Share

4.母

last update publish date: 2026-07-01 19:03:08

英玲奈side

リビングを飛び出して二階へと駆けこんだ。

父は冗談や言葉だけの脅しはしない。有言実行でやるなら徹底的に容赦せずに潰す人だ。そうやって今までいくつも企業を弾圧してきたのを私は間近で見てきている。

陽向の結婚相手を私から結愛に代えると言うのも、私が婚約破棄を諦めるための脅しの発言ではないだろう。……きっと父は、本気だ。

だからこそ、居場所がなくなったこの家にしがみつく気はなかった。もうこの家に二度と足を踏み入れない。そう思った私は、母の部屋へと入った。部屋の扉を開けた瞬間、私は初めて息ができた気がした。ここには父の怒号も、陽向の嘘も、結愛の勝ち誇った笑顔もない。あるのは、古い木の匂いと母が生前好んでいたサンダルウッドの香りだけだった。

母が亡くなって随分と時は経ったが、メイドたちのおかげで母の部屋は綺麗に清掃や手入れがされており当時のままだった。

父は、私にいつも完璧を求め、南雲家の娘なら弱音を吐くなと言った。けれど母は、礼儀作法の稽古から私をこっそり連れ出して、自分で作った小さなワンピースに着替えさせて外へ連れ出してくれた。

「英玲奈は南雲家の子である前に、私の娘よ。綺麗でいていいし、わがままを言ってもいい。ちゃんと愛されていい子なの」

私の事を唯一愛してくれた母は、私が十五歳の時にガンで亡くなった。

(確か、結愛は私の三歳下だったはず……父は、母が生きている時から不倫をしていたのね。母は知っていたのかしら?精神的に落ち込む時もあって治療のせいだと思っていたけれど、もしかして父のことで気を病んでいた……?)

デザイナーだった母は、仕事が大好きで病に侵されてからも、辛い治療の中でも病室で毎日のようにデッサンを書いていたと加藤が話をしていた。あの頃、反抗期だった私は母の見舞いに行くのは、まだ親離れできていないと思われる気がして受験勉強を理由にしてあまり病院へはいかなかった。そして、大人になった今、なぜもっと母のところへ顔を出さなかったのかと当時のことをずっと悔やみ続けている。 

クローゼットを開いて母の遺品を見渡すが、宝石やアクセサリーなど高価な物は父や義姉妹に奪われてしまい何も残っていない。しかし、母が書いたスケッチブックなど母が生きた証を感じられるものが残っていたら、それだけはどうしても持ち帰りたかった。

机の引き出しを開けると、探していたスケッチブックが何冊も収められている。下書きのままのデッサンや採用してPCでパース図として立体的なイメージ図に昇華されたもの、メモ書きをいれて再構成したものなど一枚一枚から母の仕事への情熱が伝わってくる。

小さい頃からアイデアが思い浮かぶとすぐに鉛筆をさがしてはスケッチブックを開き、絵を書き溜めていた姿を思い出す。その集中力は凄まじくて私がいくら話しかけても相手にしないほど没頭していた。

「本当に仕事が好きだったのね。闘病中も毎日書いていたなんて、きっと少しでも早く仕事に戻りたくて必死だったのね……」

クローゼットにあった仕事用の大きなトートバッグにスケッチブック数冊とパース図を詰めていく。すると、スケッチブックの間から繊細な刺繍とレースが何層も施されたウェディングドレスの絵がひらりと床に落ちた。

アンティーク調でオフホワイトのドレスは、細部を変更して何枚も何枚も書き直されており、スケッチブックの半分を占めている。そのドレスを書き終わった後は、何も書かれていない真っ白なページだけが残されていた。

母の最期の作品はきっとこのウェディングドレスだ。最後の一枚をじっくりと見ると右下に小さく母のサインと「to Erina」の文字。裏面を見ると、日付が記されており母が亡くなる半年前の日付で、その下には母から私へメッセージが残されている。

『英玲奈へ最後の贈り物。参列できない代わりにこのドレスに祝福をこめて』

書かれた文字は滲んでおり、きっと母はこれを書きながら泣いていたんだろう。母は、仕事に戻りたいからデッサンを書き続けたのではない。死期が近づいていることに気づき、私のためにこの絵を書き続けていたのだ。

