LOGIN私は、本間澪華(ほんま れいか)。結婚してからずっと空き家のままになっている家がある。 そんなある日、管理会社から連絡が入った。 「本間様、恐れ入りますが、そちらにご入居中の方へお伝えいただけますでしょうか。ベランダに干してある女性用の下着が外から見えてしまうということで、下の階の方からすでに二度ほど苦情が入っておりまして……」 送られてきた写真には、透け感のあるセクシーなランジェリーが、ベランダのいちばん外側に掛けられ、風に揺れていた。 その隣には、見覚えのあるメンズのボクサーパンツまで干してある。 胸の奥がすっと冷え、私はすぐ夫の本間郁人(ほんま いくと)に電話をかけた。 「汐見ヒルズの部屋、人に貸したの?」 郁人は一瞬だけ黙り込んで、それから急に笑い出した。 「なんだ、もう気づいたのか。本当はサプライズにするつもりだったのにさ。帰ったら、家賃はちゃんと家計に入れるようにするから」 私は嬉しそうなふりをして、「ほんと?助かる」と笑ってみせた。 電話を切ると、そのまま汐見ヒルズへ向かった。
View Moreオークショニアは郁人に視線を向け、淡々と告げた。「本間様。本日中にお支払いが確認できない場合、当オークションハウスとして法的な手続きに移らせていただきます」その言葉を聞いた途端、郁人はその場にへたり込んだ。そして、縋るように私の足元に手を伸ばす。「頼む、澪華……俺たち夫婦だろ。今回だけ助けてくれ。捕まりたくないんだ。このままだと本当に終わりなんだよ」私はその手を冷たく振り払った。「よくそんなこと言えるわね。あの女と一緒にいたとき、夫婦だったことなんて思い出しもしなかったくせに。今さら何を言ってるの」私に頼っても無駄だと分かったのだろう。郁人はすぐに紗季へすがった。「紗季、今までお前に渡した金だって、相当な額になってるはずだ。足りないなら、買ってやったブランド品でも何でも売ってくれ。頼む、少しでも金をかき集めてくれ。俺は刑務所なんかに入りたくないんだ」あてにしていた相手が、見かけだけの男だったと分かって、紗季はますます苛立ったのだろう。躊躇なく、郁人の頬を叩いた。「何言ってるの?自分が今どんな立場か、分かってる?こんな状況で、まだ私に金を出させる気?」まさかここまであっさり切り捨てられるとは思っていなかったのだろう。これまで紗季に注ぎ込んできた金のことが頭をよぎったのか、郁人は顔を歪めた。そのまま紗季の腕をつかみ、力任せに床へ押し倒した。たちまち、豪華なオークション会場に紗季の悲鳴が響き渡った。警備員が駆けつけ、ようやく二人は引き離されたが、その頃には郁人の顔は紗季に引っかかれて傷だらけになり、紗季の体にもあちこちに痣ができていた。二人とも見るに堪えないほど無様な姿だった。オークション側は落札代金未払いの責任を問う形で、その場で郁人を警察へ引き渡した。一方の私は、すぐ卓也のもとへ向かい、急ぎで離婚協議書を作成してもらった。卓也は得意げに書類を軽く掲げてみせた。「約束どおりだ。あいつには財産分与なしで出て行ってもらう」私は満足してうなずいた。「報酬はいくら払えばいい?」すると卓也は眉をひそめた。「金の話なんて野暮だろ。クズ男にちゃんと報いを受けさせる。それだけで十分スカッとするじゃないか」私たちは顔を見合わせ、思わず笑い声を上げた。法律事務所を出る頃には、あの
郁人は鼻で笑うと、いかにも面倒くさそうにバッグからカードを取り出した。「何言ってるんだよ。こっちは何度も落札してる客だぞ。支払い遅れたことなんて一度もないだろ。その対応はどうなんだよ。上に言うぞ」ああやって偉そうにまくし立てるのを見ていると、軽蔑したくなる。結局、自分の苛立ちを、何の落ち度もない人にぶつけているだけだ。そういうところが、余計に彼の底の浅さを浮き彫りにしていた。やがて端末が短く音を鳴らした。郁人は当然のようにカードを受け取ろうと手を伸ばす。けれどオークショニアは、そのままもう一度カードを通した。その瞬間、郁人の声が一気に荒くなる。「おい、何勝手にもう一回通してるんだよ。人のカードを勝手にいじって、どういうつもりだ。調子に乗るなよ」オークショニアはうんざりしたように郁人を見た。「本間様。一度目の決済が確認できなかったため、再度カードを通させていただきました」「は?そんなはずないだろ。残高なら十分ある」オークショニアは淡々と言った。「私がこの場で嘘をつく意味はありません」郁人はさすがにばつが悪くなったのか、わずかに言葉を詰まらせた。「……暗証番号を間違えたのかもしれない。もう一度やる」もう一度暗証番号を入力したが、やはり決済は通らなかった。オークショニアはカードを返しながら、淡々と告げた。「本間様、恐れ入りますが別のカードをお願いいたします。こちらのカードはご利用可能額を超えているか、利用制限がかかっております」その瞬間、それまで具合が悪そうにしていた紗季が、がばっと身を起こした。郁人の襟元をつかみ、そのまま詰め寄る。「どういうこと?お金ないの?たかが何千万円でしょ?それすら出せないの?」たかが何千万円、か。普通に暮らしている人間からすれば、簡単に出せるような額じゃない。やっぱり、自分で稼いだお金じゃないから、あんなふうに言えるのだろう。私はそんな紗季を見て、わざとらしく言った。「あら、すごいわね。病院に行く前に、もう治っちゃったの?」けれど紗季は、私の嫌味なんてまるで耳に入っていない様子だった。今の彼女の頭にあるのは、郁人にもうお金がないかもしれない――それだけなのだろう。これまで思い描いていた生活が、音を立てて崩れていくのが分かったの
