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第499話
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佐倉さん、もうやめて！月島さんはリセット人生を始めた 第520話
「動くな」遼一は珠子の手を強く掴み、その目の前で電話に応じた。「もしもし……お父さん」そう言いながらも彼は珠子を押しやり、必死に腕にしがみつくその手を振り払うと、足早にバルコニーへ向かった。二人の声は大きくはなく、珠子の耳にもかすかにしか届かなかった。だが、遼一がドアを閉めた瞬間、その中に「遥」の名が混じるのをはっきりと聞き取ってしまった。康生の声が、低く響く。「これはお前にとって数少ない好機だ。ビジネス界での人脈も広がるし、アメリカで経営研修を受けることは決して悪くない。役職については心配するな。すでに手を打ってある」遼一は静かに問い返した。「それはお父さんの決断ですか。それとも……桜庭家の意向ですか」「遥は桜庭家の後継者であり、お前は俺の息子だ。お前の育成には、明日香以上に心を砕いてきたつもりだ。俺の苦心を無駄にしないでくれ。この件はもう決まっている。明日香と藤崎家の婚約が終われば、お前は遥と共にアメリカへ渡り、半年間の研修を受けろ。その後で帰ってくればいい。会社のことは、しばらく千尋に任せておけ。あいつは長年お前の側にいて、お前の腹心でもある。俺としても安心できる」「わかりました。その件については検討します」「お前自身も覚悟を決め、遥とできるだけ接触を持て。藤崎家と桜庭家――両家の提携を得られれば、これほどの好機はない。ビジネス界で足場を固めたいのなら、避けては通れん。余計な人間に心を傾けるな。もし解決できない問題があるなら、俺がその障害を取り除いてやる」「はい」遼一の瞳に、得体の知れない光が揺らめいた。通話が切れるのを確かめてから、携帯をポケットにしまい込む。病室に戻ると、珠子の視線が彼を射抜いた。切なさと悔しさが入り混じる眼差しだった。「つまり、遼一さんも行っちゃうってこと？明日香が手に入らないから、今度は遥さんと結婚するの？遼一さん、約束したよね。ほかの女を好きになったりしないって」どこまで聞かれていたのかはわからない。だが、遼一の表情はほとんど動かなかった。「その話は……また今度にしよう」「やっぱり遥さんと結婚するんでしょ？自分の地位と権力のために！」珠子の声は次第に激しさを増し、感情の昂ぶりに呼応するかのように、点滴の管に血が逆流しはじめた。「珠子……俺はどこ
佐倉さん、もうやめて！月島さんはリセット人生を始めた 第519話
珠子が、自殺した？挨拶を交わす間もなく、珠子は病院へと運び込まれた。明日香は、彼女のこれほど惨めで弱々しい姿を、これまで一度も見たことがなかった。目の当たりにしてもなお、信じ難い光景だった。珠子は、遼一が心の底から慈しんでいる存在のはずだ。その遼一が、彼女を傷つけることなどあり得るだろうか。「見に行かないのか」樹の声に、明日香ははっと我に返り、静かに首を横に振った。「いいえ、私には関係のないことよ」これはあの二人の問題であり、自分はもう一切関わりを持ちたくなかった。珠子が命を絶とうとどうしようと、もはや自分とあの人との間には何の繋がりもないのだから。今回の珠子の傷は、前回よりもさらに深かった。看護師は眉をひそめながら、珠子の傷の手当てを進める。元あった傷痕の上に、新たな一筋が加わっていた。ただでさえ華奢な珠子だが、二度目の傷は骨が覗くほど深く、以前の縫合糸は鋭利な刃によって無残に引き裂かれ、肉に食い込んだままになっていた。看護師は溜め息をついた。「命は何物にも代えがたいのですよ、お嬢さん。ご自身をこんなに傷つけて、恋人の方がどれほど心を痛めることか」昨今、自ら命を絶つ者は少なくないが、これほどまでに自身を傷つける者は稀有である。看護師が口にした「恋人」という言葉に、珠子はかすかに口元を綻ばせた。彼女はすぐ傍らにいる遼一の手を親しげに握りしめ、彼を見つめる。「ええ、彼はいつだって私のことを大切にしてくれますわ。今回は、わたくしが少しばかり衝動的になってしまっただけなのです」その様は、今朝方、遼一の前でヒステリックに泣き喚いていた彼女とはまるで別人だった。看護師は遼一を諭すように言った。「これからはもっと彼女に寄り添ってあげてくださいね。次があるとは限りませんし、そうなったら一生後悔しますよ」遼一は憂いを帯びた表情で、ただ頷いた。珠子は遼一を庇うように言った。「彼が悪いわけではないのです。すべて、わたくしの所為なのですから。遼一さん、白湯が飲みたいわ。一杯いただけますか？」遼一は黙って頷くと、給水室へ向かい、白湯を一杯汲んできた。珠子と看護師が何を話していたのか、遼一が病室へ戻った時には、すでに看護師の姿はなかった。遼一は白湯を彼女の前に置く。グラスにはストローが差してあった。「遼一さん
