとする。「それね、お母さんの診断書。お母さんね……もう長くないの」「何 ? なんの話してるの ? お母さん、早く立ってよ ! 」「聞きなさい ! 絶対に見つかっては駄目。町へ出たらすぐに交番に行くの。『日本真理聖母会』から逃げてきたって。「助けて欲しい」って言うのよ」「お母さんは ? 」「お母さんはもう無理だから」 茂みのすぐ向こう側。 ザザザと音を立てながら懐中電灯の群れが近付いてくる。「立って ! お母さん ! う、うぅぅぅっ ! 」 母親は近付く木々を掻き分ける音を聞きながら、唇を強く噛み締め地面に顔を伏せた。「ろくな人生じゃなかった。こんな場所、来るんじゃなかった」「お母さん…… ! 」「あんたさえ産まなければ ! こんな所に頼る必要もなかった ! 」「お、お母さん ? 」 信じられない突然の告白。 冷静に考えれば本意でないことは分かるだろう。だが、あまりにも辛く長い今までの生活で、本気で言っていると思えた。 深く、心の奥底に鈍い痛みが広がる。「早く消えてよ ! この最悪の疫病神 ! 」「お母さん…… ! 」 縋りつこうとする娘を母は渾身の力で突き飛ばした。「早く ! 」 行かなければならない。 この脱走が無駄にならないために。 夏の始まったばかりのこの夜。 深い山々に囲まれて建てられた興宗教施設から逃げ出した。 このとき、飯塚 琴音は二十歳の誕生日だった。二十年の人生を全て施設で過ごしてきた琴音にとって、今夜が生まれて初めて外界だった。「はぁ……はぁっ……うぅ……っ ! 」 月明かりも届かない深い闇。 初めての外の世界を、あてもなく彷徨い歩くしか無かった。