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第5話

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翌日の午前。明成バイオテクノロジー、社長室。人事部の人が書類を運んできた。

「社長、こちらが本日の面接者の履歴書です」

「そこに置いておいてくれ。この後会議があるから、面接はパスする」

「かしこまりました」

桐山昭彦(きりやま あきひこ)が会議室へ向かおうと立ち上がった時、ふと、一番上にあった履歴書に目が留まった。

朝霧静奈。

その名前を見た瞬間、彼は動きを止めた。

履歴書を手に取り、そこに写る見慣れた顔を見て、彼の心には複雑な感情と、わずかな驚きがこみ上げてきた。

彼は高野文教授の愛弟子であり、静奈より幾つか年上だった。

海外で研究に没頭していた頃から、指導教師である文が「聡明で、まさに天才と呼ぶべき後輩を指導している」と話しているのを何度も耳にしていた。

文は電話で学術的な議論をするたび、いつもその後輩のことを手放しで褒めていた。

初めのうちは、教授にそこまで言わせるほどの逸材とはどんなものか、という単なる興味で彼女の情報を追っていた。

だが、いつしか写真でしか見たことのないその後輩に、彼は惹かれていた。

研究期間を終えると、彼はためらうことなく帰国の途についた。

しかし、空港に降り立って真っ先に耳にしたのが、彼女の結婚の知らせだった。

もう二度と関わることはないだろうと思っていた。まさか、彼女の履歴書を受け取ることになるとは。

昭彦はすぐに秘書に内線を入れた。

「午前の会議は全てキャンセルだ!」

昭彦は面接室へ向かった。人事部の担当者は彼の姿を見て一瞬驚き、すぐに中央の席を譲った。

「社長」

昭彦は、内なる興奮を抑えつけた。

「始めてくれ」

面接が正式に始まった。昭彦は面接官の席に座ったまま一言も発さず、人事担当者が応募者に質問をしていく。

「社長、先ほどの方は……」

人事が昭彦の意見を求めた。

「君たちで判断してくれ」

「かしこまりました」

「次の方、朝霧静奈さん」

静奈が面接室に入ってきた瞬間、昭彦の意識は彼女に集中した。

彼女の顔色は、あまり良くないように見えた。

人事担当者が、いくつか専門的な質問をした。

静奈は四年間のブランクがあったものの、その間も独学で知識をアップデートし続けていたため、淀みなく、的確に回答していく。

人事部の担当者は満足げに頷き、結果は後日連絡すると伝えようとした。

その時、隣に座っていた昭彦が口を開いた。

「履歴書では既婚となっていますが」

なぜ急に働きに出ようと思ったのか、その理由を尋ねたかった。だが、人事部の担当者はその意図を誤解し、彼の言葉を引き継いだ。

「朝霧さん、私どもは長く安定して働いてくださる方を求めています。近いうちに、お子さんを産むご予定はありますか?」

静奈は首を振った。

「もうすぐ離婚しますので、その予定はありません」

その答えを聞き、昭彦は息を呑んだ。

彼女の瞳に一瞬よぎった寂寥の色を見て、胸が痛むのを感じた。

この四年の結婚生活で、彼女は一体何を経験してきたのだろうか。

「朝霧さん、ご事情は分かりました。結果については、後日ご連絡いたします」

「はい」

静奈は面接室を後にした。

その後の面接は、昭彦にとって退屈極まりないものとなり、彼は途中で席を立ってしまった。

静奈が離婚する。

それは自分にとって、間違いなく「機会」だった。

ずっと心の奥底に押し殺してきた感情が、抑えきれず溢れ出し始めていた。

その日の午後。静奈は明成バイオテクノロジーの人事部から電話を受け、来週から出社するよう告げられた。

静奈はこの結果を文に報告した。

文は、彼女が見た目は穏やかだが芯は強い性格だと知っていた。

きっと自分の力で、面接を突破したのだろうと察した。

