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第351話
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再び頂点に戻る、桜都の御曹司にママ役はさせない 第352話
冷ややかな眼差しが冬真に向けられる。つまり、さっきの講堂での出来事を全て把握していたということか。そして、エレベーターの故障と、冬真がここに現れたことも——その意図は明白すぎた。瑛優の小さな手を握る夕月の手のひらが汗ばむ。完全に正気を失っている。「私の娘」と口にしながら、その娘の安全など眼中にないなんて。だが、確たる証拠がない以上、エレベーターの故障が自分の仕業だとは決して認めないだろう。胸の内で膨れ上がる怒りを必死に抑え込みながら、夕月は尋ねた。「京花さんが瑛優を狙い撃ちにしてることは知ってるの？」「最近、母と親密にしているようだが……」つまり、京花が幼稚園でこれほど好き勝手できるのは、橘大奥様が後ろ盾となって、そそのかしているということ。そのとき、エレベーターの扉が開き、文芸部の教師たちが数人降りてきた。「橘社長」と彼らは冬真に深々と頭を下げる。瑛優はその顔ぶれを覚えていた。年少組の時の学芸会で、審査員として見守ってくれた先生たちだ。「先生方、こんにちは」瑛優は両手を胸の前で組み、真っ直ぐな瞳で見上げた。「幼児部年長組の藤宮瑛優です。学芸会でソロの演目を披露したいのですが、お願いできますでしょうか？」教師たちの表情が曇る。彼らは理事長である冬真の方をちらりと見た。冬真が首を縦に振れば、彼らも従うしかない。だが、そんな表立って言えない暗黙のルールを、瑛優には説明できるはずもない。「ここで待ってたのは、私に頭を下げさせたかったから？」夕月は冬真を鋭く見据えた。冬真の深い瞳に笑みが宿る。夕月が自分に頭を下げる姿を見たがっているのは明らかだった。「お前が頼むなら、瑛優の学芸会の件も簡単に解決できるがな」瑛優は下唇を軽く噛んだ。「学芸会に出たいです。でも、まだ何を披露するか決めていなくて……」真摯な眼差しで先生方を見つめ、はっきりとした声で続けた。「練習を重ねて、先生方に見ていただきたいんです。もし良い演目だと思っていただけたら、全校の前で披露させてください！」娘が自分を眼中に置いていないことに気付いた冬真は、声をかけた。「瑛優、パパの力を借りなくていいの？」間を置いて、今度は甘く諭すような口調で続けた。「パパの娘として私の元に戻り、橘家のお嬢様になってくれれば、学芸会の出演はおろか、
再び頂点に戻る、桜都の御曹司にママ役はさせない 第351話
冬真は、夕月が振り向いた瞬間を見つめていた。彼女の瞳に浮かぶ笑みには、鹿谷への無条件の愛おしさが満ちていた。その表情に冬真は息を呑んだ。夕月がこんな表情を見せるのは初めてだった。桐嶋にさえ向けたことのない笑顔で、まるで鹿谷の言葉なら何でも百パーセント支持するかのようだった。鋭い刃物で心臓を一突きまた一突きと抉られるような痛みが走る。冬真の呼吸が乱れ始めた。幼馴染という存在が持つ破壊力は、こんなにも凄まじいものなのか。鹿谷と夕月が幼い頃から一緒に育ったことは知っていた。だが、これまで眼中に置いたことすらなかった。橘家の後継者である自分が、田舎育ちの人間など気にかける必要などなかった。夕月と鹿谷の仲の深さは承知していたが、それでも鹿谷という存在を見下していた。まさか夕月が、鹿谷の「本命」という言葉を肯定するとは。