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もう、あなたの愛はいらない

もう、あなたの愛はいらない

By:  ちびっこパンチCompleted
Language: Japanese
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町中の上流階級では誰もが知っている。あの冷酷な長谷川家の御曹司が、たった一人の女性のために、家柄も命も捨てたってことを。 やがて彼は念願かなって、心の底から愛する人を妻にした。二人の恋物語は、界隈ではちょっとした伝説になっている。 その女性というのが、私。 この幸せがずっと続くんだって信じていた。でも、ある日突然スマホに送られてきた動画が、すべてを壊した。そこには、男女が絡み合っている姿が映っていた。 「ああ、すごくいい匂いだ」スピーカーから聞こえる長谷川智也(はせがわ ともや)の押し殺した喘ぎ声は、ひどく生々しかった。 相手の女性は、拒むふりをしながらも、甘ったるい声を何度もあげていた。 私はとっさに画面を消した。真っ暗になった画面には、涙に濡れた自分の顔が映っていた。 私と智也は、学生時代に出会って結婚した。もう15年になるけど、周りからはずっと「誰もが羨む理想の夫婦」だと言われてきた。 でも、智也の心が、もうとっくに自分から離れていたことに、私は分かっていた。 彼は私が自分の手で選んだ秘書・小林楓(こばやし かえで)に恋をした。 裏切りだけは、絶対に許すことができない。 この時、私が智也に贈る誕生日プレゼントは、もう決まっていた。二度と会わないこと、それだけだった。