「……ずっと私のために書いてくれていたの?お母様、病院に行かなくてごめんね……もっと……もっといっぱい行って話をすれば良かった……」

スケッチブックを抱きしめて、母と過ごした日々を思い出していた。一度デッサンを書き始めると無心で目の前のことが見えなくなる母だったが、そのモデルは大抵私だった。

『出来た!このワンピース、きっと英玲奈に似合うと思ったの。今度、生地も調達して作るわね』

書き終えた後、満面の笑みで話しかけ、二週間もしないうちに書いたデザインそっくりの服を作ってプレゼントしてくれる母。そんな母の笑顔が私は大好きで、作ってくれた服は、私の宝物でもあり自慢だった。

母からの最後のプレゼントをしまい込み、もう二度と戻らないであろうこの家を静かに去った。

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • すべてを失った元令嬢は世界を支配する男の愛を纏う   6.監禁

    英玲奈side陽向と結愛の結婚式当日。早朝、まだ皆が眠っている時間に加藤は私が泊まっているホテルのスイートルームに訪ねてきた。「英玲奈様、加藤です。例の物をお持ちしました……」周囲に誰もいないことを確認し、そっと中に招き入れる。頼んでいた品を受け取りすぐさまベッドの上に置いて確認すると、母が私のために作ったドレスに間違いない。母が私のために作ったドレスは完成していた。しかし、父はそのドレスをあろうことか結愛に着せようとしていうことを知った私は、加藤に奪ってくるようにお願いをしたのだ。「加藤、最後の最後にこんな我が儘を頼んでしまってごめんなさい。これ、少しだけれど私からの気持ちよ。……今までありがとう」鞄から五百万円の小切手を手渡すと、加藤は両手を振って受け取りを拒否した。「英玲奈様……こちらは受け取れません。私は、お金のためにやったのではございません。……生前、奥様には大変お世話になりました。ですので、奥様の思いを踏みにじることは、いくら旦那様でも許せなかったのです」「ありがとう。母も喜ぶわ。回収してくれたドレスは絶対に大切にする」母の形見であるこのウェディングドレスだけは父や結愛に渡さない。加藤を見送ってから、スーツケースにドレスを綺麗に詰め込んで、その場を後にしよ

  • すべてを失った元令嬢は世界を支配する男の愛を纏う   5.除籍

    父と陽向の裏切り……それだけでも気分が参っていたのに、二人はそんな私を嘲笑うかのように追い詰める手を止めることはなかった。結愛が父の実の娘だと分かった二日後、会議室に呼び出され部屋に入ると、取締役と主要幹部がずらりと並んでいる。空気は、嵐の前の空のように重かった。一つだけ空いた席に腰を下ろそうとすると机の上に置かれた一枚の書類が目に入った。『臨時株主総会決議通知書』次の瞬間、そこに記された文字が目に突き刺さった。『決議事項:南雲英玲奈の取締役解任について』指先がわずかに強張る。私は顔を上げ、上座に座る父を見た。「……これは、どういうことですか?私は何の説明も受けていません。なぜ突然、臨時株主総会が開かれ、こんな決議が出ているのですか」父はすぐには答えなかった。ただ、すでに価値を失った古い道具でも見るような目で、私を冷たく見下ろしている。代わりに口を開いたのは、父の隣に座る陽向だった。「英玲奈、まだ分からないのか?」陽向は口元をゆるめ、手元の資料をゆっくりとめくった。「役員の過半数、そ

