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婚約指輪を失くし、愛をあきらめる

婚約指輪を失くし、愛をあきらめる

Par:  ソフトクリームComplété
Langue: Japanese
goodnovel4goodnovel
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10.7KVues
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婚約指輪をなくした私・一ノ瀬馨奈(いちのせ かな)に反省させるため――ただそれだけの理由で、婚約者の神谷怜(かみや れい)は私との結婚式を中止した。しかも、それだけではなく、大勢の前で、私の代わりに彼の秘書・矢野萌香(やの もえか)と結婚すると宣言したのだ。 ところが結婚式当日、なくなったはずの婚約指輪が萌香の指にはまっているのを、私は見つけてしまった。 ところが、私が問い詰めるより先に、萌香は涙を流し、私が彼女を嫌っているからわざと陥れようとしているのだと、訴え始める。 さらに、身の潔白を証明すると言って、泣きながら会社を辞めるとまで言い出した。 すると怜は、萌香をなだめるためだけに、わざわざ全社員を集めて緊急会議を開き、その様子をネットで生配信した。そこで怜は、私が嫉妬から萌香を陥れたと決めつけ、人の上に立つ資格もないと非難し、私が持つ会社の株をすべて取り上げ、慰謝料代わりに萌香へ渡すとまで言い放った。 そして、これに従わなければ、本当に萌香と付き合って、私から仕事も財産もすべて奪う、との最後通牒も突きつけられる。 会議室がざわめき、周囲から私に向けられるのは、同情の入り混じった視線。 きっと誰もが、今回も私が怜に折れると思っていたのだろう。 けれど私は、二人に向かって軽く微笑んだだけ。 「じゃあ、お二人ともお幸せに」

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Chapitre 1

第1話

その瞬間、怜が固まった。

次いで顔を険しくすると、デスクを叩いて立ち上がり、手元の書類を私の顔へ投げつけた。

「馨奈、何だその言い方は?

自分が悪いことをしたって、まだ分からないのか?そんな態度を続けるなら、今すぐ会社から追い出してもいいんだからな」

周囲から、ひそひそと話す声が聞こえてきた。

けれど、この会社ではもう珍しい光景でもなかった。

私は彼の恋人だったが、それでも会社で怜の気に障ることがあれば、彼は容赦なく社員の前で私を叱りつけた。

それが長く続くうちに、社員たちも私を軽く扱うようになっていった。

それでも怜は満足しなかったようで、私が悪く見える場面だけを切り取って、わざわざネットに公開したことさえある。

私はずっと彼の横で耐えながら、会社を一から大きくするために力を尽くしてきたのに、今では何もできないくせに社長の恋人というだけで威張っている女だと、ネットで好き放題に叩かれていた。

