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不惑の森
不惑の森
Auteur: Everain / 郁雨

1話

last update Date de publication: 2026-05-29 10:57:05

──暗い森には悪魔が住んでいる。

子どもの頃、村の大人たちは本気でそう言っていた。

※

「そこのお兄さん、乗っていかない?」

村へと続く林道を歩いていると、横を通り過ぎていったはずの車がバックし、すぐ脇に止まった。

メタリックなカマキリ色。

奇抜な車から顔を出したのは、見覚えのある男だった。

「──浩美ひろみちゃん」

「おい。いい加減、その呼び方やめろ」

ずっこける真似をした西原にしはら浩美ひろみは、気を取り直したようにサングラスを鼻先までずらした。

「で、どうする?」

まるで洋画のワンシーンみたいな気障きざな仕草。

だが華やかな顔立ちの浩美がやると、不思議と様になる。

「さて、お客さん、どちらまで?」

車に乗り込んだ途端、浩美がからかうように聞いてきた。

どうせ行先など一緒のくせに。

「M村まで」

「あいよ。安くしとくよー」

その口調は、会っていなかった十年間など、まるで感じさせないものだった。

変わってないな、と小さく笑う。

浩美は、派手な見た目に反して妙に人懐っこい男だった。

村にいた頃も、いつも人に囲まれていたのを覚えている。

(……俺とは真逆だ)

この十年で、自分はずいぶん色々なものを削ぎ落としてしまった。

愛想も、言葉も、人との接し方も。

「にしても、ホント久しぶりだな。十年ぶりくらいか?」

前方の道路に目を向けたまま、浩美が尋ねてくる。

「まぁ、そのくらい、かな?」

滑るように車が発進する。

それと同時に、浩美のお喋りも調子よく走り出した。

「そっか。でもそれなのに、いきなりどうしたんだ? 今まで全然帰ってこなかったくせに。つーか、ここって心霊スポットじゃん。白い服で林道をとぼとぼ歩いてるお前を見たとき、てっきりお化けかと思ったぞ。もうびっくりさせんなよ。ただでさえ変な噂が流れているのに。──それよりお前、今まで何してたの?」

ポンポンと切り替わる浩美の話題に圧倒され、すぐに反応できなかった。

「何って、別にたいしたことしてないけど……」

「ほう。それは所謂いわゆるニートという奴ですか? 確かお前今……二十──あれ? 何歳だっけ?」

無邪気な様子で、浩美が首を傾げた。

「二十──三だよ。そんなことより浩美、お前の方はどうしてるんだよ? こんな平日にプラプラして。人の心配をしている場合か?」

からかうように顔を覗き込むと、幼なじみはにやりと笑った。

「そりゃ、聞き捨てならんお言葉ですな。期待を裏切って申し訳ないが、ブラブラしているように見えても、俺は親父の秘書ってことで立派に働いてるの」

トントンと、指先で軽くハンドルを叩く。

「今だってこうして都内とここを行き来しながら、親父の付き添いしているわけだし。お前とは違うもん」

「もんって子どもかよ。俺よりも三つ年上のくせに。さすが市議会議員の二世様は違いますね。お気楽なこって」

嫌味たっぷりに言ったが、浩美は怒るどころか楽しげに笑い出した。

「浩美」という女みたいな名前は、政治家一家である彼の祖父と父が決めたらしい。

将来、浩美が選挙に出る時、目立つ名前の方が有利だから──という理由で。

つまり、子どもが生まれる前から、選挙ポスターだけは想定していたわけだ。

今聞いても、ぞっとする。

「でも、なんか『二世』って面と向かって言われるのも久しぶりだな」

浩美は、選挙ポスターというよりメンズ雑誌に載っていそうな笑顔を浮かべながら言った。

少し間を置き、独り言みたいに呟く。

「昔は直樹なおきに、よく言われてたけどな……」

その名前を口にした瞬間だった。

浩美の横顔から、ふっと笑みが消えた。

車内から、不意に音が消える。

フロントガラス越しに、交差点の信号が赤へ変わるのが見えた。

浩美はブレーキを踏むと、ハンドルに肘を乗せ、助手席へ顔ごと向けた。

「なぁ」

浩美がゆっくり口を開く。

「お前がここに来たのってさ、今日があの日だからか?」

色の薄い瞳が、射抜くようにこちらを見据える。

無意識に、喉がごくりと鳴った。

浩美は気づかないまま、話を続ける。

「俺はいつも、この日になると村へ帰ることにしてるんだ。昔、この森であんなことがあってから、ずっと」

ふっと浩美の声に影が差し、視線が窓の外へ逸れる。

「だからなんとなく、お前が今日帰ってきたのも、そういう理由なんじゃないかって思った」

一人で納得したように話す浩美を見て、思わず口を挟んだ。

「ちょっと待てよ、浩美。勝手に話を作るなよ。俺が今日ここに来たのはただの偶然だ。それに、お前が言ってる『あの日』って──……」

ハンドルを握りながら、浩美が詰なじるような声音で返す。

「お前、何言ってるんだよ?」

浩美の口元が、わずかに歪んだ。

「あの日って言ったら、一つしかないだろ」

一瞬、すべての音がなくなった気がした。

浩美の声だけが、車内に響く。

「──お前たち兄弟が、村から消えた日だ」

信号が青に変わると同時に、車が勢いよく発進した。

ほんの数分しか話していないはずなのに、妙に長い時間を過ごした気がした。

浩美は前方をきつく見据えたまま、続ける。

「十年前、お前たちは村からいなくなった。兄の春樹はるきは森に入ったまま姿を消し、残った弟の方も──」

浩美の抑揚のない声を聞きながら、背中に冷たい汗が伝い落ちる。

「その一年後、直樹も家族とともに行方をくらました。以来どちらとも音信不通。そしてお前は──」

首筋に浩美の鋭い視線を感じた。

「お前はどっちの方だ? 兄の春樹か? 弟の直樹か?」

浩美の声が、低く掠れる。

「一体、どっちなんだ?」

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