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【あなたを守る理由 ―その願い―】

last update publish date: 2026-10-01 21:30:47

「……どこへも、行かせない?」

 廊下から聞こえてきたクロードの声に、僕は思わず息を止めた。

 聞き間違いだろうか。

 あの穏やかなクロードが、誰かに向かってあんな冷たい声を出すなんて。

「しかし、クロード様。奥方様のご命令に背くわけには」

「では、あなたがリヒト様をお連れするのですか」

「い、いえ。そのようなことは」

「そうでしょうね」

 靴音が一つ、近づいた。

「昨日、どのようなお姿でお戻りになったか、ご存じでしょう」

「……はい」

「それでも、明日の朝までに本宅へお連れしろと?」

 返事はなかった。

 僕は布団を握りしめ、閉じられた扉を見つめた。

 あの人は、怒っている。

 僕のために。

 そう思った途端、胸の奥が妙に落ち着かなくなった。

「お引き取りください。奥方様には、私からお返事を差し上げます」

「ですが」

「これ以上、同じことを言わせないでいただきたい」

 静かな声だった。

 怒鳴っているわけでも、相手を脅しているわけでもない。それなのに、廊下の空気が冷え込んだような気がした。

 やがて、慌ただしい足音が遠ざかっていく。

 僕はようやく息を吐いた。

 そのとき、扉が静かに開いた。

「……リヒト様?」

 クロードだった。

 僕が身体を起こしているのを見ると、彼はすぐにベッドへ歩み寄ってくる。

「いけません。まだお休みになっていなければ」

「あ、うん。ちょっと目が覚めて」

「お痛みがございますか?」

「大丈夫」

 彼は僕の額に手を当て、熱を確かめると、ほっとしたように微笑んだ。

 さっきまでの冷たい声が嘘のようだった。

「お水をお持ちいたしましょうか」

「……クロード」

「はい」

「さっきの、聞こえちゃった」

 彼の手が止まる。

 僕は少しだけ迷ってから、続きを口にした。

「本宅から、呼ばれてるんだよね」

「……申し訳ございません。お騒がせしてしまいました」

「そうじゃなくて」

 クロードは何も言わず、僕を見つめている。

「僕、行かなくていいの?」

 その瞬間、彼の表情がわずかに強張った。

「行きたいのですか」

「え?」

「本宅へ、お戻りになりたいのでしょうか」

 声は穏やかなのに、どこか切羽詰まっているように聞こえた。

 僕は慌てて首を振る。

「いや、そうじゃないけど。命令なんでしょ?」

「リヒト様」

 クロードはベッドの脇へ膝をついた。

 そして、僕の手をそっと取る。

「あなたは、どうなさりたいのですか」

 思いがけない問いだった。

 どうしたい。

 そんなことを聞かれても、僕には分からない。

 そもそも、この身体が本宅で何をされたのかさえ知らないのだ。

 ただ、両腕に残る傷と、背中の痛みが、そこへ戻ってはいけないと訴えている。

「……行きたくない」

 気づけば、そう答えていた。

 クロードの指が、僕の手を包み込む。

「では、行かなくて結構です」

「でも」

「私が何とかいたします」

 あまりにも簡単に言うものだから、僕は思わず彼の顔を見た。

「そんなこと、できるの?」

「もちろんでございます」

「公爵家の命令なんでしょ?」

「それが、どうかなさいましたか」

 クロードは不思議そうに首を傾げた。

 僕の方が間違ったことを聞いてしまったような気分になる。

「……クロードって、すごいね」

「何がでしょうか」

「いや、なんか……頼もしいなって」

 そう言うと、彼は一瞬だけ目を見開いた。

 それから、嬉しそうに目元を緩める。

「そのようにおっしゃっていただけるとは、光栄でございます」

 たった一言で、こんなに喜ぶのか。

 僕は少し照れくさくなって、視線を落とした。

「……ありがとう」

「いいえ。リヒト様が望まれるのであれば、私は何でもいたします」

 何でも。

 その言葉が、妙に胸へ残った。

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