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Chapter 1

第1話

画面の中、女の甘い声が聞こえる。「智也さん、すごい……」

スピーカーから聞こえる長谷川智也(はせがわ ともや)の押し殺した喘ぎ声は、ひどく生々しかった。

私はとっさに画面を消した。真っ暗になった画面には、涙に濡れた自分の顔が映っていた。

私と智也は、学生時代に出会って結婚した。もう15年になるけど、周りからはずっと「誰もが羨む理想の夫婦」だと言われてきた。

でも、智也の心が、もうとっくに自分から離れていたことに、私は分かっていた。彼は私が自分の手で選んだ秘書・小林楓(こばやし かえで)に恋をした。

智也が昔、私にささやいてくれた甘い言葉を、今は楓に言っていることも、私は知らないふりをしていた。

彼はすべてを完璧に隠せているつもりだったけど、まさか私がとっくに別れの準備をしていたなんて、夢にも思わなかったはず。

この時、私が智也に贈る誕生日プレゼントは、もう決まっていた。二度と会わないこと、それだけだった。

……

スマホの動画は再生され続けている。男の荒い息づかいと女の甘い声が絡み合い、部屋中に熱っぽい空気が満ちていくようだ。

画面の中で汗だくになっている智也の横顔をじっと見つめていると、私はふと笑いがこみあげてきた。

これが、私が15年間も愛した夫の姿。

私の誕生日に、ほかの女と体を重ねている。

スマホがまた通知音を鳴らす。開いてみると、メッセージはすべて楓からだった。

楓からのメッセージは、文字を読むだけで、彼女の挑発的な表情が目に浮かぶようだった。

【由理恵さん、驚いたでしょう?あなたをどんなに愛してる男でも、浮気くらいはしてしまうものですよ】

【見た目も学歴も、あなたにはかなわないかもしれません。でもね、ベッドでは私のほうがずっと上手ですよ】

楓からのメッセージはまだ立て続けに送られてきたけど、もう読む気はなかった。スクリーンショットだけ撮って、スマホの電源を落とした。

楓は、私が智也のために選んだ秘書だった。

1年前、智也を長年支えてきた秘書が辞めたので、新しい人を探すことになった。

書類選考を通った履歴書の束を、智也が私のところに持ってきた。そのときの彼は、幸せそうに目を細めて私を見つめていた。

「由理恵、これは人事部が選んでくれた候補者たちだよ。いいなって思う人がいたら、その人を採用しよう」

私は諦め顔で笑った。

「あなたの秘書でしょ?どうして私が決めるの?」

すると智也は、きっぱりとした口調で言った。

「秘書は俺と一番接する時間が長いんだ。君が気に入らない人なんて雇いたくないよ」

そう言って、彼は私を宝物みたいに大事に抱きしめた。

智也に押し切られて、私は楓の履歴書を手に取った。

「この人がいいかな。仕事がてきぱきできそうに見えるし」

まさか、それからたった1年で、私が自ら選んだ秘書が恋敵になるなんて思ってもみなかった。

テーブルの上のケーキは、暖房の熱で少し溶けてしまっている。「29」の数字のろうそくも、斜めに傾いていた。

智也にすっぽかされた、初めての誕生日。そして、これが二人にとって最後の誕生日。

時計の針がぐるぐると回っていくのを見ながら、私はまだ、ほんの少しだけ期待していた。

もしかしたら、彼が帰ってくるかもしれない、と。

あんなに私を愛してくれていた智也が、私の誕生日を忘れるわけがない。

でも、深夜3時になっても彼は現れなかった。メッセージも電話もなく、家にも帰ってこない。まるでこの世から消えてしまったみたいに。

少し迷ったあと、私は楓とのトーク画面を開いた。

一番新しいメッセージは写真だった。そこには、キスマークだらけの男の胸を枕にしている女が写っていた。

【あなたの旦那さん、すごいですね】

なるほど、そんなに激しかったんだ。

どうりで、連絡ひとつないわけだ。

私は深く息を吸い込んで、こみあげる悲しさを飲みこんだ。そして、心を込めて作った料理を、一口もつけていないケーキとともに、ゴミ箱へ捨てた。

すべてを片付け終わってから、私はある人に電話をかけた。

「菊地社長、前、SYグループのデザイナーにならないかと声をかけてくれたよね。考えがまとまった。F国行きの航空券を手配して」

電話の向こうの菊地悠斗(きくち ゆうと)の声は、驚きと喜びに満ちていた。

「やっと承諾してくれたんだね!君が引退すると言ったとき、俺は誰より反対した。君の才能が埋もれてしまうのはもったいないって!今考え直してくれてよかった。すぐチケット取るよ。出発は7日後で、いいな?」