もし鹿谷が「本命」で、桐嶋が「彼氏」なら——自分は何なのか。七年に及ぶ結婚生活は、夕月にとって笑い話でしかなかったというのか。千キロの鉄槌で殴られたような衝撃が全身を貫いた。胸に空いた穴から冷たい風が吹き込み、内臓をナイフで切り裂かれるような痛みが走る。「夕月！」漆黒に染まった瞳で、眉間に深い皺を刻みながら、冬真は吐き捨てるように言った。「あいつが本命なら、桐嶋は何なんだ？」「桐嶋さんに片思いでもしてるの？」夕月は冷ややかな声で返した。「随分気になるみたいね」男の鋭い視線を受け止めながら、夕月はその眉間に深い哀しみを見た気がした。まつ毛が僅かに揺れる。元夫を前にしても、胸は何も揺らがない。「何度言えば分かるの？私たちは他人でしょう。離婚の時はさっさと手を切りたがってたくせに、どうして今さら私の前に現れては存在感を示そうとするの？」その言葉に、男の声音が一気に冷たくなった。「考え過ぎだ。まさか、私がわざとお前を待ち伏せていたとでも？」冬真は唇の端を歪めて嘲笑う。漆黒の瞳には軽蔑の色が浮かぶ。だが、後ろめたさからか、夕月の顔を直視できず、視線を逸らしてしまう。実は——彼は確かに意図的にここで夕月と出くわすよう仕組んでいた。瑛優を連れて文芸部の先生に会いに校舎に来るという情報を掴むや否や、エレベーターを細工したのだ。だが、この階で夕月を待っている間、思いもよらない邪魔者が現
再び頂点に戻る、桜都の御曹司にママ役はさせない 第350話
冬真は鹿谷の腕を掴んだ瞬間、その骨格の細さを感じ取り、目に軽蔑の色を滲ませた。こんな細い腕の雑魚が、自分の女に触れる資格があるのか！？「橘冬真！何をするの！？」夕月が低い声で叫び、冬真の手を振り払おうとした。「離しなさい！」夕月が鹿谷を庇うように後ろに下がらせるのを見て、冬真の頭に怒りが沸き上がった。嫌悪感を露わにして鹿谷の腕を放すと、不満げに夕月に詰め寄った。「なぜお前はこういう軟弱な男とばかり付き合ってる？こいつも桐嶋と同じく、わざと弱く見せかけてるだけだろう。お前に守ってもらいたいがために、弱いふりをする奴らと」冬真は憤りを隠さなかった。「私はこういう人が好きなのよ！」夕月は苛立たしげに言い返した。男は目を見開いて、信じられないという表情で彼女を見つめた。夕月の好みは、自分のようなタイプの男ではなかったのか？冬真の目には、涼と鹿谷が酷似して映った。二人とも風に吹かれそうな華奢な体つきで、自分が手を出せば簡単に抑え込めるような。だが、彼らが夕月の後ろに隠れるせいで、夕月は自分のことを更に嫌うようになっていく。冬真の顎の線が引き締まり、こめかみの下で青筋が脈打っていた。「さっきね、エレベーターがすっごく揺れたの。鹿谷さんが私とママを守ってくれたの。橘おじさん、鹿谷さんに意地悪しないで！」瑛優が甘い声で訴えた。小さな手を胸の前で握りしめ、瑛優は真剣な眼差しで冬真を見上げた。「あいつのこと、好きなのか？」冬真が尋ねた。瑛優は冬真が鹿谷のことを聞いているのを理解し、こくりと頷いた。「鹿谷さんが一番大好き！」「あいつと桐嶋、どっちが好きなんだ？」冬真は瑛優から答えを引き出そうとした。「うーん……」瑛優は長いまつげをぱちぱちさせながら、真剣に考え込んだ。「鹿谷さんの方が好き！」子供には大人のような駆け引きはない。ただ素直な気持ちを答えただけだった。鹿谷は瑛優の言葉を聞いて口元を緩め、冬真によって曇っていた気分が一気に晴れた。「なぜだ？」冬真が追及した。瑛優は丸みを帯びた指を折りながら数え始めた。「だってね、鹿谷さんのご飯美味しいの。それに鹿谷さんは良い匂いがするの。一番一緒にいるのも鹿谷さんだし。夜は私とママと鹿谷さんで一緒に寝るから、当たり前でしょ？」瑛優の心の中で桐嶋の株
