私がチアリーディング大会で優勝した日、観客席は歓声に包まれていた。 けれどその中で、兄が私に向かってペットボトルを投げつけた―― 「お前が一位を取るために、美優(みゆ)の足を試合前にわざと怪我させたって本当か? 彼女、腎不全なんだぞ……死ぬ前の最後の願いが優勝だったのに、お前は自分の野望のために、彼女を傷つけたんだ。 そんな自己中心的な妹なんて、俺にはいない!」 大会スポンサーである私の婚約者が、私の優勝資格を剥奪すると宣言した。 「ドーピングしたお前には、優勝する資格はない!」 その結果、ファンは一斉に私を非難した。ついには、私の写真を遺影のように加工し、自宅に郵送してくる者まで現れた。 私は静かにそれをしまい込んだ。きっともうすぐ本当に使う時が来る。 だって、私は一ヶ月前に悪性脳腫瘍と診断されたばかりなのだから。 だから私は決めた。死ぬ前に、彼らが望む通りの人間でいようと。 妹を思いやり、礼儀正しく、嘘をつかない良い女に。
View More美優は一瞬顔色を変えたが、すぐに平静を取り戻した。「お兄ちゃん、何の話?全然意味が分からないよ?私が、腎臓を提供した人のふりをした?事故でお兄ちゃんが移植しなきゃいけなくなったとき、たまたま私が適合して、それで私が……提供したんだよ……どうして私が嘘をつく必要があるの?」その言葉を聞いて、健太は怒りを抑えきれなかった。彼は恵美から渡されたカルテを取り出し、美優の目の前に叩きつけた。「まだ言い逃れする気か!これは石川先生から届いたカルテだ。はっきり書いてある、腎臓を提供したのはお前じゃない、陽菜だ!」カルテを見た瞬間、美優の顔色は一気に青ざめた。しかし、すぐに涙を流しながら、けなげな表情で健太を見上げた。「お兄ちゃん、ごめん……騙すつもりじゃなかったの……ただ……お兄ちゃんのことが好きで、どうしても振り向いてほしかったの……それで、つい……提供したふりを……でも、私……お姉ちゃんを傷つけようなんて、本当に思ってなかったの……」その言葉に、健太の心は一瞬揺らいだ。彼だって、妹である美優が悪い人間だなんて信じたくはない。だが、そのとき――「美優!」海斗が突然立ち上がり、彼女を指差して怒鳴った。「お前、腎臓の件だけじゃない。陽菜を陥れたのもお前だろ!覚えてるか?チアリーディング大会の直前、お前が『お姉ちゃんがドーピングしてる』って言い出したこと!」そう言うと、海斗は鎮痛剤の薬瓶を美優の顔に投げつけた。「よく見ろ!これ、ただの鎮痛剤だ!どこがドーピングだ!」美優はその気迫に圧倒され、顔を押さえてうろたえながら言い返した。「ドーピングじゃないなんて……私、知らなかった……見間違えたのかもしれないし…………うん、見間違えたんだよ。わざとじゃないの」そう言いながらも、視線は泳ぎ、明らかに動揺している。そのとき、玄関から届け物が届いた。差出人は――私の主治医・恵美。健太は訝しげに開き、そこにはなんと美優のカルテが入っている。そのカルテには、はっきりとこう記されていた。【遠野美優:健康状態良好、腎不全の兆候なし】健太と海斗は顔を見合わせ、息を呑んだ。信じたくても、信じられない。なんと――美優は最初から腎不全なんて患っていなかったのだ。すべては、私の存在を押
