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第987話

Author: 木真知子
「それに......初露のこともあるだろう。初露の状態は、お前も知ってるはずだ。

離婚すれば、秦は国外に送る。できるだけ遠くへ。

けど、母親と引き離されたら、初露の心が耐えられない。病気が悪化するかもしれん」

光景の声は静かだったが、どこか押し殺したように震えていた。

中野は黙って頷く。彼もまた、その苦悩を痛いほど理解していた。

「......それで、隼人の行方は?調べはついたか?」

光景が問うと、中野はわずかに肩を落とした。

「申し訳ありません。会長もご存じの通り、隼人様は手強いです。

本人が隠れようと決めたら、誰にも見つけられません」

「......そうか」

光景は短く息を吐くと、黙って携帯を取り出した。

指先が一瞬ためらい、それでも通話ボタンを押す。

呼び出し音が何度も鳴り、ようやく隼人が出た。

「......こんな時間に、何の用だ」

「隼人、俺は――」

「もしプロジェクト会議に出ろって話なら、無駄だ。行かない」

冷たく突き放すような声。

そこには、父子の情など微塵も感じられなかった。

光景は唇を噛み、静かに尋ねる。

「明日、時間はあるか?一緒に出かけたい」

「......どこへ?」

「お前の母さんに、会いに行こう」

その言葉に、電話の向こうで長い沈黙が落ちた。

電話越しに、空気が凍りつくのがわかる。

隼人の吐息が低く響き、次の瞬間、怒りを押し殺した声が返ってきた。

「......冗談か?自分の言ってること、わかってる?」

「冗談じゃない。俺は本気だ、隼人」

光景は深く息を吸い込む。

宮沢グループを率いる男――その威厳の裏で、初めて人間らしい脆さが滲んでいた。

「......わかってる。俺は、これまで本当にろくな父親じゃなかった。

お前の母さんが亡くなってからも、夫としての責任を果たせなかった。

墓参りにも行かず、彼女と向き合うことも避けてきた。俺は、本当に、最低だ」

「最低?」

隼人の笑いは冷たく、鋭かった。

「たった最低の一言で済むと思ってるのか?

二十三年間、母さんを苦しめ続けたことを、その一言で帳消しにするつもりか?

『尊敬される宮沢社長』――その肩書きで、許されるとでも?」

「......俺は、彼女の夫だ。彼女が、俺を愛していたのは事実だ!」

光景の頬が熱く染まり、羞恥と怒り
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