再び頂点に戻る、桜都の御曹司にママ役はさせない 第349話
君が藤宮家に引き取られたことで、正式な手続きができなくなった。その後、君の結婚を知って……完全に興味を失ったみたいだ」夕月は異国の地でそんな出来事があったとは思いもよらなかった。「雅子さんを阻んでいた勢力って……？」「今でも雅子さんには分からないみたいだよ」鹿谷は首を振った。澄んだ瞳を真剣な眼差しに変えて続けた。「僕はずっと、あの勢力は君を守ろうとしていたんだと思ってる」夕月もそう感じていた。「雅子さんに、私の過去のことは話した？」鹿谷は茫然と首を振った。「何度も遠回しに君のことを聞かれたけど、僕は一切話さなかった。むしろ、M国に行くのは君と完全に縁を切るためだって伝えたんだ」夕月は考え込むように言った。「雅子さんは、かなり前から私のことを注目していたみたいね。詳しく調べていたのかも。あなたも知らないような私のことまで知っているわ」話題を切り替え、軽やかな声で尋ねた。「園に来たのは、雅子さんが私に危害を加えるのを心配して？」「桜都に戻ったら、君が量子科学部門に数十億の損失を与えたって聞いて。雅子さんが直接幼稚園まで来たって知って……彼女は徹底的なんだ。誰かを潰すときは容赦しない。僕は……」夕月は柔らかな笑みを浮かべた。「私には大きな価値があるから、今のところは手荒なことはしないでしょう」むしろ鹿谷を安心させるように続けた。「大丈夫、もう取引は成立したから」「取引？」鹿谷は首を傾げた。「量子科学部門の支配権を得ただけじゃなく、第一四半期で400十億の投資、それに将来の利益も全て私のものになるの」「えっ」鹿谷は息を呑んだ。「雅子さんが承諾したの？」「ええ」「まさか……」鹿谷の常識が根底から覆された。「雅子さんが承諾しなければ、量子科学部門と国有資産部との共同プロジェクトが納期に間に合わない。そうなれば、もっと大きな損失を被ることになるのよ」夕月ははっきりと説明した。鹿谷は未だ動揺を隠せない。「でも、これだけの痛手を与えたら、雅子さんは必ず機会を見て、倍返しにしてくるはずだ」夕月は三日月のような目を笑みで満たしたまま言った。「雅子さんが私を訪ねてきた時から分かっていたわ。これから何度も激しい戦いを繰り広げることになるって。でも、あの人との対決は私にとって光栄なこと。それに、あなたも兄さんも、後
再び頂点に戻る、桜都の御曹司にママ役はさせない 第348話
「鹿谷さん！」瑛優は鹿谷を見つけるなり、目を輝かせて跳ねるように駆け寄った。夕月のことが気がかりで仕方ない鹿谷は、熱い息を吐き出した。「鹿谷さん、会いたかった～！」甘えた声で呼びかける瑛優に、鹿谷はしゃがみ込んだ。学芸会の衣装を着ているのを見て、上着を脱いで瑛優の肩にかけてやる。「可愛いね」少し乱れた髪を優しく整えながら言った。「おかえり」夕月が鹿谷に近づきながら声をかけた。先週、鹿谷は急用で出かけることになり、すぐ戻ると言い残しただけだった。夕月は詮索せず、瑛優と共に帰りを待っていた。思いがけず、桜都に戻るなり幼稚園に駆けつけてきたのだった。雅子が鹿谷まであと一歩というところで口を開いた。「ご苦労さま」鹿谷は一瞬固まり、翡翠を彫ったような清らかな顔立ちが突然引き締まった。夕月には明らかだった。鹿谷が雅子の前で全身を強張らせていることが。「母さん、夕月のことは……」鹿谷は嗄れた声で静かに言いかけた。