LOGIN『この女性は、元夫から多額の金銭を騙し取って離婚した人物です』
佳苗は画面に表示された文章を見つめた。
「……何、これ」
添付されていたのは、悟との結婚式の写真だった。
見覚えのある披露宴会場。白いドレスを着た自分と、隣で笑う悟。
それだけなら、以前送られてきた写真と変わらない。
だが、今回は写真の下に長い文章が添えられていた。
『私はこの女性の元夫です。結婚生活の中で金銭的な被害を受け、離婚を余儀なくされました』
佳苗は眉をひそめた。
「そんなこと、してない……」
佐藤が困った顔をした。
「これ、また例の嫌がらせだよね?」
「はい。書かれていることは嘘です」
「だよね。でも、なんでこんなに何度も送ってくるんだろう」
佐藤はメールを閉じずに、高瀬を呼んだ。
「課長、また例のメールが来てます」
<『この女性は、元夫から多額の金銭を騙し取って離婚した人物です』 佳苗は画面に表示された文章を見つめた。「……何、これ」 添付されていたのは、悟との結婚式の写真だった。 見覚えのある披露宴会場。白いドレスを着た自分と、隣で笑う悟。 それだけなら、以前送られてきた写真と変わらない。 だが、今回は写真の下に長い文章が添えられていた。『私はこの女性の元夫です。結婚生活の中で金銭的な被害を受け、離婚を余儀なくされました』 佳苗は眉をひそめた。「そんなこと、してない……」 佐藤が困った顔をした。「これ、また例の嫌がらせだよね?」「はい。書かれていることは嘘です」「だよね。でも、なんでこんなに何度も送ってくるんだろう」 佐藤はメールを閉じずに、高瀬を呼んだ。「課長、また例のメールが来てます」「また?」 高瀬は画面を確認すると、深いため息をついた。「今度は元夫を名乗っているのか」「はい……」 佳苗は唇を噛んだ。「今朝、その元夫から電話があったんです」「藤倉さんから?」「はい。昨日、会社に持ってきたのは結婚式の写真だと言っていました」 高瀬は頷いた。「なるほど。それが今回の写真かもしれないね」「でも、私が受け取ったのは離婚届でした」「そうだったね」 高瀬は少し考えたあと、佐藤に声をかけた。「このメールは削除せずに、そのまま残しておいて。情報システムの担当にも確認してもらうから」「分かりました」 佳苗は高瀬を見た。「あの、私……」「朝倉……いや、榊原さん」 高瀬は言い直した。「今の段階で、君に
『俺が持っていったのは、お前と俺が結婚してた頃の写真だよ!』 佳苗はスマートフォンを握り直した。「……どういうこと?」『だから、写真だって! 久世って男に頼まれて、会社の受付に預けたんだよ』「どうしてそんなことしたの!」『十万円払うって言われたんだよ!』 悟は逆ギレしたように声を荒らげた。『でも、昨日になって急に、写真は会社に届けろって言われてさ。言われたとおりにしたのに、金が振り込まれねえんだ!』「……それで私に電話してきたの?」『ああ。久世に連絡しても出ねえし、お前なら何か知ってるかと思って』 佳苗は呆れてしまった。「知らないよ。私に届いたのは離婚届だったんだから」『おかしいだろ! 俺は確かに写真を入れたんだぞ!』「封筒には何て書いたの?」『榊原佳苗様って。それだけだよ』 佳苗は眉をひそめた。 昨日受け取った封筒にも、自分の名前だけが書かれていた。「受付には、直接渡したの?」『いや、受付の女の人に預けた。本人に渡してくれって』「……そう」『なあ、俺の写真はどうなったんだよ。あれがないと金がもらえねえんだ』「そんなの知らない。そもそも、勝手に私の写真を売ろうとしないで」『お前は金に困ってないから、そんなことが言えるんだよ!』 佳苗は返事をせず、電話を切った。 朝からひどく疲れてしまった。 それでも、気になることがある。 悟が嘘をついている可能性もあるが、わざわざ写真の行方を尋ねてくる理由が分からない。 佳苗は高瀬の席へ向かった。「高瀬課長、昨日の封筒について、少しお話ししてもいいですか?」「うん。どうしたの?」 佳苗は、悟から電話があったことを説明した。「本人は、写真を入れたと言っているん
