ログイン翌朝。 離宮はいつもより早い時間から動いていた。 廊下を行き交う使用人達。 磨き直される銀器。 整えられていく玄関。 静かだが、どこか張り詰めた空気が漂っている。 今日は。 王城へ向かう日だった。 広間には、完成した礼装が並べられていた。 王城直属の仕立て職人達が仕上げた正式衣装。 朝日を受け、布地が静かに輝いている。「おぉ……」 タマが思わず声を漏らした。「すげぇなこれ」 ライガル家紋入りの護衛礼装。 白と銀を基調とした軽装型。 肩周りは動きやすさ重視。 だが細部の刺繍はかなり細かい。 王家直属護衛としての格式がきっちり出ていた。「絶対高ぇ」「そこかよ」 ユキが少し笑う。 一方。 フィルニアは自分の礼装を広げていた。「おぉー……」 黒と深紅を基調にした竜装束風礼服。 長マント。 軽量化された腕周り。 竜人族用に角周辺まで調整されている。「カッケェ」「めちゃくちゃフィル用だな」「分かってる奴が作った」「絶対職人苦労したぞ」 タマが苦笑いする。 フィルニアは満足そうだった。「ちゃんと動けそうだしな」「そこ重要なんだな」「戦えねぇ服は嫌だ」「今日は戦わねぇよ」「分かんねぇだろ」「分かるわ」 ユキの礼装は、柔らかな白銀色だった。 細い銀刺繍。 長めの袖。 派手過ぎない。 だが目を引く。「綺麗……」 ユキ自身が一番驚いていた。 ベルドが静かに頷く。「よくお似合いです」「ありがとうございます……」 少し照れたように笑う。 タマはそんなユキを見ていた。「なんか本当にお嬢様っぽいな」「なにそれ」「いや、雰囲気」「タマも似合ってるよ?」「俺?」「うん」「護衛感すごい」「それは褒められてんのか?」「多分」 その頃。 トシオも自分用の礼装を見ていた。 紺色を基調にした和装寄り。 余計な装飾は少ない。 だが。 着るだけで妙な迫力が出る。「……漁師って感じしねぇな」 トシオがぼそっと呟く。 ミツコが笑った。「余計に男前になったねぇ」「そうか?」「うん」 ミツコ自身も、落ち着いた和装風礼服だった。 柔らかな薄桃色。 派手ではない。 だが不思議と目を引く。 王都側職人達もかなり悩んだらしい。 王族ではない。 だが王族達の“家族”。
王城訪問を翌日に控えた夜。 離宮には、どこか落ち着かない空気が漂っていた。 広間では暖炉の火が静かに揺れている。 外は夜。 王都の灯が遠くに見えていた。 フィルニアはソファへ寝転がりながら天井を見ている。「なんかソワソワすんな」「なんでフィルがソワソワすんだよ」 タマが笑う。 フィルニアは腕を頭の後ろへ回した。「王城って、帝国でもやっぱ空気違うし」「めんどくせぇ奴いっぱいいる」「それは否定出来ねぇ」 タマも遠い目になる。 ユキは静かに茶を飲んでいた。「……でも、ちゃんと行かなきゃね」 その言葉に。 空気が少し静かになる。 王城。 国王。 正式謁見。 つまり。 本当に“王族として戻る日”が来るという事だった。 ミーコは窓際へ座っていた。 夜風が白銀の髪を揺らす。 まだ記憶は曖昧だ。 でも。 最近、少しずつ増えていた。 離宮の景色。 王都の音。 噴水広場。 食卓。 ぼんやりとした断片。 その時。 ミツコが隣へ座る。「考え事?」 ミーコは少し迷い。 小さく頷いた。『……なんか変な感じ』「うん?」『帰ってきたって思うのに』『まだ全部思い出せてないから』『本当にここにいていいのかなって』 ぽつりと零れた本音だった。 ミツコは静かに聞いていた。 急かさない。 否定しない。 ただ隣にいる。「でもねぇ」 ミツコは優しく笑った。「皆、ミーコちゃん達が帰ってきて嬉しそうだったよ」『……うん』「それってきっと」「ちゃんと帰る場所だったって事じゃないかなぁ」 ミーコは窓の外を見る。 王都の灯が揺れている。 温かい景色だった。 その時。 トシオが静かに広間へ入ってきた。 手には木箱。「ん?」 タマが見る。「なんだそれ」「市場で貰った干物」「まだあったのか」 トシオは暖炉近くにどかっと腰をおろす。 そして。 焼き始めた。「今!?」 ユキが驚く。「腹減った」「この時間に!?」 フィルニアが即起き上がる。「俺様も食う!」「お前絶対来ると思った」 しばらくして。 広間に香ばしい匂いが広がった。「……うまそう」 タマが負け始める。「食うか」「食う」 即答だった。 結局。 全員集まる。 ミツコが苦笑していた。「夜食になっちゃったねぇ
