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第二話:初の紅白戦、そして火花

last update Zuletzt aktualisiert: 03.02.2026 14:00:15

五月に入り、福丘高校野球部のグラウンドはすでに夏の気配を帯び始めていた。朝の空気はまだひんやりとしているのに、土の匂いが濃く、汗の予感が漂う。朝練のランニングが終わると、新入生たちは息を切らしながらも、すぐにブルペンへ向かうのが日課になっていた。

早乙女球太は、今日も一番にマウンドに立っていた。キャッチャーミットを構えるのは、同じ新入生の鈴木健――いや、今はもう「健先輩」と呼ぶべきか。入学から一ヶ月、健は正捕手の座を争う上級生たちに負けじと練習を重ね、球太の球を一番多く受けている。

「球太、今日のストレート、いつもよりキレてるぞ。気合い入ってるな」

健がミットを叩きながら言う。球太は頷き、グローブで汗を拭った。指先が熱い。昨夜、寮の部屋で何度も握りを確認したフォークの感覚が、まだ手に残っている。

「今日は……本気でいくよ」

球太の声は低く、しかし確かだった。

その言葉を聞いた瞬間、ブルペンの端でキャッチボールしていた篠原涼が、ぴたりと動きを止めた。涼の視線が、球太の背中に突き刺さる。

今日の予定は、紅白戦。新入生混成チーム対上級生チーム。監督の山田は、昨日こう告げていた。

「今日は新入生のピッチャーを先発で試す。早乙女と篠原、交互に投げろ。どっちがエースの座に近いか、見せてもらおうか」

グラウンドの外周では、上級生たちが素振りを繰り返している。3年生のエース・佐藤大輔が、金属バットの音を響かせながら、ちらりとこちらを見た。昨年の夏、甲子園で完封勝利を挙げた左腕。球太にとって、越えなければならない壁の象徴だ。

練習試合の開始を告げる笛が鳴った。

新入生チームの先発は、球太。

マウンドに上がる。土を踏みしめると、足元から振動が伝わってくる。スタンドは空っぽだが、ベンチの仲間たちの視線が、熱く重い。スコアボードは0-0。1回表、上級生の攻撃。

1番打者、ショートの3年生・高橋。左打ちの巧打者だ。

球太はセットポジション。息を吸い、吐く。心臓の音が耳に響く。健のミットが、ど真ん中を指す。

「いけ!」

初球。ストレート。腕を振り抜く瞬間、背筋に電流が走った。

シュッ……!

ボールが空気を切り裂く音。ミットに収まる乾いた音。パシッ!

「ストライク!」

審判の声がグラウンドに響く。球速表示板(練習用だが)が、141km/hを示した。

高橋が一瞬、目を細める。次の球。外角低め、スライダー。ボールが鋭く曲がり、ミットに吸い込まれる。

「ストライク!ツー!」

高橋のバットが、わずかに震えた。球太は感じた。相手が、初めて「こいつ、ヤバいかも」と思った瞬間を。

三球目。内角高め、ストレート。フルスイングの高橋のバットが、空を切る。

カキーン……ではなく、ただの空振り音。

「スリー!バッターアウト!」

ベンチから歓声が上がった。新入生チームの仲間たちが、拳を握る。

球太はマウンドの土を軽く蹴った。まだ始まったばかりだ。

2番打者、外野手の2年生・中村。パワーヒッターだ。

初球、外角ストレート。振り遅れてファウル。球太の球は、すでに上級生のタイミングを狂わせ始めている。

二球目、内角低めフォーク。ボールが急激に落ちる。中村のバットが、地面すれすれを通過。

「ストライク!」

三球目。真ん中やや高め、ストレート。フルカウントからの勝負球。

中村が渾身のスイング。カキーン!

打球は左中間へ。高い放物線を描く。

「ヤバい……!」

球太の心臓が跳ねた。だが、レフトの新入生・伊藤翔が、フェンス際でジャンピングキャッチ!

アウト!

「ナイスプレー!翔!」

球太は思わず声を上げた。翔がグローブを叩きながら、笑顔で親指を立てる。

3番は、4番候補のキャッチャー・西田。体がデカい。フルスイングが怖い。

球太は深呼吸。汗が目に入りそうになるのを、瞬きで払う。

初球、ストレート。西田のバットが、鋭く振られる。カキーン! ライト前ヒット……かと思った瞬間、セカンドの新入生がダイビングキャッチ!

アウト!

1回表、三者凡退。球太はマウンドで小さくガッツポーズをした。

ベンチに戻ると、健が駆け寄ってきた。

「球太、すげえ! あのフォーク、落ちすぎだろ!」

「まだまだ……。涼の番が来るからな」

球太の視線が、ベンチの端にいる涼に向く。涼は静かにグローブをはめ、立ち上がった。

2回表、今度は涼の登板。

マウンドに立つ涼の姿は、まるで別世界のようだ。表情一つ変えず、ただ淡々とセットポジションを取る。

初球。ストレート。

バシュン!!