案の定、配信のコメント欄も荒れていて、私を責める言葉が次々と流れていく。

その様子を見ていた萌香は、隠しきれない笑みを口元に浮かべていたが、しばらくしてからゆっくり前へ出ると、配信を止め、怜をなだめるように声をかけた。

「怜さん、そんなに怒らないでください。私はもう一ノ瀬さんを許してますから。

それに、一ノ瀬さんが何をしたとしても、怜さんの恋人であることに変わりはありません。私、自分のせいでお二人が揉めるのは嫌なんです」

それまで怜の表情には、わずかな迷いが見えていた。大勢の前で私に言いすぎたと、少しくらいは思っていたのかもしれない。

けれど萌香の言葉を聞いた途端、怜は鼻で笑った。私を見る目にも、再び軽蔑が浮かぶ。

「こいつは俺の恋人だからって甘えてるんだよ。俺なら何をしても許すと思ってるから、こんなわがままになった。

馨奈、違うか?俺の言う通りだろ?」

彼は冷ややかな眼差しで私を射抜く。

心の中で呆れながら、私は何も答えなかった。

怜は最初から、自分が正しいと思っているから、何を言ったところで全てが無駄なのだ。

私が黙っていると、怜は反省したと受け取ったらしく、そこでようやく会議を終わらせた。

社員たちが出ていき、会議室に人がいなくなると、怜は深いため息をついた。

「馨奈。まさか自分が悪いことをしたのに反省もしないで、あんな言い方をするとは思わなかった。みんなの前で俺に恥をかかせて……本当にがっかりしたよ」

いつもの言葉だった。私を責めたあと、怜は決まってこう言う。

昔の私は、こう言われるたびに本気で反省していた。

でも、いつからか気づいた。私が反省するたび、まるで私の限界を試すように、怜はさらに一歩踏み込んでくるということを。

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ノンスケ
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秘書と浮気しておいて、彼女との間を行ったり来たりしてるのを楽しんでた男が、本気で彼女が去ると知って慌てて秘書を切って追いかけてきたけど、彼女はもう完全に見切りをつけ、実家に戻って就職し、すぐに仕事で頭角を表し、残された男は結局浮気相手の秘書を首にすることなくそばにおいて妊娠発覚、やむなく結婚したものの会社の金を横領されて取引も潰され、結婚式は大荒れ。そして彼女は心を動かすこともなく仕事へ。自分を持ってる女は強い。
2026-09-14 21:34:53
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松坂 美枝
松坂 美枝
最後ホラーだわ… 結局間女クビにしてなかったんじゃん 主人公がタバコで反撃したとこは良かった クズ男が拾った猫は無事なんだろうか いつかふらっと現れそう
2026-09-14 10:22:04
10
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雨降る雪降る
雨降る雪降る
女に依存するタイプか。みっともない。自分の頭で考え、自分の足で立てよ。
2026-10-16 06:11:05
0
0
12
第1話
その瞬間、怜が固まった。次いで顔を険しくすると、デスクを叩いて立ち上がり、手元の書類を私の顔へ投げつけた。「馨奈、何だその言い方は?自分が悪いことをしたって、まだ分からないのか?そんな態度を続けるなら、今すぐ会社から追い出してもいいんだからな」周囲から、ひそひそと話す声が聞こえてきた。けれど、この会社ではもう珍しい光景でもなかった。私は彼の恋人だったが、それでも会社で怜の気に障ることがあれば、彼は容赦なく社員の前で私を叱りつけた。それが長く続くうちに、社員たちも私を軽く扱うようになっていった。それでも怜は満足しなかったようで、私が悪く見える場面だけを切り取って、わざわざネットに公開したことさえある。私はずっと彼の横で耐えながら、会社を一から大きくするために力を尽くしてきたのに、今では何もできないくせに社長の恋人というだけで威張っている女だと、ネットで好き放題に叩かれていた。案の定、配信のコメント欄も荒れていて、私を責める言葉が次々と流れていく。その様子を見ていた萌香は、隠しきれない笑みを口元に浮かべていたが、しばらくしてからゆっくり前へ出ると、配信を止め、怜をなだめるように声をかけた。「怜さん、そんなに怒らないでください。私はもう一ノ瀬さんを許してますから。