LOGIN数日後。
佳苗のもとへ、久しぶりに絢子からメッセージが届いた。
『佳苗さん、この前は本当にごめんなさい』
佳苗は画面を見つめた。
以前のように、すぐ返事はしない。
しばらくして、もう一件。
『おばさまから、二人でお話ししたって聞きました』
『ちゃんと誤解が解けたみたいで安心したわ』
「……」
佳苗は少し迷ってから返信した。
『はい。お母様とお話しできてよかったです』
それだけ。
余計なことは書かない。
すると絢子から、
『本当によかった』
と返ってきた。
それ以上、連絡はなかった。
(これで終わればいいな)
佳苗はそう思った。
◇
その週末。
「母がまた食事に来ないかって」
雄吾に言われ、佳苗は少し驚いた。
数日後。 佳苗のもとへ、久しぶりに絢子からメッセージが届いた。『佳苗さん、この前は本当にごめんなさい』 佳苗は画面を見つめた。 以前のように、すぐ返事はしない。 しばらくして、もう一件。『おばさまから、二人でお話ししたって聞きました』『ちゃんと誤解が解けたみたいで安心したわ』「……」 佳苗は少し迷ってから返信した。『はい。お母様とお話しできてよかったです』 それだけ。 余計なことは書かない。 すると絢子から、『本当によかった』 と返ってきた。 それ以上、連絡はなかった。(これで終わればいいな) 佳苗はそう思った。 ◇ その週末。「母がまた食事に来ないかって」 雄吾に言われ、佳苗は少し驚いた。「またですか?」「ああ。今度は家で」「行きたいです」 美佐子とは、この前二人で話したばかりだ。 以前ほど怖くはなかった。「絢子も来るらしい」「……そうですか」「嫌なら断っていい」「大丈夫です」 佳苗は首を横に振った。「お母様と一条さんが会うことは、私もいいって言いましたから」「それと佳苗が一緒にいることは別だぞ」「分かっています」 それでも。 いつまでも絢子を避け続けるのも違うと思った。「行きます」「……分かった」 ◇ 日曜日。「いらっしゃい、佳苗さん」 美佐子は以前と変わらない笑顔で迎えてくれた。「こんにちは」「この前はありがとうね」「こちらこそ」
翌朝。 佳苗は目を覚ましてから、しばらくベッドの中でぼんやりしていた。 昨夜のことを思い出す。『この子のことも、少し分かってあげてほしいの』 美佐子の言葉が胸に残っていた。(お母様……やっぱり、一条さんの方が大切なのかな) 当然なのかもしれない。 美佐子にとって、自分はまだ知り合って間もない雄吾の恋人。 絢子は幼い頃から知っている、娘のような存在。 比べること自体がおかしい。 そう分かっているのに、寂しかった。「佳苗」「……はい?」 隣から声を掛けられる。「また考えてるだろ」「少しだけ」「母のこと?」 佳苗は少し迷って、頷いた。「はい」「母が何を思うかまで、佳苗が背負う必要はない」「でも、嫌われたくないです」「分かってる」「雄吾さんの大切なお母様だから」 雄吾は少し黙ってから、佳苗の手を握った。「なら、なおさら時間をかければいい」「時間……」「母だって、昨日のことだけで佳苗を決めつけたりしない」「……はい」 佳苗はその言葉を信じることにした。 ◇ しかし、その日の午後。 美佐子は一人で考え込んでいた。 昨夜、駅で別れる直前。 絢子は笑っていた。『大丈夫です』『私が我慢すればいいだけだから』 その言葉が、どうしても頭から離れない。「……」 美佐子はスマートフォンを手に取った。 佳苗へ連絡しようとして――やめる。 何と聞けばいいのだろう。 本当は絢子と会ってほしくないの?
