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第348話

Author: 浮島
言っているのは――ナプキンのことだった。

蒼空は唇を噛みしめ、それを受け取り、小さな声で言った。

「うん」

そう言って、勢いよくドアを閉めた。

もちろん、もう使い方くらい知っている。

遅かったとはいえ、必要なことはすべて覚えた。

出てくるのが少し遅れたのは、浴室の中で必死にスカートや下着を手洗いしていたせいだった。

食卓に着くと、瑛司が台所の方へ声をかけた。

「料理は温めたか?」

「はい」

使用人が答えて、湯気の立つ皿を運んできた。

蒼空はずっとうつむいたまま、誰の顔も見られなかった。

そんな彼女に、使用人が穏やかに笑って言った。

「大丈夫ですよ、関水さん。女の子なら誰にでもあることです。恥ずかしがらなくてもいいですよ」

蒼空は何も言わず、静かに箸を動かした。

そのとき、ふっと笑い声が聞こえた。

顔を上げると、瑛司がこちらを見ていた。

「笑わないで!」

思わず睨みつける。

彼の黒い瞳には柔らかな笑みが浮かんでいた。

「笑ったんじゃない。可愛いと思っただけだ」

その一言で、顔の熱はさらに上がった。

「恥ずかしがることはない。お前は女の子だから、俺よりずっとよくわかっているだろう」

たしかに生理なんて特別なことではない。

恥じる必要もない。

でも、それを彼の口から言われるのは、どうしようもなく変な気分だった。

せっかく距離を取ろうとしていたのに、その一言で境界が曖昧になっていく。

しかも、ここには母の文香もいる。

蒼空は思わず母の方を見た。

文香は呆気にとられたように固まっていて、事の展開が信じられないという顔をしていた。

「もう過去のことです。とっくに忘れました」

深呼吸して、こみ上げる羞恥を押し殺す。

「これ以上話すことはありませんから、もう帰ってください」

瑛司の目が細まった。

声の調子が低く、どこか含みがある。

「忘れた?」

彼がまだ何も言わないうちに、文香が勢いよく立ち上がり、娘の前に立ちはだかった。

「松木社長はすごい方だと敬意はあります。でも、私の娘を困らせるのは許しません。

娘が何を選ぼうと、それは彼女の自由です。法を犯しているわけでもないのに、社長が口を出す筋合いはないでしょう。娘の意志を尊重してください!」

蒼空は呆然とその背中を見つめた。

数秒遅れて、ようやく我に返り、
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