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第19話

Author: 鳳あん
牧原家の人たちはみんなで圭吾の祖父を支えながら病院へ向かった。

広いリビングルームには、圭吾と詩月だけが取り残された。

圭吾の背中には十数発のむちの跡が残り、焼けつくように痛む。

物心ついてから、祖父にここまで厳しく打たれたことはほとんどない。

前にこのような罰を受けたのも、たしか詩月のことでだった。

彼女が海外に行ったばかりのころ、祖父は圭吾に恵梨と結婚するよう迫った。

だが最初、圭吾はまったく乗り気ではなく、毎晩のように酒に溺れては夜の店で女を呼んでいた。

その様子を写真に撮られてゴシップ誌の一面にまで載せられ、祖父は大激怒した。恵梨との結婚の段取りを話し合うはずだったその日、圭吾は背中に五発、むちを食らった。

恵梨が二階からおそるおそる降りてきて、祖父の手をそっとつかんだ。

「おじいさん、もう打たないであげてください。もし彼が嫌なら、無理に結婚しなくてもいいから」

あれが、圭吾が彼女を初めて目にした瞬間だった。彼女はまだ若く、彼より八つ年下だった。

素直で物わかりがよく、端正で清らかな顔立ちをしていて、瞳は澄んで小さく輝いていた。

圭吾はそのとき、あの別れの痛みを忘れ、恵梨との結婚を受け入れてみる気になった。

さっき誰かが飛び込んできて背中をかばったとき、圭吾はほんの一瞬、それがまた恵梨だと思った。前と同じように、助けてくれたのだと思った。

だが、違った。来たのは詩月だった。

「圭吾、大丈夫?ねえ、痛い?」

詩月は痛ましげに圭吾を抱き寄せた。

「ごめんなさい、全部私のせいでこんなことになったの。圭吾、私は本当にあなたを愛してる。おじいさんの具合がよくなったら、二人でお見舞いに行こう?ちゃんと謝って、私たちを認めてくれるようにお願いしよう」

「どけ」

圭吾は彼女を乱暴に押しのけ、顔をゆがめた。

「よくも本邸まできたな」

「今日がおじいさんのお誕生日だって聞いたから、お祝いに来ただけよ」

詩月は首を振り、悔しそうに涙をにじませた。

「わざと怒らせるつもりなんてなかったのよ。圭吾、あなたは今でも私を愛してるでしょう?この数日、私に会ってくれなくて、電話にも出てくれなくて……私、本当に苦しかったの」

圭吾は床から身を起こし、じっと彼女を見据えた。

「答えろ。お前、最初から俺の子なんて、妊娠してなかったんじゃないのか?」
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