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#31:聖なるシチュー

Author: 渡瀬藍兵
last update Last Updated: 2025-06-09 19:02:59

 次は──エレナは村の奥から出てきた、年配の男性──おそらく村長さんであろう人へ歩み寄った。

 焚き火の金色が、男の頬の皺を深く照らす。

 その皺が、安堵のせいで少しだけ緩んで見えた。

「すみません……料理場をお借りしてもいいですか?」

 男は一拍遅れて、何度も頷いた。言葉を探すみたいに口を開き、震えを噛み締める。

「おお……貴女のおかげで、ワシらはこうして生きておられる。どうか……お好きに使ってくだされ……」

 深々と頭が下がる。感謝の重さが、背中から伝わってくるようで、エレナは慌てて首を横に振った。

「顔を上げてください。……まだ、終わってません」

 その言葉を、自分自身にも言い聞かせる。

 〜*〜*〜*〜

 ──さあ、次は料理だ。

 呪いは祓った。けれど、それは“今この瞬間”を軽くしただけ。

 放っておけば、時間と共にまた体を蝕んでしまう。さっきの咳が、それを証明している。

 だからこそ。内側からも“癒し”を与えなければいけない。

 エレナは、シオンが買ってきてくれた食材を受け取り――胸の前で、そっと抱きしめるように支えた。冷たい瓶のミルク、紙に包まれたバター、血の匂いを薄く残す肉。全部、生きものの名残だ。

 温かなシチューを作る。

 腹の底へ落ちていく熱で、呪いに“居場所はない”と叩き込むために。

(生物から生まれた食材には、神聖なエネルギーを帯びさせることができる。ミルク、バター、そしてお肉。これを食べてもらえれば、きっと、内側から呪いを和らげてくれるはず)

 料理場へ足を踏み入れた瞬間、匂いが刺さった。

 焦げ。酸っぱい腐敗。湿った木。

 そして、長い間“誰も料理をしなかった”空気。

 割れた鍋、ひび割れた調理台、欠けた食器ばかり。床には乾いた泥と灰が薄く積もり、壁際の棚は半分倒れかけている。

 荒れた台所は、村そのものの疲弊を映していた。

 だが――使えないわけじゃない。

 そのとき。

「私も、お手伝いしますよ」

 ミストが、ひょこっと顔を出し、当たり前みたいにエレナの隣へ立った。

 厨房の薄暗さに、あの明るさが差し込む。

「ミストさん……ありがとうございます……!」

「じゃあ、始めましょうか!」

 軽い声。けれど、目は冗談を言っていない。

“やるぞ”の目だ。

 二人で手分けして、なんとか使えそうな鍋や調理器具を洗い、準備を整えていく。

 ミストの手際の良さには、本当に驚かされるものだった。迷いがない。必要な物だけを選び、必要な順番で並べていった。

「こちらのハーブも使用しますか?」

「あっ…!はい!ハーブでお肉を揉みますので!」

「わかりましたー!!」

 ミストは近くにあった乳鉢を引き寄せ、葉を放り込む。杵が落ちるたび、乾いた音が厨房に小気味よく響く。

 それを牛肉全体にまぶすと、食欲をそそる爽やかな香りがふわりと漂った。

 暗い空気が、ほんの少しだけ息を吸いやすくなる。

「ミストさん、ありがとうございます。ここからは、私がやります」

 エレナはローブの袖をぐっとたくし上げる。手首が露わになる。

 ハーブがまぶされた牛肉を前に、一度目を閉じ、静かに祈りを捧げた。

 両の手のひらに聖属性を込めると、ふわり。

 温かな金色の光が、指の隙間から溢れ出す。焚き火の光とは違う。もっと柔らかく、もっと深いところへ届く光。

 聖なる力を纏ったその両手で、エレナは牛肉を掴み、ぐっと体重を乗せて、一心不乱に揉み込み始めた。

(お願い……!皆さんの呪いを祓って…!)

