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第13話

Auteur: 幸月
車が通り過ぎ、窓がゆっくりと閉まっていく。杏奈の視線を遮断し、視界を曇らせた。

胸に鈍い痛みが走り、どんどん激しくなる。杏奈は胸を押さえ、爪を深く掌に食い込ませた。この刺すような痛みで、心の苦しみを覆い隠そうとする。

そうか。夫婦七年、自分は彼の目には、赤の他人にさえ及ばなかったのだ。

蒼介は去った。上階で吉川グループに取り入ろうとしていた重役たちも、そう長く留まることはないだろう。

それに、今上に行っても、蒼介に自分が追いかけてきたと誤解される心配もない。

そう考えて、杏奈はエレベーターで上階へ向かった。案の定、裕司は少し酔っているようだった。

幸い完全に酔い潰れてはいない。深刻ではないし、少なくとも人の顔は認識できる。

「杏奈、来てくれたか……」

裕司は一枚のデザイン画を持っている。先ほど見た「モスアゲート」だ。

「このデザイナーはもう決まった。君と同じで、月曜日から会社に来てもらう」

「おめでとうございます、先輩」

このデザイナーの作品は確かに良かった。細部はまだ完璧ではないけれど、新人デザイナーとしては、かなりの才能がある。

裕司は意識ははっきりしている
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