それに、一ノ瀬さんが何をしたとしても、怜さんの恋人であることに変わりはありません。私、自分のせいでお二人が揉めるのは嫌なんです」それまで怜の表情には、わずかな迷いが見えていた。大勢の前で私に言いすぎたと、少しくらいは思っていたのかもしれない。けれど萌香の言葉を聞いた途端、怜は鼻で笑った。私を見る目にも、再び軽蔑が浮かぶ。「こいつは俺の恋人だからって甘えてるんだよ。俺なら何をしても許すと思ってるから、こんなわがままになった。馨奈、違うか?俺の言う通りだろ?」彼は冷ややかな眼差しで私を射抜く。心の中で呆れながら、私は何も答えなかった。怜は最初から、自分が正しいと思っているから、何を言ったところで全てが無駄なのだ。私が黙っていると、怜は反省したと受け取ったらしく、そこでようやく会議を終わらせた。社員たちが出ていき、会議室に人がいなくなると、怜は深いため息をついた。「馨奈。まさか自分が悪いことをしたのに反省もしないで、あんな言い方
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第2話
「私が何をしたの?」私は静かに尋ねた。「もう二人で結婚式まで挙げたんだから、幸せにって言って、何が問題なの?」予想していなかったのか、怜は一瞬黙ったが、すぐに呆れたような笑みを浮かべる。「お前は本当に根に持つよな。あの結婚式は話題作りのためで、実際に結婚したわけじゃない。それに、1年も前から結婚式をすると宣伝してたのに、直前になって中止したら格好がつかないだろ?むしろ萌香に感謝するべきじゃないのか?失くした婚約指輪を見つけてくれたのも萌香だし、お前が出張でいなかったから、新婦役まで引き受けてくれたのだって萌香だぞ。当事者のお前よりよっぽど考えてくれているよ。なのに、お前はよくそんな態度が取れるな」怜があまりにも堂々と言うので、思わず笑ってしまった。あの結婚式は、準備から費用までほとんど私が負担していたし、3か月かけて、会場の装飾から、招待客に配る小さなお菓子まで一つ一つ私が決めてきたのだ。それなのに怜は、私にはやることが多すぎるから指輪まで任せたら失敗すると言って、婚約指輪を萌香に預けた。私は反対したのに、怜は「俺を信用できないのか」と責めてきた。そして結婚式当日、指輪がなくなった。すでに招待客も集まっていたため、私は急いで予備の指輪を用意させたのだが、怜は、それを見て「結婚式を軽く考えている」と怒り、私たちは激しく言い争った末、彼は何も言わず会場を出ていってしまったのだった。残された私は、駆けつけてくれた家族や友人、招待客に頭を下げて回った。何か月も準備してきた結婚式の後始末を一人で終え、休む暇もないまま、今度は怜の指示で地方出張へ向かわされた。それなのに今も、怜は何もかも私のせいにする。そもそも萌香が怜に好意を持っていることなんて、周囲はとっくに気づいていて、気づいていないふりをしているのは、怜だけだった。なくなった婚約指輪だって、萌香が持っていたのなら、私がどれだけ探したところで見つかるはずがない。以前の私なら、一つ一つ怜にぶつけていただろうが、もう疲れた。怜自身も本当は分かっているはずのことを、いつまでも認めようとしない彼と争う気にはなれなかった。「怜さん、一ノ瀬さんを責めないであげてください。私がやったことは、全部自分でやりたくてやったことですから」出ていったはずの萌香が、再び会議室へ入っ
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第3話
怜は深いため息をついた。「もういい。これ以上言い合うつもりはない。今回、お前が萌香を陥れようとしたせいで、社内じゃあいつの噂が広まってる。萌香が精神的に強い子だったからよかったものの、普通なら潰れててもおかしくないんだぞ?うちは社員を不当に傷つけて、そのままにはしない。迷惑をかけた分、これにサインしろ」そう言って、彼は株式譲渡契約書を私の前に置いた。「今のお前に株を持ち続ける資格はない。もっと会社に貢献している人間に譲るべきだ」萌香の目が一瞬輝いたが、すぐに困ったような顔を作る。「そんな……私がいただくわけにはいきません」「いいんだ。萌香にはそれだけの働きをしてもらってる」怜は迷いなく言い切った。私は呆れを通り越して、笑いそうになった。この会社の立ち上げ資金を出したのは私だ。投資家を探して走り回り、寝る間も惜しんで案件を取り、怜と二人でここまで会社を大きくした。それを怜は、たった一言で他人に渡そうとしている。