王城から正式招待が届いた翌日。 離宮は朝から少し慌ただしかった。「採寸?」 タマが嫌そうな顔をする。 広間には数人の仕立て職人が来ていた。 王城直属。 王族衣装を担当する者達らしい。 ベルドが静かに説明する。「三日後の正式謁見に向け、礼装準備が必要との事です」「王城側から派遣されました」 ユキが少し緊張したように服を見る。 机には大量の布地。 銀糸。 刺繍見本。 王家紋章。 かなり本格的だった。「……すごい」 フィルニアは布を触りながら言う。「これ高いやつだな」「分かるのかよ」「竜装束も高ぇからな」 職人達はかなり緊張していた。 当然である。 失踪していた王族。 その帰還直後。 しかも本人達の礼装制作。 国単位の大仕事だった。 その中の年配女性職人が、震えながら頭を下げる。「本日は、皆様の礼装を担当させて頂きます」「どうぞよろしくお願い致します」 ミーコは少し慌てる。『そんな固くならなくていいよ?』「い、いえしかし……!」 逆に緊張が増した。 タマが苦笑する。「まぁそうなるよな」 その時。「俺様、動きやすいやつがいい」 フィルニアが即注文する。「あとメシ食いやすいやつ」 タマが即座に頷く。「そうそう、汁物飛ばしても分かりにくいやつ……って、そこ重視なんかよ」「重要だろ」 職人達が困惑していた。 ユキが慌てて補足する。「えっと……出来れば軽めでお願いします」「動きやすい方が助かるかなって」「承知しました!」 職人達が一斉にメモを始める。 タマは椅子へ座りながらぼやいた。「なんか一気に王族感出てきたな……」 すると。 ベルドが静かに言う。「元々王族です」「それはそう」 採寸は順番に始まった。 まずユキ。 女性職人達が囲む。「お綺麗……」「凄くお似合いになりそう……」 小声が漏れていた。 ユキは少し困った顔をする。「そんな大袈裟な……」「いえ、本当に!」「白銀系のお色が映えますね……!」 ユキは少し照れたように視線を逸らした。 次。 タマ。「失礼します」「うわ待っ、くすぐってぇ!」「動かないで下さい!」「無理だって!」 フィルニアが爆笑している。「弱っ!」「うるせぇ!!」 職人達も少し笑っていた。 場が和み始めている。
夜。 離宮の食堂では、遅めの夕食が続いていた。 王都散策の疲れもあり、皆どこか気が抜けている。 フィルニアは巨大肉串をまだ食べていた。「まだ食ってんの!?」 タマが呆れる。「冷めても美味いぞこれ」「そういう問題じゃねぇ」 ミツコは笑いながら皿を並べていた。「いっぱい歩いたもんねぇ」 ユキは今日買った布を広げて見ている。 淡い銀糸が灯りを受けて綺麗に輝いていた。 ミーコは窓の外を見ていた。 王都の夜。 賑わい。 人々の声。 少しずつ。 本当に戻ってきたのだと実感し始めている。 その時だった。 コンコン。 扉が叩かれる。 ベルドが静かに入ってきた。「皆様」「王城から使者が来られております」 空気が変わる。 フィルニアの咀嚼音だけ響いた。「……んぐ」「お前は食うの止めろ」 タマが突っ込む。 ベルドは続けた。「国王陛下からの正式招待状です」 ミーコ達の表情が変わる。 王。 つまり。 現在のレイシス王国最高権力者。 まだ記憶に輪郭は無い存在だった。 ユキが静かに聞く。「……明日ですか?」「いえ」 ベルドは首を振る。「三日後になります」「皆様を正式に王城へ迎えたいとの事です」 タマが腕を組む。「ついに来たか」 フィルニアは普通に聞いた。「飯出るか?」「ご馳走確定だな」「お前はそこ固定なんだな」「大事だろ」 トシオは静かに茶を飲んでいた。 ベルドが一通の封書を差し出す。 白銀の封。 王家紋章入り。 かなり格式が高い物だった。 ミーコは少し迷いながら受け取る。 重かった。 紙なのに。 妙な重みがある。 ゆっくり開く。 中の文字は綺麗だった。『アクアリア=ヴァル=レイシス殿下』『並びにライガル家御息女・御子息へ』『王城にて、正式に帰還歓迎の席を設けたく思う』『レイシス王国国王』『フェルディオ=ヴァル=レイシス』 静かな空気になる。 ミーコはその名前を見つめていた。 記憶の奥が、微かに揺れる。 だが。 まだ霧が掛かったままだった。「……親族?」 ユキが小さく呟く。 ベルドが頷いた。「陛下は、ミーコ様方のお父上の弟君にあたります」 ミーコ達が少し驚く。 つまり叔父だ。 タマが眉を上げる。「王様ってそんな近かったのか」「はい」「で