雪乃は静奈の就職が決まったことを大喜びし、何が何でもお祝いをしなければと、彼女を飲みに誘った。

夜。静奈は、約束通りバー「Misty」にやってきた。

薄暗く、音楽が鳴り響く雰囲気に、彼女は少し戸惑った。

「静奈、こっち!」

雪乃が個室の入り口から、静奈に手招きしている。

静奈が席に着いた、その時。マネージャーが、上半身裸の男性モデルたちを引き連れて入ってきた。

静奈は、その光景に度肝を抜かれた。

「雪乃、これ、どういうこと?」

「あなたの離婚予定と就職、そして新しい人生の門出を祝して、私が特別にメンズを呼んであげたのよ。好きな子を選んで。今夜は飲ませ放題よ」

静奈は、気まずい表情を浮かべた。

「そういうのは、ちょっと……」

彼女は、遊び慣れていなかった。

唯一の恋愛経験は、あの時に彰人を好きになり、そして彼と結婚したことだけだ。

「じゃあ、この子ね」

雪乃は、構わず一番のイケメンを指差し、静奈のために決めてしまった。

その男が、静奈の隣に腰を下ろす。

見事に割れた腹筋が目の前でちらつき、静奈は視線のやり場に困った。

気まずさを紛らわすため、目の前の酒を一口飲んだ。

男は、慣れた手つきで静奈の手を取り、色っぽい視線を送った。

「お姉さん、俺の膝の上で飲まない?腹筋、触り放題だよ」

静奈は、ビクッと体を震わせた。

「わ、私、ちょっとお手洗いに」

この雰囲気にどうしても馴染めず、彼女は慌てて口実を作って部屋を飛び出した。

お手洗いで顔を洗い、少し冷静さを取り戻す。

しかし、部屋に戻る際、うっかりして方向を間違え、VIPエリアに迷い込んでしまったことに気づかなかった。

その頃。VIPの個室では。

彰人が、沙彩を幼馴染たちに紹介していた。

日向陸(ひゅうが りく)と神崎湊(かんざき みなと)。

二人は彰人と共に育ち、家柄も申し分ない、潮崎市でも名の知れた名家の御曹司だ。

彰人は、ソファの背もたれに腕を回している。

沙彩は彼の隣に座り、まるで彼がごく自然に彼女を抱き寄せているかのように見えた。

陸がグラスを掲げる。

「沙彩さん、初めまして。一杯どうぞ。

彰人が俺たちの集まりに女を連れてきたことなんて、今まで一度もなかった。沙彩さんが、正真正銘、初めてのだ!」

沙彩は、彰人の顔をちらりと盗み見た。

「もう、からかわないで。来る人みんなに、そう言ってるんでしょ?」

「マジだって!な、湊!」

湊も隣で頷いた。

「陸の言う通りだ。彰人は昔から女っ気ゼロで有名だったからな。あの朝霧静奈って女が卑怯な手を使って無理やり結婚しなきゃ、彰人は一生、あんな女に目もくれなかったはずだ」

その答えを聞き、沙彩は嬉しくてたまらなかった。

彼女は、機嫌よく手の中の酒を飲み干した。

陸が、すかさず彼女のグラスに酒を注ぐ。

「お、飲みっぷりがいいね!さあ、もう一杯!」

彰人が、その手を制した。

「彼女は酒に弱い。その辺にしておけ」

陸が、わざとらしく騒ぎ立てた。

「うわ、もう守りに入ってるよ。

たかが二杯目じゃないか。彰人、ケチケチするなよ」

彰人は、沙彩のグラスを取り上げた。

「俺が代わりに飲む」

「そりゃダメだ!」

陸は、彰人のグラスを沙彩の手に握らせた。

「どうせなら、クロスで飲まなきゃ!」

沙彩は、恥ずかしそうに彰人を見上げ、自ら口を開いた。

「いいわよ、飲みましょう。でも、これを飲んだら、もう無理やり飲ませるのは禁止よ」

「さすが沙彩さん、話が分かる!」

沙彩と彰人が、グラスを掲げた。

まさにその時。静奈が、個室のドアを開けて入ってきた。

彼女が顔を上げると、彰人と沙彩が酒の入ったグラスを持ち、腕を絡ませている光景が目に飛び込んできた。

彰人は、静奈の姿を認めた瞬間、あからさまな嫌悪感を顔に浮かべた。

「なぜ、お前がここにいる?」

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