雅子は真紅の唇を上げた。冷たい風が豊かな髪を揺らし、その美しさは比類のないものだった。「親友と久しぶりの再会を楽しみなさい」雅子は夕月には目もくれず、鹿谷にだけ告げた。「今夜、ホテルで報告を聞かせて」「はい」鹿谷は恭しく応えた。雅子が去ると、鹿谷の緊張した神経が一気に緩んだ。瑛優の手を取り、夕月の元へ歩み寄る。「雅子さんから何か言われた？」心配そうに尋ねる。夕月は首を振った。「M国に行って一年目、ある投資家に目をかけられて、その庇護のおかげで足場を固められたって話してたけど……その投資家が楼座雅子だったの？」五年前、鹿谷は夕月からの資金を手にM国へ渡った。遥か遠く離れ、良い報告だけを伝えていた。その頃の夕月は双子の育児に追われ、鹿谷と詳しく話す余裕もなかった。それに、鹿谷の翼がより高く羽ばたくためには、完全に手放すべきだと分かっていた。鹿谷は頷いた。「M国では、お金だけじゃ生きていけない。楼座グループという大きな船に乗れたからこそ、上流階級で地歩を固められたんだ」「今、母さんって呼んでたわね？」と夕月。「雅子さんには実子がいないの。でも、養女がたくさんいて、僕もその一人なんだ」鹿谷は認めた。夕月は優しい眼差しで鹿谷を見つめた。「そんな話、一度も聞かなかったわ」鹿
再び頂点に戻る、桜都の御曹司にママ役はさせない 第347話
雅子の目には冷たい感情しか残っていなかった。以前は4億円で夕月を切り捨てられたというのに、今度は呼び戻すだけで400億円という法外な要求。しかも、夕月の本当の狙いはその金額では済まないことも分かっていた。喉から低い笑いが漏れる。ビジネス界を渡り歩いてきた雅子だが、こんな大出血を強いる相手は珍しかった。それでも余裕の表情を崩さない。「夕月さん、マーケットのことを分かっていないようね。収益の七割を差し上げましょう。投資に関しては取締役会の承認が必要ですが……」「プロジェクト全体を私に譲らないのなら、協力するつもりはありません」と夕月は言い切った。「笑わせないで！」雅子は低く吐き捨てた。これまで誰も、彼女から直接美味しい案件を奪おうなどとは。夕月は相変わらず温厚な様子で、軽くため息をつきながら続けた。「楼座社長、あなたが怖いからこそ、思い切った要求をしているんです。前回の切り捨ては今でもトラウマですから。ですから、全ての利益を私に譲る覚悟がないなら、協力はできません。私がいなくても世界は回りますし、他の誰かを探されれば良いのです」夕月は立ち上がり、雅子の傍らを通り過ぎようとした。雅子は自社の量子科学部門のことを思い出していた。招聘したオームテックの専門家チームが、夕月の設計した大規模モデルのフレームワークを三日三晩かけて研究しても、何も解明できなかったことを。奥歯を噛みしめる音が聞こえそうなほどだった。「夕月さん！」雅子が呼び止めると、夕月はその場に立ち止まった。「藤宮盛樹と唐沢心音のような親から、まさかこんな娘が生まれるとは思わなかったわ」背後から雅子の声が響く。「お褒めの言葉、光栄です」夕月は薄く笑みを浮かべた。雅子は喉から冷笑を漏らした。わざわざ桜井幼稚園まで来て、橘家の連中や差別的な教師まで懲らしめてやったというのに。夕月が恩を感じ、交渉で有利に立てると思っていたのだが、この女は本当に一切の妥協を許さない。雅子は即座に決断を下した。優柔不断な性格ではなかった。「詳細な契約書を送らせていただきます」夕月は無言で唇の端を上げた。雅子が折れたのだ。振り返って雅子を見つめ、「では、契約書を待っています」「夕月さん」雅子は真剣な表情で言った。「一つ忠告させていただくわ。藤宮テックの行き先
