LOGINバッターンッ!
乾いた音が店内に響いた。扉の開閉音。しかも強め。
おまけに、聞き捨てならない声がついてきた。「ムーア商店の者! ここにあるかしらッ!!」
……え? なにこの人。声でかすぎだろ。しかも語尾に星マークでもついてそうな勢いだし。
その瞬間、店内の空気が変わった。値切り交渉してたおばちゃんも、納品伝票を確認してた職人も、瓶入りの香油を棚から盗もうとしてた浮浪者——コラまでもが、一斉に動きを止めて入口に視線を向ける。
そして、見た。
扉の向こうに立っていたのは、太陽をそのまま形したような少女だった。純白のフリルが爆発したような服。
蜂蜜色のカールヘアにつり目がちの整った顔立ち。 手にはレース扇子。 全身が「わたくしこそ貴族令嬢ですのよ!!」と言わんばかりの圧力を放っている。……うわぁ。
この店には似合わない、上流のお貴族様だ。 やっかいな予感しかしないよね。でも、よく見ると——違和感がある。
俺の中で、何かが切り替わる。
その違和感に、俺の中に潜む観察眼が立ち上がる。「……」
手元のレース扇子、右手首の角度が2.4度傾いてる。握力も平均の1.7倍。慣れてない証拠だ。
呼吸のリズムが一定しない。3秒吸って、4秒吐いて、また2秒吸って——緊張してる。口調も、動きも、なんか型にはめようとしてる。
頭の中に「こうあるべき貴族令嬢」のイメージがあって、それに合わせて演じてる。瞬きの間隔が0.8秒。普通は1.2秒だ。明らかに意識的に調整してる。
貴族を装っている、というのとは違う。最近まで貴族ではなかった人間が、無理矢理貴族を演じている、というところかな?よくよく見ると、彼女の肉体の動作にブレがある。元から身についた動きと、無理矢理意識している動き。
――そう、まるで1つの体に2つの魂が入っているような。
月に1度くらい現れる『異世界テンプレ病』の患者ってのがいる。 無駄にキメ顔で「この街を救うのは、俺しかいない!」とか叫ぶ自称勇者。「追放されましたが、今は自由です」と意味深に笑う元聖騎士ニート。
街の人間は鼻で笑う。
「また変な奴が来たな」「頭のおかしい奴が増えてる」って。――だが、俺は知ってる。
自称勇者の場合は靴底の右足外側が1.2ミリ多く削れていた。
この世界の石畳じゃなくて、平坦な地面に慣れた歩き方。元聖騎士を名乗る男、無意識に動かす右手の指の動き。
剣士のそれじゃない。鍵盤を叩く人間の指の動きだった。異世界から来た魂が、この世界の体に宿って、戸惑いながら生きてる。で、例外なく、とんでもないスキル——特殊な能力持ちだったりする。
つまり、この子も『転生者』なんだな。
本物の。転生者についての情報は、どの国でも極秘扱いだ。迂闊に口に出していい話じゃないし、何より面倒だ。
——そして、急に我に返る。
どうしたもんかな、と考えながら箒を動かす。なんか、また妙に集中しちゃったよね。
「そこの店員。わたくしに相応しい香水を案内なさいっ、ですわ!」
語尾の『ッ!』が完全に浮いてる。なんなら、背景にキラキラが見えた。幻覚じゃなければ。
俺は箒を止め、ゆっくりと顔を上げる。
うん、無理矢理な強気な態度だよね。何か自信をなくすようなことがあったのかな?
身なりは完全に貴族。ということはスキル関係かな? 貴族階級はスキル持ちが殆どだ。というより、スキルを持った昔の人が貴族になってそのスキルを伝承している。
で、恐らくは、この子はまだスキルが発現していない。学校でスキルの発表会でもあったんだろうか? そこで劣等感を刺激されて、こんな下町まで来た……あり得る話だ。
「……お客様、どのような香りをお探しで?」
できるだけ無表情に、でもぶっきらぼうすぎないよう声をかけた。
◆
私——ハクアは、向かいの屋上で双眼鏡を構えていた。あの視線と目が合った瞬間、思わず身を隠してしまう。情けない。
なんで私があんな雑貨屋を監視してるのよ。あの後、あの男の行動パターンを調べて、ここが勤務先だと突き止めた。でも、それだけじゃ終われない。気になって仕方がない。今日も転生者を完璧に読んでいた。あの静かで鋭い観察眼。
「観察による、静かな殺気」
あれは、暗殺者にとって最もやっかいで、最も美しいものだった。偶然にしては、できすぎている。
【極秘報告書:観察対象No.173】
標的:転生者個体エレナ・シルヴァーバーグ 観察対象:フィン・アルバ=スヴァイン香水店での件に続き、本日も観察継続。
転生者個体エレナ・シルヴァーバーグが来店。——そう、私が狙うはずだった標的その人。
驚いたのは、フィンが即座に正体を看破した様子を見せたことだ。
演技も、転生者であることも、全部見抜いてた。しかも優しく対応してる。転生者の危険性を知らないのだろうか?
