تسجيل الدخول指輪だけじゃない。式場だって、本当はたくさん見て回りたかった。雑誌に載っている華やかな会場、緑に囲まれたガーデンウェディング、海の見えるチャペル。どれも素敵で、心躍って、夢が広がる。
なのに――
「俺の先輩が結婚式をあげたところ、紹介状で割引があるらしいんだよ」
そんな理由で、式場見学へ。
私は見学だけのつもりだった。他にも見て回りたい。式場巡りだって、立派なデートだと思ってた。
ドレスの試着ができるところもあるし、コース料理のランチが楽しめるところもある。そういうのは、結婚するまでの特別な時間だ。一生に一度の、かけがえのない思い出になるはずだった。
なのに、正広はその場で「ここにします」と決めてしまったのだ。
もちろん、ここも十分素敵な式場だとは思った。でも、他にも見たいし、行きたかった。比較したかった。
その時に、強く反発できなかった自分に腹が立つ。
正広のよそ行きな言葉に絆されて、「まあ、いいか」って、流されてしまった。その結果、不満が募って、モヤモヤした気持ちを抱えたまま、今日に至っている。
夢見ていたはずの結婚準備が、ただの作業になっている気がする。それくらい、つまらないものになってしまった。もっと、楽しいことだと思っていたのに。
思い描いていた理想が、またひとつ崩れていく。
何も楽しくない。最悪だ。指輪だけじゃない。式場だって、本当はたくさん見て回りたかった。雑誌に載っている華やかな会場、緑に囲まれたガーデンウェディング、海の見えるチャペル。どれも素敵で、心躍って、夢が広がる。なのに――「俺の先輩が結婚式をあげたところ、紹介状で割引があるらしいんだよ」そんな理由で、式場見学へ。私は見学だけのつもりだった。他にも見て回りたい。式場巡りだって、立派なデートだと思ってた。ドレスの試着ができるところもあるし、コース料理のランチが楽しめるところもある。そういうのは、結婚するまでの特別な時間だ。一生に一度の、かけがえのない思い出になるはずだった。なのに、正広はその場で「ここにします」と決めてしまったのだ。もちろん、ここも十分素敵な式場だとは思った。でも、他にも見たいし、行きたかった。比較したかった。その時に、強く反発できなかった自分に腹が立つ。正広のよそ行きな言葉に絆されて、「まあ、いいか」って、流されてしまった。その結果、不満が募って、モヤモヤした気持ちを抱えたまま、今日に至っている。夢見ていたはずの結婚準備が、ただの作業になっている気がする。それくらい、つまらないものになってしまった。もっと、楽しいことだと思っていたのに。思い描いていた理想が、またひとつ崩れていく。 何も楽しくない。最悪だ。
モヤモヤした気持ちを抱えたまま、それでも何かが劇的に変わるわけでもなく、毎日は淡々と過ぎていく。前々から計画していた結婚指輪を買いに、正広と式場へ向かった。結婚雑誌に載っていたおしゃれな指輪たち。このお店もいいな、こっちのデザインも見てみたいな。デザインも豊富で、宝石が散りばめられているもの、シンプルなもの、彫りのあるもの。目移りしてしまうくらいどれも素敵で、胸が躍る。結婚指輪なんて一生ものだから、じっくり選びたい。この先の未来を想像しながら、あーでもない、こーでもないって笑いながらお店を巡りたい。そんなふうに、胸をときめかせていたのに――そんなときめきは、ただの妄想であり、残念ながら幻想に終わった。現実はというと、式場の中に併設された指定のお店でしか買えないという決まりがあったのだ。夢見ていた指輪選びは、選択肢すら与えられずに終わったのだ。私の気持ちはどんどん沈んでいく。 もう、落胆だ。 しかも、正広は私の落ち込みなどまったく気にもとめない。 それがさらに落胆だ。キラキラした未来が、式場のルールひとつで、あっさりと曇っていく。また胸のモヤモヤが、溜まっていく。指輪のショーケースには、ピカピカの指輪がいくつか並んでいる。本当だったら、これを見るだけでわくわくするはずだった。だけど今の私はまったくわくわくしない。ただ、ため息が出るだけだ。
それにしても……。 江藤くんの突拍子もない発言に、私は思わず吹き出す。「もー、何それ」 「だから、ドラマみたいに結婚式場の扉をバーンと開けて、花嫁を拐うっていう演出。俺が辻野さんを奪いに行く」その光景を想像して、また笑いがこみ上げる。江藤くんが真剣な顔をして言うものだから、余計におかしい。「あはは、それいいね。でも江藤くん、ドラマの見すぎだよー」 「やってみたいと思って」 「そんなこと、普通思う?」 「いいアイデアだと思ったんだけど」江藤くんが、うーんと首を傾げるので、二人で顔を見合わせて、ふふっと笑い合う。いつもそうなんだ。江藤くんは、こういう冗談で笑わせてくれる。嫌な気持ちを、ふっと吹き飛ばしてくれる。 江藤くんのそんな優しさが、たまらなく嬉しい。笑いながらも、何だか胸が詰まって、私は少しだけ涙ぐんでしまった。視界が滲んで、ごまかすように慌てて下を向く。俯いた私の背中を、江藤くんはポンポンと控えめに撫でてくれた。その手がとても温かくて、優しいぬくもりが心に染みていく。江藤くんったら、優しすぎて胸がぎゅっとなるよ。余計に顔が上げられないじゃない。そんな私を、江藤くんは急かしたり責めたりすることなく、ただ静かに隣にいてくれた。 江藤くんの存在感と安心感はとても大きくて、そして心地良い。すごく偉大な人だと思った。