ふと、海斗は何かを思い出したように、泣きながら恵美に聞いた。「先生……なぜ陽菜の体はそこまで悪くなっていたのか?彼女、元気そうに見えたのに……なんで急に亡くなったの?」恵美がため息をした後、カルテを取り出し、重々しく差し出した。「陽菜さんの体に、かなり前から不調でした。三年前から、陽菜さんは悪性脳腫瘍を患っていました。あなた達に教えてなかっただけです」海斗は震える手でカルテを受け取り、そこに記された文字を読んだ。【悪性脳腫瘍・末期】まるで雷に打たれたかのように、海斗の体はその場で凍りついた。「うそだろ……こんな……なんで……何で陽菜がこんな病気……」恵美は首を振り、困ったように呟いた。「末期なのですでに手立てはなかったんです。今回の腎提供は、彼女にとって死を早めるだけの行為でした」海斗の目から涙があふれ出す。彼の脳裏には、かつて私が倒れ、鼻血を流していた場面が蘇る。だがそのとき彼と健太は「同情を引くための演技だ」と決めつけ、私の訴えなんて聞く耳も持たず、むしろ冷たく笑って、皮肉ばかり投げつけてきたのだ。なるほど、あのときの私は、本当に体調が悪かっただけで、仮病なんかじゃなかったんだ。そして私がずっと彼らに隠していたのは、彼らへの失望があまりにも大きかったからだ。そのことを思い出した海斗は、胸が締めつけられるような痛みで息が詰まりそうになった。彼が震えながら私の遺体を見つめ、悔やんでも悔やみきれない。「陽菜……どうしてそんなにバカなんだよ……あんなに重い病気だったのに、どうしてずっと黙ってたんだ……俺たちは、ただお前のためを思って、美優とうまくやってほしくて――でも結局、俺たちは美優に騙されて、お前にひどいことばかりしてた……陽菜……本当に、ごめん!」健太と海斗は重い足取りで家へ戻り、私の部屋に入った。そこにはまだ私の生きた痕跡が色濃く残っており、彼らは胸を締めつけられるような痛みを感じた。机の上には、私の生前の写真と愛用品がそのままに。ナイトテーブルの上には、飲みかけの薬瓶が置かれていた。海斗は薬瓶を手に取ると、ラベルを見て顔色が青ざめた。「……陽菜はドーピングをしてなかった……これは鎮痛剤だ……」健太もそれを聞いて絶句した。彼は薬瓶を
「な、何を言ってるか……? 陽菜の遺体……?」健太は目を見開き、信じられないというように恵美を見つめた。海斗も同様に顔を引きつらせた。「冗談でしょ?陽菜が死ぬわけない……」恵美は重くため息をついて言った。「冗談なんかじゃありません。陽菜さんは美優さんへの腎移植手術の後、残念ながら帰らぬ人となりました。ご家族として、もっと早く手続きをしに来てほしかったんですが……」だが、健太と海斗はそれを聞いて、逆に怒り出した。「それは絶対に間違いだ!陽菜が死ぬはずない!」「どうせお前が陽菜に買収されて、私たちを騙すつもりだったんでしょ!」「きっとあいつ、どこかに隠れてるだけだ!わざと電話を無視してるんだよ!」「本当にあいつはわがままな奴だ!家族まで騙すなんて」恵美は彼らを睨みつけ、怒りと無力感が入り混じった表情を浮かべた。「信じられないなら、ついてきなさい」そう言うと、彼女は足早に霊安室の方向へ歩き出した。健太と海斗は顔を見合わせ、胸に漠然とした不安がよぎる。まさか……陽菜が本当に死んだなんてことがあるだろうか?二人は慌てて恵美の後を追い、霊安室の前に立った。そこには白い布をかぶせられた遺体が横たわっている。健太は鼻で笑いながら布を指差した。「どうせ作り物だろ。陽菜が仕込んだイタズラじゃないのか?」「見るだけ見ればわかることです」恵美はムッとした顔で彼らを睨みつけ、無言で布をはがした。そこに現れたのは、顔色を失い、傷だらけの私の遺体だ。健太が私の顔を見た瞬間、まるで血の気が引いたかのように青ざめた。足元がぐらりと揺れ、今にも倒れそうになった。目の前の遺体が自分の妹だという事実を、彼は信じられない。海斗も動きを失ってい、目は真っ赤に充血し、震える手で恵美にすがりつくように袖を掴む。「な……なんで……? なんで陽菜がこんな……」恵美は静かに語り始めた。「陽菜さんの体は、病気のせいでもうずっと前からボロボロでした。それでも無理に腎臓を提供したせいで、病気が急速に悪化し、手術中に……亡くなったんです」健太は遺体に目をやり、ふらつきながら手を伸ばしかけた。「何をするつもりですか!」恵美が健太の動きにびっくりし、すぐにその手を止めた。だが、健太が何も聞こえなかった
