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八年の約束に、さよなら

八年の約束に、さよなら

By:  ウリウリCompleted
Language: Japanese
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親友の結婚式で、ブーケをある女の子が横取りしたかと思えば、手を滑らせて私の腕の中に落としてきた。 親友の水沢葵(みずさわ あおい)が、私に向かって祝福するように言った。 「沙耶ちゃん、次の花嫁はあなただよ」 招待客たちは示し合わせたように、一斉に私の八年来の恋人へと視線を向けた。 桐谷グループのCEO、桐谷悠真(きりたに ゆうま)。 けれど彼は何事もないように私の手からブーケを抜き取り、そのまま無造作に私の隣にいた女性へ渡した。 彼の秘書でもある、真田琉衣(さなだ るい)だった。 「先に取ったのは彼女だろ」 彼は私の髪をくしゃりと撫で、優しい声で言った。 「いい子だから、まずは琉衣に返してあげてくれ。俺たちはまた次があるんだから」 スポットライトも、招待客たちの視線も、その花束を追うように琉衣へと集まっていった。 驚きと照れが入り混じった琉衣の顔を見つめながら、私は自分の腹部にそっと手を当て、苦く笑った。 悠真は知らない。 もう次なんて、ないのだ。 八年の約束はすでに期限を迎えたのに、私たちは結局、結婚には辿り着かなかった。 私はもう、海外で大きなビジネス帝国を築いた両親に約束している。 来週にはここを離れ、ヨーロッパへ戻り、家業を継ぐことになっていた。

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Chapter 1

第1話

真田琉衣(さなだ るい)がブーケを受け取ったのを見た瞬間、親友の水沢葵(みずさわ あおい)の笑顔がすっと消えた。

彼女は私以上に腹を立てていて、私の耳元で歯ぎしりするように言った。

「この真田、絶対わざとだよ!結婚式の前に、ブーケはあなたに残しておいてって、わざわざみんなに伝えておいたのに!」

私は小さな声で彼女をさえぎった。

「葵ちゃん、今日はあなたの大切な日なんだから、こんなこと気にしなくていいよ」

「でも、あなたは悠真と結婚するために、もう八年も待ってるのよ!しかも今はあの人の子まで身ごもってるのに、このまま式を挙げなかったら……」

「大丈夫」

私は静かに顔を横へ向け、来賓席にいる桐谷悠真(きりたに ゆうま)を見た。

ブーケを抱えた琉衣は、ちょうど彼の隣に座っていた。

その距離は、秘書として守るべき一線をとっくに越えていた。

招待客はみな、私と悠真のことをよく知る友人ばかりで、誰もが探るような、それでいて同情めいた視線を私に向けていた。

葵はますます憤って、緊張したように私の手をぎゅっと握った。

「沙耶ちゃん、さっき少し真田のことを調べたんだけど、あの子、かなりしたたかな玉の輿狙いよ。金持ちばかり狙って近づくタイプ。ここ数か月ずっと、あなたの彼に接近しようとしてたの。気をつけて……」

「葵ちゃん、今日はあなたがいちばんきれいな花嫁なんだから、私のことで心配しないで」

私は彼女の手を握り返し、淡く微笑んだ。

「それに、もう悠真と結婚するつもりはないの。妊娠したことも、まだあの人には話してない」

私の言葉があまりにも衝撃的だったのか、葵は目を見開き、信じられないものを見るように私を見つめた。

長い沈黙のあと、彼女はようやく結婚式の進行を続けなければならないことを思い出した。

式が終わると、葵は私をきつく抱きしめた。

「沙耶ちゃん、何か力になれることがあったら、遠慮なく言って。あなたがどんな決断をしても、私は味方だから」

「どんな決断?」

彼女が去ったあと、悠真が静かな足取りで私のもとへやって来た。

「さっき、何を話してたんだ?」

彼は無意識のように手を伸ばして私の肩に触れようとしたが、私はわずかに身をひねってそれを避けた。

「別に何でもないよ」

彼は私の拒絶を気にした様子もなく、軽く笑った。

「怒ってるのか?でも、あのブーケは先に琉衣が取ったんだし。あの子はまだ若いし、結婚式に憧れてるんだろう。ブーケを取ったのだって、縁起をもらいたかっただけだ。次は君にって、前に話してただろう?」

