เข้าสู่ระบบ翌日、高瀬から新しい担当について説明を受けた佳苗は、少し驚いていた。 これまでの事務処理に加えて、部署をまたいだ業務の調整にも関わってほしいという。「私が、ですか?」「ええ。榊原さんは問題を見つけるだけでなく、どうすれば改善できるかまで考えてくれますから」 高瀬は穏やかに答えた。「もちろん、いきなり全部任せるつもりはありません。最初は私も一緒に進めます」「ありがとうございます」 佳苗は頭を下げた。 これまで、言われた仕事をきちんとこなすことが自分の役割だと思っていた。 それが今は、仕事の進め方そのものを考える立場になろうとしている。 嬉しい反面、本当に自分に務まるのかという不安もあった。「何か心配なことはありますか?」「少しだけ、自信がなくて」「最初から完璧にできる人はいませんよ。分からないことは聞いてください」 高瀬はそう言って、今後の予定を簡単に説明した。 佳苗は話を聞きながら、少しずつ気持ちが落ち着いていくのを感じた。 ◇ 昼休み、佳苗はスマートフォンを取り出した。 雄吾に報告したい。 けれど、仕事中にわざわざ連絡するほどのことだろうか。 少し迷ってから、短いメッセージを送る。『新しい仕事の説明を聞いたよ。思ったより責任のある仕事だった!』 返信は十分ほどして届いた。『よかったな。帰ったら聞かせてくれ』 それだけの短い文章なのに、佳苗は嬉しくなった。 さらにもう一通。『今日は早く帰れそうか?』『いつもどおりだと思うよ』『分かった。待ってる』 佳苗は思わず笑った。 最近の雄吾は、以前よりずっと素直だ。 会いたいとか、一緒にいたいとか。 そういう気持ちを、隠さなくなった。 ◇ 帰宅すると、雄吾はキッチンで飲
その日の夜、佳苗は帰宅するなり雄吾を探した。「ただいま!」「おかえり。随分機嫌がいいな」 リビングにいた雄吾が顔を上げる。「分かる?」「顔を見ればな」「今日ね、すごく嬉しいことがあったの」 佳苗はバッグを置くと、雄吾の隣へ座った。「来月から、新しい仕事を任せてもらえることになりそうなの!」「そうか。よかったな」「うん! 今までの仕事もちゃんと評価してもらえてるみたいで」「何を任されるんだ?」「まだ詳しくは聞いてないけど、ほかの部署とも関わる仕事になるみたい。今の担当を少し減らして、そっちを任せてもらえるんだって」「それなら、単に仕事が増えるわけじゃないんだな」「そうなの。そこもちゃんと考えてくれてて」 佳苗は嬉しくて、つい身を乗り出した。「高瀬課長が、私の仕事ぶりを見て決めたって言ってくれたの」 雄吾の表情が、ほんのわずかに変わった。「あ」 佳苗は思わず口を押さえた。「また名前出しちゃった」「別に禁止してないだろ」「でも、嫌なんでしょう?」「気に入らないだけだ」「同じじゃない?」「違う」 いつものやり取りに、佳苗は笑ってしまった。 雄吾は呆れたように息を吐いたが、すぐに佳苗の頭を撫でた。「それだけ嬉しいなら、いい仕事なんだろうな」「うん。頑張りたい」「頑張れ」 短い言葉だった。 けれど、雄吾が本当に喜んでくれていることは分かった。 ◇ 夕食を終えたあと、佳苗はソファで新しい仕事のことを考えていた。 詳しい説明は明日だ。 どんなことを任されるのだろう。 期待もあるが、少し不安もある。「佳苗」「ん?」「何考えてる?」「明日のこと」「仕事か」「うん」 雄吾が隣へ座る。「そんなに楽しみか?」「楽しみ。でも、ちゃんとできるかなって」「できると思われたから任されるんだろ」「そうだけど」「今までやってきたことがあるんだから、自信持て」 佳苗は雄吾を見た。「……ありがとう」「ああ」 そこで雄吾が、ふと思い出したように言った。「ところで、来月から帰りは遅くなるのか?」「え?」「担当が変わるなら、しばらく忙しいだろ」「どうかな。まだ分からない」「そうか」 雄吾は少し考え込んだ。「……またデートの予定を先に押さえとくか」「えっ?」「忙しくなってからじゃ、