7日後。

私はその言葉を心の中で繰り返して、ふっと笑った。
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第1話
画面の中、女の甘い声が聞こえる。「智也さん、すごい……」スピーカーから聞こえる長谷川智也(はせがわ ともや)の押し殺した喘ぎ声は、ひどく生々しかった。私はとっさに画面を消した。真っ暗になった画面には、涙に濡れた自分の顔が映っていた。私と智也は、学生時代に出会って結婚した。もう15年になるけど、周りからはずっと「誰もが羨む理想の夫婦」だと言われてきた。でも、智也の心が、もうとっくに自分から離れていたことに、私は分かっていた。彼は私が自分の手で選んだ秘書・小林楓(こばやし かえで)に恋をした。智也が昔、私にささやいてくれた甘い言葉を、今は楓に言っていることも、私は知らないふりをしていた。彼はすべてを完璧に隠せているつもりだったけど、まさか私がとっくに別れの準備をしていたなんて、夢にも思わなかったはず。この時、私が智也に贈る誕生日プレゼントは、もう決まっていた。二度と会わないこと、それだけだった。……スマホの動画は再生され続けている。男の荒い息づかいと女の甘い声が絡み合い、部屋中に熱っぽい空気が満ちていくようだ。画面の中で汗だくになっている智也の横顔をじっと見つめていると、私はふと笑いがこみあげてきた。これが、私が15年間も愛した夫の姿。私の誕生日に、ほかの女と体を重ねている。スマホがまた通知音を鳴らす。開いてみると、メッセージはすべて楓からだった。楓からのメッセージは、文字を読むだけで、彼女の挑発的な表情が目に浮かぶようだった。【由理恵さん、驚いたでしょう?あなたをどんなに愛してる男でも、浮気くらいはしてしまうものですよ】【見た目も学歴も、あなたにはかなわないかもしれません。でもね、ベッドでは私のほうがずっと上手ですよ】楓からのメッセージはまだ立て続けに送られてきたけど、もう読む気はなかった。スクリーンショットだけ撮って、スマホの電源を落とした。楓は、私が智也のために選んだ秘書だった。1年前、智也を長年支えてきた秘書が辞めたので、新しい人を探すことになった。書類選考を通った履歴書の束を、智也が私のところに持ってきた。そのときの彼は、幸せそうに目を細めて私を見つめていた。「由理恵、これは人事部が選んでくれた候補者たちだよ。いいなって思う人がいたら、その人を採用しよう」私は諦め顔で笑った
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第2話
7日後。その日は智也の誕生日。そして、私が彼ときっぱり別れる日でもある。次の日の朝、ごそごそという物音で目が覚めた。まだ眠い目をこすりながら見てみると、智也がドレッサーに散らかった化粧品を片づけていた。一晩会わなかっただけなのに、彼の目には隠しきれない疲れがにじんでいた。「由理恵、起きたんだね。また化粧品を出しっぱなしにしてたから、片づけておいたよ」私は何も言わず、智也の整った顔をただ静かに見つめていた。彼はいつも、こういう気遣いができる人だった。化粧品を片づけるような小さなことから、私が気づかない生活の細かいことまで、いつも先回りしてやってくれた。15年間ずっと変わらず、何よりも私のことを一番に考えてくれていた。でも、そんな私のことばかり考えてくれる男が、私の誕生日にほかの女の人と体を重ねたなんて。私の気持ちの変化に気づいたのか、智也はポケットから小さな箱を取り出した。彼は片ひざをつき、その目には今にもこぼれ出しそうなほどの優しさが宿っていた。「由理恵、昨日の誕生日に帰れなくてごめん。君のためにオーダーメイドの指輪を取りに行ってたんだ。このダイヤは、俺が必死で探した『永遠の愛』っていう名前でね、世界にたった一つしかないんだ!」智也は少し間を置いて、続けた。「これが俺たちの永遠の愛のしるしだよ。由理恵、永遠に君を愛してる」その言葉を聞いて、私は口の端を少しだけ上げた。彼の手から指輪を受け取ると、私はそれをじっくりと眺めた。智也は甘えるように私の腰を抱きしめ、期待に満ちた声で言った。「由理恵、昨日は君のために一晩中、指輪のことで頑張ったんだよ?何かご褒美、くれないの?」そう言いながら、彼の声は低くなり、大きな手が私の腰をなで始めた。私は顔色一つ変えずに、その手を止めた。こんな下手な言い訳でも、もし智也の浮気に気づいていなければ、私は信じてしまっていたんだろうな。だって、楓が現れるまで、この15年間、彼は私に一度も嘘をついたことがなかったから。結局、何だってありうるんだ。起こらなかったのは、ただ、タイミングが合わなかっただけなんだ。私は気持ちを落ち着けて、淡々な声で言った。「一晩中大変だったでしょ。まずはゆっくり休んで」それを聞くと、智也はぎゅっと私を抱きしめてき