「佳苗さん、本当は私に消えてほしいんでしょう?」 絢子は涙を浮かべたまま、佳苗を見つめた。「雄吾さんの前からも。おばさまの前からも」「違います」 佳苗ははっきり答えた。「そんなこと、一度も思っていません」「でも、私が雄吾さんと一緒にいると嫌なんでしょう?」「二人きりで食事をしたり、必要以上に触れたりするのは嫌です」 絢子の顔が強張った。 以前なら、ここでも曖昧にしていた。 けれど佳苗はもう逃げなかった。「だって一条さんは、自分でも言いましたよね。今も雄吾さんを好きじゃないとは言い切れないって」「……」「そんな人が私の恋人に触れるのを嫌だと思うことと、一条さんに消えてほしいと思うことは同じじゃありません」「佳苗さん……」「お母様と会うことなんて、もっと関係ありません」 美佐子が黙って佳苗を見ている。「だから、私が言っていないことまで私の気持ちにしないでください」「……ごめんなさい」 絢子は俯いた。「やっぱり私、邪魔なのね」「だから!」 思わず佳苗の声が大きくなる。 絢子の肩がびくりと揺れた。 周囲の視線が集まる。「佳苗」 雄吾がそっと佳苗の肩に手を置いた。 佳苗は唇を噛んだ。「……すみません」「違う。謝らなくていい」「でも……」「同じ話を繰り返してるだけだ」 雄吾は絢子を見る。「佳苗は、消えろとは言ってない」「……」「なのに絢子は、何を言われてもそこへ話を戻す」「そんなつもりじゃないわ」「じゃあ、佳苗が言ったことだけ聞け」 絢子は何も答えなかった。 ◇「今日はもう帰るわ」 しばらくして、絢子がバッグを手に取った。「絢子ちゃん」 美佐子が心配そうに立ち上がる。「大丈夫です、おばさま」「でも……」「私がいたら、また雰囲気を悪くしてしまうから」「そんなことないわ」「ありがとうございます」 絢子は寂しそうに微笑んだ。「でも、少し一人になりたいんです」「送るわ」「大丈夫です」「こんな状態で一人にできないでしょう?」 美佐子が言う。 絢子は一度断ったものの、最後には小さく頷いた。「……じゃあ、駅まで」「ええ」 美佐子が佳苗を見る。 その表情には、先ほどまでの険しさはなかった。 けれど困惑は残っていた。「佳苗さん」「はい」「ごめんなさいね。私も少し
「佳苗さんを責めないでください」 絢子の言葉が、佳苗の胸に重くのしかかった。 美佐子は困惑した表情のまま、佳苗を見る。「でも……私にはよく分からないわ」「母さん」「雄吾は少し黙っていて」 美佐子は息子を制した。「佳苗さん。あなたが絢子ちゃんを嫌なのは分かるの」「嫌だなんて……」「だって、不安なんでしょう?」「それは……」 否定できなかった。 絢子が今も雄吾を好きかもしれないと知ってから、不安になったのは事実だ。「でも、それとお母様とのことは関係ありません」「だったら絢子ちゃんは、今まで通り私に会ってもいいのよね?」「もちろんです」 佳苗は即座に答えた。「私にそんなことを決める権利はありません」「ほら、絢子ちゃん」 美佐子が絢子の手を握る。「佳苗さんもこう言ってるでしょう?」「……はい」 絢子は小さく頷いた。 けれど、その表情は晴れなかった。「でも、やっぱりしばらくは控えます」「どうして?」「これ以上、誰かを傷つけたくないから」「一条さん」「佳苗さんは優しいから、きっと嫌でも嫌だって言えないでしょう?」「……え?」「だから、私がちゃんと考えないと」 佳苗は言葉を失った。 自分が「会っていい」と言っても。 それすら本心ではないことにされてしまう。「違います」 佳苗は首を横に振った。「本当に、お母様と一条さんのことは関係ありません」「ありがとう」 絢子は寂しそうに微笑んだ。