Masuk面接を終えてから数日後。
佳苗は朝から落ち着かなかった。
スマホを見る。
何も来ていない。
数分後。
また見る。
やはり何も来ていない。
「気になるなら通知音を大きくしろ」
コーヒーを飲みながら雄吾が言った。
佳苗は顔を上げる。
「そんなに分かりやすいですか」
「ああ」
即答だった。
最近。
本当に隠し事ができない。
佳苗は苦笑した。
その時。
スマホが震えた。
佳苗の手が止まる。
画面を見る。
メールだった。
応募先の会社。
「え……」
心臓が大きく跳ねる。
佳苗は息を呑んだ。
だが。
すぐには開けられない。
指先が少し震えていた。
数日後。「今度の土曜日、母の付き合いで食事会がある」 夕食を終えたところで、雄吾が口を開いた。「来るか?」「お母様の?」「ああ。堅い会じゃない。母の知人が何人か集まるだけだ」「私が行ってもいいんですか?」「母が佳苗も連れてこいと言ってる」 佳苗は少し迷った。 美佐子とはもっと話をしたい。 前回はいろいろあったものの、自分を嫌っているわけではないことも分かっている。「行きます」「そうか」「はい」 雄吾が頷く。「絢子も来ると思う」 佳苗の表情がわずかに止まった。「……一条さんも」「ああ」「分かりました」「嫌なら――」「大丈夫です」 佳苗は首を横に振った。「一条さんがいるから行きたくない、とは思いません」 以前なら、自分に言い聞かせるための言葉だったかもしれない。 けれど今は少し違う。 絢子が何をするのか。 自分自身の目で見てみたい。 そんな気持ちも生まれていた。 ◇ 土曜日。 食事会が開かれたのは、ホテルのレストランにある個室だった。「佳苗さん、来てくれたのね」 美佐子が嬉しそうに迎えてくれる。「お招きいただいてありがとうございます」「今日は気楽にしてね」「はい」 すでに何人かの客が集まっていた。 そして、その中には――。「佳苗さん」 絢子もいた。「こんにちは」「こんにちは、一条さん」 久しぶりに顔を合わせる。 絢子は以前と変わらない笑顔だった。「この前はごめんなさいね」「……
その夜。「一条さんに、言いました」 夕食のあと、佳苗は雄吾にそう報告した。「何を?」「昨日のことです」 佳苗は少し緊張しながら続ける。「雄吾さんが言っていないことを、言ったように私へ伝えるのはやめてくださいって」「そうか」「……怒ってませんか?」「なんで俺が怒るんだ?」「だって、一条さんとは昔からのお友達ですし」「それとこれとは関係ない」 雄吾はきっぱりと言った。「事実と違うことを伝えられて嫌だったなら、そう言っていい」「……はい」 佳苗は少しだけ笑った。 以前なら、こんなことはできなかった。 誰かを不快にさせるくらいなら、自分が我慢すればいい。 そう思っていたから。「絢子からも電話があった」「え?」 佳苗の表情が変わる。「何て……?」「仕事の担当を外れた方がいいと思うって」「どうして?」「佳苗が嫌がっていると思うから、だそうだ」「そんなこと、私……!」「分かってる」 雄吾が遮る。「だから言った。佳苗を理由にするなって」「……」 まただった。 絢子は自分が何も言っていないことまで、自分の気持ちとして雄吾へ伝えようとしている。「私、一条さんに近づかないでなんて言ってません」「ああ」「仕事をやめてほしいとも」「分かってる」「なのに……」 佳苗はそこで言葉を止めた。 今までなら。『一条さんは私を気遣ってくれただけ』 そう考えただろう。 けれ