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第3話
智也とはもう、話すことなんて何もない。会社に入ると、入り口の警備員からロビーの受付の人、忙しそうに行き交う社員まで、みんな私に気づくとすぐに立ち止まって挨拶をしてくれる。これは、智也がわざわざそう決めたこと。会社の服務規程にも書かれているほどだ。というのも昔、彼の会社に行ったときに社員から意地悪をされたことがあったから。あの頃はまだ付き合い始めたばかりで、毎日がすごく幸せだった。彼のためなら何だってできる、本気でそう思っていた。彼は仕事が忙しくなると食事を抜きがちだった。だから私は料理を覚えて、毎日お昼にお弁当を届けに行ったのだ。初めて会社に行った日、受付の人は私のことを知らなかった。アポもなかったし、私の服装がみすぼらしかったから、いきなり嫌味を言われた。「また玉の輿狙い?自分のつましい姿、見えてないのかしら。うちの社長の目に留まるなんて、まさか思ってないでしょうね」その様子を、ちょうどエレベーターから降りてきた智也が見ていた。いつもは穏やかな彼が一瞬でカッとなり、私に暴言を吐いた受付の人を思いっきり平手打ちした。「俺の女を、お前なんかがとやかく言うな!」この一件で、智也には「キレやすい社長」っていうレッテルが貼られて、会社の株価も下がり続けた。でも、彼はそんなこと全く気にしていなかった。ただひたすら私のことだけを考えてくれていた。「何よりも、君の気持ちが一番大事なんだ」って。この出来事の後、智也は知り合い全員に私のことを紹介して回った。会社のロビーにある大きなモニターには、毎日決まった時間に私の写真が映し出された。智也はさらに、長谷川グループの社員が誰でも、私を見たらすぐに挨拶するようにと命令までしたんだ。たとえ智也と私が並んで歩いていても、挨拶はまず私から、と。でも、そんな風に私のことを愛してくれたはずの男が、浮気をした。会議室の前に着いて、私はドアを軽くノックした。ガラス張りの壁の向こうから智也が私に気づいた。彼は手を挙げて会議を中断させると、すぐに立ち上がって足早に私の方へ向かってきた。書類を渡すと、智也は私の額にキスをした。「由理恵、君がいてくれて本当によかった」私は淡々と返事をして、その場を離れようと背を向けた。でも智也は私の手を引き止め、優しくなでた。そのとき突然、彼
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第4話
とっさに顔を隠して、私は二人のあとについていった。会社のみんなは見慣れているみたいで、二人をからかうような目で見ていた。楓と仲の良い同僚なんて、おおっぴらに声をかけていた。「あら、今日も社長とご一緒なのね?」楓は恥ずかしそうにその人をじろっと見た。智也はそれを見ると、愛おしそうに彼女の髪を撫でるだけだった。みんなのひやかす声がもっと大きくなった。そういうことか。みんな全部知ってたんだ。みんな、智也の茶番に付き合って、この嘘をほんとうのことみたいに見せかけようとしてる。まるでピエロみたい。何も知らないのは私だけで、智也みたいな素敵な人が恋人で幸せだなんて、うぬぼれていたんだから。楓は体のラインが出るスカートをはいて、あふれそうな胸元を見せつけている。仕事の話をするふりをして、智也の耳もとで色っぽくささやいていた。周りの人たちはみんな気を利かせて目をそらし、それぞれ自分の仕事に戻っていった。以前、この光景を見たらきっと、智也の裏切りに大騒ぎして、取り乱してただろう。でも今の私は、驚くほど落ち着いていた。たぶん、ここにいられる時間がもう長くないから。だから何もかもどうでもよくなったのかもしれない。それに、智也はもうとっくに私の心の中で、他人になっている。……今日は、私がここを去る最後の日。出かける時、智也は私を抱きしめて優しく微笑んだ。「ねぇ、由理恵、今日は俺の誕生日だよ。どうしてまだプレゼントを開けさせてくれないの?」彼の瞳を見つめると、自分が信じられないほど冷静なのに気が付いた。「今夜、食事の時に一緒に開けよう」智也は嬉しそうに笑った。しかし、私が今日の午後にはもう出て行くことを、彼は知らない。智也は自分の誕生日のために、今日の仕事をすべて断っていた。ちゃんと祝えなかった、7日前の私の誕生日の埋め合わせもしてくれるらしい。「どこか行きたいところある?神鳥山にでも行ってみる?」神鳥山は、まだ若かったころに私と智也が人生を共にすることを決めた、大切な場所だ。二人にとって特別な意味があった。私は小さくうなずいた。でも、マフラーを寝室に忘れてきたのを思い出して、彼にバッグを預けて取りに戻った。智也は私の鼻先を軽くつまんで、甘やかした声で言った。「君も俺に似て、うっかりさ