温泉旅行から帰った日曜日の夜。 佳苗は荷物を片づけながら、寝室の扉を見つめていた。 旅行先では、今夜も一緒に寝ようと約束した。 けれど、帰宅していつもの部屋に戻ると、急にその約束が気恥ずかしくなってくる。 これまでは、それぞれの寝室で眠るのが当たり前だった。 結婚してからも変わらなかった習慣を、今夜から少し変えることになる。「佳苗」 振り返ると、雄吾が廊下に立っていた。「荷物、片づいたか?」「うん。もう少し」「そうか」 雄吾は佳苗の部屋を覗き、それから尋ねた。「今夜、どっちで寝る?」「……どっち?」「俺の部屋か、お前の部屋か」 佳苗は思わず笑ってしまった。「そんなこと考えてたの?」「一緒に寝るって言っただろ」「言ったけど」「嫌になったなら別にいいぞ」「嫌じゃないよ」 佳苗は少し考えてから答えた。「じゃあ、雄吾の部屋に行こうかな」「分かった」 雄吾はそれだけ言って、廊下を戻っていった。 あまりにもあっさりしている。 けれど、少ししてから佳苗が寝室を覗くと、雄吾はベッドの片側に置いていた本やクッションを片づけていた。「……準備してる」「寝る場所が必要だろ」「そうだけど」「何だ?」「嬉しそうだなって」 雄吾は手を止めた。「嬉しいに決まってるだろ」 また、当たり前のように言われた。 佳苗は照れくさくなって、自分の枕を取りに戻った。 ◇ 翌朝。 佳苗が目を覚ますと、隣にはもう誰もいなかった。 枕元の時計を見ると、いつもより少し遅い時間だ。 慌てて起き上がり、リビングへ向かう。
目を覚ました佳苗は、いつもと違う天井を見つめていた。 障子越しに柔らかな朝の光が差し込み、遠くから鳥の声が聞こえる。 そうだ。温泉旅行に来ていたのだった。 寝返りを打とうとして、腰に回された腕に気づいた。「……雄吾?」 隣を見ると、雄吾はまだ眠っていた。 普段は佳苗より早く起きていることが多いから、こうして寝顔を見る機会はほとんどない。 佳苗はしばらく、その顔を眺めていた。 いつもは何でも分かっているような顔をしているのに、眠っていると少し無防備に見える。 そっと頬に触れようとしたところで、雄吾が目を開けた。「……何してる」「起きてたの?」「今起きた」「おはよう」「ああ。おはよう」 雄吾は佳苗を抱き寄せると、もう一度目を閉じた。「ちょっと、起きないの?」「まだ早い」「何時?」「知らん」「雄吾がそんなこと言うなんて珍しい」 佳苗が笑うと、雄吾は薄く目を開けた。「休みの日くらいいいだろ」「それはそうだけど」「もう少しこのままでいろ」 そう言われて、佳苗は素直に雄吾の胸へ頬を寄せた。 昨日の夜は、あんなに緊張していたのに。 朝になってみれば、同じベッドで眠ったことが不思議なくらい自然に感じられた。「ねえ、雄吾」「何だ?」「家でも、たまには一緒に寝る?」 言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。 雄吾が目を開ける。「いいのか?」「嫌だったら言わないよ」「そうか」 その声が妙に嬉しそうで、佳苗は顔を上げた。「……そんなに嬉しい?」「ああ」 迷いのない返事だった。「ずっと別々だったからな」「そうだね」「俺から言って、お前に気を遣わせるのも違うと思ってた」 佳苗は少し考えた。 雄吾はいつも、佳苗の気持ちを優先してくれる。 それがありがたいと思う一方で、遠慮ばかりさせているのかもしれない。「これからは、雄吾も言ってね」「何を?」「こうしたいとか、一緒にいたいとか」 雄吾が佳苗を見つめる。「言ったら聞いてくれるのか?」「できることなら」「じゃあ、今夜も一緒に寝たい」「……早速?」「お前が言えって言ったんだろ」 佳苗は吹き出した。「分かった。今夜もね」「ああ」 雄吾は満足そうに笑うと、佳苗の額に口づけた。 ◇ 朝食を終え、チェックアウトまでの時間を使って、二
露天風呂から上がった佳苗は、用意されていた浴衣に着替え、鏡の前で髪を整えていた。 普段なら、風呂上がりはそのまま自分の部屋へ戻る。 けれど今日は、そうはいかない。 寝室には大きなベッドが一つ。 旅館へ着いたときから分かっていたことなのに、今になって妙に気になってしまう。「佳苗、まだか?」「もう出る!」 返事をしてから、佳苗は小さく息を吐いた。 何をそんなに緊張しているのだろう。 雄吾とはもう夫婦なのに。 部屋へ戻ると、雄吾はソファに座ってテレビを見ていた。「髪、乾かしたか?」「うん」「こっち来いよ」 隣を示され、佳苗は素直に腰を下ろした。 窓の外では、庭の灯りが静かに揺れている。「いい旅館だね」「ああ」「ご飯もおいしかったし、温泉もよかった」「気に入ったなら、また来ればいい」「そんな簡単に言うけど、高いでしょう?」「気に入った場所にまた来るくらい、別にいいだろ」 雄吾らしい答えに、佳苗は笑った。 しばらくテレビを眺めていると、雄吾が肩を抱き寄せてきた。 佳苗は抵抗せず、その胸に頭を預ける。「眠いか?」「まだ眠くない」「そうか」 雄吾の手が、佳苗の髪をゆっくり撫でた。 その心地よさに目を閉じかけたところで、ふと気づく。 こんなふうに甘えているうちに、夜はどんどん更けていく。 やがて寝る時間になれば、二人であのベッドに入るのだ。「……雄吾」「何だ?」「今日、同じベッドだね」「ああ」「気づいてた?」「気づかないわけないだろ」 あまりにも当然の返事に、佳苗は少しむっとした。「なんでそんなに平気なの?」「平気だと