郁人は、まさか私がそこまで言うとは思っていなかったのだろう。一瞬だけ目を見開き、それから紗季のほうをちらりと見て、取り繕うように口を開いた。「澪華、いくらなんでも、この寒い中で今すぐ出て行けっていうのはきついだろ。引っ越すにしたって、次の部屋を探す時間くらいは必要じゃないか?それに、若い子って、ちょっと見栄を張ったりするもんだろ。注目されたくて話を大きくしただけで、本気でお前の家をどうこうするつもりだったわけじゃない。そこまで追い詰めなくてもいいじゃないか」私は黙って郁人を見返した。「部屋を探す時間がないなら、ホテルにでも泊まればいいでしょう」そう言ってから、私は郁人をまっすぐ見た。「今すぐ、あの女を私の家から出て行かせて」私が言い終えた、その直後だった。紗季が急に息を詰まらせたかと思うと、胸元を押さえたまま苦しそうに壁にもたれかかった。「え……ちょっと、喘息じゃない?」すぐ近くにいた女が、息をのむように声を上げる。「「まずくない?これ、ひどくなると危ないんじゃ……」紗季の顔がみるみる青ざめていくのを見て、さっきまでこちらに向いていた視線が、また彼女へと流れていくのが分かった。「かわいそうに……あんなふうに追い詰められたら、そりゃ発作も出るわよ。いきなり出て行けなんて言われたら、相当こたえるでしょうし」「やっぱり強すぎる女って、男に敬遠されるのよね。慣れない土地で部屋探すのだって大変でしょうに……やり方はまずかったとしても、本当に家を売ったわけじゃないんでしょう? そこまで追い込まなくてもいいんじゃない?」「ほんとよ。この寒い時期に今すぐ出て行けなんて、少しくらい猶予をあげてもいいじゃない。さすがに厳しすぎるわよ」「さっき旦那さんも言ってたじゃない。すぐ疑うタイプだって。あれ、愛情っていうより嫉妬よね」けれど――紗季のその安っぽい芝居は、すぐそばにいた私には見え見えだった。あまりにわざとらしくて、まともに相手をする気にもなれない。私はその場から動かず、もちろん手を貸すこともしなかった。すると郁人はいきなり私を突き飛ばし、苛立ちを隠そうともせず吐き捨てた。「澪華、どんな事情があったって、今はそれどころじゃないだろ。お前が放っておくなら、俺が連れて行く」そう吐き捨てると、郁人
紗季はたちまち今にも泣き出しそうな顔になり、その痛々しい様子に、場の空気は少しずつ彼女に同情的になっていった。「今どき、こういうのはいくらでも作れるでしょ。特にAIなんて、もう本物かどうかなんて分からないし」「それもそうよね。本当にやましい関係なら、こんな人目のある場所に堂々と連れて来たりしないんじゃない?」「見てよ、あの奥さん。あんなふうに責め立てるなんて、家でも相当きついんじゃない?旦那さんが浮気したのだって、追い詰められてたからかもしれないわよ」自分に同情が集まりはじめたのが分かったのだろう。紗季の目の奥に、一瞬だけ得意げな色がよぎった。その空気に乗るように、郁人も今度は私に縋るような声を出した。「澪華、もうやめてくれ。お前、昔からそうやってすぐ疑うだろ。俺が女の人と少し話しただけでも嫌な顔してたし……会社の人だって、何人も気まずくなって辞めていったじゃないか。怒るのは分かるけど、さすがにやりすぎだって。ここは公の場なんだ。頼むから、もう帰ろう」事情を知らない者が見れば、私のほうがすぐ感情的になって人前でも相手を追い詰める、厄介な妻に見えたのだろう。会場の男たちの中には郁人にあからさまな同情の視線を向ける者もいて、中には事情が分かったような顔で肩を叩く者までいた。私は小さく笑うと、今度は紗季がSNSに上げていた投稿を映し出した。「いいわ。百歩譲って、さっきまでの映像や写真は作り物だったとしましょう。でも、これは?本⼈が自分で撮って、自分でSNSに上げていたものよ。これも偽物だって言うつもり?」さらに私はバッグの中から登記事項証明書を取り出し、そのまま紗季の目の前に突きつけた。「いつから私の家があなたの家になったの?それから――いつから私の服やアクセサリーまで、あなたのものになったの?」これ以上、でっち上げだと言わせないために、私は証明書に記載された不動産番号の部分がはっきり見えるように示した。「これは誤魔化しようがないわ。不動産番号を見れば、登記情報で確認できるもの」私の言葉が流れた途端、配信のコメント欄が一気にざわつき始めた。【え、あの家って本人のじゃなかったの?なのに売るとか言ってたの?やば……図々しすぎでしょ】【それもう普通に他人の家じゃん。勝手に使ってたってこと?】【いや無理で