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第5話
体に積もった雪のことなんて、ふたりとも気にもしなかった。私は、まだ待っていた。昔、私は智也と約束したことがある。こうして一緒に雪景色を見るたびに、お互いへの想いを伝えあおうって。でも、今、目の前で雪景色に見とれている男を見て、昔の約束などすっかり忘れているのだろうと、私たちはもう一緒にはいられないのだと、改めて思い知らされた。遠くから何かが近づいてくる音がして、胸にいやな予感がこみあげてきた。思わず顔を上げると、大きな岩がまっすぐ私めがけて転がり落ちてくるところだった。頭が真っ白になった。次の瞬間、ドンッという衝撃。まるでトラックにでも轢かれたみたいだった。「うっ――」胸をおさえて、あまりの痛さに息をのんだ。額には、じっとりと冷や汗がにじみ出ている。「由理恵!」智也の声は驚きで裏返っていた。その目はみるみるうちに真っ赤に充血して、熱い涙が頬を伝っていく。「由理恵!大丈夫か?今すぐ病院に連れて行くからな!」恐怖に歪んだ彼の顔を見て、私は鼻で笑った。さっきまで智也は私のすぐ近くにいた。私を安全な場所に引っ張る時間なんて、いくらでもあったはずだ。それなのに彼は、スマホに夢中だったせいで、岩が転がり落ちてくる音さえ聞こえなかったんだ。私は智也のスマホに目を落とした。まだ画面が消えていなくて、トーク画面の名前が見えた。【楓ちゃん】ずいぶん親しそうに呼ぶものね。智也はもう救急車を呼んでいた。もうすぐ着くらしい。その時、私のスマホにメッセージが何件か届いた。開いてみると、相手は楓だった。【智也さんから聞きました。今、思い出の場所に行っているんですって?】【今日は彼の誕生日でしょう?あなたの誕生日のときは智也さんは私といたけど、今回はどうでしょう?また私のために、あなたを置いてきちゃうかもしれませんね?】私はざっと目を通すと、スマホの画面を閉じた。今の智也がどうしようと、もう私には関係ない。もうすぐ、私の新しい生活が始まる。そこには智也も、楓もいない。私を悩ませるものは、何もないんだ。特別設定の通知音が鳴って、智也の顔がこわばった。そして、おそるおそる私の顔色をうかがう。私が平然としているのを見て、彼はやっと気づかれないようにそっと息を吐いた。私は彼の、まるで誰も気づかないと
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第6話
そしてすぐにSIMカードを取り出すと、ぱきっと折ってゴミ箱に捨てた。空港に着くと、悠斗はもう待っててくれた。彼は私の姿を見つけると、手に持っていたユリの花束を軽く掲げてみせた。「由理恵、こっち!」悠斗の声が聞こえて、私は笑顔で視線を合わせた。何年も会わないうちに、彼はもっと大人びた感じになっていた。私も手を振って、挨拶を返す。悠斗は親しげに、私の手からスーツケースを受け取ってくれた。「俺たち、最後に会ったのって、もう何年前になるっけ?」彼の言葉に、昔のことがだんだんと思い出されてきた。私と悠斗は高校の同級生で、大学でも同じ服飾デザインを専攻した。高校の時は席が隣でいつも助け合ってたし、大学ではみんなが認める最高のパートナーだった。私がデザインに込めた工夫は悠斗には全部伝わったし、彼のデザインの考え方も私とぴったりだった。私たちは、本当に気の合う仲間だったんだ。あの頃は悠斗とすごく仲が良かったから、友達によく二人の関係をからかわれた。でも、当時の私は智也に夢中で、悠斗の気持ちには、全然気づかなかった。大学を卒業してからは別々の道に進んだ。悠斗は海外へ留学し、すぐにデザイナーとして国内外で有名になった。その後、自分のアパレル会社を立ち上げて、手が届くくらいの高級ブランドが幅広い層に人気で、業績もすごくいいって聞いてる。彼の事業が軌道に乗った頃、「一緒にやらないか」って誘ってくれたことがあった。高校からずっと最高のパートナーだったから、その誘いはすごく嬉しかったし、正直、心が揺らいだ。でも、その頃はもう智也と結婚して何年も経ってた。彼は私が仕事で苦労するのが嫌だからって、働くこと自体に反対だった。「俺が養ってあげるから、それでいいじゃないか」って。だから私はほとんど考えることもなく、悠斗の誘いを断ってしまった。今になって思えば、本当に馬鹿なことをしたな。昔のことがありありと思い浮かんでくる。私は空港を行き交う人たちを眺めながら、ふっと笑みをこぼした。「あっという間に、こんなに時間が経っちゃったんだね」それを聞いて、悠斗も楽しそうに笑った。「ほんと、時間は待ってくれないもんだね」久しぶりに会ったせいか、昔よりなんでも気楽に話せる気がした。私たちはいろんな話をした。
