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第85話:民会の声

Auteur: fuu
last update Dernière mise à jour: 2025-11-26 23:00:01

大聖堂の奥、聖香の煙が薄く流れる控え間で、王子は皇子の襟元を整えていた。銀糸の縁取りが喉の鼓動に合わせて微かに揺れた。皇子は息を数えて整える。四つ吸って、六つ吐く。森で教わったやり方だ。彼の手はまだ細いが、震えは先週に比べてずっと少なかった。

「怖いか」と王子が囁いた。

「少し。でも、前に立つのは私だ。公では」

「私室では私が支える。約束通りだ」

短い肯定が、指先の温度で二度重ねられる。王子は小さな革の冊子を差し出した。彼らの合意契約だ。表紙に刻まれた魔紋は淡く青い。詩でも祈りでもない。条項だけが整然と並ぶ。

可:接触は合図の後/沈黙のときの肩への触れ/呼吸の同調

不可:公衆前での拘束/侮蔑語/傷を残す行為

合図:右の掌を二度叩く——準備できた、左の肩に軽く触れる——休憩が必要

セーフワード:「星砂」

週一のスイッチ・デー。四日目は主導権を皇子に渡す。練習も、決定も。合意の撤回はいつでも。撤回後の責めはなし。アフターケアは温かい飲み物、甘味、足湯、そして言語化。

「今日、四日目だったな」と王子が苦笑した。

「後で、だ。公開儀礼の途中でスイッチはしない」

「賢明だ」

そこへ扉の向こうから若い従者の声が割り込む。「お二人、時刻です——それと、本日はスイッチ・デー……」

王子が咳払いで遮り、皇子が袖で笑いを拭った。肩の力がいくらか抜けた。よし、と王子は自分に向けて頷き、扉を押し開けた。

大聖堂の天蓋には星図の魔紋が光っていた。祭司の詠唱に合わせ、二人の掌の上で金と青の輪が浮かび、絡み合う。これは条約婚の魔法文書でもある。婚と条約、両方を担保するために、魔紋は二重の鍵で記された。王子が短く宣言する。

「公では皇子が前に立つ。私室では私が支える。互いの領域に踏み込むときは、合図を必ず。合わぬときは『星砂』で停止する」

皇子も続いた。「アフターケアを怠らない。政務の後は人に戻る時間を必ず置く。愛より先に契約を、契約より先に信頼の種を置く」

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