再び頂点に戻る、桜都の御曹司にママ役はさせない 第346話
「私との関係を早々に切ってしまったことを、後悔なさっているんでしょうね」夕月は確信に満ちた口調で言った。「藤宮夕月！あなた、私のデータに細工をしたわね！」雅子の声が凍りつくように冷たくなり、眼差しも威圧的になった。凍てつくような空気が雅子から漂い始めたが、隣に座る夕月は彼女を一瞥もしなかった。「細工なんてするはずがありません。単に、楼座社長のチームの技術力が及ばなかっただけですよ。「大規模モデルのデータを手に入れた後、私を切り捨てましたね。その代償が20億円の損失。良い教訓になりましたか？」夕月は嘲るような笑みを浮かべながら言った。雅子は腕を組んだ。丹念にケアされた爪が淡いピンク色に輝いていた。夕月の言葉に眉をひそめる。この女は、自分がいなければ楼座の量子科学部門が億単位の損失を出すことまで計算済みだったのか？そして損失が出た時点で、自分が彼女を訪ねてくることまで見透かしていた？その考えに至り、雅子は背筋が寒くなるのを感じた。先ほど自分が現れた時も、夕月は少しも驚いた様子を見せなかった。雅子は改めて隣に座る女性に目を向けた。「夕月さん、あなたは素晴らしいパートナーになり得る人物だわ。私の見誤りでした。七年も結婚生活に縛られていた女性が、たとえ学識が優れていても、大した力は持ち得ないと思っていたの。学業の成績なんて、たいした意味はない。私は多くの天才を見てきたけれど、大抵は理論だけの強者で、実践では役立たずだった。でもあなたは、私の予想を大きく覆してくれたわ！」雅子の眼差しに、夕月を再び自分の掌中に収めたいという欲望が灯った。「夕月さん、もう一度組みませんか？前回のことは申し訳なかった。今度は心から協力関係を築きたいの。それに、私はあなたの力になれる。たとえば……」雅子は前方に目を向けた。平手打ちで頬を腫らした京花の姿はもうなかった。代わりに、ステージ上でバレエを踊る望月に視線を移す。唇の端を歪め、「私と組めば、あなたのお嬢さんをリーダーにしてあげられるわ」「結構です」夕月は即座に切り返した。「子供を大人の争いに巻き込むつもりはありません」「ただし」微笑みを浮かべながら、横を向いて雅子と目を合わせた。「協力関係を結ぶことについては、やぶさかではありませんが」「三つの条件がありま
再び頂点に戻る、桜都の御曹司にママ役はさせない 第345話
夕月が手で案内するように仕草すると、二人は講堂の隅の静かな場所に腰を下ろした。京花は腫れ上がって熱を持つ頬を押さえながら、夕月と雅子のいる方向を食い入るように見つめていた。「あの楼座社長って、すごい方なんですか？」伊吹は恐る恐る尋ねた。「あの方に殺されるのは、蟻を踏み潰すより簡単なことよ」京花は冷たく笑った。「ひっ！」伊吹は息を飲み、瞳を震わせた。先ほど雅子を怒らせてしまったことを思い出し、両足が震えだした。京花の腕にしがみつくと、伊吹の体はまるで麺のようにくにゃくにゃになっていった。「京花さん、お願いです……楼座社長に一言、お詫びの言葉を伝えていただけませんか？私のような者、存じ上げもしないのに、無礼を働いてしまって……」京花は伊吹の手を嫌悪感たっぷりに振り払った。「私だって自分のことで精一杯よ！あなたの面倒なんか見られないわ！」歯を食いしばって吐き捨てるように言った。右往左往する伊吹の様子に、京花は嫌悪の色を露わにした。雅子の前では、下々の者なんて所詮、儚い蜉蝣のようなもの。