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第7話
これまでの十数年、私の生活は智也中心だった。仕事も勉強もそっちのけで、人生がすっかり止まっちゃってたんだ。ずいぶん長く止まっていたけど、そろそろ再スタートしなきゃ。食事はとっても楽しかった。食事中、結衣がずっと料理を取り分けてくれて。彼女がいると、その場がぜんぜん気まずくならないんだ。私たち、すぐに意気投合しちゃった。食事の後、私は二人について会社へ行って、正式にSYグループの一員になった。悠斗が用意してくれたオフィスは、広くて日当たりも良く。隣は結衣のオフィスだった。私たちは仕事が終わると、よく会社のビルの下のレストランでごはんを食べたり、近くの居酒屋でちょっと飲んだりした。話が盛り上がった時には、近くの別のバーでもっと羽目を外しちゃったりもした。でも、バーに入る前によく悠斗に見つかって、止められていた。そんなとき、結衣はいつもぷんぷん怒っていた。「由理恵さんが一緒なんだから、心配いらないでしょ?!私が浮気なんてするわけないじゃない!」そして、悠斗は片方の手で結衣のおでこをツンツンした。「あんな場所は危ない連中もいるから、君たちだけで行くのは心配なんだ。だから、俺が一緒じゃない時は、行かないでくれ」そんな二人のやりとりを見てると、私はつい笑っちゃうんだ。彼らのことを見てるだけで、幸せな気分になる。私と智也との関係とは、まったく違った。このまま穏やかな毎日が続くんだろうなって思ってた矢先に、智也がやって来た。……私が国内を離れてから1ヶ月ほど経って、仕事も少しずつ落ち着いてきた。いつものように結衣と息抜きに会社のロビーへ降りたら、見慣れた人影が目に飛び込んできた。その人の顔をちゃんと見るより先に、彼が突然駆け寄ってきて、私をぎゅっと強く抱きしめた。肌に触れる体は驚くほど冷たく、震えが止まる様子がない。まるで、一度失くした宝物をようやく見つけ出したかのような、そんな切実な強さで彼は私を抱きしめていた。「由理恵、やっと会えた。話を聞いてくれ!俺と楓は、君が思ってるような関係じゃないんだ!確かに、彼女とは一時付き合っていた時期があった。でも、俺の心の中に彼女の居場所なんて少しもないんだ!愛してるのは君だけなんだ!ほんの一時、楓に誘惑されて、体の関係に溺れてしまっただけなんだ……
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第8話
智也は唇を震わせ、どもりながら言った。「由理恵、許してくれないか?俺たちの15年間を、そんな簡単に捨てられるはずがないだろ?あんなにたくさんの辛いことを乗り越えて、やっと一緒になれたんだ。それなのに、今になって俺と本当に別れたいっていうのか?子供を作ろうって言ったじゃないか。一緒に旅行へも行こうって。大雪の日に愛を告白し合う約束もした。できることはまだたくさんあるんだ。約束をまだ果たせていないのに、俺から離れていくつもりなのか?!」彼はほとんど叫ぶように言いながら、体は震え続けていた。この15年、私は智也がこんな風にヒステリックになるのを見たことがなかった。記憶の中の彼は、いつも物腰が柔らかくて紳士的だった。誰にでも気さくに接していたし、特に私にはすごく優しくて、怒ったことなんて一度もなかったのに。愛って、本当に人を変えてしまうんだな。もし以前、こんな智也の姿を見ていたら、私は心が揺らいでいたかもしれない。でも今となっては、彼への気持ちはとっくに消え去ってしまっていた。私は智也の打ちひしがれた目を見つめて、一言一言、区切るように言った。「智也、私たちはもう終わったの。終わったんだから、きれいさっぱり別れよう。もう付きまとわないで。心変わりはどんな形であっても許せないの。私が欲しかったのは、一途な愛だけ。私はあなたにそうしてきたし、あなたにもそうしてほしかった。あなたが昔どんなに優しくても、心変わりしたのは事実でしょ。その優しさを、二人にあげていたじゃない。あなたが小林さんを愛していたかはどうでもいい。あなたの気持ちが揺らいだ、その瞬間に私たちは終わったの。ずっと私だけを愛していたって言うけど、もし本当にそうなら、彼女のことなんて気にもしなかったはずよ」私が一言口にするたびに、智也の顔は青ざめていき、最後には血の気が完全に引いていた。彼はまるで力が抜けたようにその場に座り込み、瞳から光がゆっくりと消えていった。私はその落ち込んだ様子を気にせず、言いたい話を言い捨てて結衣の手を引いてその場を離れた。……マンションに戻ると、結衣が心配そうに私を見つめ、何か言いたげに口をもじもじさせていた。彼女の言いたいことは分かっていたので、私は苦笑いしながら言った。「聞いていいよ」私の許可が出ると、結衣
