Share

辺境の街と観察眼Ⅰ

last update Last Updated: 2025-12-17 18:38:34

 王都ペルファリアから馬車でおよそ一ヶ月。

 峠を越えた瞬間、乾いた風と一緒に、喧騒と土埃と──欲望のにおいが押し寄せてきた。

 帝国との境界近く、王国の西端にある町、グランヘルデ。

 もともとは砦の跡地にできた、寂れた辺境の村だったらしい。

 けれど今は、町全体が膨れあがっていた。

 地中から遺構らしきものが見つかった──それが全ての始まりだ。

 未踏破、構造不明、魔物出没。

 だが同時に、古代の魔導具、未知の鉱石、魔物素材──

 資源と価値の塊が地中に眠っているとなれば、当然、欲に駆られた連中が集まる。

 それは、王国史に幾度も刻まれてきた、ダンジョン・フロンティアの始まりだった。

 通りには、肩をぶつけ合って歩く冒険者たち。

 武具屋の前には魔物の素材が雑に吊るされ、簡易宿の玄関には今日潜る者の名簿が晒されている。

 昼から賭けに興じる者、情報屋の小声に耳を傾ける者、買い込んだポーションを胸元に詰めていく者。

 市場も、酒場も、裏通りの娼館も、どこも満員だ。

 熱気はある。だが、それは生命力ではなく、何かもっと乾いた、切羽詰まった熱だ。

 町の空気は、重く、鋭く、荒れている。

 ここには、金と命と魔力を賭ける者しかいない。

 ────さて、ここからは少しだけ本気を出していこう。

 王都のようにのんびりした雰囲気でやっていては、トラブルを招くばかりだとも思うしね。

 いつもは半分閉じている瞼をしっかりあけ、瞳を凝らす。

 辺境にいる間は、これで行くかな。

 ……疲れるけど。

 ギルド支部は、町の北端、段丘の上に建っていた。

 白い壁と青い屋根の仮設庁舎。王国式の意匠を模してはいるが、どこか無理がある。

 建物の前には、王国の旗と、ギルドの青い紋章旗が並んで掲げられていた。

 風に翻るそれらを見上げながら、俺は小さく息をついた。

(さて……一ヶ月ぶりの仕事か。今度は、ちょっと違うけど)

 ハルデンから聞いた話は単純だった。

 副支部長ヴァルター・グレインの不正疑惑。物資の横流し、予算の私物化、報告書の改竄。

 ただし相手は元商人で、証拠隠滅は巧妙。正面から追及しても尻尾を掴ませない。

 だから俺が来た。表向きは「人手不足解消のための応援職員」として。

 実際は、地味に、静かに、観察して回る係として。

 支部の中は、外の喧騒が嘘みたいに静かだった。

 この時間なら
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • ノクスレイン~香りの王国物語~   辺境の街と観察眼Ⅰ

     王都ペルファリアから馬車でおよそ一ヶ月。 峠を越えた瞬間、乾いた風と一緒に、喧騒と土埃と──欲望のにおいが押し寄せてきた。 帝国との境界近く、王国の西端にある町、グランヘルデ。 もともとは砦の跡地にできた、寂れた辺境の村だったらしい。 けれど今は、町全体が膨れあがっていた。 地中から遺構らしきものが見つかった──それが全ての始まりだ。 未踏破、構造不明、魔物出没。 だが同時に、古代の魔導具、未知の鉱石、魔物素材── 資源と価値の塊が地中に眠っているとなれば、当然、欲に駆られた連中が集まる。 それは、王国史に幾度も刻まれてきた、ダンジョン・フロンティアの始まりだった。 通りには、肩をぶつけ合って歩く冒険者たち。 武具屋の前には魔物の素材が雑に吊るされ、簡易宿の玄関には今日潜る者の名簿が晒されている。 昼から賭けに興じる者、情報屋の小声に耳を傾ける者、買い込んだポーションを胸元に詰めていく者。 市場も、酒場も、裏通りの娼館も、どこも満員だ。 熱気はある。だが、それは生命力ではなく、何かもっと乾いた、切羽詰まった熱だ。 町の空気は、重く、鋭く、荒れている。 ここには、金と命と魔力を賭ける者しかいない。 ────さて、ここからは少しだけ本気を出していこう。 王都のようにのんびりした雰囲気でやっていては、トラブルを招くばかりだとも思うしね。 いつもは半分閉じている瞼をしっかりあけ、瞳を凝らす。 辺境にいる間は、これで行くかな。 ……疲れるけど。 ギルド支部は、町の北端、段丘の上に建っていた。 白い壁と青い屋根の仮設庁舎。王国式の意匠を模してはいるが、どこか無理がある。 建物の前には、王国の旗と、ギルドの青い紋章旗が並んで掲げられていた。 風に翻るそれらを見上げながら、俺は小さく息をついた。(さて……一ヶ月ぶりの仕事か。今度は、ちょっと違うけど) ハルデンから聞いた話は単純だった。 副支部長ヴァルター・グレインの不正疑惑。物資の横流し、予算の私物化、報告書の改竄。 ただし相手は元商人で、証拠隠滅は巧妙。正面から追及しても尻尾を掴ませない。 だから俺が来た。表向きは「人手不足解消のための応援職員」として。 実際は、地味に、静かに、観察して回る係として。 支部の中は、外の喧騒が嘘みたいに静かだった。 この時間なら

