Share

少しだけ違う帰り道

Author: 影畑凛星
last update publish date: 2026-06-01 20:15:28

 電話を切ったあと。

 佳苗はしばらくスマホを見つめていた。

『何かあったか』

 たったそれだけ。

 なのに。

 胸の奥が少し温かい。

 昔の自分なら、誰かに心配をかけることを恐れていた。

 だから。

 大丈夫じゃなくても、大丈夫だと言っていた。

 でも今は。

 誰かが気にかけてくれることが、少しだけ嬉しい。

「佳苗?」

 知人の声に我に返る。

「あ、ごめん」

「大丈夫そうだね」

 その言葉に、佳苗は少しだけ笑った。

「うん」

 以前なら、笑えなかったかもしれない。

 知人と別れ。

 買い物袋を提げて帰路につく。

 空はよく晴れていた。

 少し前までなら、外を歩くだけでも不安だったのに。

 
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 夫の子を産まされ、妹の身代わりとして死んだ私――今世では冷徹CEOに執着されています   社長夫人

     結婚してからしばらく経っても、佳苗の仕事そのものは何も変わらなかった。 朝は決まった時間に出社し、請求書を確認して、契約書類を整理する。 月末になれば忙しいし、入力を間違えれば普通に注意される。 榊原雄吾と結婚したからといって、仕事が勝手に終わってくれるわけではない。「榊原さん、これ確認お願いします」「はい」 差し出された書類を受け取り、佳苗はパソコンへ向き直った。 結婚に伴って姓が変わったため、最初こそ呼ばれるたびに反応が遅れたが、それにもようやく慣れてきた。「あ、そういえば榊原さん」「はい?」 隣の席の女性が、ふと思い出したように尋ねた。「旦那さんって、会社の社長なんですよね?」「そうですけど」「すごいですよねえ」 結婚した頃にも何度か聞かれた話だ。 佳苗は曖昧に笑って、再び画面へ目を戻そうとした。「じゃあ、別に働かなくてもいいんじゃないですか?」 手が止まった。「……え?」「だって社長夫人でしょう?」 女性に悪意があるようには見えなかった。「私だったら絶対辞めちゃうなあ。毎日働かなくても生活できるなら、仕事なんてしたくないですもん」「私は仕事を続けたいので」「へえ」 そこで会話は終わった。 佳苗も、それ以上気にしなかった。     ◇ けれど、その日の午後。「榊原さん、これお願いしてもいい?」 同じ部署の社員から、書類の束を渡された。「これ、今日中ですか?」「できれば」「分かりました」 受け取って確認すると、単純な入力作業だった。 予定していた仕事の順番を少し変えれば対応できる。 佳苗が作業を始めようとしたところで、少し離れた席から声が聞こえた。「いいなあ、余

  • 夫の子を産まされ、妹の身代わりとして死んだ私――今世では冷徹CEOに執着されています   それぞれの予定

     母との関係が少しずつ落ち着いてきた頃、佳苗の仕事も忙しくなっていた。 月末の処理に加え、新しい社内システムへの移行が重なり、ここ数日は帰宅時間も遅い。「ただいま……」「おかえり。遅かったな」「疲れた」 玄関で靴を脱ぎながら、佳苗は大きく息を吐いた。「ご飯あるぞ」「雄吾が作ったの?」「買った」「ですよね」「何を期待した?」「ちょっとだけ」 リビングへ入ると、テーブルには温めるだけの惣菜とスープが並んでいた。「十分。ありがとう」 佳苗が席につく。「そういえば、来月また研修あるかもしれない」「泊まりか?」「今度は日帰り。ただ土曜日」「行きたいのか?」「うん。新しいシステムの実務研修だから、受けといた方が楽そう」「なら行けばいい」「うん」 以前なら、休日に仕事の予定を入れることへ少し罪悪感があった。 雄吾との時間が減る。 結婚したのだから、休日くらい一緒に過ごした方がいいのではないか。 そんなことを考えていたかもしれない。「雄吾、その日予定ある?」「ある」「あるんだ」「取引先とゴルフ」「じゃあちょうどいいね」「そうだな」 あっさり話が終わる。 佳苗はスープを一口飲んで、ふっと笑った。「何だ?」「いや。夫婦って、もっと何でも一緒にするものだと思ってたなって」「毎週一緒にいるだろ」「そうなんだけど」「別々の予定があったら別々に動けばいい」「うん。今はそう思う」     ◇ 翌日の昼休み。 母からメッセージが届いた。『来月、また美術館へ行くことになったの』