確かに、正広は自己中だ。思い当たる節なんて、数えきれないほどある。そのせいで、何度「もうっ!」と心の中で怒ったことか。それでも、結婚しようと思ったのは、正広を好きだから。……本当に? 本当に、好きなのかな?実は、ただ甘い言葉に惑わされただけなんじゃないだろうか。好きだよって言われて、キスされて、優い言葉に絆されて。それだけで、心が揺れてしまっただけなんじゃないか。考えれば考えるほど、自信がなくなっていく。 心が、簡単に揺らいでしまう。 その揺らぎが、良いものなのか悪いものなのか、判断ができない。いつの間にか、視線も俯きがちになっていた。グラスの表面についた水滴が、つーっとテーブルに落ちていくのを目で追う。「あのさ……」 「うん?」 「俺が結婚式に乗り込んで、ちょっと待ったーって奪いに行ってあげようか?」 「へ?」一瞬言われた意味が分からなかった。だけど顔を上げると、江藤くんがじっとこちらでを見ている。その真っ直ぐな瞳に、吸い込まれそうになった。江藤くんの言葉が、冗談なのか本気なのか、判断できなかった。でも、心臓がドクンと跳ねる。ドキドキと鼓動が早くなる。何だろう、この感覚。 停滞していた何かが動き出すような、そんな感覚に、ざわりと体が震えた。
「何かさ、わからなくなってきちゃったんだよね」 「結婚が?」 「うん。これでいいのかどうなのか。はっきり言って、彼氏、頼りないし、ツッコミ所が多すぎるんだ」冗談めかして笑い飛ばそうと思ったのに、気づいたら私の口は止まらなくなっていた。正広のこと、両親への挨拶のこと、長男だから実家をもらうと言われたときの衝撃、そして――なにより結婚という言葉に縛られて、身動きが取れなくなっている自分のこと。江藤くんは、黙って聞いてくれていた。うなずきも、相槌も、絶妙なタイミングで。その優しく聞き役に回ってくれる行為が、とんでもなく心地よくて、私の口は止まらず、思いの丈をしゃべり倒してしまったのだ。こんなプライベートなことを、そんな赤裸々に話すなんて、本当はするべきじゃないのかもしれない。でも、愚痴らずにはいられなかった。 このモヤモヤを、誰かに聞いてほしかった。 ずっとずっと、一人で抱えていたのだ。「ごめん、長々と愚痴って」はあーと息を吐く。ずっと喋っていたから喉はカラカラだ。おかわりのビールをグビグビ飲むと、江藤くんが真剣な顔でこちらを見ていた。「辻野さんさ、そんな男と結婚して大丈夫? 彼には失礼だけど、かなり自己中っぽいよ。辻野さんが苦労するのが目に見えるんだけど。辻野さん、本当にその男のこと、好きなの?」 「え……?」――本当に、好きかどうか。江藤くんの言葉に、私は言葉が出てこなかった。正広のことを好き、だったはず。 でも、今の私はどうなんだろうか?言われて初めて、私はその問いを自分に向けてみる。ずっと誤魔化していた自分の気持ち。避けていた本当の気持ち。 心の奥が揺れ動かされる。
そんな気持ちをごまかすように、ビールを一気飲みする。胸のモヤモヤは、少しも解消される気配がない。「何だろう? マリッジブルーかな?」そう言うと、江藤くんはグラスを傾けながら、ふーんと軽く相槌を打った。「そういうもの?」その言葉に、私は曖昧に笑うことしかできない。だって、自分でもよくわからないのだ。マリッジブルーで片付けていいものなのか、そんな言葉でごまかしているだけなのか。ただ、どうにもこうにも、心が晴れないのは確かだった。江藤くんが自分のお通しの中から、生麩の田楽をひとつ取り出して、私のお皿にちょこんとのせた。「……え?」驚いて江藤くんを見る。江藤くんは何でもないように「それ、好きでしょ」と笑う。以前も江藤くんとこの店に来たことがあった。その時にも生麩が出て、私が「美味しい! おかわりしたい!」とテンション高く騒いでいた。それを、覚えていてくれたんだ。そのことに気づいた瞬間、胸がぎゅと締めつけられる。それは、苦しいものではなくて、嬉しい感覚。生麩の田楽を見つめながら、私は思わず笑顔になった。江藤くんったら、本当に優しいんだから。 さりげなく譲ってくれるその行為に、心がふわっと軽くなる感じがする。江藤くんの優しさが、今の私には何よりも心に沁みた。