佐倉さん、もうやめて！月島さんはリセット人生を始めた 第518話
そういうことだったの？けれど、どうして遼一は彼に手を下したのだろう。警察に協力するためだなんて、とても信じられない。まるで本気で殺そうとしているようにしか思えないではないか。明日香は心の中で思考を巡らせる。遼一は一体、どんな恨みを抱いていて、信介に捕まえさせたのだろうか。彼女はひまわりの花束を一つ抱えていた。いつもの花屋で買ったものだが、店に残っていたのはもうその最後の一束だけだった。病室にはすでに日和の家族が全員そろっており、成彦と圭一もまだ帰っていなかった。日和はリンゴを一口かじっては桃を一口かじり、実に食欲旺盛である。その姿に明日香の胸を締めつけていた心配は杞憂に過ぎなかったと知れた。とはいえ、無事な様子を目にして安堵する一方で、あの日彼女に助けられたことを思うと、感謝と同時に深い申し訳なさが込み上げてくる。病室の入り口に立った明日香を見つけるや否や、日和は子どものように弾む声で叫んだ。「明日香！」樹は人混みを好まないため、千尋と共に外で待っていた。明日香が病室へ入ると、そこには太った男性と痩せた女性の夫婦がいた。日和がどちらに似ているのか、ぱっと見ではまるで見当がつかない。日和の父、有坂直弘（ありさか なおひろ）が声を掛けてきた。「日和のお見舞いに来てくれたんだね」「はい」明日香は丁寧に頷いた。続いて日和の母、敦子（あつこ）が微笑んで言う。「それじゃあ若い人たちで話しなさい。私たちもちょうど下で何か食べようと思ってたところだから、ゆっくり話してね」「はい」二人が病室を出て行くと、明日香の耳に、廊下でする夫婦の小声が届いた。「あの子、どうしてあんなに綺麗に育ったのかしら。本当に可愛いわねえ。うちの日和とは大違い。あの子なんて、一食でご飯を五杯も食べるし、見た目もまるで肉まんじゃない」「まったくだ。うちはまだ貧乏じゃないから何とかなるけど、普通の家庭なら養いきれないだろうな」日和はむっと顔をしかめた。「お父さん、お母さん！ぜんぶ聞こえてるから！二人がそんなこと言うから、私がご飯を五杯も食べること、みんなにバレちゃったじゃない！」傍にいた圭一は顔を伏せてくすくす笑いをこらえていた。夫婦は気まずそうに足早にその場を去っていく。明日香はベッド脇に腰を下ろし、優しく微笑ん
佐倉さん、もうやめて！月島さんはリセット人生を始めた 第517話
明日香は部屋の明かりを消したものの、遼一がすでに去ったのかどうかはわからなかった。本当にこの家に踏み込んでくるかもしれない――その恐怖に駆られ、彼女はパジャマに着替えると、隣の主寝室へ向かった。ベッドに横たわった瞬間、傍らの人が身を寄せてきて、背後から抱きしめられる。耳元に、眠気を含んだ低い声が落ちてきた。「……どこに行ってた？」明日香は胸の奥をざわめかせながら答える。「あなたを起こさないように、自分の部屋に戻ってシャワーを浴びてたの。もう寝ましょう」「うん」樹は彼女から漂うほのかな香りを吸い込み、そのまま再び眠りに落ちていった。明日香はベッドサイドの灯りを消し、寝室は闇に沈む。目を閉じ、余計な思考を無理やり追い払った。今の遼一には、藤崎家に刃向かう力も勇気もない。やがて自分は藤崎家の「奥様」になる。二人の間に繋がりなど、もう残っていない。たとえ、心の奥で彼の脅威や卑劣な手段に怯えていたとしても、過去に囚われ続けるわけにはいかない。これ以上、彼に脅されることなど許されないのだ。そう自分に言い聞かせるうちに、いつしか眠りは訪れた。翌朝。カーテンの隙間から射し込む陽光に、明日香はゆっくりと目を覚ました。伸びをして布団から出た瞬間、視界に入ったのは、口元に柔らかな笑みを浮かべた樹だった。「おはよう」「おはよう」「もう遅いよ。起きる？」「何時？」「十二時だ」思わず目を丸くする。こんなにも長く眠っていたなんて。「じゃあ……何時に起きたの？どうして起こしてくれなかったの？」樹は穏やかに笑いながら答える。「未来の妻なんだから、少しくらいサボってもいいんだよ。君はもう少し寝てればよかったのに。僕が先に起きて、歯磨き粉を絞っておいた。服を着替えるの、忘れないで」「ええ……」彼は身支度を整え、用意した歯磨き粉を彼女に渡す。洗面台の鏡に映った自分の顔を見て、明日香は目の下に濃いクマができていることに気づいた。「……心理カウンセラーを呼んでみる？昨夜、夢の中でずっと何かを呟いてた」明日香は歯を磨く手を止め、振り返る。「私……何を言ってたの？」樹は背後から彼女を抱きしめ、腰に手を回し、首筋に軽く唇を触れさせた。「忘れた。はっきりは聞こえなかった」「そう……私自身