私は乾いた笑みを浮かべ、契約書を手に取った。怜は私が折れたと思ったのだろう。わずかに満足そうな顔をする。萌香も、期待を隠しきれない目で私の手元を見つめていた。その二人の前で、私は契約書を真ん中から破った。そしてスマホを取り出し、警察に電話をかける。「馨奈!」怜はすぐに私の手からスマホを奪い、発信したばかりの通話を切った。「何で警察なんかに電話するんだよ!」彼は苛立ちを隠せない様子で私を睨みつけた。焦ったような顔を見て、私は思わず笑ってしまう。自分たちの言い分が本当に正しいなら、慌てる必要などないはずなのだから。「私が矢野さんを陥れたって言うんでしょ?だったら警察に来てもらって、どっちの言い分が正しいのか確認してもらえばいいじゃない」私は萌香へ目を向けた。「ついでに婚約指輪がなくなった件も調べてもらいましょう。今は防犯カメラもあちこちにあるし、当日の映像を追えば何か分かるかもしれませんから」萌香の表情が、一瞬だけ強張った。怜が何か言いかけるより先に、萌香が止める。「怜さん、もう大丈夫ですから。同じ会社で働いてるんですし、警察沙汰にするほどのことじゃありません。これ以上騒ぎになったら、会社の評判にも関わりますし……ここで終わりにしましょう?」怜は萌香を気遣うように見つめた。そ
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第4話
「会社に2億円以上の損失を出した矢野さんが、優秀な人材?怜、休んだほうがいいのは本当に私?」「お前……」痛いところを突かれたのか、怜の顔が赤くなった。怒鳴りかけたものの、どうにか堪えたらしい。「そこまで言うなら、もう話すことはない」そう言って、彼は婚約指輪を力いっぱい私に向かって投げつけ、そのまま出て行った。まただ。自分が不利になると、怜は決まってこうする。一方的に会話を打ち切って私を無視し、私のほうから謝りに来るのを待つ。でも今回は、何も感じなかった。彼を引き止めることもなく、床に落ちた婚約指輪へ一度だけ目を向け、そのまま部屋を後にした。その夜、怜は日付が変わっても帰ってこなかった。一方、萌香は会社のグループチャットに写真を送っていた。【怜さんから最新モデルの車をいただきました!すっごく素敵!頑張っていれば、ちゃんといいことってあるんですね。皆さんも頑張りましょう!】添えられていた写真には、高級車の前で満面の笑みを浮かべる萌香が写っていた。その隣には怜が立ち、親しげに彼女の肩を抱いている。二人とも、ずいぶん楽しそうだった。同僚たちからも、次々と祝福のコメントが送られた。最後には怜まで、可愛らしいスタンプを送っている。【日頃の働きに対するご褒美だ。萌香なら当然だよ。誰かさんにも少しは見習ってほしいな】その「誰かさん」が誰なのか、考えるまでもない。私を嫉妬させたいのだろう。そうすれば、いつものように私が折れて謝ってくる。しばらくして、一人の女性社員から個人的にメッセージが届いた。【一ノ瀬さん、どうしちゃったんですか?昔は社長とすごく仲がよかったですよね?】彼女は会社を立ち上げたばかりの頃、私たちと一緒に働いていた人で、結婚と出産を機に一度退職し、少し前に私が声をかけて復職してもらっていた。そのメッセージを見ているうちに、昔のことを思い出した。あの頃の私と怜は、本当に仲がよかった。私が体調を崩せば、ろくに眠りもせず何日もそばで看病してくれたし、私の好きな果物を買うためだけに、仕事で疲れ切っているのに遠くまで足を運んでくれたこともある。誕生日には、私を驚かせたいと言って、大勢の人がいる場所で派手に車をプレゼントしてくれた……あれから10年、あのときもらった車はもうすっかり古くな
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第5話
怜はもともと写真が好きではなかったので、一緒に写っている写真のほとんどは、私が何度も頼み込んで、ようやく撮ってもらったものだった。気に留めないかと思っていたら、予想外のことにも彼は興味を示し、私の手から写真を奪うと、1枚ずつ眺め始めた。「これ、いつ撮ったんだ?全然覚えてない」少し驚いた様子で、私への口調もいつの間にか柔らかくなっていた。「この写真、俺の横顔けっこうよく撮れてるな。誰が撮ったんだ?これなんて、笑えるぞ。馨奈、狐みたいな顔して。馨奈、この頃のお前、可愛かったな。ほっぺたもふっくらしてて、愛嬌があってさ」怜は一人で懐かしそうに写真を眺めながら、自然と笑みを浮かべていた。