  • ノクスレイン~香りの王国物語~   借りの回収と地味バイトⅡ

    「お前の観察眼なら、ヴァルターの不正を見抜けるはずだ。そして可能であれば、シリル支部長に現実を教えてやってほしい」 ハルデンは本題を切り出す。「期間は?」「一ヶ月程度を予定している。報酬はギルド本部から正式に支払う」 その目が、真剣さを増す。「無論、断ってもらっても構わん。だがお前以外に、この任務を託せる人間はいない」 俺はカップを置き、ハルデンを見つめ返す。 この男の言葉には嘘がない。本当に困っているし、俺の能力を必要としている。 だが同時に、これは明らかに計画的な依頼だ。セリナさんがおしゃべりをしたのかな? (手が届くというには遠すぎるけどね……) 俺は少し考える。 彼女が残した言葉と、目の前の状況。そして、この男の真剣な表情。「俺にしか出来ない、ですか」「そうだ」 ハルデンが頷く。「……借りもありますからね」 俺は立ち上がる。「わかりました。引き受けましょう」「ありがたい」 ハルデンの顔に、安堵の色が浮かんだ。「期待させてもらおう」 そして机の引き出しから、封筒を取り出す。「これはお前への紹介状と、旅費の一部だ。残りは現地で支給される」 俺は封筒を受け取りながら、その厚みを確認する。中身はかなり充実しているようだ。「出発はいつごろを?」「できれば明日にでも。グランヘルデまでは馬車で一ヶ月の道程だ」 一ヶ月。かなり帝都を離れることになるなぁ。 ムーアさんの許可を取らないと。「帝国との国境の街ですよね、確か」「ああ、国境まで、あと半日という距離だ」 ハルデンが苦笑いを浮かべる。「王都からは遠いが、だからこそ重要な拠点でもある」「ギルドとして?」「ああ、最近になって、といってもここ一年ほどのことだが、新たなダンジョンが発見されてな」 ――ダンジョン。なるほど、それなら街も潤うし、ギルドも大忙しになるなぁ。 俺は立ち上がり、ハルデンと握手を交わす。「現地では、シリル支部長には『本部からの業務指導員』として紹介する。ヴァルターには警戒されないよう、気をつけてくれ」「了解しました」 応接室を出ると、廊下でセリナさんが待っていた。「お疲れさまでした。いかがでしたか?」「辺境への出張が決まりました。一ヶ月の旅になりそうです」 セリナさんの顔に、明らかな動揺の色が浮かんだ。「一ヶ月、ですか?」

  • ノクスレイン~香りの王国物語~   借りの回収と地味バイトⅠ

     朝一番、俺はギルド本部へ向かった。 昨夜受け取った手紙は、かばんの奥で重たく感じられる。ハルデン・ロッシュ。王都ギルド長からの直々の召喚。 職人さんの件でセリナさんに頼みを通してもらった手前、無視するわけにもいかない。だが、それにしては話が大きすぎる。 (重要な案件、か) 手紙の文面を思い返す。無駄のない文字、簡潔すぎる内容、そして「必ず」という強い表現。まるで最初から俺の返事を決めつけているような書き方だった。 西区の朝は、いつものように雑多で温かい。 焼きたてのパンの匂い、荷車を引く商人の掛け声、路地を駆け抜ける子供たちの笑い声。生活の匂いがそこかしこに漂っている。「フィンちゃん、おはよ!」 八百屋のおばさんが手を振ってくれる。昨日、虫よけの香草を買ってくれた常連客だ。「おはようございます。今日もいい天気ですね」 軽く会釈を返しながら、俺は足を止めずに歩き続ける。 この温かい日常から、俺はどこへ向かおうとしているのだろう。 中央通りに入ると、空気が変わった。 石畳は西区より整備され、行き交う人々の服装も上等になる。王都の「顔」としての威厳が、街並みの隅々にまで行き渡っていた。 その先に見えるのが、白亜の王都冒険者ギルド本部。 朝日を受けて金色に輝く紋章が、石造りの重厚な壁に埋め込まれている。二階の格子窓からは、早番の職員が見下ろしているのが見えた。 (……さて、何のお話やら) 俺は一度立ち止まり、建物を見上げる。◆ 扉を押し開けると、朝の静けさに包まれたロビーが広がっていた。 受付カウンターには、見慣れた濡れ羽色の髪がある。「おはようございます、フィンさん」 セリナさんが振り返り、いつもの笑顔を見せてくれた。だが、その目の奥にわずかな緊張が混じっているのを見逃さない。「おはようございます。ギルド長から呼び出しを受けまして」「はい、承知しています。三階の応接室でお待ちです」 セリナさんは立ち上がり、俺を案内してくれる。普段なら雑談を交えながら歩くのだが、今日は妙に静かだった。「セリナさん」「はい?」「ギルド長は、何か言ってましたか?」 階段を上りながら尋ねると、セリナさんは少し考えるような仕草を見せた。「特別なことは。ただ……」「ただ?」「フィンさんのことを、とても高く評価されているようでした」