あの香水の知識も間違いなく持っている。 昨日の私への毒仕込みを阻止し、今日は私の標的を保護するような対応。偶然にしては出来すぎてる。
記録者:ハクア(これは絶対に提出できない)※注:個人的興味により追加観察継続予定。
任務です……あくまでも任務。――時は少しさかのぼり、とある令嬢の物語が静かに幕を開ける。 彼女の名はエレナ・シルヴァーバーグ。 先ほどの出会いへとつながる、もう一つの物語が今、はじまる――。 ◇ 深い深い闇の中で、一つの魂が漂っていた。 蜂蜜色の髪をした少女の魂。かつてエレナ・シルヴァーバーグと呼ばれた存在。「もう……わたくしなんて、いないほうがいいんですわ」 その声は、闇の中でかすかに響く。「お母様も、わたくしのせいで……もう、なにもかも……」 愛した母を失った悲しみ。自分のせいで死なせてしまったという罪悪感。 すべてが重すぎて、もう生きていることさえ辛くて。 その魂は、肉体の奥底へとゆっくりと自分を沈めていく。 まるで深い湖の底へと落ちていくように。静かに、静かに。 そして——暗闇の向こうから、別の光がやってきた。 同じように傷つき、同じように孤独だった魂が。「お願い……今度こそ、幸せになりたい」 二つの魂が、闇の中で出会った瞬間——◆ 頭がずきずきと痛む。まるで長い間眠り続けていたような、重い眠気が体を包んでいる。 私、白石香澄は薄っすらと目を開けた。視界に飛び込んできたのは、見たこともない豪華な天井。金色の装飾がきらきらと輝いて、まるでお城みたい。 ……あれ? そして——なんだろう、この香り? 空気が違う。ただの空気じゃない。石鹸の香り、花の香り、かすかな香木の匂い、それから——悲しみ? 寂しさ? え? 匂いで感情がわかるって、何それ……? 今まで嗅覚なんてそんなに敏感じゃなかったのに、まるで香りが色とりどりに見えるみたい。これって一体……? 起き上がろうとして、愕然とする。私の腕が細い。すごく細くて、色白で、指先まで美しい。 そしてベッドの向こうには、これまた見たことのない豪華な調度品。 私、死んだはずじゃ…… そうだ。学校でのいじめが酷くて、家に引きこもって、病気になって、そして—— 慌てて鏡を見ると、そこに映っていたのは知らない顔。蜂蜜色の縦巻き髪に金色の瞳をした、驚くほど美しい少女。 誰これ……私? でも、この顔。どこかで見たような……。 その時、断片的に記憶が流れ込んできた。豪華な屋敷、大きな庭、使用人たち、そして——香りの記憶。 母親の優しい声、花の香り、温かい手のひら。 だが同時に、深い悲しみと罪悪感
彼女は、少し驚いた顔をして——すぐ、また演技に戻った。「ふふ、あなたのような方に理解できるかしらね?」 見下すような、底意地の悪い表情を浮かべる貴族の少女。残念ながら似合ってない。 あー、これは『悪役令嬢』ってヤツだな。物語の悪役を真似した令嬢。 この世界に「悪役令嬢」なんて概念はない。それをここまで再現してる時点で、やっぱり異世界からの持ち込みだ。「……ただ、あの香りが……気になって仕方ないのよ」 急に、声のトーンが変わった。演技の仮面が、一瞬だけ剥がれたような。「甘くて、でも静かで……芯のある香りだったの。忘れられないの」 それは遠い何かを思い出しているような、そんな表情。「まるで、昔の……記憶みたいな……」 彼女は、ぽつりとそう呟いた。その瞬間、瞳の奥に迷いと緊張——そして、懐かしさが見えた。 また切り替わる。観察者としての俺。 そして彼女の視線は薄暗い棚の奥、誰の手にも届かない場所に置いてある小さな香水瓶を真っ直ぐに見ている。視線の軌道、0.7秒で一直線。迷いがない。 そこに置いてあるのはラフェルトNo.4旧型。この世界にはない、淡い花の香りの香水。 この香水、曰く付きなんだよな。