私は何も答えなかった。3秒ほど沈黙が続いたところで、怜はようやく私たちが喧嘩中だったことを思い出したらしい。軽く咳払いをして、眉をひそめる。「何でこんな写真、燃やしてるんだ?」「もういらないから」と、淡々と答える。「もういいよ。お前が何考えてるかくらい分かってるからさ」怜は得意げに笑うと立ち上がり、写真を私の手へ押し戻した。「わざと俺に見せつけるためにやってるんだろ?もう意地張るなよ。明日の午後、一緒に役所に行って婚姻届を出そう」その言い方は相変わらず傲慢だった。まるで私と結婚することが、大層な恩恵であるかのように。私は鼻で笑い、残っていた写真もまとめて火の中へ放り込んだ。最後に残っていた思い出も、炎に呑まれていく。怜の眉間にしわが寄った。「何してるんだよ?」「怜、私たち……」言い終える前に、怜のスマホが鳴った。画面を見た瞬間、怜の目は明るくなり、そのまま寝室へ入りながら、電話に出た。ドア越しに楽しそうな笑い声が聞こえてくる。私は外で待ちながら、写真が燃え尽きて残った灰を見つめていた。まるで、私と怜の関係そのものだった。30分近く経って、ようやく怜が上機嫌で出てきた。「会社でちょっと用事ができたから、出てくるよ。帰りはかなり遅くなると思う」何でもないように言っていたが、電話の相手が萌香なのは分かっていた。ここ数年、怜が会社を口実に萌香と二人で会うことは何度もあった。私は何も指摘せず、ただ頷く。怜は寝室に戻って着替え、香水までつけた。たった一本の電話で、私のことなどすっか
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第6話
驚きはしなかった。会社は順調に成長し、株の価値も上がり続けている。だから、萌香自身に買い取るだけの資金がなくても、怜が用意するだろう。こんな好条件の話を、萌香が断るはずがない。二人で祝っているのかどうかは知らないが、その夜、怜は帰ってこなかった。私はそのまま眠っていたのだが、夜中に怜からの電話で起こされた。寝ぼけたまま通話ボタンを押す。聞こえてきたのは、怜の荒い息遣いだった。そして、10秒ほどして萌香の甘えるような笑い声も聞こえてくる。「怜さん、もう一ノ瀬さんのこと好きじゃないんですよね?なのに、どうして籍をいれようとしてるんですか?」少し沈黙したあと、怜が低い声で答えた。「もう10年も一緒にいるからな。それに、あいつも俺の言うことを聞いて株を手放してくれたんだから、今さら別れるのもな。てか、こんなときに馨奈の話はやめろよ。萎えるだろ」そこで電話は切れた。私は通話終了の画面を見つめた。怜はこの電話に私が出ているとは知らないのだろう。萌香がわざと私に聞かせるためにかけてきたのだ。以前も似たようなことは何度もあった。怜に言ったところで無駄だ。彼は私よりも萌香を信じている。そしてこの様子だと、おそらく明日婚姻届を出すという話も、今夜のうちに気が変わるはずだ。私はスマホを置き、そのままもう一度眠った。翌日も、自分の荷物の片付けを続ける。予想どおり、怜が帰ってきたのは昼過ぎになってからだった。「馨奈、今日は急用が入って役所に行けなかっただけで、わざとじゃないからな。怒ってないよな?」彼の首元には、うっすらと引っかき傷が残っていた。何の「急用」だったのかは、聞くまでもない。私は首を振った。「怒ってないよ」最初から予想していたし、そもそも私も役所へ行っていない。「ならよかった。株式譲渡の契約書は用意したから、先にこっちを済ませよう」怜は笑顔で私に契約書を差し出した。私が腹を立てて気が変わるのではないかと心配しているのか、どこか落ち着かない様子だった。それでも、私は気づかないふりをして、契約内容を確認し、問題がないことを確かめてから、サインをした。最後の一枚にサインすると、怜はようやくほっとした顔をし、普段なら何かと後回しにするくせに、今回ばかりはすぐに弁護士を呼び、手続きを進め
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第7話