  • 夫の子を産まされ、妹の身代わりとして死んだ私――今世では冷徹CEOに執着されています   帰ってから話すこと

     翌朝。 窓の外には、朝の光を反射した海が広がっていた。「雄吾、起きて。海きれい」「……何時だ」「七時」「早いな」「朝ご飯八時だよ」「なら七時半でいいだろ」 そう言いながらも、雄吾は起き上がった。 佳苗は窓辺から何枚か写真を撮る。 昨日とは違う海。 帰ったら母にも見せようと思った。     ◇ チェックアウトを済ませたあとは、昨日見つけた店へ向かった。「これがお母さん。こっちが恵で……」「美佐子には?」「今選んでる」「会社は?」「それも」「自分たちの分は?」 佳苗の手が止まる。「忘れてた」「人の分ばっかりだな」「じゃあ何か買おう」 二人で店内を見て回り、結局、自宅用には小さな瓶詰めを選んだ。「これなら朝ご飯にも使えるね」「佳苗、朝食べるのか?」「旅行から帰った直後くらいは食べるかもしれない」「期間限定か」「努力目標です」 雄吾が笑った。     ◇ 帰宅した翌日の夜。 佳苗は母へメッセージを送った。『旅行、楽しかったよ。今度写真見せるね』 返事はすぐに来た。『おかえりなさい。よかったわね』『お母さんの美術館は?』『楽しかったわ。思ったより長居しちゃった』『じゃあ、お互い話すこといっぱいあるね』 送ってから、佳苗は少し笑った。 以前は母と会えば、何を聞かれるのだろうと警戒していた。 今度は、自分から話したいことがある。『そうね。今度お茶しましょう』『来週なら土曜の午後空いてるよ』『私も大丈夫』 そこで約束は決まった。     ◇ 土曜日。 以前と同じ駅前のカフェで、佳苗は母と向かい合った。「これ、お土産」「いらないって言ったでしょう?」「私が買いたかったの」「……ありがとう」 母は小さな箱を受け取り、嬉しそうに眺めた。「それでね、部屋からの海がすごかったの」 佳苗はスマートフォンを取り出した。「ほら」「まあ、きれい」「こっちは朝」「全然違うのね」「あとこれが夕食」「すごい量ね」「これ目当てで宿決めたの」「やっぱり佳苗は食べ物なのね」「お母さんまで雄吾と同じこと言う」 二人で笑った。 今度は母が美術館のパンフレットを取り出す。「私はこれを見てきたの」「へえ。きれい」「実物はもっとよかったわよ。それでね――」 話す母の顔を見ながら