「ずっと……苦しかったです」 口にしてしまうと、これまで必死に押し込めていた気持ちが、一気に溢れ出してきた。「でも、私が嫉妬しているだけだと思っていました」「佳苗」「一条さんは何も悪くないのに、私が勝手に気にしているんだって」 絢子はいつも優しかった。 謝ってくれた。 自分を気遣ってくれた。 雄吾とのことも、隠さず教えてくれた。 だから疑うこと自体が悪いことのように思えていた。「でも……今日のことは」 佳苗は雄吾の手にあるスマートフォンを見る。「違うんですよね?」「ああ」「雄吾さんは、一条さんと食事に行くって言ってない」「言ってない」「私が待っているから帰るとも」「言ってない」 雄吾ははっきり答えた。 佳苗の胸が苦しくなる。「じゃあ、どうして……」 そこから先を口にするのが怖かった。 雄吾がスマートフォンを佳苗へ返す。「俺にも分からない」「……」「ただ、少なくとも事実とは違う」 佳苗はスマートフォンを受け取った。「私……一条さんを疑ってもいいんでしょうか」 雄吾が眉を寄せる。「疑うのに許可なんていらない」「でも」「佳苗はずっと、絢子に悪意がないことを前提に考えてただろ」「……はい」「その結果、全部自分が悪いことにしてた」 佳苗は俯いた。 否定できなかった。「だったら、一度くらい逆に考えてもいいんじゃないか?」「逆に……」「絢子が、佳苗を不安にさせるためにやっていたとしたら
『今ちょうど終わった。これから帰る』 雄吾から届いたメッセージを、佳苗は何度も読み返した。 そして、絢子からのメッセージを見る。『今から二人で何か食べに行くことにしたの』「……どういうこと?」 どちらかが嘘をついている。 そんな考えが浮かび、佳苗はすぐに打ち消した。 雄吾が嘘をつく理由などない。 だったら――。 スマートフォンが震えた。 絢子からだった。『ごめんなさい』『雄吾さん、やっぱり帰るって』「……」 続けて、もう一件。『佳苗さんが待ってるからって』 佳苗は息を吐いた。(そういうことだったんだ……) 自分がメッセージを送ったから、雄吾は予定を変えたのだろうか。 それなら、言葉が食い違っていたわけではない。 そう思ったのに。『昔なら、無理やりにでも連れていったんだけど』『今はもう、私がそこまですることじゃないものね』 また、昔。 佳苗の胸に小さな棘が刺さる。 返事をせずにいると、さらにメッセージが届いた。『佳苗さんがいてくれてよかった』『これからは雄吾さんのこと、佳苗さんがちゃんと見ていてあげてね』「……」 なぜだろう。 恋人である自分が、絢子から雄吾を任されているように感じる。 まるで今まで雄吾を支えてきたのは自分だとでも言うように。 佳苗はスマートフォンを伏せた。 ◇ 三十分ほどして、雄吾が帰宅した。「ただいま」「おかえりなさい」 佳苗は玄関へ向かう。「夕食、まだですよね?」「ああ」「すぐ用意しますね」
「……それは、できません」 佳苗の言葉に、雄吾は黙った。「どうして?」「一条さんから、私に話してくださったことだからです」「俺には見せられない?」「……はい」 雄吾の表情が険しくなる。 佳苗は慌てて続けた。「雄吾さんに隠し事をしたいわけじゃないんです」「でも、絢子から連絡が来るたびに佳苗は傷ついてる」「それは……」「だったら、俺にも関係があるだろ」 何も言い返せなかった。 確かにそうなのかもしれない。 けれど。『昔、雄吾さんのことが好きだったの』『好きじゃなくなったのかと聞かれたら、自信はないけれど』 あれは絢子が自分だけに打ち明けた気持ちだ。 勝手に雄吾へ見せることなどできない。「ごめんなさい」「佳苗」「これだけは……」 佳苗はスマートフォンを胸元へ引き寄せた。「私から雄吾さんに話してはいけないと思うんです」「……分かった」 意外にも、雄吾はそれ以上求めなかった。「無理に見るつもりはない」「雄吾さん……」「ただ、一つ約束してくれ」「何ですか?」「絢子から何を言われても、一人で抱え込むな」「……はい」「俺に話せないことなら、話せないでいい。でも、嫌だったとか、苦しかったとか、それくらいは言ってくれ」 佳苗は少し迷ってから頷いた。「分かりました」「それと」 雄吾の声が少し低くなる。「俺のことを絢子から聞いて判断するな」「え?」「俺が何を考えてるか知りたいなら