「そう言ってくれるだけで十分よ」「そうじゃなくて――」「もういい」 雄吾の低い声が響いた。 佳苗が振り返る。 雄吾は絢子を見ていた。「絢子。佳苗が関係ないと言ってるんだから、それ以上勝手に佳苗の気持ちを決めるな」「……勝手に?」「ああ」「私はそんなつもりじゃ……」「さっきからそうだろ」 雄吾は淡々と続けた。「佳苗は母と会うなとは言ってない。仕事から外れろとも言ってない。なのに全部、佳苗を理由にしてる」「それは、私が気を遣って――」「頼まれてもいないのに?」 絢子が黙る。「雄吾」 美佐子が険しい顔をした。「そんな言い方しなくてもいいでしょう?」「母さんこそ、佳苗に何を聞いてた?」「何って……」「絢子と会うのが嫌なのか。母さんと絢子が会うのも嫌なのか。全部、絢子が言い出したことだろ」「
「違うって言ってるでしょう!」 絢子の鋭い声が廊下に響いた。 佳苗は息を呑む。 絢子自身も、自分の声に驚いたように目を見開いた。「……ごめんなさい」 すぐに俯く。「大きな声を出して」「一条さん……」「でも、悲しかったの」 絢子の声が震えた。「佳苗さんなら、分かってくれると思ってたから」「……」「私、確かに雄吾さんのことが好きだったわ。今だって、完全に気持ちがなくなったのかって聞かれたら……分からない」 絢子の目に涙が浮かぶ。「でも、それってそんなに悪いこと?」「悪いなんて言ってません」「だったら、どうすればよかったの?」 絢子が佳苗を見る。「私は雄吾さんに気持ちを伝えてない。二人が付き合ってから、告白しようとしたことだって一度もない」「……」「雄吾さんと会ったときも、隠したくなかったから佳苗さんにちゃんと話したわ」「でも、それが私は――」「じゃあ、黙っていればよかった?」 佳苗の言葉が止まった。「雄吾さんと二人で食事をしても、送ってもらっても、仕事で夜まで一緒にいても。佳苗さんには何も言わずにいた方がよかったの?」「それは……」「あとから知ったら、もっと嫌だったでしょう?」 返せない。 確かに、そうだったかもしれない。「だから私は全部話したの」 絢子の頬を涙が伝った。「隠れて会っているって思われたくなかったから」「……」「それなのに、全部悪意だったって言われたら……私はどうすればよかったの?」「絢子」
絢子の顔に浮かんだ苛立ちは、ほんの一瞬だった。「……ひどいわ」 次の瞬間には、いつもの柔らかな表情へ戻っている。「私が雄吾さんを試すなんて」「じゃあ、何をしたかった?」「だから、昔みたいに――」「それをやめろと言ってる」 雄吾の声は冷たい。「昔は昔だ」「……分かってるわ」「分かってないから、こんなことしてるんだろ」 絢子が黙り込む。 佳苗は物陰から、二人のやり取りを聞いていた。 本当なら、ここにいることを知らせるべきなのかもしれない。 けれど動けなかった。 さっき見た絢子の顔が、頭から離れない。(今の……) 見間違いではない。 雄吾に拒絶された瞬間。 絢子は確かに苛立っていた。「雄吾さんは」 絢子が静かに口を開く。「佳苗さんと出会ってから、本当に変わった」「そうかもな」「昔は、私が何をしてもそんな顔しなかったのに」「だから?」「……寂しいって思うくらい、いいでしょう?」 絢子の声が震えた。「ずっと友達だったんだから」「友達だからこそ、今の俺の立場を理解してくれ」「……」「俺には佳苗がいる」 はっきりと告げられる。「佳苗が嫌がるような距離で接するつもりはない」「分かったわ」 絢子は俯いた。「ごめんなさい」 その声は弱々しい。 いつもの絢子だった。 