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名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く
名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く
Author: 黒兎みかづき

1:日陰の身

last update publish date: 2025-12-01 18:26:02

 吐く息が白い。比喩ではない。文字通り、白い霧がパソコンの液晶画面にかかって、打ち込んだばかりの文字を曇らせていく。

 白河小夜子(しらかわ・さよこ)は画面の曇りを手で払って、かじかんで感覚のなくなった指先を口元に寄せた。

「はぁーっ……」

 温かい呼気を吹きかける。一瞬だけ指先に血が通う感覚が戻り、ジンとした痛みが走った。

(よし、まだ動く)

 小夜子は着古したフリースの袖をまくり上げ、再びキーボードに向かった。現在時刻は午前4時。場所は、名門・白河家の広大な敷地の片隅にある「離れ」。

 かつて物置として使われていた粗末な小屋が、小夜子の生活スペースだ。隙間風が容赦なく吹き込む室内は、外気と変わらない冷え込みようである。

 暖房器具はあるにはあるが、義母によって電源コードを没収されていた。

「電気代の無駄よ。どうせパソコンの熱で温まるんでしょう?」

 そんな無茶苦茶な理屈を押し付けられて、早5年。

 父である白河家当主の愛人の子として生まれ、母の死とともにこの家に引き取られて10年。

 義母と義姉、父からの不当な扱いは年を追うごとに増すばかりだった。

 中学までは義務教育だからと、かろうじて学校に通わせてもらえた。

 けれど高校に行くのは許されなかった。

 今は亡き恩人、この家の執事であった藤堂がこっそりと、私費を使って通信制の高校に入れてくれたため、高卒の資格だけは取ることができた。

 親切にしてくれたのは藤堂だけだ。その彼が亡くなってしまった現在、この家に小夜子の味方は一人もいなかった。

 人間は環境に適応する生き物だと言うが、小夜子はひどく冷え込む空気の中で、驚くほどの速度でタイピングを続けていた。

 というのも、手を止めたら凍えるからだ。画面に並ぶのは、難解なフランス語と専門用語。

『ホスピタリティの根源における「主と客」の非対称性について』

 これが、今回の論文のタイトルである。小夜子は机の脇に積み上げられた分厚い洋書――『欧州ホテル産業の歴史』――をめくり、該当箇所を翻訳しながら引用していく。

(19世紀のパリにおけるサービス規範……ここ、使えるわね)

 ふと、暗い窓ガラスに自分の姿が映り込んだ。そこにいるのは、精彩を欠いた影のような女だった。

 手入れを知らない黒髪は、艶こそ失われているものの、夜の闇を溶かしたように細くしなやかに背中へ流れている。

 色素の薄い肌は、陶磁器のように白い。それは健康的な白さではなく、陽の光を浴びることを許されない、地下室の花のような青白さだ。

 頬は痩せて丸みを失い、身体は一抱えできそうなほど薄い。粗末な服の袖から伸びる手首はあまりに華奢で、力を込めれば折れてしまいそうに見える。

 だがその顔立ちは整っていた。長い睫毛(まつげ)が落とす影の下、切れ長の瞳だけが、暗がりの中で静かな光を宿している。

 本来であれば美しい女性と言えただろう。でも。

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