  • すべてを失った元令嬢は世界を支配する男の愛を纏う   4.母

    英玲奈sideリビングを飛び出して二階へと駆けこんだ。父は冗談や言葉だけの脅しはしない。有言実行でやるなら徹底的に容赦せずに潰す人だ。そうやって今までいくつも企業を弾圧してきたのを私は間近で見てきている。陽向の結婚相手を私から結愛に代えると言うのも、私が婚約破棄を諦めるための脅しの発言ではないだろう。……きっと父は、本気だ。だからこそ、居場所がなくなったこの家にしがみつく気はなかった。もうこの家に二度と足を踏み入れない。そう思った私は、母の部屋へと入った。部屋の扉を開けた瞬間、私は初めて息ができた気がした。ここには父の怒号も、陽向の嘘も、結愛の勝ち誇った笑顔もない。あるのは、古い木の匂いと母が生前好んでいたサンダルウッドの香りだけだった。母が亡くなって随分と時は経ったが、メイドたちのおかげで母の部屋は綺麗に清掃や手入れがされており当時のままだった。父は、私にいつも完璧を求め、南雲家の娘なら弱音を吐くなと言った。けれど母は、礼儀作法の稽古から私をこっそり連れ出して、自分で作った小さなワンピースに着替えさせて外へ連れ出してくれた。「英玲奈は南雲家の子である前に、私の娘よ。綺麗でいていいし、わがままを言ってもいい。ちゃんと愛されていい子なの」私の事を唯一愛してくれた母は、私が十五歳の時にガンで亡くなった。(確か、結愛は私の三歳下だったはず……父は、母が生きている時から不倫をしていたのね。母は知っていたのかしら?精神的に落ち込む時もあって治療のせいだと思っていたけれど、もしかして父のことで気を病んでいた……?)デザイナーだった母は、仕事が大好きで病に侵されてからも、辛い治療の中でも病室で毎日のようにデッサンを書いていたと加藤が話をしていた。あの頃、反抗期だった私は母の見舞いに行くのは、まだ親離れできていないと思われる気がして受験勉強を理由にしてあまり病院へはいかなかった。そして、大人になった今、なぜもっと母のところへ顔を出さなかったのかと当時のことをずっと悔やみ続けている。 クローゼットを開いて母の遺品を見渡すが、宝石やアクセサリーなど高価な物は父や義姉妹に奪われてしまい何も残っていない。しかし、母が書いたスケッチブックなど母が生きた証を感じられるものが残っていたら、それだけはどうしても持ち帰りたかった。机の引き出しを開けると、探していたスケッチブッ

  • すべてを失った元令嬢は世界を支配する男の愛を纏う   3.結愛

    「結愛が、私の妹……?」「ああ、血の繋がりはないがな。だが、私の娘には変わりない」南雲グループは、高学歴の社員しか採用していない。そして、秘書課に配属されるのは容姿端麗で語学力が高い者や法律の知識を持つ者などいずれにしても花形の部門だ。そんな中で結愛だけが名前も知らないような大学出身で、何故、結愛がうちのような大手に勤めているのか、なぜ陽向の秘書に抜擢されたのか、ずっと疑問を抱いていた。しかし、今の父の発言で全ての謎が解けた。(大して学力もない結愛がこの会社に入社したのも、陽向の専属秘書に抜擢されたのも……すべて父の力があってこそだったのね……)「お姉さまはいつも完璧で仕事も出来ることは知っています。でも、陽向はお姉さまと一緒にいると、息が詰まるって言っていました。陽向は私の隣にいる時だけ、自分らしくいれる気がするって嬉しそうに言っていました。……だからお姉さま、陽向を自由にしてあげてもらえませんか?陽向も私といることが幸せだと言っています。お姉さまの今の場所を私に譲ってください」「結愛、心配することはない。結愛から頼まなくても、英玲奈の地位は結愛に譲らせるつもりだった。結愛は、英玲奈と違って素直で愛嬌があって本当に可愛いからな。陽向君に誠心誠意尽くすところも社長夫人としての器にピッタリだ。……だから、陽向君も結愛を選んだんだろう」「そうだよ。結愛の言う通り、英玲奈といるとしんどいんだ。僕はいつも、周りから英玲奈の功績を分け与えられた男みたいに思われるし、英玲奈自身も