彼は身を寄せ、私の髪を撫でながら、根気よくなだめるように言った。

「どうしてそんなに葵のブーケにこだわるんだ?俺たちが結婚するときには、式で君のためにもっときれいなブーケを用意するよ。君が欲しいだけ、いくらでもね」

私は黙って手のひらを強く握りしめ、彼の目をまっすぐ見つめた。

「じゃあ、今月中に結婚できる?葵とは子どものころに約束したの。どちらかが先に結婚したら、もう一人もそのあとに続くって。お互いのブライズメイドになって、幸せを見届けようって」

空気が一瞬で凍りついたようだった。

悠真の手は私に触れかけたまま宙で止まり、数秒後、彼はふっと笑った。

「子どものころの冗談を、まだ本気にしてるのか?俺は桐谷グループの社長だ。結婚式をそんなに慌ただしく挙げるわけにはいかない。焦らなくていい、約束するよ。きっと最高に完璧な式にするから」

苦いものが胸いっぱいに広がった。

何か衝突があるたびに、彼はいつも「次こそは」と、その未来の結婚式を口にした。

八年も経ったのに、私はまだその約束が果たされる日を待ち続けていた。

そしてもう待つのはやめて、家に帰ろうと決めた。

車は重たい沈黙の中を走り、私の邸宅の前で止まった。

悠真はシートベルトを外し、もう私たちの間の険悪な空気は過ぎ去ったと思っているようだった。彼はいつものように身を寄せ、私にキスをしようとした。

私は手を上げて、彼の肩にそっと当てた。

「もう疲れたの、悠真」

彼はぴたりと動きを止め、私の目を見つめて数秒黙り込んだ。やがて、私の肩を軽く叩いた。

「ああ、ブライズメイドはたしかに疲れるよな。早く休め。

琉衣がタクシーをつかまえられないって言ってて、まだ会場にいるんだ。迎えに戻ってくるよ。あの子をひとりで残すのは危ないから」

私は静かにうなずいたが、悠真はすぐには動かなかった。

たぶん彼は、いつものように私が彼に気をつけてと言うのを待っていたのだろう。あるいは、こんな遅くに私を家へ置いて、ひとりで出ていくなんてひどいと不満をこぼすのを。

けれど私はただ車のドアを開けて、外へ降りただけだった。

遠ざかっていく車を見つめながら、私は目にしみる涙をぬぐい、ヨーロッパにいる両親へ電話をかけた。

「お父さん、お母さん。私、婚約を受け入れて、颯と結婚するわ……」
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第1話
真田琉衣(さなだ るい)がブーケを受け取ったのを見た瞬間、親友の水沢葵(みずさわ あおい)の笑顔がすっと消えた。彼女は私以上に腹を立てていて、私の耳元で歯ぎしりするように言った。「この真田、絶対わざとだよ!結婚式の前に、ブーケはあなたに残しておいてって、わざわざみんなに伝えておいたのに!」私は小さな声で彼女をさえぎった。「葵ちゃん、今日はあなたの大切な日なんだから、こんなこと気にしなくていいよ」「でも、あなたは悠真と結婚するために、もう八年も待ってるのよ!しかも今はあの人の子まで身ごもってるのに、このまま式を挙げなかったら……」「大丈夫」私は静かに顔を横へ向け、来賓席にいる桐谷悠真(きりたに ゆうま)を見た。ブーケを抱えた琉衣は、ちょうど彼の隣に座っていた。その距離は、秘書として守るべき一線をとっくに越えていた。招待客はみな、私と悠真のことをよく知る友人ばかりで、誰もが探るような、それでいて同情めいた視線を私に向けていた。葵はますます憤って、緊張したように私の手をぎゅっと握った。「沙耶ちゃん、さっき少し真田のことを調べたんだけど、あの子、かなりしたたかな玉の輿狙いよ。金持ちばかり狙って近づくタイプ。ここ数か月ずっと、あなたの彼に接近しようとしてたの。気をつけて……」「葵ちゃん、今日はあなたがいちばんきれいな花嫁なんだから、私のことで心配しないで」私は彼女の手を握り返し、淡く微笑んだ。「それに、もう悠真と結婚するつもりはないの。妊娠したことも、まだあの人には話してない」私の言葉があまりにも衝撃的だったのか、葵は目を見開き、信じられないものを見るように私を見つめた。長い沈黙のあと、彼女はようやく結婚式の進行を続けなければならないことを思い出した。式が終わると、葵は私をきつく抱きしめた。「沙耶ちゃん、何か力になれることがあったら、遠慮なく言って。あなたがどんな決断をしても、私は味方だから」「どんな決断?」彼女が去ったあと、悠真が静かな足取りで私のもとへやって来た。「さっき、何を話してたんだ?」彼は無意識のように手を伸ばして私の肩に触れようとしたが、私はわずかに身をひねってそれを避けた。「別に何でもないよ」彼は私の拒絶を気にした様子もなく、軽く笑った。「怒ってるのか?でも