そもそもこの国の香水じゃない。帝国の魔導院が作った、ある存在をあぶり出すための香り。 でも100%確実じゃなかったから、結果大変なことになったそうだ。転生者狩り、って呼ばれた事件。 記録にはもう、思い出したくもないほどの大惨事だったと公式に記されているのだから内容は推して知るべし。 で、この少女。鼻孔の動き、通常の2.3倍拡張してる。この香水への反応が異様だ。まさか店外から、開けてもいない瓶の僅かな残り香を嗅ぎ分けて来たのか? 感覚が鋭すぎる。これは……やっぱりスキル持ちだな。 ——我に返る。 俺は棚の奥から、空瓶になった旧型サンプルを手に取った。蓋は開いてない。それでも、ほんのわずかに瓶口から漂う香りの残滓を——彼女は確実に感じ取ってる。「ちょっと、これ……試してみますか?」 俺は瓶をそっと差し出した。彼女の瞳が、ゆっくりと瓶へ向く。瞳孔が1.4ミリ拡張した。蓋を開けてないのに、瞬間、彼女の目が見開かれる。「……これ、だわ」 確信のこもった声だった。まるで、記憶をなぞるような響き。「……お客様、香りの識別、かなり得意なんです
バッターンッ! 乾いた音が店内に響いた。扉の開閉音。しかも強め。 おまけに、聞き捨てならない声がついてきた。「ムーア商店の者! ここにあるかしらッ!!」 ……え? なにこの人。声でかすぎだろ。しかも語尾に星マークでもついてそうな勢いだし。 その瞬間、店内の空気が変わった。値切り交渉してたおばちゃんも、納品伝票を確認してた職人も、瓶入りの香油を棚から盗もうとしてた浮浪者——コラまでもが、一斉に動きを止めて入口に視線を向ける。 そして、見た。 扉の向こうに立っていたのは、太陽をそのまま形したような少女だった。 純白のフリルが爆発したような服。 蜂蜜色のカールヘアにつり目がちの整った顔立ち。 手にはレース扇子。 全身が「わたくしこそ貴族令嬢ですのよ!!」と言わんばかりの圧力を放っている。 ……うわぁ。 この店には似合わない、上流のお貴族様だ。 やっかいな予感しかしないよね。 でも、よく見ると——違和感がある。 俺の中で、何かが切り替わる。 その違和感に、俺の中に潜む観察眼が立ち上がる。「……」 手元のレース扇子、右手首の角度が2.4度傾いてる。握力も平均の1.7倍。慣れてない証拠だ。 呼吸のリズムが一定しない。3秒吸って、4秒吐いて、また2秒吸って——緊張してる。 口調も、動きも、なんか型にはめようとしてる。 頭の中に「こうあるべき貴族令嬢」のイメージがあって、それに合わせて演じてる。 瞬きの間隔が0.8秒。普通は1.2秒だ。明らかに意識的に調整してる。 貴族を装っている、というのとは違う。最近まで貴族ではなかった人間が、無理矢理貴族を演じている、というところかな? よくよく見ると、彼女の肉体の動作にブレがある。元から身についた動きと、無理矢理意識している動き。 ――そう、まるで1つの体に2つの魂が入っているような。 月に1度くらい現れる『異世界テンプレ病』の患者ってのがいる。 無駄にキメ顔で「この街を救うのは、俺しかいない!」とか叫ぶ自称勇者。 「追放されましたが、今は自由です」と意味深に笑う元聖騎士ニート。 街の人間は鼻で笑う。 「また変な奴が来たな」「頭のおかしい奴が増えてる」って。 ――だが、俺は知ってる。 自称勇者の場合は靴底の右足外側が1.2ミリ多く削れてい