翌朝。 離宮の食堂には、焼きたての香りが広がっていた。 パン。 卵料理。 焼き魚。 温かなスープ。 朝日が大窓から差し込み、白い食卓を柔らかく照らしている。 フィルニアは既に三枚目のパンを食べていた。「うま」「朝から食い過ぎだろ」 タマが呆れる。「成長期だからな」 トシオが茶を飲みながら頷く。「そうか、どんどん成長してくれ」「じーちゃん甘くね?」「食うのは大事だ」 ミツコがお茶を注ぎながら笑う。「いっぱい食べるのは良い事だよぉ」「ばーちゃんは甘い」「フィルちゃん分かりやすいからねぇ」 ユキは窓の外を見ていた。 今日は雲一つない晴天だった。「いい天気だね」 すると。 トシオが不意に言った。「王都見に行くか」 一瞬、食堂が止まる。「……え?」 ミーコが顔を上げる。「散歩だ散歩」「せっかく戻ってきたんだろ」 タマが少し驚いた顔をする。「じーちゃんから言うの珍しくね?」「昨日ずっと中だったしな」 フィルニアが即座に反応した。「行く!!」「お前絶対そう言うと思った」 ユキも少し嬉しそうに笑う。「私も見てみたい」 ベルドは少し考え込む。「護衛を増やしますか?」「大袈裟なのはいらん」 トシオが即答する。「普通に歩きたい」 ヴェルクからも、最低限なら問題ないと許可は出ているらしい。 ただし。 目立つのは避けられない。 そのため。「変装とかする?」 ユキが聞く。 タマがミーコを見る。 ミーコは首を傾げた。『無理じゃない?』「まぁ隠し切れねぇよな」 フィルニアは普通に言った。「俺様そのままで行く」「お前隠す気ゼロだろ」 結局。 最低限だけ整え。 比較的簡素な服装で出る事になった。 そして。 数十分後。 一行は王都中央街区へ来ていた。「うわぁ……」 ユキが思わず声を漏らす。 賑やかだった。 石畳の大通り。 露店。 商店。 行き交う人々。 獣人族だけではない。 鳥人族。 森精族。 少数だが他国種族の姿も見える。 香辛料の匂い。 焼き菓子。 笑い声。 王都は、生きていた。 フィルニアはキョロキョロしていた。「すげぇなここ」「帝都と違う?」 ユキが聞く。「全然違ぇ」「ヴォルグラードはもっと武骨だぞ」「飯は?」「肉は向こう」
夜。 離宮は静かだった。 王都中心部から少し離れているせいか、昼間の喧騒も届かない。 窓の外には夜風。 庭園には淡い魔導灯が灯り、白い石畳を柔らかく照らしている。 夕食後。 一行は広間でゆっくりしていた。 流石に今日は全員疲れている。 議会。 視線。 会談。 慣れない空気。 精神的な消耗が大きかった。 トシオは椅子へ深く座りながら茶を飲んでいる。 ミツコはその隣。 フィルニアはソファへ寝転がっていた。「……動きたくねぇ」「お前ずっと元気だったろ」 タマが呆れる。「精神的疲労と腹減りは別問題だ」「なんだその理論」 ユキは少し笑いながら本をめくっていた。 離宮書庫から借りてきたらしい。 ミーコは窓際へ座り、外を眺めている。 王都の灯。 夜空。 まだ現実感は薄い。 本当に戻ってきたのだと、少しずつ理解している途中だった。 その時。 コンコン。 控えめなノック音が響く。 ベルドだった。「失礼致します」「おぉベルドさん」 タマが手を上げる。 ベルドは一礼し、静かに部屋へ入った。「皆様へお届け物が」「届け物?」 ユキが首を傾げる。 ベルドの後ろには使用人達が並んでいた。 そして。 大量だった。「多くない!?」 タマが思わず立ち上がる。 箱。 花。 包み。 籠。 机へ置き切れない。 フィルニアも起き上がる。「なんだこれ」 ベルドが静かに答えた。「本日、王都各所から届いた贈り物です」「皆様の帰還祝いとして」 一瞬、部屋が静かになる。 ミーコが目を瞬かせた。『……全部?』「はい」「まだ一部ですが」「まだあんの!?」 タマが驚愕する。 ベルドは頷いた。「菓子店」「商会」「貴族家」「市民組合」「様々な方々から」 ユキが少し困ったように笑う。「すごいね……」 フィルニアは既に一つ開けていた。「お、肉」「勝手に開けんな」「食うなとも言われてねぇ」「今言ったわ」 ミツコが笑いながら箱を見る。「綺麗なお花もいっぱいだねぇ」 その中には手紙も多かった。 “お帰りなさいませ” “ご無事で良かった” “王都へ戻ってきて下さりありがとうございます” 短い言葉ばかり。 だが。 そこに悪意は無かった。 ミーコはそっと一通を読む。 子供の字だ