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第17話

Author: 一燈月
その夜、小夜は義母の佳乃に引き留められ、長谷川本家で一泊することになった。

圭介と樹は、結局一晩中帰ってこなかった。

本家と小夜の会社との間には、ある程度の距離があった。翌朝は早くに起き、簡単な朝食を済ませると、慌ただしく支度を整えて家を出た。

いつものように朝の会議を終えると、彼女は再び面接の業務に没頭した。

幸いにも、その日は一日がかりの面接の末、ようやく適任者を見つけることができた。相手も仕事が早く、給与の交渉から入社日の決定まで、とんとん拍子に話が進んだ。

これで、小夜もようやく肩の荷が下りた気がした。

この人物に仕事を引き継げば、年内には会社を辞め、自分の好きなことに全身全霊で打ち込める。

ただ……離婚の件も、これ以上先延ばしにはできない。

彼女には理解しがたかった。圭介が自分を好かず、無視するのはまだいい。だが、この何日間、一度も家に帰ってこないとはどういうことか。

離婚協議書は、果たして彼の目に触れたのだろうか。

佳乃がどう催促してくれているかは分からないが、今が圭介と直接話せる唯一の機会かもしれなかった。

その夜、佳乃から電話があり、本家で食事をしないかと誘われた。明日、小夜と圭介を本家から天野家の宴席へ向かわせるという口実で、圭介を呼び戻したのだという。

小夜はもちろん同意した。

今夜こそ、彼と離婚の話をつけなければならない。

……

その日の仕事終わり、小夜は圭介から「迎えに行く」という電話を受けた。

小夜は、きっぱりと断った。

すでに圭介に期待など何もしていなかったが、また道半ばで車から追い出されるような屈辱は味わいたくなかった。

それに、目上の者の前で、圭介のために仲睦まじい夫婦を演じるのも、もううんざりだった。

小夜は自分で車を運転し、長谷川本家へと向かった。

庭を抜け、屋内車寄せに車を入れると、ドアを開けた途端、義母の怒声と、パシッ、パシッという乾いた音が聞こえてきた。

車寄せでは、佳乃が棒を片手に圭介を追い回し、叩きながら怒鳴りつけていた。

「一体どこにそんな夫がいるっていうの! 妻を迎えに行きなさいとあれほど言ったのに、それすらできないなんて!

私がいつそんなふうに育てたっていうのよ!ほら、叩かれて当然でしょう!」

長身の圭介は、実の母親に追いかけ回されても反撃はせず、ただ面倒そうに身をかわすだけだった。

母親の力などたかが知れており、彼も痛みは感じていない。

ただ、いい大人であり、しかも巨大な長谷川グループの現当主である身だ。家の中で叩かれるのはまだしも、小夜の車が入ってくるのを見ると、圭介は露骨に顔をしかめた。

「母さん」

圭介は佳乃が振り下ろした棒をぐっと掴み、うんざりした声で言った。

「迎えに行くとは言いました。彼女が断って、自分で行くと」

「あの子が断ったら、あなたは行かないの?」

佳乃は振り上げた棒を掴まれて動かせなくなり、さらに腹を立てた。

「普段は、どうしてこれほど聞き分けがないの! あなたは私を心労で殺す気なのね!」

そこまで言うと、佳乃は血が上ったのか、胸を激しく上下させ、手もわなわなと震え始めた。

佳乃が息子を叱るこの光景は、芝居がかった部分が大きいとはいえ、小夜も車から降りにくかった。

しかし、義母の様子が尋常でないことに気づくと、急いで車を降りて駆け寄り、ふらつく佳乃を支えようとした。

「お義母様、あなた……」

パシッ!

小夜が伸ばした手は、圭介に強く振り払われ、手の甲がたちまち赤く腫れた。

圭介は妖艶な切れ長の目で彼女を睨みつけ、その瞳には怒りの火が宿っていた。彼は息を切らして朦朧としている佳乃を支え、家の中へと入っていく。

小夜はその場に立ち尽くし、赤くなった手の甲をさすりながら、唇を固く引き結んで無表情に後を追った。

家の中は、佳乃の容態を心配する使用人たちで、ただならぬ空気に包まれていた。

佳乃は体が弱いため、家にはかかりつけの医師が常駐している。診察を終えると、頭に数本鍼を打ち、精神を落ち着かせ熱を下げるための薬を処方し、心を平穏に保ち、あまり怒らないようにと念を押して帰っていった。