手術のあと、美優のベッドの傍には健太と海斗がずっと付き添っていた。その間、看護師たちの会話がふと耳に入ってきた。臓器を提供した一人の女の子が手術台の上で息を引き取ったというのだ。「聞いた?今日、臓器提供した女の子が手術台で亡くなったんだって!」「知ってる。たった一つしか腎臓が残ってなかったのに、どうして提供しようと思ったんだろうね……」「でも提供しなくても、そう長くは生きられなかったらしいよ。悪性の脳腫瘍があったって」――腎臓の提供?健太の心に一瞬、不安の影がよぎった。だがすぐに打ち消す。「いや、陽菜は子どもの頃からずっと健康だ。手術台で死ぬなんて、あり得ない。きっと他の誰かの話だ」そう言い聞かせながら、海斗と一緒に美優の目覚めを静かに待ち続けている。やがて、美優がゆっくりと目を開いた。「……お兄ちゃん、海斗……私……生きてるの?」声はかすれていたが、その目には生還の喜びが溢れている。健太と海斗は感極まり、泣きながら彼女の手を握りしめた。「生きてるよ!ちゃんと生きてる!手術は大成功だったんだ、これからは元気になっていく一方だよ」二人は嬉しさでいっぱいになり、まさか私の様子がおかしいことには気づかなかった。彼らがようやく私の存在に思い至った時、初めて、私が一度も現れていない事実に遅まきながら気がついたのだ。「……あれ?陽菜、まだ来てないのか?彼女も手術を受けたはずだよね……」「確かに、陽菜はどうしてまだ来てないのかな」「まさか、手術で何か……?」二人は顔を見合わせ、すぐに私の執刀医の元へ向かった。だが執刀医はこう答えた。「陽菜さんなら、手術が終わってすぐに運ばれていきましたよ。お二人、見かけませんでしたか?」健太と海斗はほっと胸を撫で下ろし、私が病室に運ばれたのだろうと考えた。「しばらくは安静が必要だろう、きっと別の病室で休んでいる。無理に会いに行くより、美優の退院を待ってから行けばいい」そう言って、健太は美優の方を見つめ、心配そうな声で問いかけた。「美優、体の具合はどう?痛みとかないか?」美優は首を振り、にっこりと笑った。「大丈夫。お兄ちゃん、海斗、本当にありがとう。二人のおかげで、私は生きてる。元気になったら、絶対に恩返しするね」その言葉に、
私が盗作を認めたことで、ネット上では私への罵声が溢れている。【遠野陽菜が一見おとなしそうに見えて、まさかこんな卑怯な手を使うなんて……】【妹をいじめるだけじゃなく、論文まで盗むとか……どれだけ性格悪いんだよ!】【美優が可哀想。姉に裏切られて……】【聞いたわよ!チアリーディング大会で陽菜はドーピングして優勝したんだって、幸いなことに、心ある観客の通報があったおかげで、優勝は美優に返されたのよ!】【美優は本当に可哀想……姉にいじめられてるのに、姉がドーピングしたのわかっても何にも言わない……なんて優しい子なんだ!】私はコメントを見ながら、静かに震えている。手術の日。手術室に運ばれる直前、海斗が私の手を取り、深い愛情をたたえて言った。「陽菜、大丈夫。もう万全の策を考えた。