  • ノクスレイン~香りの王国物語~   夏の章【辺境と屋外実習と】

    夏の章プロローグ【加筆修正版】 ノクスレイン王国。  人々はこの国を、もうひとつの名で呼ぶ。  ――香りの王国、と。 豊かな森と湿潤な気候に恵まれたこの地では、香りは単なる装飾ではない。文化であり、技術であり、時には武器にすらなる。調香師は貴族に仕え、香水は身分の証として身に纏われ、香りを操る者は畏怖と敬意を集める。 王都ペルファリアは、その中心だ。  白亜の城壁に囲まれた街には、貴族街の優雅な香り、商業区の活気ある匂い、そして裏路地に漂う生活の臭いが複雑に絡み合っている。この国では、香りを読み解く者こそが真実に近づける。そして香りを操る者こそが、人の心をも動かせるのだ。 だが、その豊かさの裏には影がある。  香りで人を操る技術。記憶を消す秘術。感情を誘導する調合。  光が強ければ強いほど、闇もまた深くなる。 ――そんな王国で、季節はゆっくりと夏へ傾きつつあった。◆ 王都ペルファリアの空気は、春の柔らかい香りを手放し、代わりに陽光の濃さと石畳の熱を含み始めている。鼻をかすめる香りは軽く変質し、花々の淡い調べに、乾いた草と果実めいた気配が混じるようになった。 まだ夏ではない。  だが、夏の"兆し"は確実にここにあった。 ムーア雑貨店の扉を少し開けると、ひやりとした店内の空気に、夏の風がわずかに入り込み、揺れる。そのほんの小さな変化だけで、フィンは季節の転換を感じ取った。香りが軽く、鮮やかになり、街全体がせわしなく動き始める――観察する者なら、誰よりも早く気づく兆候。 だが今朝は、いつもと違う空気が混じっていた。  店の奥、カウンターの上に置かれた一通の封書。王都冒険者ギルド本部の紋章が刻まれた、重みのある羊皮紙だ。 フィンはそれを手に取り、封を切った。『辺境グランヘルデ支部・臨時派遣任務  対象者:フィン・アルバ=スヴァイン  期間:夏季、約三ヶ月  任務内容:支部業務補助及び現地状況調査  備考:お前の観察が必要だ。――ハルデン』 依頼書には余計な説明はなく、ただギルド長ハルデンの直筆署名があるだけだった。 フィンは静かに息を吐く。 「……面倒ごとにならなきゃいいけど。いや、なるんだろうな」 辺境グランヘルデ。帝国国境に近い、霧と岩山に囲まれた荒涼の地。そこに新設されたギルド支部は、表向きは冒険者の拠点だが、裏では何かがうごめいている