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第2話
私が妊娠していると知ると、両親はとても喜んだ。この子は名家の血を引く子なのだから、決して私生児なんて汚名を背負わせはしない、必ず最高の未来を与えると言ってくれた。それに、桐谷颯(きりたに はやて)が私のためにいくつもの結婚式のプランを用意してくれているとも言っていた。私は三日後の便を予約した。家に戻ると、寝室の引き出しにしまってあった、これまで大切にしてきたものを処分した――悠真が私に書いたラブレターと、二人で撮った写真だ。荷造りを終えたころ、悠真が帰ってきた。「こんな時間までまだ起きてたのか?」彼は荒らされたクローゼットと、脇に置かれたスーツケースに目をやり、気楽な口調で言った。「どうしたんだ、急に服をまとめたりクローゼットを整理したりして。旅行にでも行くのか?」私は彼の問いには答えず、ただ静かに尋ねた。「真田さんは家まで送ったの?」「ああ。あいつのマンション、かなり辺鄙な場所にあるから、たしかにタクシーはつかまりにくかったな」「そう」私はうつむいて、そのまま立ち去ろうとした。けれど次の瞬間、悠真に腕の中へ抱き込まれた。彼の体から漂うローズの香水の匂いに、少し吐き気がした。それは琉衣の匂いだった。私は反射的に彼を突き放した。悠真は一瞬体をこわばらせ、二秒ほど私を見つめたあと、すぐにおかしそうに笑った。「まだブーケのことで怒ってるのか?そんなことで拗ねるなよ」彼は立ち上がってネクタイを緩め、子どもをあやすような、困ったような口調で言った。「もういい、明日もっと大きい花束を注文してやるから。早く身支度して寝よう、俺は明日も会議があるんだ」そう言うと、彼はバスルームへ向かっていった。私はその背中を見つめながら、そっと口を開いた。「両親に返事をしたの。一週間後、ヨーロッパに戻って結婚するって」悠真がバスルームのドアノブをひねる手が、その場でぴたりと止まった。振り返った彼はついに堪忍袋の緒が切れたように、不機嫌そうに眉をひそめた。「沙耶、もういい加減にしてくれ。前にも言っただろう、俺は社長なんだ。何の準備もなく衝動的に結婚式なんて挙げられない。結婚は俺たち二人の問題だ。君と親友との約束のために、軽々しく決められるものじゃない」「じゃあ……」私は最後の期待を込め
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第3話
私は静かに、出発前の身の回りのことを一つずつ片づけていった。そして私たちの家も、値を下げて売りに出した。鍵を仲介業者に渡したその日、書斎で悠真の会社のプロジェクト資料を見つけた。少し迷った末、私はやはりそれを悠真に届けることにした。彼のオフィスの前まで来たとき、中から楽しげな笑い声が聞こえてきた。琉衣と悠真だけじゃない。悠真の友人たちも一緒だった。ノックしようとしたそのとき、悠真の友人の声が聞こえた。「悠真、この前の結婚式で沙耶と揉めたって、ほかの連中もみんな知ってるぞ。お前たち、別れたんじゃないかって、こっそり俺に聞いてくるやつまでいる」琉衣はドアの前にいる私に気づくと、申し訳なさそうな口調で、けれど挑発的な目を向けながら言った。「桐谷社長、全部私のせいです。結婚式に出るのが初めてで勝手がわからなくて、それでブーケを取ってしまって……そのせいで、桐谷社長と御影さんが喧嘩することになってしまいました」続いて、悠真の声が響いた。「君のせいじゃない。沙耶が心が狭すぎるだけだ」彼の友人が、探るように囃し立てた。「悠真、今度は本気なのか?わざわざ家まで出たんだろ。沙耶と別れて、琉衣と付き合うつもりなのか?」悠真は少し間を置き、声にわずかな冷たさをにじませた。「何を馬鹿なこと言ってる。俺があれほど沙耶を愛してるのに、別れるわけないだろう。家を出たのは、あいつにちゃんと反省させるためだ。