「よかったら、一緒に行く?」 絢子の言葉に、佳苗はすぐには答えられなかった。 雄吾の会社へ。 絢子と一緒に。 行けば、二人が何を話しているのか気にせずに済む。 けれど――。(それじゃあ、まるで……) 絢子と雄吾を二人きりにしたくないから、ついていくようではないか。 仕事の話なのに。 そこまで自分が口を出していいはずがない。「……私は行きません」 佳苗はそう答えた。「そう?」「はい。雄吾さんもお仕事ですし、私がお邪魔したら申し訳ないので」「邪魔だなんてことはないと思うけれど」「大丈夫です」 佳苗は笑った。「私はこのまま帰ります」「分かったわ」 絢子も微笑む。「じゃあ、またね」「はい」 絢子が去っていく。 その後ろ姿を見送りながら、佳苗は胸の奥に残るざわつきを必死に押し込めた。(大丈夫) 仕事なのだから。 雄吾だって、自分を愛していると言ってくれている。 絢子も何もしないと言っている。 信じればいい。 ◇「来たか」 雄吾の会社へ到着した絢子は、応接室へ通された。「急に呼んで悪かったな」「いいのよ。ちょうど近くにいたから」 絢子は向かいのソファへ腰を下ろす。「そういえば、佳苗さんと会ったわ」「ああ。さっき聞いた」「一緒に来るか聞いたんだけど、帰るって」「そうか」「私と二人になるの、嫌じゃないかしら」 雄吾が眉を寄せる。「仕事だろ」「そうだけど」 絢子は少し困ったように笑う。「この前、佳苗さんを不安にさせてしまった
「佳苗? 本当にどうしたんだよ」 怪訝そうな顔で、悟がこちらを見る。 その優しげな声に、佳苗は思わず身を強張らせた。 前世でも、この男はこんな顔をしていた。 穏やかで、頼れて、優しくて。 だから信じてしまったのだ。 まさか裏で妹と不倫し、自分を“代理母”として利用していたなんて、夢にも思わなかった。「顔色悪いぞ。熱でもある?」 悟が立ち上がり、額に触れようと手を伸ばしてくる。「っ……!」 佳苗は反射的にその手を振り払った。 ぱしん、と乾いた音が響く。 悟が目を見開いた。「……佳苗?」 しまった、と思った。 前世の記憶が蘇ったとはいえ、今の悟はまだ“何も知らない夫
「……っ、はぁ……ぁっ……!」 全身を引き裂かれるような痛みに、藤倉佳苗は汗で濡れたシーツを握り締めた。 眩しい手術灯。鼻を刺す消毒液の匂い。何度も響く機械音。 苦しい。 息ができない。「もう少しです! 頑張ってください!」 医師の声が遠い。 お腹の奥が裂けるように熱い。 それでも佳苗は必死に意識を繋いだ。(赤ちゃん……) やっと会える。 悟との子供。 愛する夫との、大切な命。 その一心だけで耐えていた。 けれど次の瞬間、医師たちの声色が変わった。「血圧低下!」「出血が止まりません!」「急げ!」 視界がぐらりと揺れる。 寒い。 急激に体温が奪われていく。
ホテルへ入る佳苗と雄吾。 暗い夜道で撮られたはずなのに、驚くほど鮮明だった。「……どうして」 佳苗の指先が震える。 まるで誰かに見張られていたみたいだった。『ねぇお姉ちゃん』『その人、誰?』『もしかして浮気?』 次々届くメッセージ。 佳苗は顔を青ざめさせた。 浮気。 その言葉に胸が痛む。 裏切っていたのは悟たちの方なのに、なぜ自分が責められなければいけないのだろう。「見せろ」 雄吾が静かにスマホを受け取る。 メッセージ画面を見た瞬間、その目が冷えた。「……なるほど」「先輩」「撮られていたな」 低い声。 感情を押し殺したような響き。「どうしよう……」
「俺は昔から、お前しか欲しくない」 低い声が耳元で響く。 佳苗は息を呑んだ。 車内の空気が熱い。 逃げ場がない。 雄吾の視線は真っ直ぐで、冗談の気配なんて微塵もなかった。「……先輩」 喉が震える。 理解が追いつかない。 昔から? ずっと? そんなはずない。 自分は特別な人間じゃない。 妹みたいに愛嬌があるわけでも、美人なわけでもない。 ただ都合よく利用されるだけの女だった。「信じられないか」 雄吾が静かに言う。 佳苗は答えられなかった。 すると雄吾は小さく息を吐き、身体を離す。「まあいい」「え……」「今すぐ答えを求める気はない」 その言葉に、佳苗は