「別れる?」怜は一瞬きょとんとした後、鼻で笑った。「何言ってるんだよ。株のこと、まだ根に持ってるのか?でも今回はお前が自分で萌香に売ったんだし、金だって受け取っただろ?だから、そんな被害者みたいな顔するなよ」怜は笑っている。私が本気で別れを切り出しているとは、まるで思っていないようだった。私は溜息をついた。「株なんか関係ない」「じゃあ何だよ?」怜は少し考えてから言った。「婚姻届を出しに行かなかったことか?馨奈、お前ほんとに細かいな。ちゃんと説明しただろ?今日は本当に急用があったんだよ」その言葉が終わる前に、聞くに堪えない音声が流れた。それは怜のポケットからだった。怜の表情が固まる。彼はすぐにスマホを取り出し、慌ててミュートにした。部屋に重い沈黙が落ちた。けれど私の気持ちは、不思議なくらい静かだった。焦っている怜を見ていると、どうやら本人は着信音が変えられていることを知らなかったらしい。となれば、萌香の仕業だろう。「馨奈……」怜が何か言おうとしたけれど、もう言い訳を聞く気にはなれなかった。「全部知ってるし、昨日矢野さんと何をしてたのかも聞いたから。もう別れよう。そのほうがお互いのためだよ」ここまで来れば、怜もそのまま受け入れると思っていたのだが、ところが怜は、急に私の手を強く掴んで、苦しそうに笑う。「分かった。萌香のことが原因なんだな。だったら明日、別の部署に異動させて、もうお前の前に姿を現さないようにするからさ。俺は一度だって、お前と別れようなんて思ったことない。10年も一緒にいたんだぞ。こんな終わり方にするなよ。俺は本当にお前と結婚するつもりだった。萌香のことは……ただの一時の迷いで……見てくれ、今日は本当に入籍しに行くつもりだったんだ」彼はスケジュールアプリに「婚姻届を出しに行く」と入力された画面を見せてきた。確かに、婚姻届を出しに行く気だったらしい。まあ、婚姻届を出そうと思った瞬間だけは、本気だったのだろう。でも、彼の本気なんて簡単に変わる。今ここで私と別れたくない、結婚したいと言いながら、次の瞬間には平気で萌香を抱きしめるのだから。私もスマホを取り出し、怜に差し出した。「私も本気で出ていくつもりだよ。もう実家に帰るチケットも取ってあるから」予約日は
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第8話
でも実際にその日を迎えてみると、残っていたのは静けさと麻痺したような感覚だけだった。苦しみすぎて、何も感じなくなったのかもしれないし、あるいは、昔の私はもう、何度も泣いた夜の中でとっくに消えていたのかもしれない。部屋の中から壁を叩く怜の音が聞こえたが、私は立ち止まることもなく、背を向けてその場を後にした。ところが建物を出ると、車のそばに萌香が立っていた。口には煙草をくわえ、勝ち誇ったような顔をしている。怜の前で見せる従順そうな姿はどこにもなく、顎を上げ、私のスーツケースをちらりと見ると、眉を上げた。「別れました?」思いどおりになったのが嬉しいのか、彼女は楽しそうに笑い、指で煙草を挟むと、わざと私のほうへ灰を落とした。「一ノ瀬さん、今ほんとに惨めですね。前から言ってたじゃないですか。怜さんと別れたほうがいいって。それなのに聞かないから、こんなことになるんですよ」萌香はわざとらしく残念そうに首を振った。「しかも、株まで手放して。自分が何をしているのか、分かってます?」その挑発するような態度は、昔から変わらない。萌香は入社して間もない頃から、二人きりになると私に怜と別れろと言ってきた。私は彼女の本性を知っていたけれど、彼女は私を挑発したあとには、何食わぬ顔で怜のところへ行き、何もしていないように振る舞うのだ。当時の私は、それをうまく受け流せなかった。腹を立てるたびに正面からぶつかり、結局は怜に誤解された。私が少しずつ諦めるようになると、萌香はまた別の方法で私を怒らせようとした。でも今こうして見ると、不思議なくらい腹が立たなかった。むしろ、こんな幼稚な挑発に何年も振り回されていた自分が滑稽に思えてくる。怜を大切に思っていたからこそ、冷静でいられなかったのだ。「怜さんって、やっぱり私のこと大事にしてくれてるんです。知ってますか?今回、株を買うお金だって怜さんが出してくれたんですよ」萌香はまだ満足げに喋り続けている。そんな得意げな彼女の顔を見ながら、私は萌香の前まで歩いていった。「何ですか?まさか私に手を出すつもり?」萌香は眉を上げる。どうせ私が怜を気にして、何もできないと思っているのだろう。彼女はわざと私の顔へ煙を吐きかけてきた。私は何も言わず、彼女の指先から吸いかけの煙草を奪い取り、何を
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第9話