  • ノクスレイン~香りの王国物語~   香りの檻と暗殺者Ⅱ

     苦いお茶を半分ほど残して、私はカップをそっと受け皿に戻した。湯気はもう細い糸になって、夜気にほどけていく。店の奥で、眠り香に沈む店長の寝息が、規則正しく上下している。「……変な夜ね」 自分で口にして、少しおかしくなる。変なのは夜ではなく、私だ。十五年、任務の最中にこんなふうに座って、言葉を探したことは一度もなかった。 彼は向かいの椅子に腰をおろし、失敗作のカップを気まずそうに指で回す。黒い瞳は落ち着いていて、けれどほんの少し、さっきの「苦い」の余韻が残っている。「――ねえ」 私は息を整える。喉の奥の固さが取れない。言わなければならないことから、先に言う。「私は、あなたを殺しに来たの。命令で」 彼は驚かなかった。ただ、手元のカップから視線を上げて、私を見た。「あなたが俺をずっと監視していたのは知っていましたよ。組織の――恐らくノルドの手の指示ですか?」 私は息を止める。組織の名を、彼は知っていた。「いいえ、私の監視は個人的な好奇心。でも、今日は組織の指示であなたを暗殺しにきたの。フィン・アルバ=スヴァイン」 彼の名を口にすると、少しだけ距離が縮まったような気がした。「知ってました」 静かな声。私は眉をわずかに上げる。「店に入ってきた時の息遣いと、衣の裾の香り。外気の層と違う匂いが混じってました。眠り香の系統も、うすく残ってます」 説明は淡々としていて、言い訳にも誇示にもならない角度で置かれた。私は口を閉じる。私の仕事を、私よりも静かに把握している。「失礼ですが、お名前を伺っても? 俺だけ名前を知られているのはぞっとしない」 私は小さく笑う。「コードネームはハクア。本当の名前は――もう忘れたわ」 嘘ではない。十五年前、その名前を捨てた時から、私はハクアになった。「……戻れないわ。組織に」 言った途端、胸の奥がすっと軽くなった。クライストの灰色の瞳。二度の失敗。本部への報告。それらが硝子の破片みたいに頭の中で光って、ようやく音もなく砕ける。「処分が下る。それはわかってる。でも、どうでもいいの。今はただ、訊きたい」 私は視線を落とす。自分の手の甲が、少し白い。十五年、香りで人の心を閉じてきた指。匂いで身体を止め、沈黙で息を奪ってきた指。「あなたは、どうして人を救うの? あなたの『それ』なら、殺す方がずっと簡単なのに」 沈

  • ノクスレイン~香りの王国物語~   香りの檻と暗殺者Ⅰ

     夜更け、家の中は静かだった。陽一は宿題を終えるとすぐに布団に潜り込み、子供らしい寝息を立てている。食事の片付けも終わり、部屋には外から聞こえてくる気の早い虫の音だけが響いていた。 沙織も衣を脱ぎ、布団に横になった。今日はいろいろありすぎた――そう思って目を閉じたその時、隣から熱が迫ってきた。「……沙織」 俊夫の声は低く掠れていた。顔を向けると、目がぎらぎらと光を帯びている。比喩ではなく、夜の獣のように光って見えた。昼間はあれほど穏やかだったのに、今は渇いた何かに突き動かされているようだった。「あなた?」 腕が伸び、沙織の身体を抱きすくめる。布団の中に閉じ込められ、逃げ場はなかった。「お前が欲しい」 熱い息が首筋にかかる。掌は荒々しく背を這い、汗でじっとりと濡れていた。押し寄せる体温は火傷のように熱く、息苦しさすら覚える。「ま、待って……陽一が……」「大丈夫だ。よく寝てる」 耳元で囁く声は甘さを欠き、獣のうなりに近かった。唇が押しつけられ、強く吸い付かれる。息を奪われ、喉の奥から震える声が漏れる。 抱き寄せる腕の力は異様に強かった。胸板は硬く膨れ、皮膚の下で筋肉が、それとも違う何かが痙攣するように脈打っている。指先で触れたとき、その波打つ感触に沙織の全身が凍りついた。「……愛してる。お前がいなきゃ駄目なんだ」 繰り返される言葉は必死で、だが理性を失っていた。瞳を覗き込んだ刹那、光が縦に裂けたように見えた。瞳孔が細長く変形し、炎を宿した獣の目に重なった。「俊夫……!」 恐怖と混乱の中で、それでも沙織は自分に言い聞かせた。――これは夫だ。陽一の父だ。逃げてはいけない。「……あぁッ!」 俊夫が無理矢理に中に入ってきた時、引きつるような苦痛から思わず声が漏れる。 必死に縋りつきながら、ただ押し潰される熱に耐えた。「助けて……助けてくれ、沙織……ッ!」 譫言のように名前を呟きながら必死になって自分に縋り付いてくる俊夫を沙織はそっと抱きしめる。自分が溢れ始めたことがわかる。同時に俊夫への思いか、引きつるような痛みは消えてゆき、ただ自分の中心に熱を感じ始めた。「ん……んぁ!」 俊夫の力強い律動に思わず声が漏れる。愛する夫を抱きしめながら沙織の胸は疑問に満たされていく。 この人がこんなに怯えてる……何で? 頼りになる強い夫の怯え方に

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status