本来なら夕月だってこの伊吹のように、橘家の人間と聞いただけで従順になり、敬意を示すべきなのに。でも夕月は一度たりとも自分を眼中に置いたことがなかった。「今あなたがすべきことは、望月の演目を輝かせることよ。もし望月のリードするダンスが入賞できなかったら……」京花は冷たい声で言い渡した。そして詩音を軽蔑的に一瞥した。「京花さん、ご安心ください」詩音は唾を飲み込みながら、へりくだるような声で懸命に取り繕った。「望月ちゃんはダンスの素質が抜群です。必ずステージの中心で、皆の目を釘付けにしてみせます」京花は尊大に顎を上げ、伊吹講師に年長組の練習を続けるよう促した。夕月の方をちらりと見やる。どうして夕月が雅子とあれほど親密な関係にあるのか、まったく理解できなかった。携帯を取り出し、斎藤鳴に電話をかけた。しかし、電話は切られてしまった。「ちっ」と舌打ちした京花は、もう一度かけ直した。三十秒ほど待って、やっと相手が出た。「今忙しいんだ、どうしたんだ？」「楼座グループの社長が、わざわざ桜井にあの藤宮夕月を訪ねて来たのよ」「楼座社長」という言葉を聞いた途端、斎藤は思わずお尻が疼くのを感じた。「あなた、夕月が藤宮テックに入社したっ
再び頂点に戻る、桜都の御曹司にママ役はさせない 第344話
「ママに謝罪文を書いてもらいたいの！」瑛優は夕月の手を小さな両手で握りしめながら、むっとした様子で声を上げた。「ふん！甘いわね！」京花は険しい眼差しで吐き捨てるように言った。瑛優は少しも怯まず、むしろ更に気炎を上げた。「学芸会の時に、みんなの前で、ママへの謝罪文を読んでもらうの！」京花は胸が震えるほどの嘲笑を漏らした。胸の奥から込み上げてくる怒りを抑えながら深く息を吸い込んだ京花は、子供を宥めるような口調で言った。「いいわよ。学芸会のステージで謝罪文を読んでほしいなら……まずあなたが学芸会で一番にならないとね。表彰台に立てて初めて、私をステージに呼び出す資格があるってことでしょう？」怒りと嘲笑が入り混じり、京花は頭が熱くなったり冷めたりを繰り返していた。雅子から平手打ちを食らったことなど、京花にとっては屈辱的でありながらも、ある意味で光栄なことだった。だが謝罪文など……五歳の子供に侮辱されているとしか思えなかった。そんな耐え難い屈辱を受け入れるわけがない。「瑛優ちゃんが学芸会で一等賞を取れたら、母娘揃って頭が上がらないわ。心から謝罪もするわよ！夕月さん、謝罪文は書いておくけど……みんなの前で謝れるかどうかは、あなたたちの実力次第ってことね！」京花は嘲るように言い放った。こんな大口を叩けるのも、瑛優一人で学芸会の一等賞を取るなんて、絶対に不可能だと知っているからだった。そもそも瑛優が一人で演目をこなせるかどうかも怪しいものだった。京花は好き放題な約束をして、実現不可能な風船を空に放った気分だった。夕月にも分かっていた。京花の魂胆は見え透いている。謝罪文はおろか、プライドの高い京花が心からの口頭謝罪をするなど、到底あり得ないことだと。「学芸会に出るの！私、演目をやる！」瑛優が母親より先に声を上げた。心の中で静かに誓った。絶対に一等賞を取ってみせる、と。それまで一等賞なんて考えたこともなかったのに。でも今回は違う。ママのために、瑛優の心は燃えるような意志と闘志で満ちていた。夕月は瑛優の肩に優しく手を置きながら、京花に告げた。「謝罪文の方はお任せするわ。瑛優の学芸会のことは余計な心配はいりません」そして少し首を傾げ、柔らかな声で京花に言った。「どんな謝罪文を書いてくださるのか、楽しみにしてい