  • 夫の子を産まされ、妹の身代わりとして死んだ私――今世では冷徹CEOに執着されています   これからも二人で

     夕食は、佳苗が宿を決めるきっかけになった料理だった。「これ見て。写真より豪華じゃない?」「それが決め手だったんだろ」「海も決め手だよ」「二番目くらいか?」「……同率一位」 雄吾が笑う。 料理が運ばれてくるたびに、佳苗は写真を撮った。「それも母親に見せるのか?」「これは恵かな。絶対『ずるい』って言うと思う」「食べる前に冷めるぞ」「あ、待って。これで最後」 慌ててスマートフォンを置き、箸を取る。 結婚してから初めての旅行。 そう考えると特別な気もするのに、雄吾と話していることは普段とあまり変わらなかった。 仕事のこと。 家のこと。 途中で見つけた変な土産物のこと。 それが佳苗には心地よかった。     ◇ 食事を終えて部屋へ戻ると、窓の外はすっかり暗くなっていた。 昼間とは違い、遠くにいくつもの灯りが浮かんでいる。「きれい」 佳苗は窓際の椅子に座った。 雄吾も向かいに腰を下ろす。「また来たいな」「気に入ったのか?」「うん。でも次は違うところでもいいかも」「どっちだよ」「だって、まだ行ったことないところいっぱいあるし」 佳苗は笑ってから、ふと考えた。「雄吾は、どこか行きたいところないの?」「海外」「急に規模が大きい」「聞いたのは佳苗だろ」「そうだけど」「休み取れるならな」「じゃあ、そのうち行こうよ」「ああ」「そのうちって、いつ?」 以前なら、そこで話を終わらせていたかもしれない。 いつか。 そのうち。 できたら。 けれど今は、それでは少しもったい

  • 夫の子を産まされ、妹の身代わりとして死んだ私――今世では冷徹CEOに執着されています   夫婦で見る海

     旅行当日。 電車を降りると、潮の匂いがした。「海!」 駅前から遠くに見える青い水面に、佳苗は思わず声を上げた。「まだ遠いぞ」「見えたからいいの」 佳苗はスマートフォンを取り出し、さっそく一枚撮る。「それ、駅前の道路が半分入ってるけどいいのか?」「記録だからいいの」「俺の写真には厳しかっただろ」「雄吾は上手に撮るって言ったじゃん」「言ってない」 二人でそんなことを言いながら、宿へ向かった。     ◇ チェックインにはまだ早かったため、荷物だけ預けて海沿いを歩く。 観光客向けの店が並び、干物や菓子の看板が目に入った。「これ、お母さん好きそう」 佳苗が足を止める。「土産はいらないって言われてなかったか?」「言われたけど、買っちゃ駄目とは言われてない」「そういう理屈か」「小さいのならいいでしょう?」 佳苗は焼き菓子を一箱手に取った。 その隣に、別の味が並んでいる。「あ。こっちは恵が好きそう」「結局二つ買うのか」「雄吾のお母様にも買うよ?」「じゃあ三つだな」「会社にもいるかな」「増えてるぞ」 雄吾が呆れたように笑った。 佳苗も笑いながら商品を戻す。「帰る日に買おう。荷物になるし」「それがいい」 海辺まで降りると、風が強かった。「わ、髪すごい!」「写真撮るか?」「今は絶対嫌!」 そう言ったのに、雄吾がスマートフォンを向ける。「ちょっと!」「母親に見せるんだろ?」「こんなの見せないよ!」「自然でいいんじゃないか?」「雄吾も撮るからね」 佳苗はすぐに自分のスマートフォンを構えた。

  • 夫の子を産まされ、妹の身代わりとして死んだ私――今世では冷徹CEOに執着されています   言ってくれれば

     連休が近づいた金曜日。 仕事を終えた佳苗が駅へ向かっていると、母から電話が掛かってきた。「もしもし?」『佳苗、今大丈夫?』「うん。仕事終わったところ」『旅行、来週だったわよね』「そうだよ」『楽しみね』「うん。宿も予約したし、あとは行くだけ」『そう』 母の声は明るかった。『私もね、ちょっと出かけることにしたの』「そうなの?」『昔の友達に連絡してみたら、ちょうど連休の一日が空いてるっていうから、美術館に行くことになったのよ』「いいじゃん」『そのあと食事もするの』「楽しそう」『ええ。久しぶりだから楽しみよ』 佳苗は自然に笑った。「よかったね」『……うん』 少しだけ間が空く。『この前、友達を誘ってみたらって言ってくれたでしょう?』「言ったね」『最初は、今さら連絡するのもどうかと思ったんだけど』「でも誘ってみたんだ」『そう。向こうも久しぶりに会いたかったって』「じゃあ、本当にちょうどよかったね」『ええ』 母はそこで笑った。 佳苗が最近聞いていた、どこか寂しさを含んだものとは違う声だった。     ◇ 帰宅してからその話をすると、雄吾は夕食の支度をしながら頷いた。「よかったな」「うん。なんか、ちょっと安心した」「何が?」「お母さんにも、お母さんの生活があるんだなって」「そりゃあるだろ」「そうなんだけどね」 佳苗は食器を並べながら笑う。「ずっと、私か恵が相手しなきゃいけないみたいになってたから」「それで全部満たそうとしたら、お互いしんどいだろ」「うん」 母が友達と出かけ