お前は盗作の汚名を着せられることもないし、美優が傷つくこともない。手術が終わり次第、この両方守る作戦を実行する」健太も、久々に私の肩を軽く叩いて言った。「陽菜、ようやく自分勝手じゃなくなったな。兄さん嬉しいよ」その言葉を聞きながら、私は口の中に広がる苦みを噛みしめた。……そうか。ようやく家族の称賛を得られたというのに、もはや命の灯火は消えようとしている。私は手術室へと運ばれ、美優と同時に腎移植の手術を受ける。海斗と健太は、手術室の前で落ち着かない様子で歩き回っている。「美優、大丈夫かな……手術は成功するよな?」「もちろんだ。終わったら、栄養のあるものいっぱい食べさせてあげよう」 彼らが話を交わしているうちに、三時間後、手術は終了を告げた。美優は私の腎臓を受け取り、手術は成功した。海斗と健太は、歓喜の声を上げた。「よかった……!美優が助かった!」「そうだな、俺たちがしっかり面倒を見て、一日も早く回復させないと」彼らは大喜びで、手術室から出た美優に駆け寄った。……私には、誰も気づかない。私は、手術台の上で、ぼんやりと灯りを見つめながら、視界が霞んでいくのを感じる。そして、彼らが笑顔で喜び合うその瞬間、私は静かに目を閉じ――息を引き取った。
海斗は、明らかに戸惑った顔を見せたあと、まるで宝物を見つけたような笑顔で、私をぎゅっと抱きしめた。「陽菜、本当にすごいよ!大丈夫、病気が治ったら、俺がもう一度チアリーディング大会に投資し、開催するから。そのときは、真面目に練習すれば、ドーピングなんてしなくても優勝を取れるって信じてる。お前の夢は、優勝することなんだから!」……もう、そんな未来はない。私の命は、あと24時間しか残されていない。「そうさ。これからは地道に努力して、正々堂々と勝ちを目指すべきだ。ズルをして一位になったって、それは勝利じゃないし、相手を傷つけてまで手に入れた栄光に価値はないから」私は笑みを浮かべたが、彼らの言葉に返事する前に、鼻先が熱くなった。何かが、垂れてくる感触――手で拭うと、赤い血が指に広がった。鼻血を見た瞬間、ある考えがふと頭をよぎった。私は顔を上げて、健太と海斗を見つめた。「兄さん、海斗。もし、いつか私が病気で死んじゃったら……二人は、私のこと思い出してくれるかな?」病室が一気に静まり返った。健太は一瞬きょとんとした後、わざとらしく怒ったふりをして私の肩を軽く叩いた。「何言ってるんだよ?陽菜、お前はあんなに元気だったじゃないか。死ぬわけないだろ。変なことばっか考えるなっての!それより、美優の体は本当に弱いんだから、もっと気遣ってあげなきゃ。特にお前は姉なんだから、もっと優しくしてやれよ。そんなに細かいことにこだわるなよ」……私は、しばらく黙っている。――そしてわかった。彼らにとって、私はずっと「体だけは丈夫で、気難しくて、妹をいじめる意地悪な姉」だったんだ。そんな人がまもなく死ぬなんて、彼らは信じないだろう。私は頭を下げ、無言で鼻血を拭き取り、何事もなかったかのように笑った。「ちょっと聞いてみただけだよ……はい、論文はちゃんとこの中にまとめておいたから。どうぞ」美優はUSBメモリを受け取りと、一瞬、企みが成功したような笑みが浮かんだ。「ありがとう、お姉ちゃん。ちゃんと活用するから」私は何も言わず、ただ病室を後にした。――翌日。美優は、私の論文を自分の名前でサイトに投稿した。自分の研究成果として、誇らしげに発表するつもりだったのだろう。だが予想外
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