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第9話
結衣はF国に何年か住んでいたので、こちらにも友達がたくさんいた。今夜集まってくれたのは、みんな彼女の女友達だった。私たちは思いっきり飲んで、お互いのことをたくさん話した。おかげで気分は本当にすっきりした。いつの間にか、お店の客もまばらになって、結衣はもうぐでんぐでんに酔っぱらっていた。彼女の様子を見て、私はこっそり悠斗に電話をかけた。「悠斗さん、私たちを迎えに来てくれない?今夜はみんな、かなり飲んじゃって」電話の向こうの悠斗の声は落ち着いてたけど、すごくイライラしてるのが伝わってきた。「わかった」彼が来るまでまだ時間があったから、私は個室を出て少し風にあたった。すると、向かいから来た外国人の男性とぶつかった。その人はひどく酔っぱらっていて、いやらしい目で私をじろじろ見てきた。「おや、かわいいお姉ちゃん。見かけない顔だね。こっちに来てキスさせておくれよ。他の女と一緒かどうか、確かめてあげるからさ」言い終わると、男は私に近づこうとしてきた。私は顔をしかめて、とっさに足元にあった空き瓶を拾い上げた。海外に来てから、私も少し護身術を習っていたんだ。でも、私が何かする前に、その男性は細身の人影に蹴り倒された。その人は夢中で彼を殴りつけていて、一発一発がすごく重そうだった。最初は必死に謝っていたけど、そのうち外国人の男性は意識を失ってしまった。でも、上に乗っかっている男は殴るのをやめようとしない。このままだと死んじゃうかもしれないと思って、私は勇気を出して近づいた。「あの、さっきは助けてくれてありがとうございます。彼はもう気を失ってますよ」そう言った瞬間、私は固まってしまった。智也のやつれた顔が、目に飛び込んできたから。どうりで、後ろ姿に見覚えがあると思ったんだ。智也だとわかっても、私は足を止めずに、ゆっくりと彼を支え起こした。だって、さっき智也がいなかったら、私がどうなっていたかわからないから。私は彼にハンカチを渡した。「拭いて、手が血だらけだよ」智也は黙ってそれを受け取ると、複雑で、ためらうような目で私を見た。彼がなにか言いたそうにしているのがわかったから、私から聞いてみた。「なにを言いたい?」私がそう聞くと、智也の黒い瞳が揺れて、信じられないくらいかすれ
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第10話
……その日から、私は智也に会っていなかった。後になって結衣から聞いたんだけど、彼女はある場所を通りかかったとき、ゴミ箱のそばで縮こまっている智也を見かけたらしい。その話を聞いて、私の心はざわついた。何年も一緒にいたんだから、さすがに放っておけなかった。私は結衣に場所を教えてもらった。数日会わないうちに、智也はもっと痩せたみたい。寒さのせいか、まっすぐだったはずの背中もずっと丸まっていた。薄っぺらい服を着て、ゴミ箱の裏の風よけになる場所に隠れながら、何度も白い息を吐いていた。その姿を見て、私はため息をつきながら上着を差し出した。智也は体をこわばらせた。そして上着を受け取ると、俯いて私の顔を見ようとしなかった。しばらくして、彼は口を開いた。「こんなに落ちぶれた姿、すごくみっともないだろ?ごめん、最後に良い印象を残せなくて」私は智也をじろりと睨んで、温かい飲み物を渡した。「どうしてまだ帰国しないの?」彼は少し間を置いて、小さな声で言った。「パスポートをなくして、スマホも盗まれたんだ。それに、F国語もあまり得意じゃないし……」智也の声は、どんどん小さくなっていった。私は彼をホテルに泊まらせて、大使館に連絡してあげた。必要な手配を終えると、私はホテルを後にした。やれることは全部やった。離婚した後、私たちはもう、一生会うこともない。智也が帰国するまでまだ少し日があった。その間、彼は毎日会社の送り迎えをしてくれて、まるで昔に戻ったかのようだった。でも、これが全部うわべだけだってことは、私たちはわかっていた。なにもかもが変わってしまった。私たちはもう、昔には戻れない。智也が帰国する日、私は空港へ見送りには行かなかった。夜、仕事から帰ると、テーブルの上に指輪が置いてあった。この指輪は、前に私の誕生日の時、彼がくれたもの。もともとペアリングで、私たちの永遠の愛のしるしだった。だから、二人で一つずつ持っていたのに。まさか、二つとも私の手元に戻ってくるなんて。私は自分の指輪を探し出し、智也の指輪と一緒に、マンションの庭の奥深くに埋めた。数か月後、私は一度帰国し、智也との離婚手続きを終えた。そして、また平穏な生活に戻ることができた。毎日仕事に没頭して、暇なときは結衣と買い物
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