けれど佳苗には、もう以前と同じようには見えなかった。 ◇「先に戻る」「あ……」 雄吾がこちらへ歩いてくる。 まずい。 そう思ったときには遅かった。 曲がり角を曲がった雄吾と目が合った。「佳苗?」「……」「どうした?」 その声に、絢子も顔を上げる。「佳苗さん……?」 三人の間に、沈黙が落ちた。「ごめんなさい」 佳苗は小さく頭を下げた。「聞くつもりはなかったんです。でも、声が聞こえて……」「どこから?」「……途中からです」 絢子の顔がわずかに強張る。「そう……」「一条さん」「なあに?」 佳苗は迷った。 今までなら、何も言わなかっただろう。 けれど。「どうして、雄吾さんに触ろうとしたんですか?」 絢子が目を見開いた。「え?」「さっきもネクタイを直そうとしていましたよね」「それは……」「雄吾さんが嫌がったのに、どうしてまた?」「佳苗」 雄吾が何か言おうとする。 けれど佳苗は、絢
ホテルへ入る佳苗と雄吾。 暗い夜道で撮られたはずなのに、驚くほど鮮明だった。「……どうして」 佳苗の指先が震える。 まるで誰かに見張られていたみたいだった。『ねぇお姉ちゃん』『その人、誰?』『もしかして浮気?』 次々届くメッセージ。 佳苗は顔を青ざめさせた。 浮気。 その言葉に胸が痛む。 裏切っていたのは悟たちの方なのに、なぜ自分が責められなければいけないのだろう。「見せろ」 雄吾が静かにスマホを受け取る。 メッセージ画面を見た瞬間、その目が冷えた。「……なるほど」「先輩」「撮られていたな」 低い声。 感情を押し殺したような響き。「どうしよう……」
「……今、泣いてるのか?」 低く静かな声が耳に落ちる。 その一言だけで、張り詰めていた感情が崩れそうになった。 佳苗は慌てて口元を押さえた。「な、泣いてません」『嘘が下手だな、お前は昔から』 昔から。 その言葉に、大学時代の記憶が蘇る。 榊原雄吾。 成績優秀、容姿端麗、誰にも媚びない孤高の男。 学生の頃から有名だった。 近寄りがたい人だったのに、なぜか佳苗にはよく話しかけてきた。『また他人の仕事押し付けられてるのか』『断れないのか、お前は』 呆れたように言いながら、結局いつも助けてくれた。 けれど卒業後は一度も会っていない。 それなのに、どうして今。「どうし
「佳苗? 本当にどうしたんだよ」 怪訝そうな顔で、悟がこちらを見る。 その優しげな声に、佳苗は思わず身を強張らせた。 前世でも、この男はこんな顔をしていた。 穏やかで、頼れて、優しくて。 だから信じてしまったのだ。 まさか裏で妹と不倫し、自分を“代理母”として利用していたなんて、夢にも思わなかった。「顔色悪いぞ。熱でもある?」 悟が立ち上がり、額に触れようと手を伸ばしてくる。「っ……!」 佳苗は反射的にその手を振り払った。 ぱしん、と乾いた音が響く。 悟が目を見開いた。「……佳苗?」 しまった、と思った。 前世の記憶が蘇ったとはいえ、今の悟はまだ“何も知らない夫
「……っ、はぁ……ぁっ……!」 全身を引き裂かれるような痛みに、藤倉佳苗は汗で濡れたシーツを握り締めた。 眩しい手術灯。鼻を刺す消毒液の匂い。何度も響く機械音。 苦しい。 息ができない。「もう少しです! 頑張ってください!」 医師の声が遠い。 お腹の奥が裂けるように熱い。 それでも佳苗は必死に意識を繋いだ。(赤ちゃん……) やっと会える。 悟との子供。 愛する夫との、大切な命。 その一心だけで耐えていた。 けれど次の瞬間、医師たちの声色が変わった。「血圧低下!」「出血が止まりません!」「急げ!」 視界がぐらりと揺れる。 寒い。 急激に体温が奪われていく。