その後、佳乃は義父である雅臣に強く促され、二階へ上がって休むことになった。

雅臣が佳乃を部屋へ連れて行くと、リビングの空気は鉛のように重く、静まり返った。

「樹、お前もおばあ様の部屋へ行って、少しそばにいてあげなさい」

雅臣は、古風で厳格な顔に、努めて柔らかな表情を浮かべた。

樹もただならぬ雰囲気を感じ取り、素直に頷いて二階へ駆け上がった。

これでリビングに残ったのは、長谷川家の父子と小夜の三人だけになった。いずれの表情も、決して穏やかなものではなかった。

雅臣は目の前の息子と嫁を見渡し、重々しく言った。

「私はずっと前から言っているはずだ。お前たち夫婦の問題をここに持ち込むなと。ここでは、お前たちの母親の前では、たとえ演技でも仲睦まじい姿を見せろ。分かったか」

圭介は軽く舌打ちをし、口では返事をしながらも、その顔に父親への敬意は微塵もなかった。

一方、小夜は黙ったまま、ただ目の前の光景を冷ややかに眺めていた。

彼女は長谷川グループの事情に詳しいわけではないが、時が経つにつれ、多少は理解していた。

この親子は、グループ内では経営方針の違いから、とっくに水と油の関係になっている。今、二人が本家で穏やかに見えるのは、ひとえに義母の顔を立てているからに他ならない。

雅臣は小夜にちらりと目をやると、圭介に向き直って言った。

「お前は書斎に来い」

雅臣と圭介の二人は、二階へと上がっていった。

一階に一人残された小夜は、二人がグループの事業について話しに行くのだと察した。そういった話に、彼女が加われる余地はこれまで一度もなかった。

結婚以来、圭介は常に彼女を警戒し、グループの仕事には一切関わらせなかった。長谷川グループ傘下の企業で働くことすら許さず、彼女が自らキャリアを築こうとすることさえ認めなかった。

彼らの夫婦関係は、とっくの昔に名ばかりのものとなっていた。

長谷川家から無視されることにも、小夜はもう何も感じなくなっていた。彼女はタブレットを抱え、ソファに座ってファッションウィークの動画を見始めた。

この一、二ヶ月は、ちょうど国際的なファッションウィークが開催される時期だった。

今の彼女は、まだ動画でそれを眺めることしかできない。

……

二階、書斎。

雅臣は書斎机の後ろに、圭介はその脇の椅子に腰掛けていた。父子の間には、一触即発の緊張感が漂っていた。

「圭介、お前もずいぶんと偉くなったものだな。この父親の言うことも、馬耳東風か。忘れるな、私は今でもグループの取締役であり、株主でもあるのだぞ!」

「父さん、私が一度決めたことを覆すつもりはありません」

圭介の声は低く、冷ややかだった。怒れる父親と対峙していても、終始落ち着き払っている。

「それに、今や取締役会の過半数の議決権は私の手中にあります。子会社の設立は確定事項であり、AI分野への進出は揺るぎません。ご不満であれば、取締役会で採決していただいても結構ですが、結果は変わりません」

「この、親不孝者が!」

雅臣は、持っていた湯呑みを投げつけた。

圭介が身をかわすと、湯呑みは彼の耳元をかすめ、背後の床に落ちて砕け散った。

「父さん」

圭介は平然とした顔で言った。

「七年前、私はあなたの言う通り、AIの研究を諦めてグループを継ぎ、あなたが敷いた道を歩みました。

七年が経ち、今や長谷川グループは私が動かしている。あなたも、その古臭い考えはそろそろ手放すべきです」

長谷川グループは、年間売上高が数百億ドルを超える重工業コングロマリットであり、その事業は原油採掘、電力供給、鉱物貿易・金融など多岐にわたる。

世界有数の企業グループの一つでありながら、AI分野にはほとんど手を出してこなかった。すべては、父・雅臣が古風で頑固なためだった。

しかし、AIこそが圭介の情熱の対象であり、時代の潮流でもあった。

七年前、彼は力が弱く、頭を下げざるを得なかった。だが今、いかなる事柄においても、彼が再び譲歩することはあり得なかった。

雅臣もまた、息子の気性をよく理解しており、AI技術を主軸とする子会社の設立に、もはや覆す余地がないことを悟っていた。しかし、彼は冷笑を漏らした。

「お前も偉くなったものだ。もはや私の言うことなど聞きはしない。だが、その子会社の新社長は、相沢家の娘だろう。一体、何を企んでいる!?」

圭介は伏し目がちに淡々と言った。

「それは私の私事です。口出しなさらないでください」

雅臣は警告した。

「お前の私事がどうであろうと勝手だが、高宮小夜こそがお前の母親が選んだ嫁だ。火遊びをするなら、母親の目の届かないところでやれ。あいつは、そんなことに耐えられん」

圭介は目を伏せ、何も言わなかった。

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