「……離婚届?」 佳苗は思わず聞き返した。「うん。受付の人も困ってたみたい。とりあえず預かったけど、どうするかって」「私、そんなもの頼んでません」「だよねえ。そもそも、会社に持ってくるものじゃないし」 佐藤は首を傾げた。「高瀬課長に話しておく?」「はい。お願いします」 佳苗は自分の席に戻った。 悟だろうか。 けれど、悟とはとっくに離婚している。今さら離婚届を持ってくる理由などない。 直哉の嫌がらせだとしたら、何を考えているのだろう。 しばらくすると、高瀬が封筒を持ってやってきた。「朝倉さん、受付に預けられたものだけど」「すみません。お騒がせして」「いや、君が謝ることじゃないよ」 高瀬は茶封筒を机に置いた。「差出人の名前はないね。中身を確認する?」「……はい」 佳苗は封筒を開けた。 中には、確かに離婚届が入っていた。 しかも、ただの白紙ではない。 妻の欄には、榊原佳苗。 夫の欄には、榊原雄吾。 それぞれの住所まで記入されていた。「……何、これ」 佳苗の手が止まった。 当然、雄吾の筆跡ではない。 自分の名前も、誰かが勝手に書いたものだ。 高瀬が書類を覗き込み、顔をしかめた。「これは……悪質だね」「どうして、こんなものを……」 佳苗は離婚届を机に置いた。 雄吾との結婚を、直哉が快く思っていないことは知っている。 けれど、わざわざ離婚届を作り、勤務先に届けさせるなんて。「これも、例の嫌がらせですか?」 高瀬に尋ねられ、佳苗は頷いた。「おそらく&hel
「昨日、榊原さんが電話してた相手って、本当に旦那さんだったのかなって」 田中の言葉に、佐藤が首を傾げた。「え? どういうこと?」「いや、男の人と話してたからさ。旦那さんなのかなって思っただけ」「それなら普通に旦那さんじゃないの?」「まあ、そうなんだけど……」 田中は曖昧に笑った。 佳苗は二人の会話を聞きながら、胸が苦しくなった。 昨日、雄吾と電話をしたのは事実だ。 けれど、電話の相手が誰なのかも分からないまま、高瀬に報告されたのだろうか。「……田中さん」 思わず声をかけると、田中が振り返った。「あ、榊原さん」「昨日、私が電話していたのを見たんですか?」「えっ? ああ、うん。たまたまね」「夫と話していました」「あ、そうなんだ」 田中は少し気まずそうに笑った。「ごめんね。別に変な意味じゃなかったんだけど」「……はい」 佳苗はそれ以上何も言わず、自分の席に戻った。 怒りたい気持ちもあった。 けれど、田中が何かを決めつけたわけではないことも分かっている。 ただ、気になったことを口にした。 それだけで、佳苗はまた高瀬に説明しなければならなくなったのだ。 午後、佳苗は備品の発注作業を進めていた。 契約関係の書類には、まだ触れられない。 隣では佐藤が確認作業を続けている。「あー、やっと終わった」 佐藤が大きく伸びをした。「お疲れさまです」「ありがとう。こっちの分は全部確認できたよ」「何か間違いはありましたか?」「最初に見つかったところだけ。ほかは大丈夫だった」 佳苗は少しだけほっとした。「よかったです」「うん。あとは田中さんの
「……もし旦那さんの会社が取引先と競合してたら、結構まずいんじゃない?」 田中の言葉に、佳苗は思わず顔を上げた。 佐藤は困ったように笑った。「でも、そんな話、誰もしてないじゃん」「そうだけどさ。なんか、いろいろ重なってるから気になっちゃって」「まあ、変なメールが何通も来たらねえ」 二人はそれきり別の話題に移った。 佳苗はパソコンの画面に視線を戻したが、指が動かなかった。 田中は、佳苗が情報を漏らしたと決めつけたわけではない。ただ、そんな可能性もあるのではないかと口にしただけだ。 それでも、胸が痛んだ。 以前なら、そんなことを疑われることさえなかったのに。 終業時間になると、佳苗は仕事を片付け、会社を出た。 雄吾の車は、少し離れた場所に停まっていた。「お疲れ」「……ただいま」 助手席に乗り込むと、雄吾が佳苗の顔を見た。「何かあったか?」「うん。ちょっとね」 佳苗は、田中たちの会話について話した。「別に悪口じゃないんだよ。ただ、私が雄吾さんに会社の情報を話してるんじゃないかって、気になってるみたい」「そうか」「なんかね、どんどん変な方向に話が広がっていくの」 佳苗は膝の上で手を握った。「最初は、私が絢子さんを助けたことだったのに。今度は仕事のことまで疑われて……」 雄吾はしばらく黙っていた。「弁護士には、今日の件も伝えた。久世への通知は準備を進めている」「うん」「ただ、警告を出したからといって、すぐに収まるとは限らない」「……そうだよね」 佳苗は窓の外を見た。「私、会社を辞めたほうがいいのかな」 雄吾がこちらを向いた。「辞めたいのか?」