「なあフィン。今日だけでいいから、あの香水屋に顔出してくれや」 朝、店の扉を開けると同時に、店主のムーアさんがパンを片手に言い放った。「なんでまた俺が……」「ベルティエ香水店から臨時派遣依頼が来とる。香りに詳しいって紹介しといたぞ」 香りに詳しいって、俺が? 雑貨店アルバイトの俺が? まぁ、わからなくはない程度の知識をあるけどさ。「それ、単に鼻がいいってだけじゃ……」「細かいことはいいんだよ。鼻が利くなら十分だろう?」 ムーアさんは手をひらひらと振った。「お前はバイトなんだから、言うこと聞いてりゃいいんだ」 バイト。 異世界からの流入語で、この世界では「短期雇用労働者」を指す言葉らしい。 この世界では、そんな風に異世界からの知識や言葉が、あちこちから聞こえてくることがある。 ここは、王都四区・西側市街の外れ。 雑多な商店が集まる庶民的なエリアだ。 そんな場所でひっそり営業してるのが、俺がバイトしてる雑貨屋『ムーア商店』 店主のムーアさんは、気はいいけど金にはがめつい。 スキルは魔導具鑑定を持っているらしい。 壊れた魔導具に手を加えて"準新品"として売る。訳あり品は「今朝仕入れたばかり!」と胸を張って並べる。でも、なんだかんだでこの辺じゃ一番マシな店だ。 雨風はしのげるし、客に値切られても暴力沙汰にならないだけマシ。まあ、俺にとってはそれで十分なのかもしれない。 俺はフィン。そこでバイトしてる、ただの地味男。「……何の罪で売り飛ばされるんですか」「売り飛ばすって何だ。正当な商取引だ」 ムーアさんがにやりと笑みを浮かべる。「しかも今回は特別料金でな」「特別料金?」「派遣料が通常の三倍だった。ありがたい話だ」 俺は頭を抱えた。どうやら商品として値段まで付けられたらしい。しかも三倍って、俺にそんな価値があるとは思えないんだけど。「店長、俺って商品でしたっけ」「違うな。レンタル用品だ」「ひどい」 でも、まあ、それが俺の現実なんだろう。文句を言ったところで変わるわけじゃないし。◆ 王都中央通り。 華やかな高級商店や、貴族向けの専門店が建ち並ぶ王都でも一番賑やかな通りだ。 そこにそびえ立つは、香りの殿堂『ベルティエ香水店』 城下最大の香水専門店にして、貴族や大商人、時には王城までもが御用達とする格式を持つ。
ここは、香りの王国ノクスレイン。 魔力を帯びた香りが人々の暮らしを包み、花と香水と香煙とが交じりあうこの地では、空気そのものが、日々ゆるやかに魔法を織り上げている。 王都ペルファリアの片隅。 石畳の道沿いに並ぶ雑多な店々の、そのまた裏路地にひっそりと佇む「ムーア雑貨店」 木製の看板に手描きの文字。軋む扉に、たまに鳴らないベル。 そして、そこに――店番として住み込みで働いている、一人の青年がいる。 名を、フィン。 フィン・アルバ=スヴァイン。 肩までの黒髪を無造作に束ね、糸のような細い目で地味な顔。古着のようなエプロン姿で黙々と掃除をするその横顔は、どう見ても普通。 だが――彼には、誰にもない特技があった。 それは、「観察力」 目に見えるもの、耳に聞こえるもの、皮膚に触るもの、舌に触れるもの、そして香り。 空気のわずかなズレに気づく鋭さが、常に彼を、事件と、そして運命の渦へと引き込んでいくことになる―― もっとも、今の彼にはそんなことはわからない。 むしろ今日も、いつも通りにこう呟く。「……さて、今日も暇だといいな」 そして――もう一つ。 この王国の、別の場所では。 王都北区、白壁の屋敷が立ち並ぶ貴族街。 その一角に構えるシルヴァーバーグ侯爵邸の一室で、一人の少女が目を覚ます。 蜂蜜色の髪に、青い瞳。 華やかなドレスに身を包んだその姿は、誰がどう見ても"完璧な令嬢"――のはずだった。 だが彼女には、誰にも言えない秘密がある。 前世の記憶。日本での孤独な死。 そして――香りから、人の感情を読み取る力。 名を、エレナ。 エレナ・シルヴァーバーグ。 そして、もう一つの名前は白石香澄。 転生した貴族令嬢として、この世界で”今度こそ幸せに”と願いながら、 彼女もまた、運命の渦に巻き込まれていくことになる。 ――香りと観察。 二つの力が交わるとき、王国を舞台とした物語が静かに動き出す。