いつも独占欲ばかり強くてたまらないからな」悠真は気づいていなかった。その言葉を聞いた琉衣の顔が、嫉妬で歪んだことに。「反省したら、また家に戻るつもりだ」悠真のアシスタントが、ためらいがちに探るように口を開いた。「社長、本当にこのまま御影沙耶(みかげ さや)さんと口を利かない状態を続けるおつもりですか?昨日、水沢葵さんがドレスを買っているのを見かけました。それに、店員さんに一週間後、親友のブライズメイドをするって話していたんです。水沢さんの一番の親友って、御影さんですよね?」その場の空気が、一瞬で静まり返った。悠真は顔をこわばらせた。「花婿がいないのに、どこに結婚式があるっていうんだ。普段から俺は十分あいつに譲ってやってる。今回はちゃんとわからせないといけない。俺はグループの社長だ。何もかもあいつの思いどおりに
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第4話
一週間後、ようやく仕事がひと段落した悠真は、私とのチャット画面を開いた。画面には、彼が最後に送ったメッセージがそのまま残っていた。【言っただろう、俺は慌てて結婚したりしない。君もちゃんと頭を冷やして考えろ。もう俺を追い立てないとわかったら、そのとき家に戻る】私から返信がないのを見て、悠真はきつく眉をひそめた。彼は私のことをよくわかっていた。たとえ喧嘩をしても、口を利かない状態になっても、いつだって先に折れて連絡するのは私だった。いつ帰ってくるの、と彼に尋ねるのも、いつも私のほうだった。けれど今回は違った。彼が家を出てからもう一週間になるのに、私は一通のメッセージも送っていなかった。胸の奥に、得体の知れない不安がじわりと広がっていった。そのとき、彼のアシスタントが突然スマホを手に叫んだ。「社長、ご覧ください!水沢さんがインスタに投稿しています!今日は御影さんの結婚式です!御影家は大勢の招待客まで呼んでいます!」悠真はすぐさまスマホを奪い取った。写真の中の私はウェディングドレスをまとい、ブーケを手に、風に揺れるカーテンの前に立っていた。気品があって、美しかった。悠真は一瞬見とれた。だが次の瞬間、その胸に怒りが燃え上がった。「まさか、俺を追い込むために、ここまで大掛かりな芝居を打つとはな!」彼は冷笑した。「ずいぶん本格的じゃないか。どうせ葵の入れ知恵だろう!」アシスタントは困ったように悠真を見た。「社長、本当に御影さんを迎えに行かれないんですか?もう一週間も口を利かなかったし、もし社長が現れなければ、御影さんはきっと立場がなくなります」悠真の口調には、どこか傲慢さがにじんでいた。「立場がなくなるどころか、たぶん布団の中に潜って泣くんじゃないか」彼は私が泣いている姿を思い浮かべ、少し気持ちがやわらいだ。「お前、俺の家に行ってあいつを探してこい。もう怒っていないと伝えて、こんな茶番はさっさと終わらせろと言え。お前がいれば、誰もあいつを笑ったりしない」アシスタントが出て行くと、悠真はようやく肩の力を抜いた。家を出ていたこの数日、彼は本当はとっくに私と仲直りしたいと思っていた。今回は自分のほうから折れてやるのだから、私ならきっと喜んで彼に抱きつき、もう意地を張ったりしな
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第5話
悠真は一瞬、呆然とした。彼に招待状などあるはずがない。いや、違う。彼は新郎なのだ。新郎に招待状など必要なはずがない。悠真は苛立たしげに眉をひそめた。「俺がこの結婚式の新郎だ!」「新郎様……ですか?失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」スタッフは困惑しながら招待客リストを取り出して確認しようとしたが、悠真はそれを片手で押さえた。「俺は桐谷悠真だ。桐谷グループの社長だぞ!名家の御影家の娘、御影沙耶と結婚する桐谷様が、俺以外に誰かいるというのか?」その口調は冷たく鋭く、疑う余地を与えなかった。スタッフもそのあまりの断定ぶりに気圧され、慌てて彼を見上げた。「失礼いたしました、桐谷様でいらっしゃるのですね?申し訳ございません、すぐ会場までご案内いたします」悠真は不機嫌そうな顔のまま式場へ入っていった。