佐倉さん、もうやめて！月島さんはリセット人生を始めた 第516話
樹の形の良い薄い唇がやわらかく弧を描き、笑みを浮かべながら頷いた。「うん。明日香がどんな道を選んでも……僕は未来の妻を、永遠に応援するよ」二人はどれほどの時間を語り合ったのだろう。明日の食事のことから、卒業後の婚約旅行の夢まで、話題は尽きることなく続いた。やがて樹が視線を落とすと、明日香はすでに眠りに落ちていた。だが、その眠りは決して安らかなものではない。眉間にはうっすらと皺が寄り、長く艶やかな黒髪が顔を覆っている。樹はそっとその髪をかき分け、唇を彼女に触れさせた。そして横抱きにして抱き上げると、静かに階上の主寝室へと運んでいった。この数日、二人はほとんど共に暮らし、同じベッドで夜を過ごしていた。といってもそれ以上のことをするわけではなく、ただ彼女を腕に抱くだけで、樹の心は満たされていた。明日香はまだ若い。これほど待ち続けてきたのだから、今さら焦る必要などない。深夜。明日香はまるで火鉢を抱いているかのような熱さで目を覚ました。腰に樹の腕が絡みつき、背中には燃えるような熱が密着している。服は汗でぐっしょりと濡れ、まるで水浴びをした後のようだった。彼を起こさぬように、明日香はそっと布団をめくり、足をスリッパに滑り込ませると自室へと戻った。そして冷たいシャワーを浴び、着替えて部屋に戻る頃には、ようやく呼吸も落ち着きを取り戻していた。長く伸びた脚が真っ直ぐにのびやかにあらわれ、身にまとっているのは丈の長いTシャツ一枚。裾はちょうどセクシーなヒップを隠す程度の長さであった。そのとき、不意にベッドサイドテーブルで充電中だった携帯が鳴り響いた。夜更けに誰が――日和かもしれない。そう思いながら、片手で濡れた髪を拭き、もう一方の手で携帯を取り上げ発信者表示を確かめた。次の瞬間、手が震え、携帯を床に落としてしまった。電話に出るつもりはなかった。切ろうとしたその時、カーテンの隙間から強烈な光が差し込んだ。着信音はなおも響き続け、明日香の心臓はどんどん速く鼓動を打つ。彼女は震える視線でカーテンの隙間に目を凝らした。足取りは無意識に重くなり、ゆっくりとカーテンをめくる。玄関先に停まっていたのは見覚えのある車。あの人……気でも狂ったの！？ここがどこだかわかってるの？藤崎家よ……よくもまあ、こんな場所まで。着信が途切れ、
佐倉さん、もうやめて！月島さんはリセット人生を始めた 第515話
組事務所の奥深く、隠された地下室。信介は圧倒的な力で一蹴され、床に叩きつけられた。抵抗は一切せず、胸に走る激痛を押し殺しながら、片膝をつき立ち上がろうとする。だが、その動きよりも早く二度目の蹴りが胸を打ち抜いた。今度は起き上がることもできず、呻き声を漏らしながら隅へと転がり、口から鮮血を滴らせる。周囲にいた者たちは誰一人として顔を上げなかった。重苦しい沈黙の中、視線を落としたまま、助けに入る者などいない。七、八年もの間、この場所に戻ることのなかった遼一。その彼が、帰還したと思えば怒りを爆発させている――誰もが銃口の前に飛び出すような真似を避けたかった。遼一は冷ややかな表情で信介を見下ろし、足元の惨めな姿に言葉を落とす。「次はない」その声音と共に放たれる危険な気配に、場にいる全員の背筋が粟立った。ちょうどその時、痩せた男が駆け寄り報告した。「武が……死にました」遼一の眉間に不機嫌な皺が寄る。「誰がやった」男は腰を折り、声を低くした。「車は藤崎家のものでした。お嬢様が武の手に落ちそうになったその瞬間、誰かが銃で撃ち抜いたのです。脳みそまで飛び散って……凄まじいものでした」彼らのやり方は決して正道とは言えない。だがそれでも、以前と比べれば幾分か控えめになっている。今は上からの監視が厳しく、真昼の往来で人を殺すなど、藤崎家を除けば誰一人としてできはしない。「この件に藤崎家が絡んでいるとすれば……しかもお嬢様までもが危険にさらされたと知れれば、月島社長の耳に入った瞬間、我々は――逃れられません」遼一は無表情のまま、ゆっくりと答えた。「この件は俺が収める。残りの二人はどうだ。所在は掴めたか」子分は怯えながら口を開く。「ひとりは前回の追跡で車ごと崖下に転落し……爆発で粉々になったはずですが、遺体はいまだ見つかっていません。もう一人は……聞いたところによれば、密入国でM国へ渡ったとか。あの国は混沌としており、勢力も複雑に入り乱れていて、容易には手を出せません」「監視を続けろ。必ず影を追え」「は、はい！」遼一は黙り込み、深く俯いた。その表情の奥にある思考は誰にも読み取れない。なぜ武は、よりによって学校の近くに姿を現したのか。彼の眼差しの奥で、暗く渦巻くものがうねり、やがて巨大な波瀾を呼び起
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