翌朝、佳苗が目を覚ますと、雄吾はすでに身支度を整えていた。「おはよう。早いね」「ああ。弁護士に連絡を入れておきたいからな」「昨日の件?」「そうだ。まずは相談してみる」 雄吾は佳苗の顔を覗き込んだ。「少しは眠れたか?」「うん。昨日はありがとう」「気にするな」 佳苗は微笑んだ。 雄吾に話を聞いてもらっただけで、ずいぶん気持ちが楽になっていた。 会社に着くと、佐藤と田中はすでに書類の確認を始めていた。「おはようございます」「あ、おはよう、榊原さん」 佐藤はいつもどおり挨拶を返した。 田中も軽く会釈する。 佳苗は自分の席に着き、今日の業務を確認した。 契約関係の仕事は、まだ任されていない。 それでも、今できることをきちんと進めようと思った。 午前中、高瀬に声をかけられた。「朝倉さん、例のメールの件なんだけど」「はい」「ご主人が弁護士に相談されるんだったね。会社に届いたものについては、必要な記録を残してあるよ」「ありがとうございます」「ただ、外部に出す資料については、こちらでも確認させてもらいたい」「もちろんです」 佳苗は頭を下げた。 高瀬が協力してくれることがありがたかった。 昼休みになる頃には、少し落ち着いて仕事ができるようになっていた。 ところが、午後二時を過ぎた頃だった。 高瀬の電話が鳴った。「はい、高瀬です」 いつもの調子で応じた高瀬だったが、相手の話を聞くうちに表情が変わった。「……それは、いつ届いたものですか?」 佳苗は思わず顔を上げた。「分かりました。確認して、折り返しご連絡します」 電話を切った高瀬は、しばらく考え込んでいた。 そして、佳苗の
もう二度と、お前をあいつらのところへ戻したりしない。 その言葉が、佳苗の胸に重く落ちる。「……どうして」 気づけば口にしていた。 雄吾が視線を向ける。「どうして、そこまでしてくれるんですか」 本当に分からなかった。 大学時代、少し関わりがあっただけ。 卒業後は一度も会っていない。 それなのに、この男は突然現れて、自分を助けると言う。 しかも、まるで最初から全部知っていたみたいに。「昔世話になった」 雄吾は短く答えた。「レポート、覚えてるか」 佳苗は目を瞬く。 大学二年の頃。 雄吾が長期入院していた時期があった。 単位が危ないと聞いて、佳苗は講義ノートをまと
「やっと捕まえた」 耳元で囁かれた低い声に、佳苗の心臓が大きく跳ねた。 捕まえた。 その言葉は、優しいのにどこか危険だった。「榊原、先輩……?」 佳苗が戸惑う中、雄吾は佳苗の手首を掴んだまま、ゆっくり顔を上げる。 その視線の先には、こちらへ歩いてくる悟がいた。「佳苗!」 苛立った声。 悟は佳苗を見るなり、露骨に顔をしかめた。「何やってんだよ」 だが次の瞬間、雄吾の姿に気づき、動きが止まる。「……誰?」 警戒した声音。 雄吾は答えない。 ただ静かに佳苗の前へ立った。 庇うように。 その背中の広さに、佳苗は息を呑む。「佳苗、こっち来い」 悟が手を伸ばす。
恵が帰ったあとも、佳苗はしばらく動けなかった。 心臓が嫌なほど脈打っている。 あの目。 一瞬だけ見せた、冷たい視線。 前世では最後まで気づかなかった。 恵はずっと、自分から奪うことを楽しんでいたのだ。「……っ」 佳苗は唇を噛み締める。 怖い。 けれど、それ以上に悔しかった。 どうして自分は、あんな人たちのために命まで懸けてしまったのだろう。 テーブルの上に置かれた結婚写真が目に入る。 幸せそうに笑う自分。 悟の腕に寄り添って、未来を信じ切っていた頃の自分。 ――滑稽。 佳苗は震える手で写真立てを伏せた。 もう戻れない。 戻りたくもない。 今度こそ終わらせ
「……今、泣いてるのか?」 低く静かな声が耳に落ちる。 その一言だけで、張り詰めていた感情が崩れそうになった。 佳苗は慌てて口元を押さえた。「な、泣いてません」『嘘が下手だな、お前は昔から』 昔から。 その言葉に、大学時代の記憶が蘇る。 榊原雄吾。 成績優秀、容姿端麗、誰にも媚びない孤高の男。 学生の頃から有名だった。 近寄りがたい人だったのに、なぜか佳苗にはよく話しかけてきた。『また他人の仕事押し付けられてるのか』『断れないのか、お前は』 呆れたように言いながら、結局いつも助けてくれた。 けれど卒業後は一度も会っていない。 それなのに、どうして今。「どうし