  • 夫の子を産まされ、妹の身代わりとして死んだ私――今世では冷徹CEOに執着されています   やっと捕まえた

     恵が帰ったあとも、佳苗はしばらく動けなかった。 心臓が嫌なほど脈打っている。 あの目。 一瞬だけ見せた、冷たい視線。 前世では最後まで気づかなかった。 恵はずっと、自分から奪うことを楽しんでいたのだ。「……っ」 佳苗は唇を噛み締める。 怖い。 けれど、それ以上に悔しかった。 どうして自分は、あんな人たちのために命まで懸けてしまったのだろう。 テーブルの上に置かれた結婚写真が目に入る。 幸せそうに笑う自分。 悟の腕に寄り添って、未来を信じ切っていた頃の自分。 ――滑稽。 佳苗は震える手で写真立てを伏せた。 もう戻れない。 戻りたくもない。 今度こそ終わらせ

  • 夫の子を産まされ、妹の身代わりとして死んだ私――今世では冷徹CEOに執着されています   置いていかれる側

    「……今、泣いてるのか?」 低く静かな声が耳に落ちる。 その一言だけで、張り詰めていた感情が崩れそうになった。 佳苗は慌てて口元を押さえた。「な、泣いてません」『嘘が下手だな、お前は昔から』 昔から。 その言葉に、大学時代の記憶が蘇る。 榊原雄吾。 成績優秀、容姿端麗、誰にも媚びない孤高の男。 学生の頃から有名だった。 近寄りがたい人だったのに、なぜか佳苗にはよく話しかけてきた。『また他人の仕事押し付けられてるのか』『断れないのか、お前は』 呆れたように言いながら、結局いつも助けてくれた。 けれど卒業後は一度も会っていない。 それなのに、どうして今。「どうし

  • 夫の子を産まされ、妹の身代わりとして死んだ私――今世では冷徹CEOに執着されています   もう騙されない

    「佳苗? 本当にどうしたんだよ」 怪訝そうな顔で、悟がこちらを見る。 その優しげな声に、佳苗は思わず身を強張らせた。 前世でも、この男はこんな顔をしていた。 穏やかで、頼れて、優しくて。 だから信じてしまったのだ。 まさか裏で妹と不倫し、自分を“代理母”として利用していたなんて、夢にも思わなかった。「顔色悪いぞ。熱でもある?」 悟が立ち上がり、額に触れようと手を伸ばしてくる。「っ……!」 佳苗は反射的にその手を振り払った。 ぱしん、と乾いた音が響く。 悟が目を見開いた。「……佳苗?」 しまった、と思った。 前世の記憶が蘇ったとはいえ、今の悟はまだ“何も知らない夫

  • 夫の子を産まされ、妹の身代わりとして死んだ私――今世では冷徹CEOに執着されています   私は、代理母だった

    「……っ、はぁ……ぁっ……!」 全身を引き裂かれるような痛みに、藤倉佳苗は汗で濡れたシーツを握り締めた。 眩しい手術灯。鼻を刺す消毒液の匂い。何度も響く機械音。 苦しい。 息ができない。「もう少しです! 頑張ってください!」 医師の声が遠い。 お腹の奥が裂けるように熱い。 それでも佳苗は必死に意識を繋いだ。(赤ちゃん……) やっと会える。 悟との子供。 愛する夫との、大切な命。 その一心だけで耐えていた。 けれど次の瞬間、医師たちの声色が変わった。「血圧低下!」「出血が止まりません!」「急げ!」 視界がぐらりと揺れる。 寒い。 急激に体温が奪われていく。

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status