  • すべてを失った元令嬢は世界を支配する男の愛を纏う   2.最悪の事実

    昔から父は厳しい人間だった。いつも完璧を求められて、褒めてもらった記憶はない。私のことを簡単に認めてくれないことも、嫌というほど知っている。けれど陽向が秘書を妊娠させた件は、もう私だけの問題ではない。南雲グループの名誉を傷つける醜聞だ。陽向のことを知れば、父は私の側に立ってくれるはずだ。実家へ向かう車の中で、私はまだ愚かにもほんの少しだけ期待していた。しかし、私は間違っていた。リビングのソファに座る実父・南雲厳一郎(げんいちろう)は、私の報告を聞き終えるなり手にしていた本を乱暴に机に叩きつけた。「実にくだらない! 婚約破棄など私は絶対に認めないからな!」「くだらない……? 彼は、二週間後に私との挙式を控えながら、自分の秘書との間に子どもまで作ったのですよ。南雲家の婿養子になる男が外で不貞を働き、おまけに妊娠させていたなんて、我がグループの泥を塗る行為です。南雲のブランド価値を失墜させることに繋がると思いますが……!!」淡々と言い返す私が面白くないのか、父の歪んだ顔は怒りでみるみるうちに赤黒く染まっていった。「黙れ!やっと後継者が見つかったと思ったのに……そもそも、陽向君の心を掴めなかったお前に責任があるとは思わないのか。男の遊びの一つや二つをいちいち根に持つなんて……これだからお前は……!」「遊びの一つや二つ?妊娠までしてその言い方はないのではないですか?それに、南雲グループの後継者なら私がなるって再三……」「黙れ、身の程を知れ!!」リビングの重苦しい空気を切り裂くような父の鋭い怒号が響き渡った。 あまりの圧に言葉が喉に張り付く。父は冷酷に目を細め、私という存在そのものを値踏みするように見下した。「後継者は代々、男がなるものだと決まっている。女のお前には最初から無理だと何度言ったら分かるんだ。どれだけ夜遅くまで働き、いくら数字を出そうがお前の努力など所詮は女の浅知恵。評価されるのも、お前が『女』だからだ。そんなことも分からないから、お前は陽向君に飽きられたんじゃないのか」南雲グループの一人娘として、幼い頃から父の跡を継ぐことを夢見てきた。 しかし、「女だから」という理由だけで、どれだけ実績を上げても父から一度も認めてもらったことはなかった。挙句の果てに、三年前に陽向を後継者とするために結婚を命じて、それ以降、私が立てた事業計画は、すべて陽向の

  • すべてを失った元令嬢は世界を支配する男の愛を纏う   1.祝杯

    結婚式まで、あと二週間。朝、結婚式のスピーチをする人へのお礼の品をカタログを見ながら吟味していると、その姿を見た陽向は「英玲奈は本当に真面目だな」と目を細めて笑っていた。陽向も私と同じ気持ちでいる。そう思っていたのに……夜になって、彼はホテルで別の女のためにシャンパンを開けていた。「英玲奈(えれな)様、あちらのお席に行ってはなりません!」煌びやかな夜景が見渡せるホテルの最上階レストラン。ホテルのスタッフが青ざめた顔で私を必死に止めようとしている。その手を振り払い、ハイヒールの音をカツカツと冷徹に響かせながら近づいていく。(やっぱりここにいたのね……)婚約者の城之内陽向(じょうのうちひなた)と秘書の橘結愛(たちばなゆあ)が楽しそうに笑っている。二人とも目の前の相手に夢中で私の存在に気づいていないようだ。陽向がこの店で一番高価なシャンパンを掲げたウエイターに目配せをすると、 スポンッ、とコルクの抜けた音が響き、黄金の泡がグラスの中で湧き上がっていた。「妊娠おめでとう。結愛に子どもが出来たなんて嬉しいよ」「陽向、ありがとう。お腹の子、あなたに似てくれたらいいな……」「そんなことないさ。結愛に似たって絶対に可愛らしい子になる」結愛が愛おしそうにお腹を撫でると、陽向も目を細めて嬉しそうに微笑んでいる。幸せに満ちた二人とは対照的に、あまりの衝撃に心が急速に凍っていく。(……今、子どもって言ったわよね?それに、互いに似ればいいって……浮気だけじゃなく子どもまで作ったの?)「……でも陽向、本当に結婚しちゃうの?いつも陽向のことを支えているのは誰だと思っているのよ?」不機嫌そうに呟く結愛に、陽向は『拗ねている姿も可愛いよ』とでも言うように結愛の手をそっと握った。「分かっている。僕の心にいるのは結愛だけだ。いつも支えてくれてありがとう」今、確かに陽向は『結愛』の名前を口にした。(支えてくれてありがとう?あなたの社内での地位を上げるために、私がどれだけ尽くしてきたと思っているのよ?今まで何度もあなたの代わりに事業計画を立てて商談をまとめたのに、実績はすべて横取りしていったじゃない……それに結愛って、なんで秘書のことを下の名前で呼んでいるのよ……!)陽向は、かつて私にも同じような優しい言葉をくれた。三年前、彼が初めて大きな案件を取った日、誰もいない会議室

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status