LOGIN婚約指輪をなくした私・一ノ瀬馨奈(いちのせ かな)に反省させるため――ただそれだけの理由で、婚約者の神谷怜(かみや れい)は私との結婚式を中止した。しかも、それだけではなく、大勢の前で、私の代わりに彼の秘書・矢野萌香(やの もえか)と結婚すると宣言したのだ。 ところが結婚式当日、なくなったはずの婚約指輪が萌香の指にはまっているのを、私は見つけてしまった。 ところが、私が問い詰めるより先に、萌香は涙を流し、私が彼女を嫌っているからわざと陥れようとしているのだと、訴え始める。 さらに、身の潔白を証明すると言って、泣きながら会社を辞めるとまで言い出した。 すると怜は、萌香をなだめるためだけに、わざわざ全社員を集めて緊急会議を開き、その様子をネットで生配信した。そこで怜は、私が嫉妬から萌香を陥れたと決めつけ、人の上に立つ資格もないと非難し、私が持つ会社の株をすべて取り上げ、慰謝料代わりに萌香へ渡すとまで言い放った。 そして、これに従わなければ、本当に萌香と付き合って、私から仕事も財産もすべて奪う、との最後通牒も突きつけられる。 会議室がざわめき、周囲から私に向けられるのは、同情の入り混じった視線。 きっと誰もが、今回も私が怜に折れると思っていたのだろう。 けれど私は、二人に向かって軽く微笑んだだけ。 「じゃあ、お二人ともお幸せに」
View More実家へ戻ってからも、怜は時々メッセージを送ってきた。【会社の近くのランチがおいしかった】【社員から社食がまずいと不評だったから、新しい業者に変えた】【夜にランニングをしていたら、ゴミ箱を漁っている子猫を見つけた】そして、その猫を引き取ったと、わざわざ写真まで送ってきた。そんなメッセージを見るたび、付き合い始めたばかりの頃を思い出す。あの頃は遠距離だったのに、私たちは何でも互いに話していた。遠距離が終わってからも、会えない日は毎日のように時間を作って話した。しかし、それが変わったのは、萌香が現れてからで、怜から届くメッセージは少しずつ減っていった。それからは、日々の出来事を送り続けていたのは、いつしか私だけになっていた。あの頃の私は、今の怜と同じ。数日後、彼のラインをブロックしたが、すぐに彼は別の連絡手段を見つけてきた。ある夜、酔った怜から電話がかかってきた。泣きながら、私を薄情だ、冷たい、どうして一人で置いていくんだと責め続ける。思いつく限りの言葉をぶつけたあと、彼は最後には泣きながら尋ねてきた。「昔、あんなにたくさん写真撮っただろ。なのに何で今、家に一枚も残ってないんだよ。馨奈……お前に会いたい」それから1週間後、怜からメッセージが届いた。萌香と結婚するという。予想どおりだったので、驚きはしなかった。実家へ戻ってから将来性のある会社に転職し、これまでの経験も評価され、わずか3か月でマネージャーに昇進したため、私は忙しい毎日を送っていた。だから、私は怜に祝福の言葉だけを返す。後日、知人から聞いた話では、怜と萌香の結婚式はかなり盛大だったらしい。ただし、その結婚式当日、二人は大勢の招待客の前で激しく言い争ったという。その際、怜が勢い余って萌香を突き飛ばし、萌香は階段から転落してしまったため、妊娠していた子どもは助からず、萌香自身も大量出血で病院へ搬送された。この騒動は、あっという間に広まった。あとになって、詳しい事情も耳に入ったのだが、萌香が仕事のミスをして、大事な取引を台無しにしたのが事の発端だったらしい。その後、怜は萌香に謝罪へ行かせたものの、先方の責任者に少し注意されただけで逆上し、相手の顔に酒をかけるという失態を犯す。当然、取引は破談。怜の会社の評判も一気に落ちた。怜は
萌香の言い方は曖昧だった。まるで彼女こそひどい目に遭った被害者のように聞こえる。私は少し離れたところで、こちらを期待するように見つめている怜を見た。萌香が不本意ながらも私に謝りに来たのは、きっと怜に言われたからだろう。私は自嘲気味に鼻で笑った。考えてみれば、怜が私と萌香のどちらかを選ぶ場面で、初めて萌香を犠牲にして私の機嫌を取ろうとしたのかもしれない。私と目が合うと、怜もわずかに笑った。「もう行っていい」怜が萌香に淡々と言う。萌香は慌てて立ち上がり、さらに何度か私を説得してから、その場を離れたが、怜の背後まで行ったところで一度だけ振り返り、冷たい目で私を睨んだ。「馨奈、萌香には謝らせたし、会社もクビにした。これからは会社であいつと顔を合わせることもないから……俺と帰ろう、な?」怜はそばにいた男性から大きな薔薇の花束を受け取り、昔と同じように私へ差し出した。「あの頃に戻ろう。付き合い始めた頃みたいに戻って、全部やり直さないか?」真っ直ぐに私を見つめる彼の瞳には、期待が滲んでいる。私は差し出された花束を受け取った。怜の瞳がかすかに輝いたが、彼が喜びに浸る間もなく、私は淡々と告げた。「あなたって、少し自信過剰なのかな?もし本当に全部やり直せるなら、私がもう一度あなたと付き合うと思う?」そう言って、受け取った薔薇を隣のゴミ箱へ捨てた。怜は驚かなかった。こうなることを予想していたのか、目に少しだけ落胆が浮かぶ。けれどすぐに、また笑顔を作ると、鞄の中を探りながら言った。「大丈夫。俺の本気はまだ伝えられる。家を一部屋買ったんだ。仲直りのプレゼントにしようと思って、家を一軒買ったんだ。前に、新居には写真をたくさん飾りたいって言ってただろ?だから、カメラも選んだし、写真立てもたくさん買った。それに、二人の写真を飾る壁も作ったんだ。お前が安心できるように、権利書はお前に預けるよ。これが、権利書…………あれ、権利書は?さっきまではカバンに入っていたはずなのに」焦った怜は、慌てて中を探り、ついには鞄を逆さにして中身をすべて出した。ほかのものは全てあるのに、権利書だけがなかった。「おかしい。さっきまであったのに……」怜は必死に探し続けていたが、私は時間を確認して、淡々と告げる。