萌香も一瞬固まった。自分の聞き間違いかと思ったのか、さっきと同じことをもう一度口にする。「一ノ瀬さんがいきなり煙草を口に押し込んできたんです」「萌香」怜はそこでようやく萌香を見た。そしてスマホを取り出し、彼女の口座にお金を振り込む。その声は、いつになく冷たかった。「病院には自分で行ってくれ。今はお前のことに構ってる時間がないから」萌香は呆然と立ち尽くした。送られた金も確認せず、怜の手首を掴んで甘えるように揺らす。これは萌香の得意技だったし、今までは、これをされると怜は必ず折れた。だが今回は、怜は迷いもなく彼女の腕を振り払った。萌香は地面に倒れ込み、目に涙を浮かべる。今度こそ、本気で慌てているようだった。「怜さん、どうしてこんなひどいことをするんですか?昨日の夜はあんなに……」「萌香、黙れ」怜は彼女の言葉を遮った。「さっき、お前が馨奈に突っかかっていたのは見てたから。今すぐここから消えろ。二度と俺の前に姿を見せるな」怜が本気で怒っているのは一目瞭然だった。萌香もそれ以上は何も言えなくなったのか、唇を噛んで黙り込み、最後は泣きそうな顔のまま走り去った。怜はその背中を一度だけ見てから、私に向き直ると、悲しげな表情で呟く。「ごめん、馨奈。あいつがあんな女だとは……」「もういいから」最後まで言わせず、私は淡々と遮った。「知ってたでしょ?矢野さんが私を挑発してたことも、濡れ衣を着せてたことも、私がずっと理不尽な目に遭ってたことも……あなたは知ってたよね?」ただ怜にとっては、それが大したことではなかっただけだ。萌香の嫌がらせも、私への挑発も、ちょっとした悪ふざけくらいにしか思っていなかったから、一緒になって私を責めていた。今回だって、私が別れを告げなければ、きっと今までどおり萌香の味方をしていただろう。私が言い終えると、怜は口を開いた。何か言い返そうとしたらしいが、短く声を漏らしただけで、結局その先は続かなかった。やっぱり、私の思ったとおりだった。怜はずっと、自分を愛してくれる二人の女の間を行ったり来たりしていただけ。どっちも欲しい。どちらも手放したくないのだ。「送ってもらわなくて大丈夫だから。今あるものを大事にしたら?これは、10年一緒にいた私からの最後の忠告」「
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第10話
怜自身も、もう何を言っても無駄だと分かったのだろう。彼はついに感情を抑えきれなくなっていた。「萌香と話をつけてくる」彼がスマホを取り出して萌香に連絡しようとする隙に、私は指から婚約指輪を外して彼の手に握らせ、振り返らずその場を立ち去る。「馨奈!」怜が私の名前を叫ぶ。それでも私は構わず、車を走らせた。バックミラー越しに、目を赤くして追いかけてくる怜が見え、その姿が一瞬だけ昔の自分と重なった。萌香が現れてから何年も、私はずっとああやって怜の後ろを追い続け、そのたびに傷ついて、何度も限界まで追い詰められた。ただ、怜は私より少し幸運かもしれない。萌香がいるのだから、きっとすぐに立ち直れるはずだ。これで怜との関係も、本当に終わった……そう思っていた。けれど、私を繋ぎ止めようとする彼の執着を甘く見ていたようだ。空港に着いてしばらくすると、私の乗る便が一部の乗客の都合で4時間遅れるとアナウンスがあった。不満を言いながら別の便に変更する人も多かったが、私は急いでいなかったので、そのままラウンジで待つことにした。実家はここからかなり遠いため、卒業した頃、本当は地元へ戻るつもりだったし、地元の条件のいい会社からも、卒業前にいくつも声をかけてもらっていた。それでも私はすべて断って、怜についてこの街へ来たのだ。もともと縁もゆかりもない街だったが、怜と暮らすうちにいつしかこの街にも愛着が湧いていた。でも、それも今日で終わる。これから両親に何と説明しようか、そんなことを考えていたので、ラウンジの人が少しずつ減っていることには気づかなかった。おかしいと思った頃には、残っているのは私一人だけだった。時計を見ると出発までは、まだ1時間近くある。ガラス越しに外を見ると、警備員らしき人が誰かと話していたので、何か確認でもあるのかと思い、私も立ち上がった。ちょうど外へ出ようとしたそのときだった。入口から、十数人のスーツ姿の男性が次々と入ってきて、全員大きな花束を抱えている。「一ノ瀬さん、神谷さんは心から反省していますので、どうか神谷さんを許してあげてください。それに、あなたを迎えに来ています」彼らは揃ってそんなことを言い出した。私は眉をひそめた。怜の名前を聞いて、ようやくこれが彼の仕業だと気づく。周囲でも何事かと足を止める
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