旅館へ戻るころには、外はすっかり暗くなっていた。 部屋に入ると、夕食の準備が整えられている。「すごい」 佳苗は並んだ料理を見て、思わず声を上げた。「温泉まんじゅう食べなきゃよかったかも」「だから言っただろ」「一個だけだもん。これくらい食べられるよ」「無理するなよ」「しないって」 向かい合って食事を始める。 季節の料理を少しずつ味わいながら、他愛のない話をした。 仕事の話はしなかった。 どちらからそう決めたわけでもないのに、今日は自然と別の話ばかりになった。 次はどこへ行きたいとか、帰りに何を買うとか。 そんな話をしているだけで楽しかった。 ◇ 食事が終わり、しばらくして。「先に入っていいよ」 佳苗は露天風呂を指した。「佳苗は?」「あとで入る」「一緒に入らないのか?」「えっ」 あまりにも普通に聞かれて、佳苗は固まった。「……入るの?」「部屋の風呂なんだから、別にいいだろ」「いいけど!」 夫婦なのだから、おかしくはない。 分かっている。 分かっているのだが、雄吾が平然としているせいで、自分ばかり意識しているような気がして悔しい。「嫌なら別でいいぞ」「嫌とは言ってない」「じゃあ入るか?」「……入る」 言ってから、早まったかもしれないと思った。 けれど今さら撤回するのも恥ずかしい。 佳苗は浴衣を持って立ち上がった。 ◇ 湯気の向こうに夜の庭が見える。 肩まで湯に浸かりながら、佳苗はなるべくそちらを見るようにしていた。「佳苗」「何?」「さ
ホテルへ入る佳苗と雄吾。 暗い夜道で撮られたはずなのに、驚くほど鮮明だった。「……どうして」 佳苗の指先が震える。 まるで誰かに見張られていたみたいだった。『ねぇお姉ちゃん』『その人、誰?』『もしかして浮気?』 次々届くメッセージ。 佳苗は顔を青ざめさせた。 浮気。 その言葉に胸が痛む。 裏切っていたのは悟たちの方なのに、なぜ自分が責められなければいけないのだろう。「見せろ」 雄吾が静かにスマホを受け取る。 メッセージ画面を見た瞬間、その目が冷えた。「……なるほど」「先輩」「撮られていたな」 低い声。 感情を押し殺したような響き。「どうしよう……」
「……今、泣いてるのか?」 低く静かな声が耳に落ちる。 その一言だけで、張り詰めていた感情が崩れそうになった。 佳苗は慌てて口元を押さえた。「な、泣いてません」『嘘が下手だな、お前は昔から』 昔から。 その言葉に、大学時代の記憶が蘇る。 榊原雄吾。 成績優秀、容姿端麗、誰にも媚びない孤高の男。 学生の頃から有名だった。 近寄りがたい人だったのに、なぜか佳苗にはよく話しかけてきた。『また他人の仕事押し付けられてるのか』『断れないのか、お前は』 呆れたように言いながら、結局いつも助けてくれた。 けれど卒業後は一度も会っていない。 それなのに、どうして今。「どうし
「佳苗? 本当にどうしたんだよ」 怪訝そうな顔で、悟がこちらを見る。 その優しげな声に、佳苗は思わず身を強張らせた。 前世でも、この男はこんな顔をしていた。 穏やかで、頼れて、優しくて。 だから信じてしまったのだ。 まさか裏で妹と不倫し、自分を“代理母”として利用していたなんて、夢にも思わなかった。「顔色悪いぞ。熱でもある?」 悟が立ち上がり、額に触れようと手を伸ばしてくる。「っ……!」 佳苗は反射的にその手を振り払った。 ぱしん、と乾いた音が響く。 悟が目を見開いた。「……佳苗?」 しまった、と思った。 前世の記憶が蘇ったとはいえ、今の悟はまだ“何も知らない夫
「……っ、はぁ……ぁっ……!」 全身を引き裂かれるような痛みに、藤倉佳苗は汗で濡れたシーツを握り締めた。 眩しい手術灯。鼻を刺す消毒液の匂い。何度も響く機械音。 苦しい。 息ができない。「もう少しです! 頑張ってください!」 医師の声が遠い。 お腹の奥が裂けるように熱い。 それでも佳苗は必死に意識を繋いだ。(赤ちゃん……) やっと会える。 悟との子供。 愛する夫との、大切な命。 その一心だけで耐えていた。 けれど次の瞬間、医師たちの声色が変わった。「血圧低下!」「出血が止まりません!」「急げ!」 視界がぐらりと揺れる。 寒い。 急激に体温が奪われていく。