怜自身も、もう何を言っても無駄だと分かったのだろう。彼はついに感情を抑えきれなくなっていた。「萌香と話をつけてくる」彼がスマホを取り出して萌香に連絡しようとする隙に、私は指から婚約指輪を外して彼の手に握らせ、振り返らずその場を立ち去る。「馨奈!」怜が私の名前を叫ぶ。それでも私は構わず、車を走らせた。バックミラー越しに、目を赤くして追いかけてくる怜が見え、その姿が一瞬だけ昔の自分と重なった。萌香が現れてから何年も、私はずっとああやって怜の後ろを追い続け、そのたびに傷ついて、何度も限界まで追い詰められた。ただ、怜は私より少し幸運かもしれない。萌香がいるのだから、きっとすぐに立ち直れるはずだ。これで怜との関係も、本当に終わった……そう思っていた。けれど、私を繋ぎ止めようとする彼の執着を甘く見ていたようだ。空港に着いてしばらくすると、私の乗る便が一部の乗客の都合で4時間遅れるとアナウンスがあった。不満を言いながら別の便に変更する人も多かったが、私は急いでいなかったので、そのままラウンジで待つことにした。実家はここからかなり遠いため、卒業した頃、本当は地元へ戻るつもりだったし、地元の条件のいい会社からも、卒業前にいくつも声をかけてもらっていた。それでも私はすべて断って、怜についてこの街へ来たのだ。もともと縁もゆかりもない街だったが、怜と暮らすうちにいつしかこの街にも愛着が湧いていた。でも、それも今日で終わる。これから両親に何と説明しようか、そんなことを考えていたので、ラウンジの人が少しずつ減っていることには気づかなかった。おかしいと思った頃には、残っているのは私一人だけだった。時計を見ると出発までは、まだ1時間近くある。ガラス越しに外を見ると、警備員らしき人が誰かと話していたので、何か確認でもあるのかと思い、私も立ち上がった。ちょうど外へ出ようとしたそのときだった。入口から、十数人のスーツ姿の男性が次々と入ってきて、全員大きな花束を抱えている。「一ノ瀬さん、神谷さんは心から反省していますので、どうか神谷さんを許してあげてください。それに、あなたを迎えに来ています」彼らは揃ってそんなことを言い出した。私は眉をひそめた。怜の名前を聞いて、ようやくこれが彼の仕業だと気づく。周囲でも何事かと足を止める
萌香も一瞬固まった。自分の聞き間違いかと思ったのか、さっきと同じことをもう一度口にする。「一ノ瀬さんがいきなり煙草を口に押し込んできたんです」「萌香」怜はそこでようやく萌香を見た。そしてスマホを取り出し、彼女の口座にお金を振り込む。その声は、いつになく冷たかった。「病院には自分で行ってくれ。今はお前のことに構ってる時間がないから」萌香は呆然と立ち尽くした。送られた金も確認せず、怜の手首を掴んで甘えるように揺らす。これは萌香の得意技だったし、今までは、これをされると怜は必ず折れた。だが今回は、怜は迷いもなく彼女の腕を振り払った。萌香は地面に倒れ込み、目に涙を浮かべる。今度こそ、本気で慌てているようだった。「怜さん、どうしてこんなひどいことをするんですか?昨日の夜はあんなに……」「萌香、黙れ」怜は彼女の言葉を遮った。「さっき、お前が馨奈に突っかかっていたのは見てたから。今すぐここから消えろ。二度と俺の前に姿を見せるな」怜が本気で怒っているのは一目瞭然だった。萌香もそれ以上は何も言えなくなったのか、唇を噛んで黙り込み、最後は泣きそうな顔のまま走り去った。怜はその背中を一度だけ見てから、私に向き直ると、悲しげな表情で呟く。「ごめん、馨奈。あいつがあんな女だとは……」「もういいから」最後まで言わせず、私は淡々と遮った。「知ってたでしょ?矢野さんが私を挑発してたことも、濡れ衣を着せてたことも、私がずっと理不尽な目に遭ってたことも……あなたは知ってたよね?」ただ怜にとっては、それが大したことではなかっただけだ。萌香の嫌がらせも、私への挑発も、ちょっとした悪ふざけくらいにしか思っていなかったから、一緒になって私を責めていた。今回だって、私が別れを告げなければ、きっと今までどおり萌香の味方をしていただろう。私が言い終えると、怜は口を開いた。何か言い返そうとしたらしいが、短く声を漏らしただけで、結局その先は続かなかった。やっぱり、私の思ったとおりだった。怜はずっと、自分を愛してくれる二人の女の間を行ったり来たりしていただけ。どっちも欲しい。どちらも手放したくないのだ。「送ってもらわなくて大丈夫だから。今あるものを大事にしたら?これは、10年一緒にいた私からの最後の忠告」「