大勢の招待客と美しく整えられた会場を見渡しながら、胸の内には鬱屈とした苛立ちが渦巻いた。本来なら、この結婚式は彼自身が取り仕切るはずだった。プロポーズも、ウェディングドレスも、料理の内容も、招待客の選定も。会場の装飾も、花の組み合わせも、すべて。それらは全部、愛する妻へ彼が贈るはずのサプライズだった。なのに今の彼は、遅れてきた一人の招待客のように、受け身のままそのすべてを見せつけられている。しかも式に集まっている人々の中に、彼の知る友人や家族は一人もいなかった。悠真は不快そうに唇を引き結び、この場に自分だけが取り残されたような、見知らぬ疎外感を無理やり押し殺した。まあいい。もう式場まで来たのだ。こんな些細なことまで気にしていたら、自分が心の狭い男みたいじゃないか。この先の人生は長いのだから、埋め合わせをする機会も、主導権を握る機会もいくらでもある。今の彼に必要なのは、式を終わらせて、愛する人をもう一度自分のもとへ連れ帰ることだけだった。彼はスーツの襟元を整え、期待をにじませながら式場の入口へ視線を向けた。そのとき、入口のあたりがざわめいた。悠真は背筋を伸ばし、たちまち気持ちを奮い立たせた。姿勢を正し、洗練された紳士らしい笑みを浮かべ、入口へ向かって足を踏み出す。そうだ。彼はもう、準備ができていると思っていた。ウェディングドレス姿の私の、息をのむほ
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第6話
桐谷颯?悠真は、その場に釘で打ちつけられたように動けなくなった。全身の血が煮えたぎるように逆流し、体は小刻みに震え始めた。視界さえ、じわじわと滲んでいった。「……え?」さっき悠真を呼び止めたスタッフが、呆然とした顔で彼を見た。「あの方こそ本当の新郎です!やっぱりそうでしょう、どこの世界に、こんな遅れて会場に入ってくる新郎がいるんですか!」「警備!早く来てください、新郎を騙る不審者が式に紛れ込んでいます!」スタッフは悠真の前に立ちふさがり、慌てて無線で警備を呼び始めた。けれど悠真は、耳元で飛び交う叫び声などまるで聞こえていなかった。彼の視線は、ただ私と、私が腕を取っている颯の姿に釘づけになっていた。違う。そんなはずがない。ありえない。「沙耶!」彼はスタッフを乱暴に突き飛ばし、なりふり構わず私のもとへ駆け寄ろうとした。だが、その前に一つの影が素早く立ちはだかった。葵だった。その顔には、隠しようもない怒りが浮かんでいた。「どけ!」悠真は低く吠えるように言い、彼女を避けて私のところへ行こうとした。だが葵は一歩踏み出し、彼を力いっぱい突き飛ばした。「何するつもり!みっともない!ここはヨーロッパ、御影家のテリトリーよ!あんたの桐谷グループじゃない!沙耶ちゃんの結婚式を絶対に台無しになんかさせない!」しかし悠真は、まるで馬鹿げた冗談でも聞かされたように叫んだ。「沙耶は俺の妻だ!俺たちは八年付き合ってきたんだぞ!どこの馬の骨とも知れない偽物に、沙耶と結婚する資格なんかあるか!沙耶!俺はここにいる!」彼は声を張り上げ、遠くにいる私の注意を引こうとした。「ちゃんと説明しろ!君たち、俺を騙してるんだろう!」彼の取り乱した叫び声に、周囲の招待客たちがいっせいに振り向いた。だが会場はざわめきに満ちていて、その声は私にも颯にも届かなかった。葵は冷たく笑い、声を潜めて言った。「何を説明しろっていうの?悠真、沙耶ちゃんがあんたに何度チャンスをあげたか、数えられる?八年よ。あの子はあんたの約束を信じて、八年も待ったの!結婚したくないのはあんたの勝手。でも、どうして九年目まで待たせる権利があると思うの!私の結婚式のブーケだって、あの子がどれだけ楽しみにしてたか知ってる?それなのに
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第7話