ミットが鳴る音が、グラウンド全体に響いた。球速表示板:153km/h。

ベンチの新入生たちが、息を飲む。

「マジか……あの速さ」

高橋が、明らかにタイミングを外されていた。空振り三振。

続く中村も、西田も。涼のストレートは、ただ速いだけじゃない。回転が異常に強く、ボールが「伸びる」。打者の手元で、急に加速するように見える。

三者連続三振。圧巻の投球。

ベンチに戻った涼に、球太は声をかけた。

「すげえな……。あの球、俺のより一枚上手だ」

涼はわずかに口角を上げた。

「まだ序盤だ。君のフォークも、厄介だったぞ」

互いの視線が、交錯する。そこにあったのは、敵意ではなく、純粋な闘志。ライバルとして、認め合っている証拠だ。

試合は3回、4回と進む。新入生チームは涼の好投で0点に抑えられるが、攻撃では上級生の佐藤に完璧に抑え込まれる。スコアは0-0のまま。

5回裏、新入生チームの攻撃。球太の打席だ。中学時代は4番エースだったが、ここではまだ下位打線。

佐藤の初球。スライダー。球太は見逃しストライク。

二球目、真ん中ストレート。球太のバットが、タイミングを合わせて振り抜く。

カキーン!

打球はレフトへ。フェンス直撃の二塁打!

ベンチが沸いた。球太は二塁ベース上で息を整えながら、佐藤を睨んだ。

「まだ……俺の球は、負けてねえ」

続く打者が凡退し、得点はならなかったが、球太の意地がチームに火をつけた。

6回表、再び球太の登板。

疲れが見え始めていた。腕が少し重い。監督がベンチから声をかける。

「早乙女、まだいけるか?」

「いけます!」

球太はマウンドに戻った。汗が滴り落ち、ユニフォームが張り付く。息が荒い。それでも、目をギラつかせている。

対するは上級生の5番、強打のファースト・大石。

初球、外角ストレート。ファウル。

二球目、内角フォーク。落ちる! 大石のバットが空を切る。

三球目、真ん中低めストレート。フルカウント。

ここで、球太は決めた。フォークをもう一度。

腕を大きく振りかぶる。リリースの瞬間、指先でボールを強く切る。

ボールが、急降下。

大石のバットが、地面をかすめる。

「スリー!アウト!」

三振!

球太はマウンドで吠えた。

「っしゃあ!!」

ベンチから、仲間たちの声が爆発する。

しかし、次の打者に死球を与え、続く打者にタイムリーを打たれ、ついに1点を失う。スコアは0-1。

ベンチに戻った球太は、肩で息をしながら健に言った。

「くそ……。まだ、足りねえ」

健がミットを叩く。

「次だ。次で取り返すぞ」

7回表。監督の指示で、涼が再登板。

涼は、疲れなど微塵も見せない。ストレートは依然として150キロを超え、変化球のキレが増している。

三者凡退。完璧なリリーフ。

試合は終盤へ。8回裏、新入生チームの反撃。

2アウト満塁。打席は、再び球太だ。

佐藤がマウンドで睨む。球太も負けじと睨み返す。

初球。ストレート。ファウル。

二球目。スライダー。見逃しストライク。

三球目。内角高めストレート。

球太のバットが、火を噴くように振られた。

カキーン!!

打球はライト方向へ。高く、遠く。

フェンスを越えるか……!?

ライトの新入生が、フェンスに激突しながらジャンプ。グローブに収まるかと思った瞬間――

ボールが、フェンスを叩いて跳ね返る!

二塁打! 二者生還! 逆転、2-1!

球太は二塁ベース上で、拳を天に突き上げた。

「よっしゃあああ!!」

ベンチが総立ち。仲間たちが飛び出してくる。

9回表。最終回。1点リードの新入生チーム。マウンドは、再び球太。

「最後まで、俺が投げる」

監督が頷く。

対するは上級生の4番、西田。

フルカウント。球太の腕が、限界を超えていた。筋肉が悲鳴を上げる。それでも、投げる。

最後の勝負球。フォーク。

ボールが落ちる。西田のバットが、空を切る。

「ゲームセット!」

新入生チームの勝利。2-1。

グラウンドに歓声が響く。球太はマウンドで膝をつき、土に両手をついた。汗と涙が、土に落ちる。

健が駆け寄り、肩を抱く。

「球太……すげえよ。お前、エースだ」

球太は顔を上げ、涼の方を見た。

涼は静かに立っていたが、目が、わずかに輝いていた。

「いい試合だったな、早乙女」

球太は立ち上がり、笑った。

「ああ。次は……公式戦で、どっちがエースか、決めようぜ」

二人の拳が、軽くぶつかる。

グラウンドに、夕陽が長く影を落としていた。甲子園への道は、まだ遠い。でも、今日、二人は一歩、近づいた。

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