 肉の冷たさが、掌から腕へ登ってくる。

 それでも押し返すように、光を流し込む。必死に。夢中で。手の中で、金色がじわじわと染みていく感覚がある。まるで乾いた布が水を吸うみたいに。

 息が上がる。喉が乾く。額に汗が滲んで、頬を伝った。

「……エレナさん、私たちはあなたが誇らしいです」

 不意に落ちてきた言葉に、エレナの肩が微かに跳ねた。

「そ、そんな……誇らしいだなんて。私は戦闘ではあまり役に立てないですし……だから、こういうところで頑張らないとって……」

 揉み込む音。肉が沈む鈍い感触。

 その合間から、思わず弱音がこぼれる。

 するとミストは、野菜を切る手を止めないまま、でも真っ直ぐな声で言った。

「それが、すごいんですよ、エレナさん」

 刃がまな板を叩く、規則的な音。

 言葉が、そのリズムに乗って胸へ入ってくる。

「私たちはパーティです。得意なことも、不得意なこともある。だからこそ、あなたが苦手なことは、私たちがやればいいんです。その代わり、私たちができないことを、こうしてあなたがしてくれる。それだけで、もう十分なんですよ」

 真っすぐ。飾りがない。だから痛いほど沁みる。

“足りない”を責めるんじゃなく、“今できている”を差し出してくれる声。

 エレナは、喉の奥で息を飲んで――それから、小さく頷いた。

「……はい」

「さあっ! 村人の皆さんのために、このミスト! 腕を振るわせていただきます!」

 明るい笑顔でそう言いながら、ミストは調理を再開する。

 野菜の香りが立つ。鍋に水を張る音。木匙が当たる軽い音。台所が、少しずつ“生き返って”いく。

 エレナは改めて思った。

 ──私は、なんて素敵な仲間たちに出会えたんだろう。と。

 そして手元の肉へ、もう一段、光を深く沈めた。

 あの咳に、二度と戻さないために。

 〜*〜*〜*〜

 二人で野菜を炒め、肉を入れ、大きな鍋へシオンが買ってきてくれたミルクをたっぷりと注ぎ入れる。

 とぽとぽ、と音を立てて落ちた乳白色が、鍋底の熱に触れた瞬間、ふわりと甘い湯気を上げた。

 荒れ果てた厨房の空気が、その匂いひとつで塗り替えられていく。生きている匂い。あたたかい匂い。

 エレナはおたまを両手でしっかり握りしめ、目を閉じた。

 柄の木は古い。けれど、掌に伝わる熱が確かだった。

(この村の人たちが、元気になりますように。)

 祈りを込めて、ゆっくり、ゆっくりと鍋をかき混ぜる。

 焦らない。かき回すんじゃない。沈める。届ける。

 エレナの手のひらから滲む温かな光が、シチューへ溶け込んでいくのが分かった。湯気の粒にまで、金が混じっていく感覚。

 だんだんと、乳白色だったシチューが淡い金色の光を帯びていく。

 それは眩しさではなく、目に優しい灯り。

 聖なる、穏やかな香りが厨房いっぱいに満ちた。ハーブの青さとミルクの甘さが混ざり合い、奥に肉の旨味が静かに息をする。

 そして……

 ──できた。

 湯気の立つ鍋の中で、具材がとろりと煮込まれている。

 聖なるシチュー。

 ぐつぐつと暴れない。ただ、静かに温度を保ち、完成を告げていた。

 この料理なら──この“祈り”なら、きっと彼らの呪いを癒してくれる。

 外側を祓い、内側を支える。折れかけた命に、もう一度“戻る場所”を作る。

「やりましたね!エレナさんっ!」

 ミストの声が跳ね、厨房の壁に反射して明るく広がった。

「ふぅ……」

 安堵のため息が漏れた、その時だった。

「二人とも、お疲れ様」

 シイナが、まるで計ったかのように厨房へ顔を出した。

 扉の向こうの気配まで連れてきたみたいに、空気が少しだけ引き締まる。彼は状況を見て、鍋の光を一瞥し、すぐ結論へ行く。

「シイナさん……」

「あとはこちらで配っておく。俺と、グレンと、シオンでやるから。二人は、少し休んでくれ」

 命令じゃない。押しつけでもない。

“ここから先は任せろ”という、パーティとしての当たり前。

「……ありがとうございます」

 言った瞬間、反動みたいに身体が重くなった。

 聖属性を使い続けた疲労が、遅れて牙を剥いてきたのだ。

 エレナはそのまま、そばにあった古い椅子に腰を下ろした。

「ありがとう、ございます……」

 小さく呟いて目を閉じると、遠くで、誰かが鍋を持ち上げる気配。器の触れ合う音。

 焚き火の爆ぜる音。村の息遣い。

 それらを子守唄みたいに聞きながら――エレナの意識は、ふわりと遠のいていった。

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