挙式の進行に追われていた私は、この片隅で起きていたひと騒動にまったく気づかなかった。私の意識は、賑やかな招待客への応対や、次々にやってくる式の細かな段取りにすべて向いていた。式が終わりきる前から、私はもう疲れを感じていて、腰も背中もじんわりと痛んでいた。それでも幸いだったのは、颯がずっと優しく紳士的に私を支え、寄り添いながら、招待客への対応や思いがけない出来事まで一緒にこなしてくれていたことだった。儀式が終わったあと、颯は私のハイヒールを脱がせ、優しく足を揉んでくれた。私は、まだ数えるほどしか会ったことのないこの穏やかな男を見つめ、ただ感謝と申し訳なさで胸がいっぱいになった。「ありがとう。子どもを産んだら、約束どおり、両家の両親にきちんと話して、あなたとの結婚は終わりにするから」颯の手が、ふいに止まった。数秒後、彼は顔を上げ、端正な笑みを私に向けた。「急がなくていい。君を助けたいと、ご両親に自分から申し出たのは俺なんだ。だから、答えはゆっくり考えてくれればいい」同じく巨大企業の後継者である颯を、私は戸惑いながら見つめた。どういう意味だろう。颯は、ただ桐谷家と御影家に頼まれ、私の子どもに私生児という汚名がつかないようにするためだけに、この結婚式を挙げてくれたのではなかったのか。「沙耶ちゃん、君にとってこれは、家同士の縁談であり、契約結婚なんだろう」颯も私の戸惑いに気づいたのだろう。彼は私を見つめ、優しく、それでいて深い想いを滲ませた目を向けた。「でも俺にとっては、八年待ち続けた機会なんだ」私はようやく腑に落ちた。私の妊娠がわかったあと、両親がこれほど早く、私と結婚してくれる若い貴族を見つけられた理由も。私は気まずさと恥ずかしさに、そっと視線を逸らした。けれど颯は気にする様子もなく微笑み、再び頭を下げて、優しく私の足を揉みながら静かに言った。「君がこれまでつらい思いをしてきたことはわかってる。だから、俺は何かを無理に選ばせたりしない。ただ伝えたいんだ。君と子どもが必要とするなら、俺はずっとそばにいる」その揺るぎない優しさに満ちた言葉を聞いて、私の胸は温かさと感謝で満たされた。あの結婚式のあと、私は両親と颯に見守られながら、安心して出産を待つ日々を送った。電話番号も変え、SNSの更
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第8話
あの食事のあと、父はもう二度とあのレストランへは行かなかった。こうして悠真は、またしても私の消息を失った。それでも彼は諦めきれず、私が出産まで過ごしていた屋敷の周辺をうろつき続けた。彼と再び顔を合わせたのは、それから一年後のことだった。すでに子どもを産んでいた私は、葵と街角のカフェで窓際の席に座っていた。通りを歩いていた悠真は、窓越しに私を見つけた瞬間、目に歓喜を弾けさせ、考えるより先に店へ駆け込んできた。「沙耶!」私はまっすぐ彼の目を見つめ、顔に浮かんでいた笑みを消した。「桐谷さん、お久しぶりね」私の冷たさと距離のある態度は、まるで冷水のように、彼の喜びと期待を一気に冷ましていった。隣にいた葵は、そんな彼を警戒するように見つめていた。「少しだけ、二人で話せないか。五分でいい」悠真の声はかすれていた。彼は私の平らな腹部に目をやり、ほとんど懇願するような切迫した口調で尋ねた。私は少し迷ってから、葵にうなずいた。葵が立ち上がり、少し離れた席へ移ってから、悠真はようやく重い口を開いた。「君は……元気そうだな。子どもが生まれたんだな。おめでとう」「ありがとう。ご用件は何、桐谷さん?」「俺は……俺たちの家を買い戻したんだ。君の好きだった通りに、全部また整え直した。赤ちゃんの部屋まで作ったんだ!いつでも子どもを連れて戻ってこられる!」彼は慌てたように続けた。「それから、琉衣はもう解雇した。俺たちの間には本当に何もなかったんだ!俺が愚かだった。あいつの魂胆や、あれこれ仕掛けていたことにも気づかなかった。だから君は傷ついて、苦しんで……」彼は途切れることなく話し続けた。必死に弁明し、何もかも打ち明けようとしていた。まるで、そうした言葉を口にしさえすれば、この八年間で私に与えた傷をすべて消せるかのように。私は静かに聞いていた。そして彼がようやく話をやめ、私を見るのを待ってから、ゆっくり口を開いた。「あなたが浮気したとは思っていないわ。少なくとも身体の関係という意味では、本当に何もなかったのかもしれない」悠真の目がぱっと明るくなった。私は少し間を置き、窓の外の人通りの絶えない通りへ目を向けた。「でも、それが何だというの?」悠真は言葉を失った。私は再び顔を戻し、呆然
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